「お、立向居だ。おはよー」
「お、おはようございます」
朝の教室に入ると、切島くんの友達が気さくに声をかけてきた。
突然の呼びかけに一瞬言葉に詰まり、それでもどうにか挨拶を返す。
敵事件に巻き込まれて以来、切島くんと行動を共にすることが増えた。
その影響で、クラスメイトと話す機会も自然と増えていった。
今まで、人と関わらないようにしてきた。
距離を取ることが癖になっていたせいで、こうしたやり取りにはまだ慣れない。
それでも、話しかけてくる彼らが基本的に優しく、拒絶しないことが、胸の奥に小さな安堵を残していた。
特訓の日から、ひと月ほどが経っていた。
個性の扱いにも、少しずつ慣れてきた。
「個性を持つ自分」という変化にも、ようやく実感が追いついてきた気がする。
余裕が生まれた今、ユウキは一つの試みを行動に移そうと決めていた。
放課後。
荷物をまとめ、教室を出る。
向かう先は、部室棟にあるサッカー部の部室だった。
円堂さんたちが、あれほど熱中していたサッカー。
映像では知っている。だが、実際に体験したことはない。
どれほど楽しいものなのか。
自分の身体で確かめてみたかった。
理由はそれだけだった。
部室の前に立ち、深く息を吸う。
そして、意を決してノックした。
「失礼します。俺、立向居っていいます。サッカー部に入部したいです!」
中から現れたのは、額に紫色のバンドを巻いた男子生徒だった。
「俺は結田付中キャプテンの戸田。立向居くん、よろしくな」
「よ、よろしくお願いします!」
部室の中を見渡すと、着替え途中らしい部員が何人かいた。
DFの石山さん、FWの松林さんが声をかけ、握手をしてくれる。
どこか既視感を覚える顔ぶれだったが、その理由は分からない。
それよりも、今は何をすればいいのかが気になった。
「まずは基礎練を一緒にやって、ミニゲームは見学かな。ポジションはどこを希望してる?」
「はい! GKです!」
答えは決まっていた。
円堂さんと同じ位置。
同じ景色が見える場所。
それに、自分の個性とも一番相性がいいと感じていた。
戸田さんは少し考え込むような素振りを見せた後、部員たちに声をかけた。
「よし、基礎練始めるぞ」
いつの間にか揃っていた部員たちは、その声に応じてグラウンドへ向かっていく。
ユウキも慌てて体操着に着替え、後を追った。
外に出ると、戸田さんが待っていた。
「まずはランニングだ。グラウンド三周、約一キロ。ペースは合わせてやるから、俺についてこい」
戸田の背中を追って走り出す。
最初は問題なかった。
だが、徐々にペースが上がるにつれて、呼吸が荒くなる。
胸が苦しくなり、足が重くなっていく。
ゴールした瞬間、限界だった。
足がもつれ、その場に尻もちをつく。
タイヤ特訓で度胸や体幹、筋力は鍛えられていた。
だが、持久力のなさは誤魔化せなかった。
「ほらほら、まだ始まったばかりだぞ!」
戸田の声に促され、立ち上がる。
その後も、ボールを足でコントロールし、パスを出し、ドリブルをするといった基本的な練習が続く。
今までスポーツらしいスポーツをしてこなかったユウキにとって、球技そのものが新鮮だった。思うように動かない身体すら、どこか楽しいと感じてしまう。
「よし、そこまで。次は個性ありで基礎練するぞ!」
その掛け声と同時に、部員たちが個性を発動する。
物をくっつける個性を持つ先輩は、ボールを二人で挟み込みながらドリブルしていく。
跳躍の個性を持つ先輩は、スライディングで弾かれたボールを宙で捉え、アクロバットにカットする。
光を操る先輩は、ボールに光をまとわせ、虹を描くようなシュートを放った。
個性をただ使うのではない。
サッカー技術と組み合わせ、必殺技として完成させている。
個性ありサッカーだからこその光景に、ユウキは驚きを隠せなかった。
「驚いたか? 面白いだろ」
戸田さんが笑う。
「立向居もやってみろ!」
促され、ユウキはゴール前に立った。
シュート役は松林さんらしい。
少し緊張しながらも、右腕にオーラを集める。
「いくぞ、レインボーループ!」
虹色の光を纏ったボールが、勢いよく飛んでくる。
ユウキは落ち着いて軌道を見極め、右手を突き出した。
「ゴッドハンド!」
オーラが形を成し、掌となる。
バスケットボールほどの大きさの、半透明な手。
衝突。
拮抗。
だが、勢いを殺しきる前に、掌は砕け散った。
ボールはそのままゴールネットを揺らす。
「おー、いい個性じゃないか! 完成すればGKとして十分活躍できるぞ!」
「は、はい。ありがとうございます」
褒められても、胸の奥は晴れなかった。
やはり、ゴッドハンドは未完成であり、その事実をはっきりと突きつけられた。
基礎練習が一段落し、休憩に入る。
部員たちは芝生に腰を下ろしたり、給水をしたりしながら談笑していた。
雰囲気は明るい。
先ほどまでの激しい動きが嘘のようだ。
今日のプレイの話題から、自然とユウキの個性の話に移っていく。
「立向居の個性、いいよな。ゴッドハンドって技が完成すれば、ヒーローも目指せるんじゃないか?」
「防御系だしな。敵の攻撃を防ぐだけじゃなくて、災害現場でも使えそうだ」
照れながら、ユウキは頭を下げる。
「いえ、まだ全然です。完成には程遠いですし……戦力になれるよう、頑張ります」
少し間を置いて、ずっと気になっていたことを口にした。
「……皆さんは、ヒーローを目指したりはしないんですか?」
言い終えた瞬間、空気が変わった。
誰かが顔を見合わせ、言葉を探すような沈黙が流れる。
やがて、戸田さんが代表するように口を開いた。
「もちろん、ヒーロー科を目指してる奴もいる。でも、大半は違う」
戸田さんは一度言葉を切り、続ける。
「人を傷つけるのも、傷つけられるのも……怖いからだ」
その表情は、苦しそうだった。
「サッカー部では、ボールに対して個性を使うことが許されてる。頻繁に使うからこそ、考えちまうんだ」
戸田さんはユウキを見る。
「もし、この個性を人に使ったらどうなるかってな」
先ほどの練習風景が脳裏に浮かぶ。
物をくっつける個性。
跳躍の個性。
光を操る個性。
特に想像しやすいのは跳躍だ。
あの脚力で人を蹴れば、致命傷になりかねない。
個性ありのサッカーのルールとして、個性使用の事前申請と承認の義務化、そして人に直接危害を加えることは禁止されている。
攻撃的な個性はボールに対してのみ働くが、もし誤って人に当ててしまうことを懸念するのはプレイヤーとして当然のことだった。
「俺もな、元々はヒーローになりたかった。だが個性が、だんだん上手くなって、強くなっていく。そのたびに、怖くなった」
戸田さんの言葉に、部員たちが黙って頷く。
「ヒーローは、常に命と隣り合わせだ。俺が憧れてたのは……ヒーローの表面だけだったんだと思う」
綺麗事ではない。
現実を見た者の言葉だった。
「とは言ってもヒーローになることを悪く言うつもりはない。立向居はヒーロー目指してんだろ? だからさ、俺たちのことは気にしないでくれよな」
内心を看破されていたのか気遣われてしまった。
それを言うと、戸田さんは休憩終わりを告げ、ミニゲームの準備に入った。
部員たちも立ち上がり、体を動かし始める。
その場に取り残されたのは、ユウキだけだった。
切島くんに言った言葉が、頭をよぎる。
──敵が怖いんだ。
だが、戸田さんたちは違う理由でヒーローを諦めていた。
人を傷つけるのが怖いから。
自分の個性は、人を傷つけにくい。
ゴッドハンドで掴めば、拘束もできる。
それでも、個性の使い方に悩む人がいる。
その現実は、ユウキのヒーローへの憧れを大きく揺さぶった。
進路を安直に決めすぎたのではないか。
個性が発現して、浮かれていただけではないのか。
本当に、このままでいいのか。
ミニゲームが始まり、動くボールをユウキはグラウンド脇で呆然と見つめていた。
悩みは堂々巡りを続ける。
そんなとき、隣から声がした。
「お、個性使ってサッカーしてんじゃん」
振り向くと、見知らぬ女性が立っていた。
ロング丈のカットソーに、デニムパンツ。
首元からはホルターネックのストラップが覗いている。
何より特徴的なのは、ウサギのような長い耳。
グラウンドは学校の敷地内だ。
部外者が簡単に入れる場所ではない。
「……あの、どなたですか?」
女性は少しだけ目を見開いた。
「この辺をパトロールしてるヒーローだよ。この学校に用事があってな。それなりに有名になったつもりだったんだがな……」
言葉の最後はどこか小さかった。
ヒーロー。
その単語に、ユウキの心臓が強く跳ねた。
聞いてみたいことがあった。
「あの、質問いいですか?」
「なんだ。手短にな」
「ありがとうございます」
一度息を整え、言葉を選ぶ。
「あなたは、人を傷つけたり……傷つけられたりすることを、怖いと思いますか?」
女性はすぐには答えなかった。
少し考えるような間があった。
「俺は怖いです」
ユウキは続ける。
「それでも、ヒーローになりたいと思っています。俺は……ヒーローに向いていないんでしょうか」
女性は、間髪入れずに言った。
「馬鹿だな」
その一言は、容赦がなかった。
「ヒーローに向き不向きなんざ関係ねぇ。誰よりも早く敵をボコす。誰よりも早く人を助ける。それができりゃいい」
言葉が、胸に突き刺さる。
「難しく考えすぎてる今のお前には、ヒーローは無理だよ」
そう言い残し、女性はグラウンドを歩いていった。
「原点を思い出せ。原点以外は削ぎ落とせ。理屈言う前に、がむしゃらに努力しな」
一度だけ振り返り、それだけを言うと、もうこちらを見ることはなかった。
ユウキは俯く。
ヒーローになりたい理由を言葉にできない。
一人で立ち尽くす姿は、無個性だった頃の孤独とよく似ていた。
──ユウキにはやはり原点がなかった。
女性──ミルコは、サッカー部の一団と合流した。
「ミルコさん!? こんな所でどうされたんですか?」
声をかけたのは戸田だった。
「サッカー見てたら体を動かしたくなってよ。ちょっと混ざってもいいか?」
まさかの申し出に、部員たちがざわめく。
ヒーロービルボードチャート上位を走り続ける女傑。
その存在は、サッカー部の間でも知られていた。
「……わかりました。人数差もありますし、あそこの立向居も──」
「いや、呼ばなくていい」
ミルコは即座に遮った。
「さっき色々言っちまってな。多分、今は動けねぇだろ。私のチームは少なくていい。これでもプロヒーローだからな」
戸田は戸惑いながらも、引き下がった。
ミルコも、少し言い過ぎたかと思ったのか、視線を逸らす。
だが、ヒーローは過酷な仕事だ。
繊細なままでは、長くは保たない。
跳ね返ってくるなら、それでいい。
折れるなら、それもまた一つの幸せだと、ミルコは思っていた。
ミニゲームが始まる。
ミルコの個性──“兎”。
兎以上に兎らしいことができる、単純明快な能力。
超人的な脚力。
空間を把握する聴覚。
そして──
「踵月輪(ルナリング)!」
回転蹴りがボールを捉える。
強烈なシュートは、キーパーの個性による防御を易々と打ち破り、ゴールネットを突き破った。
「へっ、まだまだだな」
点を取っても、ミルコは満足していないように笑う。
サッカー経験はない。
だが、個性の恩恵を最大限に受ける脚力は、この競技と致命的なまでに噛み合っていた。
部員たちは歯噛みする。
ボールをキープしようとしても、素の身体能力で奪われる。
ロングシュートで反撃を狙っても、蹴り返される。
やがて、部員たちは人数を割き、ミルコに強く当たるようになる。
激しさは増し、ぶつかり合いは本気になっていった。
それでも、優勢はミルコだった。
一瞬の隙。
マークを抜けたミルコに、ボールが渡る。
「踵月輪!」
回転蹴りに入ろうとした瞬間、ボールが数センチずれた。
念動力──誰かの個性によるシュート妨害。
「……チッ」
蹴る位置がずれたが修正は効かない。
全力の蹴りが放たれ、ボールはゴールではなく、グラウンド脇へと飛んでいった。
そこはグラウンドと通路を繋ぐ場所である。
不運にも通路には下校中の生徒たちがいた。
「危ない! ……止めろ! 立向居!」
戸田さんの叫び声で、ユウキは我に返った。
凄まじい速度で迫るボール。
後ろでは、生徒たちが尻もちをつき、悲鳴を上げている。
一瞬、身体が竦んだ。
その瞬間、かけられた言葉が蘇る。
──原点を思い出せ。
なぜ、ヒーローになりたいと思ったのか。
無個性だった自分に、そんな資格はないと思っていた。
個性が発現し、円堂さんや“夢のユウキ”のようになりたかった。
諦めない心。
ゴールを守る勇気。
仲間を信じる強さ。
彼らのようになりたかった。
それはヒーローになりたいという原点ではない。
だが、それだけではない。
敵事件のあと、塚内から渡された一通の手紙。
──たすけてくれて、ありがとう。
守った幼い子どもの言葉。
あの一文が、無個性の劣等感を溶かした。
自分を卑下する鎖を、断ち切った。
原点は、すでにあった。
人を助けたい。
人の役に立ちたい。
それは、個性を得たからこその責任であり、
無個性ではできなかったことを、今度こそ成し遂げたいという願いだった。
もし、このシュートを止められなければ。
骨折では済まないかもしれない。
最悪、命を奪う。
恐怖が、身体を締め付ける。
だが──
後ろから、震える声が聞こえた。
その瞬間、意識が切り替わる。
──止める。
──絶対に止める。
腰を落とし、右手にオーラを集める。
何百回と繰り返した動作。
考える前に、身体が動いていた。
ボールが迫る。
「ゴッド、ハンドッ!!」
青いオーラが噴き出し、巨大な掌を形作る。
掌の中心に、ボールが着弾した。
衝撃。
押し返そうとする力。
だが、掌は砕けない。
「うおぉぉぉッ!」
叫びに呼応するように、ゴッドハンドが強く輝く。
次の瞬間、光は右手へと収束し、消えた。
ボールは、ユウキの手の中で摩擦の煙を上げながら、完全に静止していた。
静寂。
そして──
「ゴッドハンドが、できたー!!」
「「「やったー!!」」」
歓声が爆発する。
部員たちが駆け寄り、ユウキを囲む。
人を守ったこと。
今まで止められなかったシュートを止めたこと。
凄まじい必殺技を出したこと。
理由はそれぞれでも、その場の熱は一つだった。
褒められ、揺さぶられ、照れるユウキ。
だが、何より嬉しかったのは──
人を守れたことだった。
原点に立ち返り、意志を引き出せたからこそ、ゴッドハンドは完成した。
そう、確信していた。
部員が歓声をあげ、ユウキをもみくちゃにしているところを、ミルコはシュートを放った場所から見ていた。
──全力の蹴りを止められた
サッカーをしたかった理由を正直にいえば、ストレス発散である。
ボールを蹴ってゴールを決める、という爽快感のあることをしたかった。
だからこそ、ミルコはシュートにも全力だった。
思わず笑みを浮かべる。
問答の時には情けない奴かと思ったが、跳ね返りのある奴だった。
「ゴッドハンド……か。いい技持ってんじゃねぇか」
まだ中学生で発展途上にも関わらず一線級の防御力。
気になる。
ゴッドハンドが。
ゴッドハンドを繰り出した奴が。
ミルコは、新たな標的を見つけた獣のように、静かに興奮していた。
──弟子を取る気はない。教えるのも、守るのも柄じゃない。
だが、放置する選択肢はなかった。
後片付けを終え、練習は解散となった。
ユウキは先輩たち一人ひとりに頭を下げ、帰路に就く。
あたりはすでに真っ暗だった。
住宅街の道を、等間隔に並ぶ街灯が淡く照らしている。
しばらく歩いたところで、ふとどこからか視線を感じた。
背筋がひやりと震える。
反射的に振り返るがそこには誰もいない。
人影も物音もなかった。
「……気のせい、か」
小さく息を吐き、前を向いたその瞬間だった。
目の前に、女性が立っていた。
「っ!?」
思わず足を止める。
驚きで言葉を失いながらも、すぐに気づく。
今日、サッカーに混じっていたヒーロー。
先輩たちの話ではミルコさんというらしい。
「ミ、ミルコさん? どうされ──」
言いかけた言葉は、途中で遮られた。
「お前、私の舎弟になれ」
あまりにも唐突な一言だった。
遮られた言葉は、行き場を失い、空気の中に溶けて消える。
理解が追いつかず、ユウキはただ目を瞬かせる。
その様子を見て、ミルコさんは口角を吊り上げた。
獲物を見つけた獣のような──壮絶な笑みだった。
擬似超次元サッカーなのでゴールネットは破れませんし、サッカーボールは破裂しません。
2026/1/13追記
個性ありのサッカーの個性使用ルールが抜けていたので補強しました。
ダイケンキ様ご指摘ありがとうございます。