ぱちり。
目を覚ますときには漫画ではこんな効果音が書かれるが、まさにそんな音を出しながら間桐雁夜は目を覚ました。
瞳に映っているのは、幼少の頃に何度も見慣れた天井だった。
額が妙に冷えており、手をそこに伸ばせば濡れたタオルが置かれている。
自分はベットで寝ていて、ここは自分の部屋だろうと思い身体を起こそうとするが、激痛が走り動けなくなってしまう。仕方なく、目線だけ動かすと床にたらいが置いてあることに気づく。そのたらいには水が入っており、縁には濡れたタオルがもう一枚掛けられていた。
水は光を反射してキラキラと光っている。反対側を見れば、窓から満月が見れた。どうやら倒れてからさほど時間は立っていないようである。
周りを見渡している内に、少しずつだが雁夜は何故寝ているのか思い出してきた。
サーヴァントを召喚するために虫倉に行き、魔力を生み出す為に刻印虫が暴れに暴れて傷だらけになったのである。そして、呼び出せたサーヴァントは頭が時計になっている風変わりなサーヴァントだったのだ。
そのまま、情報過多と貧血によって気絶した。
なんとまぁ情けないのだと自嘲しながらも、そこまで思い返した所で気づく。一体誰が運んでくれたのだろうかと。臓硯はそんなことをしてくれるほど優しくはないし、兄もそれをしてくれるような関係ではない。
桜ちゃんはそもそも部屋に居るように言ったはずだし運べないだろうと思考を駆け巡らせていくと、がちゃっと音を立てながらドアが開かれた。
<あっマスター。起きたみたいだね、良かったよ。>
ドアに目線を向かわせると時計頭の男がいた。俺が召喚したサーヴァントだとすぐに分かった。
その手には体温計を持っていた。どうやら彼が看病してくれていたらしいと気づき、どうにか身体を起こそうとするもやはり身体は動かなかった。
その様子を見た彼は少し焦った様子で、俺の傍に近づいた。
<無理しなくて大丈夫だから。ほら、そのまま寝てて。>
「すまん。情けない所を見せてしまって」
彼は机の椅子を動かしベットの横に置くと、そこに座って俺の看病をしながら喋り始めた。
<こちらこそごめんね。強い英霊じゃない私が呼び出されて。>
「大丈夫だ。元々俺は魔力が少ないんだ、むしろ呼べただけありがたい」
確かに強いサーヴァントを呼びたい意思はあった。でも、魔力が少ない俺じゃあいくら強力なやつを呼べたとしてもまともに戦わせることは不可能だろう。彼が何者かは知らないが、強くないと言っているのだから魔力の燃費もそこまで悪くないだろう。
だが、聖杯戦争に勝つには...。彼には悪いが、正直な話落胆していた。『狂化』をしなければまともに戦えないバーサーカーを召喚したのに、実際は時計頭の人間が召喚された。しかも自分の看病をするほど理性的である。
自分の未熟さを呪う。こんなことでは桜ちゃんを救えない。
そう考えていると、部屋に蟲が集まり始めた。扉の隙間や窓の外、更にはベットの下からもうじゃうじゃと現れる。その蟲たちは一つの集合体となり、人間の形を取り始める。臓硯だ。思わず悪態をつきたくなるが、今は抑えるべきだろう。
臓硯はあいも変わらず嘲笑を顔に貼り付けながらこちらを見つめる。
「どうじゃ雁夜よ。調子のほどは」
「あんたの大好きな虫のお陰で、この調子だよ」
このクソジジィは何が可笑しいのか、からからと調子よく笑いながら言葉を続けた。
「貴様はやはり未熟者だのぅ雁夜よ。とっておきの触媒を用いて呼び出せたのが、時計を鳴らすことしか脳がない弱小サーヴァントだとは」
「まぁ、今更逃げることは許されぬから精々足掻くと良いわ」
あのクソジジィはそう言うと直ぐ様蟲がばらけ、元の部屋に戻った。くそ、言いたいことだけ言って逃げやがった。
何だったんだあいつは。
「悪いな。あの妖怪は気にしないでくれ」
<う、うん。>
彼はそう言っているものの、少し落ち込んでいる様子だった。やはり弱小と言われるのは傷つくらしい。空気が少し重くなってしまったので、話題を変えることにした。まずは自己紹介からだろう。
「改めて、間桐雁夜だ。雁夜って呼んでくれ」
<LCB部署の管理人ダンテだよ、クラスはバーサーカー。宜しくね。>
LCB部署とはなんだろうかと一瞬思ったものの、彼の名前を聞いた瞬間にその思考は吹っ飛んでいった。思わずベットから飛び上がってしまう。ダンテ!? 彼は今そう言ったのか……!?
ダンテといえば、あの『神曲』を執筆したイタリア文学最大の詩人じゃないか! 臓硯の奴めなにが弱小だ、むしろ逆だ。強いに決まっている。確かに英雄かと言われると疑問が残るものの、サーヴァントは知名度が武器の一つに入っている。
それなら充分勝ち目があるはずだ。俺はそう思っていると、バーサーカーが申し訳無さそうに口にした。
<浮かれてる所悪いんだけど、私はこの世界のダンテじゃないんだ……。>
ピシリ。
俺の浮かれた空気に罅が入った音が聞こえた。
遠坂桜、もとい間桐桜は心を閉ざしていた。
彼女は虫倉での徹底的な凌辱に耐えられず、心を守る為に閉ざしてしまったのだ。彼女は蹂躙される中で、一つの結論へとたどり着いた。自分を助けてくれる人はいないのだと。父も母も姉も助けてくれない、白馬の王子様は現れてはくれないのだ。
彼女は考える。最近、雁夜おじさんが一緒に虫倉に入れられるようになった。おじさんは助けると言っているが、おじい様に勝てる訳が無い。幼女の目から見ても、助かる確率は無いだろう。
でも、と桜は考える。
桜は雁夜に死んでほしくはない。
それは道連れが欲しいからか、縋る何かを求めているからか。それは定かではない。
言われた通り部屋で待っていると、扉が開く音がした。目線を動かすが扉は開いていない。音は隣の部屋から聞こえた。雁夜おじさんが帰ってきたのだと桜は分かったが、ふと疑問に思う。
あの人は必ず、私に顔を見せてから自分の部屋に戻っていた。それをせずに部屋へ戻ることがあるのだろうか。そう思っていると扉が叩かれた。こんこんと優しい音が扉から響く。おじさんだろうか。扉が音を立てながら開かれていく。
カチカチ、カチカチと音が鳴っている。時計の音だ。部屋にある時計ではない。
開かれた扉の先に立っているのだ。赤い服を来た時計が。桜は困惑した。時計ことダンテは、まさか子供が居るとは思わなかったのか慌てた様子を見せる。
カチカチと秒針がより早く音を出す。ダンテは身振り手振りで桜に事情を説明するものの、桜には意図が伝わらなかったのか、こてんと首をかしげられた。
まるで汽笛のような音がダンテから響く。桜は更に困惑した。時計なのにそんな音が出るのだろうかと。
ダンテは焦るが、ふと落ち着きを取り戻す。ごそごそとコートの中に手を入れると、タブレットのような物を取り出した。
<こんにちは、私はダンテっていうんだ。君の名前は?>
ダンテはタブレットを操作し文字を打つと、桜にそれを見せた。
「……桜」
<そっか、桜ちゃんか。いい名前だね。>
「……なにしにきたの」
桜はダンテを警戒しつつ言葉を口にする。これがおじい様の言っていたサーヴァントというものだろうか。雁夜おじさんは白馬の王子様みたいな人だと言っていたが、とてもそうは見えない。むしろ悪役のようである。
そんなことを思っているとダンテが文字を打ち込み、桜に見せた。
<かりやって呼ばれてる人が倒れちゃったんだ。部屋まで運んだのは良いんだけど、熱が酷くてね。>
<それで、看病をする為に道具を探してたんだ。>
「…わたしのへやにはないよ」
時計の音が止まる。
想定外だったのか、文字を打ち込む手が止まる。しかし、直ぐ様文字を打ち込むとまた桜に見せた。
<ぞうけんっておじいさんが、この部屋に行くといいって言ってたんだけど。本当に無いの...?>
「うん」
ダンテは頭を抱えてしまった。
桜はその光景を見ながら考える。何故おじい様はこの人をここに行かせたのだろうか。桜はそれの答えを出そうとするが、やめた。
答えを出した所で、自分はこの家から逃げられないのだ。未だ秒針を鳴らしながら頭を抱えているダンテを見る。かちかちと鳴る音は、何処か眠気を誘うものであった。
危うく寝そうになってしまうがそれを振り切り、桜はダンテへ声を掛けた。
「だんてさん。ばしょをおしえてあげるからついてきて」
その言葉を皮切りに、桜はベットから降りて廊下に出ていく。時計の針を震わせながら、ダンテは顔を上げた。桜は既に廊下に行っており、ダンテは慌てて後を追うことになるのだった。
「そうだったのか」
間桐雁夜はダンテから事情を聞いた。
彼は桜ちゃんへ申し訳なさを感じていたが、それ以上に嬉しそうであった。どうやら彼女が自分の為に動いてくれたということが嬉しいらしい。
<それで、聞きたいことがあるんだけど―――良いかな?>
ダンテは雁夜に質問をした。その手にはりんごと包丁を持っている。
顔が時計になっているため、表情は分からないが真剣そうな雰囲気が部屋に立ち込める。思わず、雁夜も姿勢を正してしまう。唾を飲み込む。一体何を聞かれるのだろうか。
<雁夜は、なんで聖杯戦争に参加したの?>
意外にも聞かれた内容は単純なものであった。雁夜は決意を固めてダンテに言った。その声は衰弱しているとは思えないほどの声量であった。
「桜ちゃんを救うためだ!」
「聖杯を臓硯に渡して、桜ちゃんを葵さんや凛ちゃんの元に返してあげるんだ!」
ダンテはその答えを聞いて満足したのか、手でグットサインを作った。妙な所でフランクである。
雁夜は自分が何故聖杯戦争に参加したか。桜ちゃんをどうしたいか。ダンテとそんなことを話し合った。
会話をしていると、ダンテの経歴について話題が動いていく。話す度に、雁夜は驚いた。ダンテはそもそもこの世界の人間ではなかったのだ。
彼は『都市』と呼ばれる場所で生きた人物で、本来は呼ばれるはずが無いらしい。何故呼ばれたかはどちらも分からない。『都市』について教えてほしいと雁夜が強請った際、ダンテは出し渋ったものの少しばかり話すことにした。
結果として、雁夜は『都市』のことが怖くなった。
ヘアクーポンで死にかけるって何だよとは、彼の言葉である。
「そういえば、バーサーカーって何が出来るんだ?」
雁夜がその疑問にたどり着くのはそう遅くはなかった。話を聞く限りでは彼は仲間を指揮する立場だったようだが、その仲間はいない。
英霊は、自らを象徴する能力や武器が宝具として使用できると本に書いてあったがダンテは何が出来るのであろうか。バーサーカーとして召喚された彼の風貌は、どう頑張っても狂戦士には見えない。
<その前に一つ質問していい?>
ダンテは雁夜の質問に答える前にそう聞いた。雁夜はなんだろうかと考える。
<雁夜って体内に蟲がいるけどさ、それって殺しちゃってもいいのかな。>
「えっいや、殺したらほとんど魔力が生み出せないし、現界できなくなるぞ!?」
<問題ないよ。私は自力で現界できるだけの魔力を生み出せるし。>
ダンテはコンコンと頭の時計を叩きながらそう言った。時計に秘密があるのだろうか。雁夜はそう考えるのもつかの間、ダンテが言った事を考える。蟲が無ければ現界させるだけの魔力は生み出せないと思っていたが、それは解決した。魔術の使用も困難になるだろうが、元々弱い魔術だ。あってもなくてもそこまで変わらない。
いや、蟲を殺せるならやって欲しいがそれなら俺より桜ちゃんを先に、と雁夜は思った。
「それなら桜ちゃんを先にやってあげてほしい。あの子は臓硯の蟲が心臓に寄生されてるんだ」
<分かった。それなら今すぐやってくるよ。>
ダンテはそう言うと、部屋を飛び出していった。
雁夜はあまりにも都合が良すぎると思った。一瞬理解することも出来なかったが、彼はこう言っていたのだ。
自分なら臓硯の支配から二人を助けられると。雁夜は自分がどうなっても良い覚悟を持っている。既に雁夜の頭には桜を治すことだけで埋まっていた。身体にムチを打ち、ベットから抜け出してダンテの後を追っていく。
その足取りは常人のように安定していた。
桜の部屋へ入った雁夜は、あるものを目にする。桜はベットの上で眠っていた。
だが、それは安眠というには程遠かった。いや、ある意味安眠をしてはいるのだろう。桜の胸には包丁が刺さっており、小さな身体は大きく開かれている。そこに本来あるはずの臓器はすべて掻き出されていた。
雁夜は意味が分からなかった。桜は既に息絶えていた。
床には粉々になった肋骨であろうものと、肺や小腸、肝臓などが血を吹き出しながら落ちていた。思わず吐き気が込み上げるが、無理やり抑え込む。そして、雁夜は桜を殺したであろう下手人を睨みつける。
己が召喚したサーヴァント。ダンテである。
ダンテは右手に心臓を持っていた。右手を顔の前に置きながら、未だ脈打つ心臓に少し力を加えた。たったそれだけである。それだけで、心臓は弾け飛んだ。血肉が飛び散る。飛び散った血液が時計と雁夜を赤く染めていく。雁夜はもう限界であった。雁夜は令呪を用いて、ダンテを自害させようとする。
「バーサーカァアああああ!!」
その時であった。ダンテの燃え盛る炎が一際強く燃え上がると、時計の後ろから鎖が伸びてゆく。その鎖は死んだ桜の遺体へと伸び、本来心臓があった位置に刺さる。
次の瞬間、時計が時を刻みだした。逆転する。針が高速で回りだし、刺さった鎖を引き戻していく。炎は更に燃え上がる。逆転する。床に流れる血液が遺体へと集まっていく。砕けた骨も、血を吐く臓器も逆再生をするかのように元ある場所へと戻っていく。胸に刺さった包丁をダンテはいつの間にか手に持っていた。刃には血がついていなかった。
すべてが無かったかのように巻き戻っていく。
時計の炎が落ち着き、針が止まったときには既に桜は生き返っていた。
雁夜は訳が分からなかった。バーサーカーが桜ちゃんの蟲を殺してくれるといい、ついて行けば桜ちゃんを殺していた。かと思えば、時計が回って生き返った。
雁夜は桜の傍にふらつきながら近づいていく。触れれば息をしており、その身体には熱があった。生命の熱だ。
気づけば、目から涙が溢れていた。
夜が明けていく。光が部屋に差し込んでくる。鳥の囀りが聞こえてくる。
テレビではニュース番組が始まっている。冬木の天気は快晴。季節外れの温かさがやってくるようだ。
その事を知っているのは、この場には誰もいない。何処かで誰かが叫ぶ声がしたが、それは気の所為だろう。
聞こえるのは、朝を告げる鳥の声と啜り泣く声のみであった。
その後、目を覚ました桜は困惑している。
それは何故かといえば、目の前の光景が原因であった。
間桐雁夜が仁王立ちをしており、その前には正座をしているダンテの姿があったからである。
現在の場所はリビング。今までろくに使われていないその場所での説教が、既に3時間は行われているのだった。