新エリー都に住む『あなた』とエージェントのお話 作:ぽこちー
あの日を境に、リュシアの距離感は壊れたように変わった。
ホロウへ向かうことはなくなり、食事の席でも、外出の途中でも、眠りに落ちる瞬間でさえ、彼女は彼の半径から一歩も離れなくなった。
依存。
『あなた』自身も、それを理解していた。
理解していながら、止めることはできなかった。
もし拒めば、彼女は壊れてしまう。
その予感が、あまりにも現実的だったからだ。
それに、不思議と嫌悪はなかった。
必要とされている感覚が、胸の奥を静かに温めていた。
時間をかけて、少しずつ戻していけばいい。
今はただ、そう信じるしかなかった。
リュシアもまた、自分が依存していることを自覚していた。
それでも、離れるという選択肢は浮かばなかった。
『あなた』が他の女性と話すたび、視線は自然と鋭くなる。
会話の流れを断ち切るように、無理やり距離を奪い取る。
怪啖屋の仲間でさえ、例外ではなかった。
柚葉も、アリスも、イドリーも、全員が「奪う可能性」を持っている存在だった。
友達だという事実は、免罪符にならない。
親しいからこそ、油断の隙に心を持っていかれるかもしれない。
自分が最低なことをしている自覚はあった。
それでもリュシアは、『あなた』に近づくすべての存在を遠ざけずにはいられなかった。
労り、癒し、身体を重ねる。
優しさという名の鎖で、彼を自分の内側に閉じ込める。
それが愛だと信じたかった。
深夜。
『あなた』の腕の中から静かに抜け出し、洗面台の前に立ったリュシアは、鏡に映る自分と目を合わせてしまった。
なんて、醜いのだろう。
幼い頃からエーテリアスが好きだった。
可愛い個体も、歪んだ個体も、そのすべてを個性として愛してきた。
だが、鏡の中の自分はどうだろう。
これまで見てきたどんな歪な存在よりも、救いようのない形をしていた。
「あはっ……」
乾いた笑いが漏れる。
「これじゃ、エーテリアス以下じゃんね」
エーテリアス化した人間の意識は、いつか戻る。
そう信じてきた。信じ続けてきた。
けれど今、リュシアは悟ってしまった。
自分はもう、戻れない場所に立っていると。
音を立てないように寝室へ戻り、彼の隣に膝をつく。
眠る横顔を見つめる視線は、ひどく優しかった。
「……ごめんね」
小さく呟き、唇にそっと触れる。
それが、『あなた』との最後の別れだった。
リュシアは『あなた』を残し、静かに部屋を出た。
それ以降、彼女がその家に戻ることはなかった。
リュシアが家を出てから、まもなく一ヶ月が経とうとしていた。彼からの着信も、怪啖屋の仲間たちからの連絡も、途切れることはなかった。
けれどリュシアは、それらすべてを過去にするように、スマートフォンをホロウ内の海へ投げ捨てた。水面に沈む光が、二度と浮かび上がらないのを見届けてから、彼女は背を向けた。
「ほら、おいで。怖くないよ」
差し出した手の先で、小さなエーテリアスが身をすくめた。
敵意はない。ただ、怯えきった目で一瞬だけ彼女を見つめ、次の瞬間には逃げるように走り去っていく。
また、だ。
この一ヶ月、攻撃してきていたはずのエーテリアスでさえ、彼女には近づこうとしなかった。それは、彼女自身が彼らよりも歪んだ存在になったという、何より雄弁な証明だった。
「そんなに逃げなくてもいいじゃん。……まあ、仕方ないか」
独り言は、誰にも届かない。
周囲の温度は暖かい。
それなのに、指先も、足先も、胸の奥も、凍りついたように冷たかった。
リュシアは一人で歩き続ける。
気づけば、足は自然とある場所へ向かっていた。
かつて、ワンダリングハンターと刃を交えた場所。
「……おとう……」
ぽつりと零れた声は、空に溶けた。
「ねえ、私ね……好きな人ができたんだよ」
誰に聞かせるでもなく、語り始める。
『あなた』と出会った日のこと。
共に過ごした、穏やかで壊れやすい時間。
それらはまるで、最初から存在しなかった夢のように、虚空へ消えていく。
「でもね、結局一人になっちゃった」
柚葉も、アリスも、真斗も、イドリーも。
友達だったはずの存在を、自分の手で拒絶した。
そして、彼も。
「どうして、こうなったんだろうね」
「私が好きになっちゃったから? 私が変だから?」
答えは出ない。
「……そもそも、出会ってしまったのが間違いだったのかも」
「ずっと一人ぼっちだったくせに、友達なんて欲しがったから」
「そんな私が……人を好きになったから……」
言葉は、最後まで形にならなかった。
「……寂しいよ」
一粒の涙が、地面に落ちる。
その瞬間、足元で小さな音がした。
小型のエーテリアスだった。
さらに、ひとつ、またひとつ。
気づけば無数のエーテリアスが、彼女を包み込むように集まっていた。
そこに敵意はない。
まるで、慰めるように、寄り添うように。
「……私を、慰めてくれるの?」
恐る恐る伸ばした手を、エーテリアスは拒まなかった。
その温もりに、胸の奥がかすかに軋む。
一匹が鳴き声を上げる。
それに呼応するように、周囲のエーテリアスたちも声を重ねた。
そして彼らは、列をなし、道を作る。
一匹が、その奥を示した。
「……え……?」
エーテリアスたちは、歩み寄る影に向かって、膝をつく。
“ひとつ、星を”
歌声が、ホロウに響いた。
“ふたつ、星を”
それは、かつてワンダリングハンターに向けて歌った歌。
そして、『あなた』だけに教えた歌。
“みっつめ、はどこでしょう?”
『あなた』は、目の前に立っていた。
あの日と変わらない笑顔で。
“みいつけた”
「……どうして……どうして、ここに……!」
堰を切ったように、叫びが溢れる。
抱えてきた後悔も、恐れも、闇も。
拒絶するように、必死に吐き出した。
けれど、それらすべては、たった一言で覆された。
“帰ろう、リュシア”
その瞬間、心の底で何かがほどけた。
帰る場所がある。
待ってくれる人がいる。
確かな実感が、胸を満たす。
リュシアは、彼に縋りつくように抱きつき、二度と離さないと誓うように、強く腕を回した。
「ごめん、ごめんね……っ!!」
ホロウの空に浮かぶ歪な星々が、ひときわ強く瞬いた。
まるで、彼女が再び生きる場所を見つけたことを祝福するかのように。
ホロウ耐性0の『あなた』がなぜホロウに入れるのでしょうか……
???「エッチなことしたんですね?」
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