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ホールからぞろぞろと人が吐き出されていく。
ユウキもその人の波に身を任せながら、教室を目指して歩いた。
今日、結田付中学の終業式が終わった。
一学期。
振り返ればあまりにも濃密だった。
切島くんとの出会い。
憧れとの邂逅。
敵との遭遇。
個性の発現。
サッカー部への入部。
そして、ミルコさんからの──虐待。
……いや、正しくは特訓だ。
頭では理解しているし、納得もしているつもりではある。
だが、楽しそうにこちらを嬲り、蹂躙していくあの姿を思い出すと、どうしても苦手意識が先に刷り込まれてしまう。
事件を境に個性が発現してから、ユウキは必死に体を鍛え、技を磨いてきた。
息が切れても、腕が震えても、歯を食いしばって特訓に食らいついた。
すべては、憧れに近づくため。
その甲斐あってゴッドハンドは以前よりも明らかに大きく、そして少しずつ硬くなっている。
確実に成長していた。
このまま個性を伸ばし続ければ、ヒーロー科に合格できるかもしれない。
もしかしたら、雄英高校も夢じゃない。
雄英高校。
日本屈指のヒーロー科を擁し、平和の象徴の母校でもある名門校。
トップヒーローの多くがその出身であり、エンデヴァー、ベストジーニスト、エッジショットなど、名だたる存在が名を連ねている。
三ヶ月前まで無個性だった自分が、その場所を「現実的な進路」として考えている。
ユウキは、その事実に気づかないふりをしながら、自覚のないまま浮かれていた。
「立向居ー、行こうぜー!」
声のした方を見ると、教室の前で切島くんが手を振っていた。
今日は、切島くんがまとめたという「個性の課題」を確認し、そのまま特訓をする予定だった。
並んで歩きながら、学校を後にする。
終業式特有の解放感と、夏休みの始まりを感じ、足取りは自然と軽くなる。
他愛ない話をしながら家に着き、荷物を置き、冷房をつけて、ようやく腰を落ち着けた。
「それで、硬化の課題はどうだった?」
そう尋ねると、切島くんは少し得意げに頷いた。
硬化できる範囲。
部位ごとの硬度。
硬化の上限。
その三点に着目し、徹底的に試したらしい。
硬化範囲は全身。
それも、髪の毛に至るまで硬化が可能だと判明したという。
「正直、最初は自分でもびっくりしたぜ」
できることが増えたのが嬉しいのか、切島くんは照れくさそうに笑った。
部位ごとの硬度についても、差が出る条件まで突き止めたようだ。
細い部分ほど硬化しづらく、腕や脚など筋肉が集中する部位ほど、高い硬度を得られる。
そして今回、最も大きな収穫となったのが硬化の上限についてだった。
硬化面積が広がるほど、持続時間と使用回数の上限が下がる。
さらに、限界まで使い切ったあと、次に硬化を使うと、僅かだが上限が伸びていたらしい。
「たぶん……無理した分だけ、身体が覚えてくれてる感じがするんだ」
硬度そのものが上がったかはまだ分からないが、感覚的には確かな成長を感じているという。
長年の悩みだった硬化の強化。
自身の個性を「少し硬くなるだけ」と表現していた彼には、少なからずコンプレックスがあったのだろう。
それを乗り越えつつあること。
そのきっかけの一端を担えたことが、ユウキは素直に嬉しかった。
二人で顔を見合わせ、小さく笑う。
友と、仲間と一緒に成長している。
憧れていた繋がりを確かに感じて、胸が熱くなった。
「だからさ……次は、個性を伸ばす特訓をしたいんだが、正直いい案が思いつかねぇんだよな」
「家で個性を出しっぱなしで生活するのも、現実的じゃないよね……」
課題整理と試行錯誤で、個性を伸ばす条件までは見えてしまった。
だが、その先の具体策が浮かばず、切島くんは途方に暮れている様子だった。
「それに、個性だけじゃなくて、ヒーローになるための特訓もしてぇんだ」
意気揚々と語る切島くん。
その言葉を聞いた瞬間、ユウキの脳裏にひとつの映像がよぎる。
自分を容赦なく殴る女性。
兎の耳。
悪魔のような笑顔。
常識を置き去りにした、暴力的な指導。
──ミルコさんによる、鬼畜な対人戦。
最初は抵抗もあった。
だが、人となりを知ってからは、恐怖に体を震わせながらも参加している特訓だ。
面倒なことにはとことん付き合わない性格だが、根は優しい。
それは短い付き合いだが分かっている。
——頼めば、引き受けてくれるかもしれない。
安全の保証はできないが……。
「切島くん。ものは提案なんだけど、ミルコさんの特訓、受けてみない?」
その内容を説明すると、切島くんの理解は早かった。
話を聞くにつれ、彼の目は期待に満ちていく。
危険であること。
今までの人生で味わったことのない恐怖があること。
念入りに伝えたが、それでも彼の目の色は変わらなかった。
楽しみとしか思っていないその姿に、どうしても罪悪感が拭えなかった。
やがてミルコさんがヒーロー活動を終えて帰宅する。
落ち着いたタイミングを見計らい、応接間に招いた。
不思議そうな顔をしながらも、ミルコさんは後をついてくる。
テーブルを挟んで向かい合う三人。
切島くんは立ち上がり、深く頭を下げた。
「初めまして! 俺、立向居の友達の切島鋭児郎っていいます!」
「ふーん」
興味なさそうに相槌を打つミルコさん。
簡単な自己紹介を終え、ユウキが切り出す。
「あの……切島くんも一緒に特訓を見て——」
「嫌だ」
即答だった。
「そこをなんとか!」
「お願いします!」
二人で頭を下げるが、返事は変わらない。
「嫌つってんだろ」
兎の耳がぴん、と立つ。
拒絶を強調する仕草だった。
二人で顔を見合わせる。
切島くんが、何かを決意したように頷いた。
「俺、ヒーローになりたいんです」
静かな声だった。
「昔から憧れてて。でも、個性はそんなに強くない。だから、ずっと口だけでした」
ユウキは驚いた。
いつも気丈な彼の内側に、そんな思いがあったとは。
「でも、立向居が変わってくのを見て、俺も負けてられないって思って特訓して……最近、個性も伸びました!」
自分を曝け出すような言葉。
「まだ弱いです。でも、逃げてた自分を、ヒーローになれなかった言い訳にしたくないんです」
覚悟が、痛いほど伝わってくる。
「根性なら誰にも負けません。俺を……鍛えてもらえませんか!」
深々と頭を下げる。
ミルコさんは腕を組んだまま、しばし沈黙した。
そして、頭をかきながらため息をつく。
「……まぁ。一人も二人も変わらねぇか」
切島くんの顔が、一気に輝く。
「あ、ありがとうございます——」
「ただし」
遮るように言葉が落ちる。
「私の蹴りに倒れなかったら、だ」
準備が終わり、庭に出てミルコさんを待つ。
しばらくして現れたミルコさんは、珍しくヒーロースーツに着替えていた。
軽く準備運動をすると、切島くんに向き直る。
「いくぞ」
短い掛け声だった。
まるで挨拶を交わしたかのような、あまりにも気軽な言葉。
その直後、体を押し付けるような殺気が放たれる。
組み手でも感じたことのないほどの殺気に、ユウキの肌が粟立つ。
生存本能を引き出されたのか、切島くんは驚愕の表情を浮かべながらも、即座に全身へ硬化を発動させた。
課題整理の中で、多少なりとも伸びた硬化。
肌の質感は岩のようにごつごつと角張り、外敵を排除せんと主張している。
一瞬、ミルコさんはニヤリと笑った気がした。
次の瞬間、ミルコさんの脚が目の前を横薙いだ。
準備して臨んだ硬化。
切島くんの現時点での最高の防御。
だが、ミルコさんの蹴りは、それを容易く蹴り砕く。
切島くんは勢いよく横方向へ吹き飛ばされた。
昔、タイヤに吹っ飛ばされた時よりも豪快だった。
地面を跳ね、転がり、やがて止まる。
少しばかりの砂煙が舞う。
ユウキはそこで呆然とした意識が戻った。
「ミルコさん!? 何やってるんですか!」
その蹴りの威力は、今までの特訓で受けたものよりも遥かに強かった。
「何って、蹴っただけだ」
「でも、いくらなんでも!」
「チャンスはやったんだ。文句言われる筋合いはねぇ」
ミルコさんはうるせぇと言わんばかりに耳を塞ぎ、どこ吹く風だった。
本気の蹴りと見紛ってもおかしくない一撃だった。
硬化の個性が、まるで意味をなしていない。
トップヒーローの一人であることを、嫌というほど思い知らされる。
彼が立っている可能性は、絶望的だった。
だが──
「……らぁっ!」
「──!」
「へぇ?」
苦悶を感じさせながらも、確かに存在を主張する声。
砂煙が晴れると、そこには
鼻血を出し、右腕を庇い、膝をつきながらも、強い意志を双眸に宿した切島くんの姿があった。
「……俺は、まだ、いける、ぞ」
「やるじゃねぇか」
切島くんはどうだとばかりに笑い、ミルコさんも感心したように笑う。
そこまでが、限界だった。
身体が崩れ落ちる。
気絶した切島くんを、ユウキは慌てて受け止めた。
ミルコさんに慣れている自分でも、末恐ろしさを覚える蹴りだった。
そんな一撃に耐えたライバルに敬服しつつも、やりすぎな現状に、ユウキの胸中は複雑だった。
急いで彼の身体を運び、怪我を調べる。
その結果、右腕がおそらく骨折していること以外に、大きな怪我は見当たらなかった。
ミルコさんの診断に多少の不安は残るものの、力を使い果たし、安らかそうに眠る切島くんを見て、ひとまず安堵する。
結局、親御さんに連絡し、お迎えを待つこととなった。
母は今まで見たことのない表情でミルコさんを叱っていた。
ミルコさんも自覚はあるのか、その叱責を受け入れている。
曰く、硬化の個性を見て、つい強めに当ててしまったとのことだった。
母に絞られたのか、リビングに戻ってきたミルコさんには、いつもの覇気がない。
母は忙しいようで、二人きりになる。
沈黙。
気まずくなり、先ほどのことを思い返した。
「切島くんは、合格ですよね?」
「ん、ああ」
テストの結果について問うと、ミルコさんは少し悩むようにして告げた。
「だめだ。倒れたからな」
その言葉に、体が硬直する。
「な、なんで……蹴飛ばされても意識はあったじゃないですか!」
彼の勇姿は記憶に新しい。
その覚悟を侮辱されたように感じた。
「そうだな。思ったよりもやると思った」
「じゃあ、じゃあなんで、あんな条件出したんですか」
──倒れなかったら
あの言葉は、嘘だったようなものじゃないか。
あそこまで理不尽な蹴り、受け止められるはずがない。
ユウキ自身、ゴッドハンドでも確実に止められる自信はなかった。
「意識があったのも一瞬だけだ。近距離戦特化の個性だからこそ、判定は厳しくなる。ギリギリだったな」
「……少しくらい、いいじゃないですか」
物言いに納得できず、ユウキは珍しく口を挟む。
ミルコさんはその言葉に笑みを浮かべた。
「もっと鍛錬してから来いってことだ。人を頼る前に自分で考えろってな」
皮肉を返され、ユウキは黙る。
「弱い奴の面倒を見るほど暇じゃないからな」
意趣返しか、あるいは挑発か。
──弱い奴。
ユウキにとって、彼を侮辱されることは我慢の限界だった。
「切島くんは、弱くないです……! まだ中学生じゃないですか! なぜ、そんなことを言うんですか!」
激昂する。
恩義も憧れもある相手だからこそ、その言葉が許せなかった。
「まだ、中学生、ね……。……お前は、あいつを信頼してるんだな」
ミルコさんは何かに引っかかったのか言葉を止める。
「お前があいつを庇うのは、感情からか? それとも、能力からか?」
「どっちもです!」
彼ほどヒーローに向いている人はいない。
彼の硬化は、人を守るための個性だ。
今回のテスト結果も、倒れたか否かなど誤差にすぎない。
ミルコさんは「例えば」と口を開いた。
「私が敵で、お前と切島がヒーローだったとする」
仮定を語り出す。
「お前たちの後ろには市民がいて、迎撃するしかない。そこで、私がお前らに蹴りを放ったとする」
ユウキはその光景をイメージする。
「お前なら、どうする?」
「ゴッドハンドで止めます」
即答だった。
人を守りたい。
その思いに、きっとゴッドハンドは応えてくれる。
ミルコさんは続ける。
「じゃあ、切島は?」
「そ、それは……硬化で、防ぎます」
言い終わって気づいた。
「じゃあ、切島は動けなくなる。それで、私とお前のタイマンだな」
ミルコさんが何を言いたいのか。
「ヒーロー側は、逃げられない人質と、動けないヒーローを抱えた状態になる」
「それは……これから個性を伸ばせば……」
口から出るのは、詭弁ばかりだった。
「じゃあ、敵が私より強い奴だったらどうだ? お前はゴッドハンドが成長して、強大なものになっているかもしれん。
──同じ成長をしたとして、切島は耐えられるのか?」
「もっと……もっと、頑張れば!」
現実を見られていない。
「お前は人に期待しすぎだ」
ミルコさんは、ぴしゃりと言い放つ。
「足手纏い。それが、現時点での評価だ。目を見張るものはあった。だが、足りなかった」
諭すような口調だった。
見限ったわけではない。
基準を満たすまで、研鑽を積めばいい。
そう言っているのだと、理解はできた。
「──だが、それができないなら、実力のない仲間は邪魔なんだよ」
邪魔。
その言葉を聞き、ユウキは再起動する。
ミルコさんの環境を思い出した。
「ミルコさんに……仲間が、サイドキックがいない理由も、邪魔だからなんですか?」
「……そうだ」
少し思案した後、肯定される。
その言葉に、ユウキは顔を歪めた。
否定してほしかった。
隠し事のある自分に特訓をつけてくれている。
家族のように関わってくれている。
時には師匠のように、姉のように慕っていた。
それでも──許せなかった。
「そんな……そんなわけ、ないです」
いつの間にか、ユウキは立ち上がっていた。
「仲間は、自分を支えてくれるんです。仲間が頼ってくれるから、俺は困難を乗り越えられるんです!」
先ほどまでの憤りとは打って変わり、その豹変の中には戸惑いも混じっていた。
仲間。
円堂さんが、最も大切にしているものの一つ。
最初はみんな弱かった。
だが、仲間を信じたから。
仲間と頑張ったから。
みんなで成長し、帝国学園にも、世宇子中学にも勝てた。
──実力のない仲間は邪魔
交わらない理念がユウキを揺さぶる。
「……立向居。人は簡単に死ぬぞ」
死ぬ。
その言葉に、ユウキは固まる。
「私には、駆けつけるための脚力と、探すための聴力がある。仲間に合わせて、助けられないなんてごめんだ」
言い返せなかった。
一人で完結できる力を持つ、稀有な超人。
それが、ミルコというヒーロー。
──実力のない仲間は邪魔。
その言葉が、何度も脳裏をよぎる。
「夢を見るのもいいが、現実を見ろ。頭が冷えるまで、特訓は無しだ」
そう言って、ミルコさんは席を立ち、出ていった。
遠ざかる背中。
心のつながりが引き延ばされ、薄く、細くなっていく気がした。
ユウキは、固まったままだった。
仲間を否定され、何も言い返せなかった。
彼女の言葉に、納得してしまう自分もいたからだ。
円堂さんなら、言い返せただろうか。
夢のユウキなら、言い返せたかもしれない。
だが、仲間と過ごした経験のないユウキには、それは難しかった。
築いた関係性にはヒビが入り、さっきまでの日常には戻れない。
失うことの辛さに気づいた時には、すでに手遅れだった。
⸻
夕日が隠れ、夜との狭間。
黄昏時。
薄暗い小道。
そこに、一人の男が倒れていた。
「緊急連絡」
地面に落ちた無線機に、一報が入る。
「突如現れた敵によって、ヒーロー一名と警官二名が重体。他、被害多数!」
敵の襲撃を受けた旨が共有される。
「応援、求む!」
助けを呼ぶ声は、虚空に消えた。
「
凶悪犯は、すぐそこまで迫っていた。