ヒーロー殺し──ステイン。
近年、突如として現れた敵。
犯罪を無差別に行うのではなく、ヒーローのみを標的とし、暴力を振るう異常な存在。
その思想と行動原理は歪みきっており、断片的な目撃証言と異様な言動から、思想家特有の狂人であると知られている。
そんな存在を前にして、ユウキは立ちすくんでいた。
まさか、と思って追いかけた。
杞憂で済むだろう、済めばいいと思っていた。
だが──目の前にいる。間違いなく、本物だ。
ステインがこちらに視線を向ける。
露骨な殺気はない。だが、ぎょろりと見開かれたその眼からは、感情の温度が読み取れない。
人間の形をしていながら、どこか人外じみた異質さだけが、肌を刺すように伝わってくる。
一歩でも動けば、何をされるかわからない。
額から、冷たい汗が滲み落ちた。
「……ハァ。消えろ。子どもが立ち入っていい領域じゃない」
一瞥だけくれて、ステインはすぐに視線を戻す。
「……ハァ。俺は、為すべきことを為す」
右手に構えた短刀が、ゆっくりと振り上げられる。
切っ先は、押さえ込んでいるヒーローの喉元を正確に捉えていた。
「や、やめ──」
ヒーローは悲鳴を上げ、反射的に目を閉じる。
その表情を見た瞬間、ユウキの体を縛っていた金縛りが、軋むように緩んだ。
恐怖は消えない。
敵は怖い。殺されるかもしれないという現実も、すぐそこにある。
それでも。
──たすけてくれて、ありがとう
──憧れに恥じない人になりたい
胸の奥で、言葉にならない声が重なり合う。
人を助けるヒーローになりたい。
無個性だった自分から、変わりたい。
原点と憧れが震える心を支えた。
恐怖を真正面から押し返した。
守らなければならないという衝動だけが体を動かし、喉を震わせる。
「そ、その人を……放せぇぇ!」
声は、腹の底から絞り出したものだった。
短刀が止まる。
ステインは刃を突き立てる寸前で動きを止め、ゆっくりとこちらを見る。
その眼が、僅かに細まり、興味深そうな色へと変わった。
歪な笑みを浮かべると、彼はためらいなくヒーローの鳩尾を殴りつける。
鈍い音と共に、ヒーローの体が跳ね、意識を失った。
ぞんざいに地面へ放り投げる。
「お前、なぜ止める?」
そう言いながら、ステインは歩き出す。
一直線に、ユウキへと近づいてくる。
気を引くために出た言葉だった。
それでも、思わず後ずさる。
「その目……恐怖している。見たところ、ヒーロー科でもないだろう」
淡々とした観察。
まるで標本を眺めるかのように、ユウキの内面を剥ぎ取っていく。
やがて手の届く距離で止まり、真正面に立つ。
「なぜ、逃げない?」
覗き込むような視線。
逃げ場のない圧が、胸を締め付ける。
「お前は、これが蛮勇だと知っている。それでも、この出来損ないを助けるために命を張っている……ハァ。なぜだ?」
嘘は許さない、と告げる眼だった。
言葉を発しようとして、圧が増していく。
「……人を助けるのに、理由なんて、必要、ですか」
震えながら、どうにか絞り出す。
だが、ステインの表情は一切変わらない。
「……ハァ。善意だけで人を助ける者など、そうそういない。本物のヒーローを除いてな」
捻り出した言葉は、容易く否定された。
「お前は、なぜ人を助ける? 人を助けて、何とする?」
問いが、突き刺さる。
敵事件の記憶が蘇る。
あの時、考える前に体が動いた。
憧れの背中を追い、空虚な人生を拒絶した。
だが、ステインは言っている。
行動には必ず動機があるのだと。
少年を助けたことで芽生えた、「人を助けたい」、「役に立ちたい」という思い。
それが原点だと信じてきたユウキにとって、更なる深層を追及し、剥き出しにされる。
その行為はユウキの根幹、芯を揺さぶった。
「……!」
「……ハァ。中身は空か。見込みがあると思ったが、期待外れだ」
興味を失ったように、ステインは背を向ける。
気絶したヒーローへ、再び歩み寄っていく。
「お前は、世に蔓延る贋物どもと同じだ。──失せろ。次に立ちはだかった時は、粛清対象だ」
吐き捨てるような言葉。
見逃された。
ヒーローではないからか。
まだ中学生だからか。
ユウキは、その場に立ち尽くしながら、ステインの背中を見つめていた。
右手には、すでに短刀が握られている。
もう、終わりなのか。
逃げることも、止めることもできない。
無個性だった頃と同じ──傍観者。
お前は変わってなどいない、そう突きつけられた気がした。
心が、折れそうだった。
──俺、次は負けねぇよ
今朝の切島くんの言葉が、頭に響く。
傷つきながらも、立っていた背中。
前を向いて、闘志を燃やしていた姿。
ライバルはいつだって、前を向いていた。
「……そう、だよね」
焚き付けたのは、自分だ。
「俺が……折れちゃ、だめだよね」
ユウキは、意図的に重心を前に崩した。
コンクリートに体を叩きつける。
痛みが走る。
だが、その痛みが、恐怖を押し流した。
転がり、勢いを殺さず立ち上がり、駆ける。
短刀が、振り下ろされる寸前だった。
「──ほう!」
「──!」
タックルは、躱される。
だが、ステインは思いがけない行動に、明確な笑みを浮かべた。
「……ハァ。お前、良いな!」
返す刃が、ユウキを襲う。
慣性が乗った体では、回避は不可能だった。
先ほどまでとは、比べものにならない殺気。
本気の刃。
目を閉じた、その瞬間──。
一陣の風が、吹き抜けた。
衝撃は、来ない。
「頭、冷えてねぇじゃねぇか。──立向居」
凛とした、低い女性の声。
ウサギの耳。褐色の肌。鍛え抜かれた肉体。
その背中は、圧倒的な安心感を放っていた。
「世間を騒がす敵には、お仕置きだな」
ラビットヒーロー・ミルコが、そこに立っていた。
「ミルコさん……」
ユウキの呼びかけに、ステインがわずかに反応する。
「……ミルコ。最近、名が騒がれているヒーローか」
「あぁ?」
ミルコさんは怪訝そうに声を漏らした。
「若くしてヒーロー序列上位に食い込みながら、名誉や称賛に執着する様子がない。単独行動を好み、誰よりも早く成果を上げる。だが、見返りを求めず、責任を他者に押し付けることもしない……」
ステインは、愉快そうに口角を歪める。
「──情報だけ見れば、お前は“本物”だ」
短刀を構え直し、重心を落とす。
「だからこそ、確かめたい!」
その瞬間、殺気が爆発した。
先ほどまでとは明らかに違う。
空気が重く沈み、呼吸すらしづらくなる。
今までの行動が、すべて前座だったことを、肌で理解させられた。
「訳わかんねぇこと言ってんじゃねぇ!」
ミルコさんは獰猛な笑みを浮かべ、真正面から迎え撃つ。
ステインの袈裟斬り。
それを脚部の装甲で受け止め、弾き返す。
金属と刃が擦れ合い、火花が散った。
反動で体勢を崩したステインへ、間髪入れず踏み込み、拳を叩き込む。
ステインは後方へ跳びながら、その拳を空中で受け止め、威力を殺して着地した。
互いに距離を取り、睨み合う。
一瞬の静寂。
──速いし、重い
ユウキは理解する。
この二人は、次元が違った。
「立向居! そいつ連れて離れろ!」
ミルコさんが叫ぶと同時に、再びステインへ飛び掛かる。
視界の端で、倒れたヒーローは微動だにしていない。
「ミルコさん! でも!」
「早くしろ! テメェらが邪魔なんだよ!」
言葉は乱暴だが、意図は明確だった。
逃げろ、そう言われている。
頭を切り替える。
倒れたヒーローの腕を肩に回し、引きずる。
とにかく、この場を離れることだけ考える。
「その贋物だけは、逃がさん!」
だが、容易に逃してくれる敵でもない。
ステインが叫び、ミルコさんを飛び越える。
殺気が再び集中した。
「──!」
逃げ場はなかった。
「随分と余裕だなぁ!」
だが、ミルコさんには想定通りのようだ。
すぐに後を追い、背後から強烈な蹴りを叩き込む。
切島くんを沈めた横薙ぎを彷彿とさせる一撃。
空中で横殴りにされ、そのまま勢いよく吹き飛ぶ。
壁に激突し、ステインが呻いた。
間髪入れず、ミルコさんはその胸を脚で踏み付け、拘束した。
「……ハァ、……ハァ、とんだデマだったな」
息を切らしながら、ステインが笑う。
「お前は、本物のヒーローなどではない。ただ、戦うついでに人を救っているだけだろう?」
「ああ。だからなんだ?」
ミルコさんは表情一つ変えない。
「……正義を語る気もないか。随分と、合理に寄った現実主義者だ」
勝敗は決したように見えた。
だが、ユウキの胸騒ぎは消えない。
「……ハァ貴様相手では分が悪い。──だが!」
ステインは突然、顔をこちらに向け、凄絶な笑みを浮かべた。
何かある。
ミルコさんも脚に力を込めて、拘束を強める。
その瞬間、ステインは口から血を吐いた。
狙いは──目だ。
「っ……!」
視界が奪われた、その刹那。
拘束が、わずかに緩む。
ステインは、その隙を逃さなかった。
こちらへ──一直線。
「──!」
防ぐ術はない。
ヒーローを背負っている。
何より、ゴッドハンドを発動する時間はない。
「ぐっ……は」
軽い衝撃。
次いで、苦悶の声。
目の前の光景に、息を呑んだ。
ミルコさんが、ユウキを庇っていた。
背中から、鮮血が流れている。
彼女の口から、痛みに耐える低い声が漏れる。
目は閉じられたまま──未だ見えていない。
それでも、立っていた。
「……大した覚悟だ」
刀を構え直し、ステインが呟く。
「音で位置を拾い、自らの体を肉壁にしたか」
「……ちっ」
ミルコさんは膝をつく。
それでも、その気配は手負の獣特有の凶暴性を孕んでいた。
ステインは警戒しながらジリジリとにじり寄る。
「おーい! こっちだー!」
「兄ちゃん!」
「マサルー!」
そこで、声が聞こえた。
どうやら他のヒーローらが駆けつけたらしい。
まだ、姿は見えないが時間の問題だろう。
ステインは舌打ちし、短刀を収めた。
「生き延びたな。──だが、終わりだと思うな。裁かれる順番が前後するだけだ」
そう言い残し、闇へと消えていく。
完全に姿が見えなくなった後、ミルコさんは緊張の跡が切れたのか体から力が抜けた。
慌てて体を抱える。
彼女の顔面は蒼白だった。
薄目は開けられるのか、ユウキの顔を見つめると。
柔らかい笑みを浮かべた。
「……生きてて、よかったな」
静かな声。
あまりにも、彼女らしくない言葉。
それを最後に、意識を失った。
「ミルコさん!」
声をかけるが、返事はない。
恐怖が、遅れて襲ってくる。
「誰か! ミルコさんを!」
ユウキは叫ぶことしかできなかった。
ヒーローが駆けつけてくれる。声をかけてくれる。
それでも、安心感は全く得られなかった。
救急車のサイレンが、赤い空を引き裂く。
赤色灯がアスファルトに反射し、現実感だけが過剰に主張していた。
ミルコさんは担架に乗せられ、応急処置を施されながら搬送されていく。
背中の傷は深く、血で包帯がすぐに染まっていくのが、遠目にもわかった。
「……ミルコさん……」
ユウキは、ただその名を呼ぶことしかできなかった。
──生きてて、よかったな。
あの言葉が、胸の奥で何度も反響する。
まるで、最期の言葉のようで。
二度と会えないことを、受け入れさせるための言葉のようで。
何も返せていない。
今までの恩に報いることもできていない中、無力感が募るばかりだった。
ヒーローたちが慌ただしく動く中、ユウキは一歩も動けず、その場に立ち尽くしていた。
二週間後。
ユウキは、病院の廊下に立っていた。
あの日から、ミルコさんは生死の境を彷徨ったと聞かされていた。
背中を斬られた際、奇跡的に動脈や神経を避けていたこと。
それでも出血量は多く、予断を許さない状態が続いていたこと。
面会謝絶。
その言葉の意味が、ずっと胸に重くのしかかっていた。
──もし、容態が急変したら
考えるたびに、胃の奥が冷える。
「……」
病室の前で、深く息を吸う。
最後に見た、あの閉じられた目を思い出してしまう。
ヒーロー引退。
後遺症。
最悪の可能性が、いくつも頭をよぎる。
ユウキは意を決して、ドアを開けた。
「お、立向居。 見舞いに来るのおせーぞ!」
そこにいたのは──倒立腕立て伏せをしているミルコさんだった。
「……え?」
一瞬、思考が停止する。
ベッドに横たわり、点滴に繋がれた姿を想像していた。
だが現実は、病室で逆立ちしながら腕立てをする、いつものミルコさんだった。
「ミ、ミルコさん……?」
「なんだその顔。幽霊でも見たみてーだな」
信じられないほど、元気だった。
次の瞬間、胸の奥に溜まっていたものが一気に溢れ出す。
「ミルコさん……ミルコさん!」
思わず駆け寄ろうとするが、軽く躱される。
「きめーよ!」
「えっ!? な、なんでですか!」
「近ぇ!」
ミルコさんは顔をしかめながらベッドに腰掛ける。
ユウキは慌てて椅子に座った。
テーブルには、誰かが置いていったらしい差し入れの人参。
ミルコさんはそれを無造作に齧る。
その光景を見て、ようやく実感が湧いた。
──生きてる
「……ミルコさん、ありがとうございました」
言葉は、自然と出てきた。
助けに来てくれたこと。
庇ってくれたこと。
これまで鍛えてくれたこと。
あの日、失うと思った時に言えなかった言葉を全部引き出した。
ミルコさんはにんじんを噛み砕きながら肩をすくめる。
「気にすんな。仕事しただけだ」
まるで、当然のことをしただけだと言わんばかりだった。
ぶっきらぼうな言い方が、当たり前だがミルコさんらしく、自然と顔が綻ぶ。
一方で、彼女のさも当然のような行動に一つ疑問が思い浮かんだ。
当時のことを追想する。
ステインの凶刃が迫った時。
「あの時……なんで、俺を庇ったんですか」
言葉を選びながら、続ける。
「俺、完全に足手纏いだったと思います。ミルコさんなら……」
切り捨てた方が確実だったのではないか。
最後の言葉でなかった。
ただでさえ視界を奪われた状態だった。
攻撃を当てるのも難しいが、ミルコさんはその状態で反撃する選択肢もあったはずだ。
それに、もしミルコさんがステイン撤退の前に倒れてしまっていたら、結局、倒れていたヒーローも自分もどうなっていたかわからない。
らしくない選択だと思った。
足手纏いを必要としていない彼女は、それでも守ることを選んだ。
それが、なぜなのか、わからなかった。
ミルコさんは一瞬、きょとんとした顔をした。
「……そりゃ、全員助けるなら、ああするのが一番だろ」
当然のように言う。
「私は近接型だしな。突っ込むしか能がねぇ。斬られても、まあ大丈夫だと思った」
「……」
「ギリだったけどな」
軽く笑う。
自分の命を賭けた選択だったとは、微塵も感じさせない口調だった。
「……足手纏いはいらない、って言ってませんでしたか」
ミルコは一瞬、言われた意味がわからないという顔をする。
「足手纏いのヒーローはいらねぇ」
そこで一拍置き、続けた。
「でも、守らねぇのは違ぇだろ」
ユウキはその言葉で、すべてが繋がった。
思いがけない勘違いをしていたと気づく。
ミルコさんは、究極の自助とも言うべき人間だ。
自分でできることは自分でやる。
誰にも期待せず、誰にも頼らない。
しかし、それは見捨てるわけにはならないのだ。
ミルコさんは自助の精神を他者に押し付けないから。
もし、仲間が倒れた時は守るべき対象として助ける。
ミルコさんの言う助け合いはこれを指していた。
助け合いにも様々な形がある。
円堂さんたちの助け合いは、相互扶助から互助に昇華したもの。
ミルコさんにとって助け合いは、一方的な施しに近いものなのだろう。
それが彼女の中での最適解であり、仲間との関わり合いなのだと思った。
自分の理想とする仲間は、"互助"だ。
互いに支え合い、対等な力を持っていなければ実現することはできない。
仲間を必要としていないミルコさんを仲間として支え、支えられることが理想を実現する近道なのではないだろうか。
──ただ、彼女の隣に立つ人間が、いなかっただけなのだ。
「……ミルコさん、すみませんでした!」
立ち上がり、深く頭を下げる。
「俺、もっと強くなります」
ミルコさんが人参を運ぶのを止める。
「隣に立てるくらいに。助け合えるくらいに」
いつか隣に立ち、実力のない仲間はいらないと、そう言い切った彼女に少しばかりの解釈を与えたい。
仲間とは助けるだけではなく、互いに支え合うことができるのだと証明したいと思った。
真摯な目で、そう彼女に誓う。
「……」
一瞬、病室に沈黙が落ちる。
ミルコさんは眉間に皺を寄せた。
「お前……今日、気持ちわりーな」
「え!? なんでですか!」
尊敬の眼差しのつもりがミルコさんとしては気に入らなかったのか体を抱えて引いていた。
「その目が無理だ」
「そ、そんなぁ……」
遠慮のない辛辣な言葉に心が傷つく。
ミルコさんは目を逸らす。
「……ま、勝手にしろ」
最後に、ミルコさんは小さな声で、そう付け加えた。
それが彼女なりの激励なのだと、ユウキは理解していた。
前話で察しのいい人はわかると思いますが、イナズマイレブンから武方三兄弟を登場させてます。
トライアングルZが思ったより強くてびっくりした記憶があります。
友の声優が中村悠一さんと聞いて驚きました。