想起
黄色と青。
やけに派手な配色のバスが、学校のグラウンドに停まっていた。
その前には、同じ色のジャージを着た少年たちが集まり、屈託なく談笑している。
縦にも横にも大きく、頭がアフロのように広がった山のような少年。
背は低いが、鋭い眼光に強い意志を宿し、腹の底に何かを隠していそうな少年。
ゴーグルをつけた者、女性と見紛うほど中性的な容姿の者──外見も雰囲気も実に様々だ。
それなのに、不思議と雑多な印象はなかった。
全員が、同じ「熱」を抱えているように見えた。
俺たちのキャプテンが挨拶のために近づくと、少年たちは自然と会話をやめ、こちらへ視線を向けた。
その輪の中心から、オレンジ色のバンダナを巻いた少年が一歩前に出る。
(ああ……)
この人だ。
俺の、憧れの──。
胸の奥が、じんわりと熱を帯びる。
サッカーが好きだった。ただそれだけだったはずなのに、ここまで夢中になった理由。
ポジションを変えてまで追いかけた背中。
ゴールを守り、仲間を信じ、声を張り上げ、絶対に諦めない人。
雷門中の守護神──円堂守。
キャプテンと二言三言言葉を交わしたあと、彼の視線がこちらに向いた。
胸が、跳ねる。
「は、はい!」
喉が引きつる。
心臓の音がやけに大きく聞こえる。
緊張で足が震えながらも、ゆっくりと彼の前に歩み寄る。
円堂さんは、不思議そうな顔をしながらも、急かすことなく待っていてくれた。
「円堂さん! 俺、陽花戸中一年、立向居勇気です!」
「おう。俺は円堂守。よろしくな!」
差し出された手を、夢中で握り返す。
その瞬間、思わず笑ってしまった。
「あ、あの……感激です! 俺、この手、一生洗いません!」
「いや、ご飯の前には洗ったほうがいいぞ?」
「あ……ですよね……」
「あはははは!」
円堂さんは、俺の突拍子もない言葉にも、自然にツッコミを入れて笑ってくれた。
その笑顔に、胸がさらに熱くなる。
「君も、サッカー好きなのか?」
「はい! 大好きです!」
そう答えると、円堂さんは本当に嬉しそうに目を細めた。
──そうだ。
円堂さんに会ったら、見せようと思っていたものがある。
彼の代名詞。
ビデオを何度も見て、研究して、特訓を重ねて──
ついに自分のものにした、あの技。
ゴッ◻︎ハ◻︎◻︎。
意を決して声をかけようとした、その瞬間。
瞬きをした次の瞬間、円堂さんの姿は消えていた。
握っていたはずの手も、笑顔も、そこにはない。
あるのは、見慣れた自分の部屋と、白い天井だけだった。
立向居ユウキは、夢から覚めた。
⸻
結田付中学校へ向かう道すがら、ユウキは今朝の夢を反芻する。
サッカーが好きな少年──いや、中学生たちの夢だった。
弱小と呼ばれていた雷門中が、四十年間無敗の帝国学園を打ち破るジャイアントキリング。
世宇子中の圧倒的な強さと、それに抗い覚醒していく雷門の姿。
どれも、胸が高鳴った。
中でも──円堂守。
何度追い詰められても決して折れない心。
状況を打開する力。
ゴールを守りながら、仲間を信じ続ける姿。
夢の中のユウキは、そんな円堂さんに強く憧れていた。
会えると分かった時は、引っ込み思案なタイプとは思えないほどはしゃいでいた。
確か、エイリアンが日本に襲来しており、雷門イレブンが迎え撃つべく、全国の有力選手を訪ねて回っていた。
福岡の陽花戸中には、祖父が考案した必殺技の情報を探しに来ていたはずだ。
夢の続きは覚えていない。
けれど、きっと──
夢のユウキは、あの技を見せるのだろう。
円堂さんは、なんと言うだろうか。
認めてくれるだろうか。
(……いいな)
羨望と、無力感。
胸に広がる、どうしようもない差。
何もできない現実の自分と、夢の中で輝く自分。
夢のユウキも、努力していた。
才能だけで成り立つものじゃない。
血の滲むような鍛錬があったからこそ、あの技を会得できた。
それでも──。
現実の自分には、できない。
いくら努力をしようとも、そもそも「才能」がない。
無個性なのだから。
⸻
四歳の時だった。
個性が発現しないことを心配した母に連れられ、病院で個性診断を受けた。
結果は、無個性。
両親も無個性で、遺伝かもしれないと言われ、母は泣いた。
「ごめんね……ごめんね、ユウキ……」
「大丈夫だよ、お母さん! 個性がなくたって、生きていけるよ!」
そう言った自分は、笑顔だった。
ヒーローという職業に、特別な執着はなかった。
敵〈ヴィラン〉は怖いし、怪我も人が傷つき傷つけられるのも嫌だった。
だから、個性がなくても困らないと──本気で思っていた。
認識が変わったのは、小学校に入ってからだ。
「え、無個性なの?」
「まだいるんだ、無個性」
「個性がないのつまらなくない?」
悪意ばかりではなかった。
ただの好奇心だったのだろう。
だが、その視線は確実に心を削った。
最初は、意地を張った。
「無個性でも、同じだよ!」
けれど、彼らと自分の間には、確かな壁があった。
八割が個性を持つ社会。
無個性は、進化に取り残された存在のように扱われる。
──悪いのは、僕なのか?
そう思い始めてから、ユウキは目立たない生き方を選んだ。
主張しない。
言い返さない。
期待しない。
傷つく回数が減るなら、それでいいと思った。
……思っていたはずだった。
ユウキは足を止め、奥歯を噛みしめた。
夢のユウキが、どうしようもなく羨ましかった。
大好きなサッカーに熱くなり、
仲間とぶつかり合い、
努力の末に必殺技を手に入れ、
憧れの人に認められる。
それは、自分にはない感情ばかりだ。
同じ立向居ユウキのはずなのに。
何が違うのか。
なぜ、こうも隔たりがあるのか。
答えの出ない思考が、胸の中を堂々巡りする。
──その時だった。
「危ない!!」
鋭い叫び声が、思考を切り裂いた。
次の瞬間、轟音が街に響き渡る。
交差点の先で、人々が立ち止まり、悲鳴を上げていた。
腰を抜かして座り込む者もいる。
「ヴィ、敵だぁ!!」
「逃げろー!!」
ユウキの目に、巨大化の個性を持った敵〈ヴィラン〉の姿が映った。
車を押し倒し、看板を引き剥がし、建物の壁を殴り砕く。
通勤、通学中だった人々は恐怖に顔を歪め、逃げ惑う。
口々に皆は叫んだ。
「誰か助けて!」
「ヒーローはいないのか!?」
ヒーローは、まだ、来ていない。
暴れ始めてから、ほんの数十秒。
ヒーロー飽和社会とはいえ、初動にはどうしても空白が生まれる。
「に、逃げよう……!」
ユウキも走り出そうとした。
無個性の自分ができることは、それしかない。
──そのはずだった。
逃げるために体の向きを変えた、その瞬間。
視界の端に、ひとつの影が映った。
泣いている、男の子。
親とはぐれたのか。
転んだ拍子に膝を擦りむき、立ち上がれずにいる。
呆然とした表情で、逃げる気力すら残っていない。
敵〈ヴィラン〉は、破壊に満足したのか、周囲を見渡していた。
逃げ惑っていた人々は、すでに視界の外だ。
──残っているのは。
ユウキと、少年だけ。
「……くそっ」
気づいた時には、走り出していた。
「なんで……!」
自分でも分からない。
無個性だ。
何もできない。
それでも、足は止まらなかった。
「君! 立てる!? 逃げよう!」
「う、うん……!」
少年は震えながらも立ち上がる。
怪我は擦り傷。歩くことに支障はない。
ユウキは安堵しかけ──同時に、嫌な気配を感じた。
敵と、目が合った。
巨大な敵は、ゆっくりと笑った。
そして、交差点脇に立つ街路灯へと歩み寄る。
太く、重い、金属製の照明ポール。
巨大化した手でそれを掴み、根元から引き抜く。
コンクリートが砕ける音が響いた。
片手で持ち替え、投擲の構え。
──狙いは、明らかだった。
「……っ!」
足が、凍りつく。
少年はまだ逃げ切れていない。
投擲の軌道上にいる。
ヒーローは、来ない。
万事休す。
助けたつもりで、何も救えず終わる。
一瞬で、後悔が押し寄せる。
なぜ、助けようとした?
逃げていれば、生き延びられたかもしれない。
だが、ユウキは、その理由に気づいてしまった。
夢のユウキに、近づきたかった。
無個性という言葉に、全てを押し付けて逃げる自分が嫌だった。
憧れを、ただ憧れで終わらせたくなかった。
──守りたかった。
理屈じゃない。
考える前に、体が前に出ていた。
「行け!!」
少年を突き飛ばすようにして、後方へ逃がす。
次の瞬間、街路灯が放たれた。
死を覚悟した、その刹那。
「──通さない……!」
叫びは、ほとんど悲鳴だった。
腕を上げた。
ただ、それだけだ。
技を出そうなんて、考えていない。
ゴールキーパーの構えでもない。
夢で見た型ですらなかった。
ただ──
守りたいと、強く思った。
その瞬間。
体の奥が、熱を持った。
胸の中心から、何かが溢れ出す。
青白い光が、意志に引きずられるように腕へと集まっていく。
「……な、に……?」
驚く暇もなかった。
光は、意思を持つように形を成し、
人の手を模した巨大な“掌”となる。
迫る街路灯が、その掌にぶつかった。
凄まじい衝撃。
衝撃波に、足が地面を削られる。
青い掌に、無数のヒビが走った。
それでも。
「……負ける、わけには……」
声が、震える。
後ろには、逃げた少年がいる。
ここで崩れれば、全てが終わる。
「負けるわけには……いかないんだぁ!!」
叫びと同時に、光が強まった。
砕けかけていた掌が、再び形を取り戻す。
意志に応えるように、より強く、より大きく。
街路灯の勢いは、次第に失われ──
ついに、地面へと落ちた。
「……はぁ……っ」
膝が崩れ、尻餅をつく。
限界だった。
意識が遠のく中、敵がこちらへ歩み寄るのが見える。
──もう、動けない。だけど……!
その時。
風が吹いた。
「よく、耐えたな……少年!」
背中に、確かな温もりが触れた。
振り返ると、そこにはヒーローが立っていた。
敵を見据える、その瞳は揺るがない。
「──もう大丈夫。私が来た」
その言葉を最後に、ユウキの意識は暗転した。
⸻
「すごいよ、立向居」
夢の中で、円堂さんが笑っている。
「お前の“ゴッドハンド”は、本物だ」
──ああ。
夢のユウキは認められたんだな。
羨ましいと思った。僕には何もないから。
それでも、守りたいと願った、あの瞬間だけは。
──確かに、本物だった。