新エリー都に住む『あなた』とエージェントのお話 作:ぽこちー
【注意】
この話では、『あなた』がかなり喋ります。
ご注意ください。
始まりの主の降臨は、新たな虚狩り葉瞬光の活躍によって阻止され、衛非地区には再び平和が訪れた。
だが、この一件は同時に、雲嶽山に潜んでいた深い闇を白日の下にさらすことにもなった。
雲嶽山はこれまで、ホロウ災害などで両親を失った子どもたちを受け入れ、修行者として育成する孤児院の役割を担ってきた。
しかしその実態は、青溟剣の適合者を選別するための施設にほかならなかった。
この歪んだ仕組みは、裏で陸衝舟が暗躍していたがゆえのものだった。宗主である儀玄は、その事実を知らされていなかったのだ。
現在では釈淵とも和解し、問題自体はすでに解決している。
それでも、師として、そして雲嶽山の宗主として、弟子たちを守れなかったという事実は、重く儀玄の胸にのしかかっていた。
「……」
深夜の澄輝坪。
ロープウェイ乗り場の横でひとり佇む儀玄は、静かな海を見つめていた。
青溟剣への執着。己の未熟さ。
そして、亡き姉の面影。
思考はとりとめもなく、闇へと沈んでいく。
そのとき、不意に背後から声がかかった。
“おや。雲嶽山の宗主様じゃありませんか”
振り返ると、ひとりの男性が立っていた。
儀玄の姿を見た彼は、丁寧に一礼する。
“この場所、私のお気に入りなんですよ。宗主様も、そうですか?”
「……あぁ」
儀玄は短く答えた。
本当は、今は誰とも話したくなかった。
だが、その思いを口にするだけの気力すら残っていない。
“宗主様は……”
「……儀玄でいい」
“……分かりました。では、儀玄さんで。儀玄さんは、どうしてここへ? ……もっとも、こんな時間にお一人でいらっしゃるということは、何か思い悩んでいることがあるのでしょうね”
男性は、儀玄の「放っておいてほしい」という気配を感じ取っていた。
それでも、あえて言葉を紡いだ。
“実は私も、同じなんです。……今日、兄が助けた家族が、私のもとを訪ねてきまして”
彼は一瞬、視線を海へと落とした。
“私の兄は元防衛軍でして。名の知れた英雄ではありませんでしたが、多くの市民を救ったそうです”
「ずいぶんと他人事のようだな。……それに、“元”というのは」
“……殉職しました。私の兄は”
「っ……そうか。それは……すまない」
“いえ。もう、吹っ切れていますから。変に気を遣わせてしまって、こちらこそ申し訳ありません”
男性はそう言って、わずかに笑みを浮かべた。
その表情に悲壮さはなく、それでも確かに、失われたものの重みが滲んでいた。
そして彼は、何事もなかったかのように、再び語り始めた。
“……優しい兄でした。それも、世界一の。何があっても、兄がいればそれでよかったんです”
「……」
“でも、旧都陥落のとき、兄は死にました。軍のお偉いさんたちは『名誉ある死』だと言っていましたが、私には理解できませんでした”
“死に、名誉なんてものは存在しない。 死んだ瞬間、すべてが終わる。それだけだと”
そう言って、男性は懐に手を伸ばした。
取り出されたのは拳銃。
だがそれは実銃ではなく、子供向けのディニーガンだった。
“私には力がありません。兄に憧れて、防衛軍に入ろうとしたこともあります。……でも、弱すぎました”
自嘲するように、肩をすくめる。
“例えるなら、戦闘力たったの5のゴミです。唯一、才能と呼べるものがあるとすれば……これだけでした”
男性は、十メートルほど先の手すりに向けて引き金を引いた。
放たれたディニーが手すりに当たり、宙へと跳ね上がる。
次の瞬間、男性は間髪入れず、宙を舞うディニーへと再び撃ち込んだ。
乾いた音。
ディニー同士が正確に衝突し、撃った弾は彼の手元へ、撃ち落とされた弾は再び宙へ。
それを、何度も。
何度も、何度も繰り返す。
弾が尽きるまで、一切の迷いもなく。
新エリー都の中でも、これほど正確な射撃を行える者はそういない。
儀玄は、その光景に言葉を失っていた。
やがて男性は、つまらなそうにディニーガンをしまい、ぽつりと言った。
“……この才能は、兄に与えるべきだったと思っていました。そうすれば、兄は生きて帰ってこられたかもしれない”
悲しげに歪んだその表情を前に、儀玄は言葉を探した。
だが、今の彼女には、何ひとつ差し出せる言葉がなかった。
“私は、兄に生きていてほしかった。いつものように、私の手を引いてほしかったんです”
“ある日、ひとつの家族が、私のもとを訪ねてきました。私は、その人たちを知りませんでした。けれど……”
男性は、ゆっくりと胸の前で手を握る仕草をした。
“その家族は、私の手を握り、泣きながらこう言ったんです。『あなたのお兄さんのおかげで、私たちは生きています』と”
“『あなたにとって、私たちは憎い存在かもしれません。 それでも、これだけは言わせてください。 助けてくれて、ありがとう』と”
男性は、どこか可笑しそうに笑った。
“意味がわからないですよね。何で私に言うのか。何でそんなことを言うのか。そんなことを言ったって、兄は帰ってこないのに”
“だから、言ってやろうと思いました。『お前たちのせいで、兄は死んだんだ』って”
“……でも、言えなかった”
男性の視線が、足元へと落ちる。
“その家族の子供が、私に手紙を差し出したんです。 クレヨンで書かれた、ぐちゃぐちゃな字で”
“読むのもやっとな文字で、ただ一言だけ”
“『ありがとう』って”
男性は、静かに笑った。
“そのとき、分かったんです。兄が、命をかけてまで守ろうとしたものが何だったのか”
“兄の死は、無意味なんかじゃなかった。兄がいたから、この家族がいる。兄がいたから、今の新エリー都がある”
“……そして、兄様がいたから、今の僕がいる”
男性は、心の奥底から笑っていた。
“儀玄さん。———あなたも、同じです”
「私も……?」
“貴女に、何があったのかは分かりません。どんな過ちを犯したのかも、分かりません。けれど、これだけは、断言できます”
男性は、嘘も飾りもない、満開の笑顔で言った。
“貴女がいたから、今があるんです”
その言葉は、鋭く、そして深く、儀玄の胸を貫いた。
確かに、彼女は選択を誤ったのかもしれない。
だが、別の道を選んでいれば、今と同じ平和が訪れたという保証はどこにもない。
人は過ちを繰り返す。
傷つき、悔やみ、それでも歩み続けることでしか、前へは進めない。
だから———。
儀玄の選択も、行動も、これまでの人生も。
決して、否定されるものではないのだ。
“さっき、この才能は兄に与えるべきだと言いましたが……今は、そうは思っていません”
男性は、少し照れたように笑う。
“だって、この才能で、みんなを笑顔にできるんですから”
「子供たちに人気なんですよ、この芸」と付け加えながら、男性はディニーガンを指先でくるくると回し、悪戯っ子のような笑みを浮かべた。
「……そうか。私は……」
胸の奥に絡みついていた何かが、ほどけていく。
儀玄は俯き、ぽつりと呟いた。
すると男性は、何かを思い出したように手を叩く。
“そうだ。実は、儀玄さんにどうしても伝えたいことがあったんです”
「……私に?」
“以前、衛非地区がミアズマに侵食されたことがありましたよね。実はあのとき、私も侵されていたんです”
懐かしむように、男性は語る。
“痛くて、辛くて、苦しくて……正直、もう駄目だと思いました。でも、そんなときに現れたのが、貴女でした”
“侵食が治った後、私はすぐに貴女のもとへ向かいました。けれど、貴女は雲嶽山の修行者に肩を借りながら、とても辛そうにしていた”
“そのとき、分かったんです。貴女は、自分を犠牲にしてまで、みんなを救ったんだって”
男性は、まっすぐに儀玄を見つめる。
“あのときは、ただ見送ることしかできませんでした。辛そうな貴女が、澄輝坪へと帰っていく背中を”
“でも……今なら、言えます”
真剣な眼差しで。
心の底からの感謝を込めて。
“貴女のおかげで、今の私がいます”
“ありがとう、儀玄さん”
「…………ッ」
儀玄は、俯いた。
零れ落ちそうになる涙を、決して見られないように。
悟られないように。
男性は、ようやく言えたと言わんばかりに、大きく息を吐いた。
“……よかった。ちゃんと伝えられました”
そして、穏やかに微笑む。
“では、儀玄さん。私はこれで失礼しますね”
自分の役目は終わった。
そう告げるように、男性は一礼し、踵を返す。
その背に向かって、儀玄は思わず声を上げた。
「……待て」
“……?”
掠れた声で、儀玄は男性を呼び止めた。
「お前さんは、先ほど言ったな。自分は戦闘力5のゴミだと」
“え? ……ええ、まぁ。否定はできませんけど”
曖昧に肯定する男性を見て、儀玄は小さく笑った。
「だったら———私が鍛えてやろう」
“…………はい?”
「拒否権はない。決定事項だ」
“…………はあああ!?!?”
あまりにも予想外の言葉に、男性は大仰に声を上げた。
対する儀玄は、どこか楽しげに口角を上げる。
“な、なんでですか!? どうしてそういう話になるんです!?”
「お前さんが気に入った。ただ、それだけだ」
“意味が分からない……!!”
頭を抱える男性の手を、儀玄は強引に掴む。
「お前さんが言ったのだろう。私の選択は、間違いではないと」
“そ、それとこれとは別問題じゃないですか!?”
「細かいことを気にする男はモテないぞ?……もっとも、私としてはその方が都合がいいがな」
儀玄はそう言って、男性の手を引いたまま歩き出す。
行き先は、適当観。
“あ、ちょっと!? 待ってください!! 話を———いや、その前に俺の両親に……え? 両親への挨拶は早すぎる? いや、何の話をしてるんですか貴女……”
ぐい、と一層強く引かれる。
“ちょっ、力強っ!? 嘘っ、雲嶽山の宗主、強すぎ———アッ”
適当観の庭では、いつものように修行者たちの賑やかな声が響いていました。
「おぉ〜!! お弟子さん、すごいですっ!!」
福福は目を輝かせながら、拍手を送っています。
その視線の先では、『あなた』がディニーガンを用いた見事な射撃を披露していました。
兄弟子、姉弟子たちも次々と感心の声を上げ、惜しみない拍手を送ります。
『あなた』はディニーガンをくるりと回し、見るからに得意げな表情を浮かべていました。
「ねえ、それだけの実力があるなら、今度開催される射撃大会に参加してみたらどう?」
姉弟子の1人が、軽い調子で提案します。
しかし『あなた』は、舌を鳴らしながら人差し指を左右に振り、何かを否定する仕草を見せました。
その少々うざったらしい態度に、兄弟子や姉弟子たちは眉をひそめます。
———が。
次の瞬間、『あなた』が見せたスマホの画面を目にし、一同は凍りつきました。
「えぇ!? 優勝してる!?」
「しかも、二大会連続!?!?」
どよめきが走ります。
それを受けて、『あなた』のドヤ顔は、さらに磨きがかかっていきました。
完全に天狗状態となった『あなた』は、鼻を鳴らしながら、兄弟子や姉弟子たちに何事かを語りかけています。
“あの金髪の美人スナイパーちゃんもなかなかの実力を持っていたけど、俺には敵わないんだよねぇ!!!!”
ドヤ顔でそう言った次の瞬間———
「ほう……なかなか、面白そうな話をしているな」
ピギィッ、と。
まるで空気そのものが悲鳴を上げたかのような音が響き、庭の温度が一気に下がりました。
「私という最愛の嫁がいるというのに、他の女の話とは……浮気か?」
振り返った先に立っていたのは、儀玄でした。
満面の笑みを浮かべていますが、その目は一切笑っていません。
『あなた』は、全身全霊で弁明するような身振りを見せます。
射撃の話であって、決してやましい意味ではない。そう必死に訴えている様子でした。
助けを求めるように兄弟子、姉弟子たちの方を振り返りますが、そこには誰もいません。
彼らは皆、いつの間にか綺麗さっぱり姿を消していました。
「まあ、いいだろう。多少の火遊びは許してやる」
その言葉に、『あなた』は心底ほっとしたようでした。
———しかし。
「だが。改めて、その身体と心に刻み込む必要があるようだな」
儀玄は、にっこりと微笑みます。
「私という存在を……な♡」
ギルティ。
『あなた』に救いはなかった。
首根っこを掴まれ、ずるずると“愛の巣”へ引きずられていく『あなた』を、物陰から様子をうかがっていた兄弟子、姉弟子たちは、哀れみのこもった視線で見送ります。
「……防音の術だけじゃなくて、防臭の術も編み出してくれませんかね」
誰かが空を仰ぎ、ぽつりと呟きました。
こうして雲嶽山の修行者たちは、今日も今日とて実に平和な日常を送るのでした。
戦闘力5のゴミ(射撃スキルEX)。
儀玄がピンチの時、冴羽獠よろしくバチクソカッコよく登場して、儀玄を助けて欲しいですねこれは。
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