完全版・セイウンスカイは正論男に褒められたい   作:春華ゆが

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キングヘイロー編なんです


空の先、天の向こう

 

「おはよう、キング」

 

 そこまでは、言えるようになった。

 

「おはよう、スカイさん」

 

 そこまでは、返ってくるようになった。そこまでは、割とあっさりと戻せた。けれどそこまで止まりで、私たちの会話は途切れる。易しく見えて険しい壁が、二人の訣別というものを区切っている。一度あれだけのことをしておいて、今更元に戻れるわけがないと、今はそうなっている。それはきっと一理ある。君への甘さ故に道を違えたのに、また同じ甘さで寄り添おうとしているのかもしれない。それは同じ轍を踏み直すことで、意味がない。わたしがやろうとしていることは、当然そういう見え方だってできるだろう。

 でもゆっくりとした変化は、まだ終わってはいないから。私は変わる。君も変わる。ならばそこに見出す答えだって、私たちの変化と成長のあり方次第でいくらでも変わるはず。だから、諦めたくないと思ったのだ。あの別れを、撤回したいと思ったのだ。だってそうしなければ、私と君は永遠に。永遠に交わらず、ライバルにはなれないのだから。そんな関係で止まって、未来には進めなくなってしまうのだから。

 この先へ行こう。私と君は、手痛い敗北を味わった。苦くて痛い、ろくな味のしないものを口にした。だけどだからこそ、私たちはそれを積み重ねにするんだ。それが、敗者にしかできないこと。一度噛むのだって苦しいような敗北こそ糧にすることが、私たちが強くなるためには必要だ。

 だから、さあ。私だけじゃない、私たちよ。この先へ、進め。

 

 

 

 

 

 

 あのダービーから、十数日。皆がそこにあった勝敗を忘れたというわけではないだろうけど、年頃の女の子の話題の移り変わりなんて早いもの。ダービーの感想をいつまでも語ることもなく、教室を包む空気は瞬く間に様変わりしていた。具体的には、ちょっと暑い。本当にかなり具体的すぎるけど、今私たちを取り巻くものの中で一番大きいのはそのこと。気温の変化、湿度の変化。

 そう、夏が近づいているのだ。春夏秋冬の巡りは、緩やかに見えて一瞬たりとも立ち止まらない。授業中も休み時間もトレーニング中も、汗をかく量が増えている。確かに六月も終わり頃、夏と言い切るにはまだ早いけれど、夏の気配はもう十二分。蒸し暑くて、雨が降って。そういったことばかり言ってしまうと嫌な感じだけど、まあ夏にあるものはそれだけじゃない。たとえばトレセン学園に所属するそれを含めた全国各地の学生たちにとっては、またちょっとしたイベントがある。

 

「夏休みかあ、トレーナーさんからは何も聞いてないなあ……」

 

 いつもの食堂、いつものメンツ。昼食も半分ほど(これはスペちゃん基準ではあるが、量はともかく速度は相対的にみんなとあまり変わらないのでなんとかなる)食べ終わった頃、今日の話題を切り出したのはスペちゃん。ぼんやりと、独り言みたいにそのフレーズを呟いたら。夏休み、かあ。まったく同じような呟きを、心の中でこっそり吐いた。

 夏休み。そう、夏休み。学生の夏といえばこれだし、トレセン学園所属だって例外じゃない。いかにも青春って感じはするけど、私もそれについてトレーナーさんからは何も聞いてないや。というか、そもそも何を聞くんだろう? 何か普通はトレーナーさんから特別なことを言い渡されるとか、そんなものなのだろうか。そう考えると何を言われるにせよ若干既に嫌な気分だったが、それでもそんな私の疑問はすぐに解消された。

 ……疑問が解消されただけで、悩みの種は増えるけど。そんな、エルとグラスちゃんの会話から導き出されるものだった。

 

「グラース! <リギル>の夏合宿、来ますよね!? リハビリ、アタシが手伝ってあげマース!」

「はい、ありがとうございます〜。夏が明けるころには、包帯も完全に取れるはずですし」

 

 なるほど、夏合宿。……なるほど、なあ。夏合宿って、確かに夏にしかできなくて、トレーナーさん主導だよなあ。でもそれって、毎日がお休みのはずの夏休みとは真逆だなあ。いやあ、ほんとに。朝から晩まで暑い夏の日に一日中練習なんて、よっぽどの物好きだと思う。いやでも、うちのトレーナーさんはその物好きにあたる人かもしれない。うげえ、と口から漏れそうになる。こりゃ、既定路線だと。聞いてもいないけど、絶対言ってないだけだと。

 そんな不満はとりあえず飲み込んで、ちょっとだけ言葉に乗せて吐き出してみる。ぼんやりと、ほんの少し嫌そうに。それが無力にトレーナーさんに従うしかないセイちゃんにできる、精一杯のポーズだからねえ。

 

「合宿かあ。私のチームもありそうだなあ」

「セイちゃんも? いいなあ、私もトレーナーさんに聞いてみようかなあ」

「いいなあ、ね。スペちゃんはまだまだ強くなりたいんだ」

 

 そして、それは私も類に漏れない。まだまだ、強くなりたい。もっと強くなって、次は必ず。いつかの勝利を掴むために、かつての敗北を無意味にしないために。そのためには、強くなりたい。それは、私も思うこと。

 まあそれはそれとして、夏合宿というものは気が重い。ふかふかのベッドが用意されてるとも思えないし、朝ゆっくり寝かせてもらえるとも思えないし。考えれば考えるほど、気が重くなる。いや、まだ一言だってやるって言われたわけじゃないけどさ。絶対、あの人なら絶対やる。というか提携相手の<デネブ>のトレーナーさんにしたって、一日トレーニングに費やせる貴重なタイミングを無駄にしたがるような性格じゃない。ああ、夏は地獄で確定だ。残念ながら、そう思った。

 強くなるのは確かに私にとっても誰にとっても大事だけど、それだけをひたすらひたむきに、は私にはどうしても似合わない気がする。性格の問題、かなあ。夏合宿というものの与える印象は、今のところ自分とは噛みあわないシビアさを孕んでいる。

 ……それなのに、私がうまくやっていけるだろうか。私、なんかが。そんな不安もどこかにあるのは、否定できないこと。もちろん勝ちたい。もちろん強くなりたい。だけどそれだけのために、頑張りつづけられるだろうか。──いつか、あの子が言ったみたいに。私には私の芯があって、頑張りつづけられるだろうか。それはやっぱり、恐れを生む感覚だった。どこかで眩しさに焼かれないかと、そんな恐れは。

 私はここまで、これだけの実力と期待を持つところまで来た。だけどそこまで来たからこそ、変わるものと変わらないものがあることがわかった。

 私の持つつながりは、そんなつながりに感じる影響は、脈動のように絶えず変化する。

 

 たとえば一度は訣別し、それでもまた手を伸ばす。そうやって、幾度も変化する。これが私を、これから先へと導いている。

 だけど、私の本質は変わらない。それがあるからこそ私だという私の本質というものは、幼い頃に折られた気持ちすら捨てきれずに抱えたまま。諦めて、見ないふりをするのが精一杯。何度も何度も暴かれて、見え方を変えるたびに感覚は狂う。そう、きっと変わらない、そのことは事実に違いないけれど。私の世界の見え方は、私自身への目線さえも、変わっていってしまう。

 だけど、だから不安だった。夏合宿は集中的なトレーニング、過酷に独りで自分を追い込む場。そうだとしたら、独りでは変われない私は本当にそこに飛び込んでいいのだろうか。見え方さえ変えるのに、他者の存在を頼るのに。そんな弱い私が、強く己を高められるだろうか。そんなふうに、自分に自信を持てるだろうか。それが、不安だった。きっと私の、根源にあるものだった。

 ……でも、それを僅かに見透かしたように。私の口から出たのはほんのちょっとした夏合宿への恐れの一片でしかなかったのに、その奥がちゃんとわかっているように。

 そんなふうに、スペちゃんはちょっと考えて。彼女なりの、夏合宿への願いを述べる。

 独りじゃ、ないって。

 

「……うん。でも、それだけじゃないよ。きっとチームでの合宿って、とっても仲良くなれると思うの。トレーナーさんやスズカさんやチームのみんなと、もっと」

「なるほど、そういう目的もありか。それなら私も、もうちょっと楽しみにしておこうかな」

 

 仲良く。誰かと。……そうか、そうなんだね。スペちゃんのものの見え方は、時折誰よりも鋭い。多分彼女が端的に話したそれが、夏合宿の本質なのだろう。朝から晩までの集中トレーニングではある。独りの時間をひたすら研鑽に費やすものではある。だけどそれと同時に、本当に丸一日を、チームメイトと過ごす時間でもある。何気ない瞬間も、必然的に誰かの存在を感じ取るようなタイミングではある。

 ならば、きっとスペちゃんの言う通りだった。そこにあるのは、独りの時間だけじゃない。より深く刻まれるつながりを互いで認識できる、人と人が関わりを持てる、そんな時間でもある。だからやっぱり彼女の言う通り、それは仲良くなる時間。それなら、楽しみ、かもね。だってどうしても悲しいかな、私は誰かがいないとダメみたいだから。

 ……そして、スペちゃんのその言葉が、少し別のところにも引っかかる。仲良く。そのフレーズに私が見た、つながりの重要さ。それが、引っかかる。胸の奥に、釣り針みたいに。

 それは、私だけじゃないみたいだけどさ。当然と言えば、当然。五人で座るテーブルの隅、だけどちゃんと戻ってきてはいた彼女の姿を視界の端に捉える。多分、私はずっと見てしまっていた。気になって、ここまでは近づけたのが嬉しくて、でももどかしくて。ぴくりと彼女の耳が動いたのにも、目ざとく気づいて反応してしまう。

 少し前からまた一緒にご飯を食べるようになった、キングヘイローの一挙一動に。

 

「……キングのチームも、合宿あるの?」

 

 すかさず、聞いてみる。さりげなくを装って、だけど勇気を心に秘めて。それでも結局はただ、ただ一つの理由で。

 仲良く、したくて。

 一度訣別を告げたのなら、もう一度ゼロから始めたいんだ。いいや、マイナスからだって構わない。マイナスを積み重ねることはできないなんて、きっと誰も決めてはいないんだから。

 

「……今、悩んでいるところなの」

 

 少し曖昧、遠慮がちな返事。だけど、会話は繋がっている。それは嬉しい。それは進歩だ。もちろん、ここで満足してはいけないけれど。この先を目指すのは、私と君の二人のはずだから。君がその気になるまでは、私から君に手を差し伸べる。その手を掴み返されるまでは、つながりを求めて与えつづける。ようやく、手を振り払われなくなった。そこまでは、ちゃんと変化した。ならこれからだって、どんなに時間がかかったって。完全な元通りになんて、ならなくたって。

 それでも、君を見つめよう。今度こそ、瞳と瞳を重ねるんだ。

 まもなく昼休みは終わり、食堂からみんなで教室へ帰る。まばらに歩く五人だけど、しっかりとした塊でもある。私たちみんなに、つながりがある。そう思った。だから、それを断ち切るわけにはいかない。

 道すがら、少し歩みが近づいた一瞬の隙。そこを狙い澄まして、またキングに話しかけてみる。何度も試みて、諦めない。持ちかけるのは先程の会話の続き。諦めていないから、もう一つだって途切れさせない。

 

「どう悩んでるのかは知らないけどさ、行ってみたらいいんじゃない? 踏み出してみるのは大事だよ」

 

 踏み出してみるのは、大事。そのことは多分、私自身にも言い聞かせていることだった。ここ数日ずっと、私がつづけている変化そのもの。踏み出して、間違えて、それでもまた踏み出して、過ちをも正しさに変えて。そして願わくば、皆がそうあってほしいと思うもの。もっと強く、もっと上へ。そうやって、誰もが未知の世界へ足を進めてほしいということ。

 だって、私たちはライバルなんだから。今更でもいい。回り道でも構わない。それでも、ゴールを目指したい。そう思うのはおかしいことなんかじゃない。いつからだって、やり直せる。後悔している過去さえも、いい経験だったと変えることはできる。今の私は、自信を持ってそう言える。

 だから、君にも。そう告げた私に、キングは短く言葉を返す。

 

「……あなた、変わったわね」

「どうも、お嬢様」

 

 変わった。彼女の言うそれは、それは一体どこからだろうか。初めてキングと出会った、あの日からだろうか。それとも一度訣別を告げた、ダービーの日からだろうか。前者なら感慨深い台詞なんだろうけど、後者だとしたらきっと、キングから見た私はとんだ情緒不安定に見えていることだろう。ダービーからそれほど経っていない短期間で、ころころと態度を変えすぎだ。でもそれは、彼女には見えないところで悩んでいたというだけ。悩みの積み重ねは、独りでの苦悩はどうしても変化として見えにくいもの。それは、私も知っていた。だってそれは、あの時キングを見ていなかった私と同じだから。けれどそうやって、私は過去の過ちさえメッセージに変えてやる。見えない変化がある。突然変わったように見える。だけどそんなことはなくて、独り悩む時はある。そしてその積み重ねが、誰かとつながりを持つ時に初めて花開く。そう、私は独りだって無駄にはしたくない。君があの時悩み苦しんだ気持ちを、ダービーのその日に決壊した気持ちを、最初から話していればよかったなんて言わない。正しさと間違いで全部を分けるより、曖昧なまますべてを抱いて大切にしたい。それがちょっぴり欲張りな、今の私なりの気持ちだ。

 そして、君なら気づくよね。私が独りでそうやって変化して、だから側から見ればこれだけ突然の成長に見えるのだと。でもそれは地道で泥臭い道のりで、しっかり踏み固めた価値があるのだと。私は、そう見えるよね。なら君のそれだって、その価値があったはずだよね。

 そう、信じている。キングヘイローなら、私の友達なら、私のことはわかるはず。

 信頼と親愛。一度の訣別さえも、それをより深く想うための必要なプロセスだ。

 

「それで、私にも変われと言っているのかしら? あなたのように。あなたの真似をして」

 

 立ち止まり、翻り。そして私に向けて、矢を放つような疑問を投げかける。そんなにわかりやすくおっきな声でキツい態度で、キング、みんなが見てるけど。でも今度こそ、私だって向き合わなきゃ失礼かな。だってそれだけ、君の気持ちがこちらに向いてるってことだもの。そうさせたのは私だし、そうして欲しかったのも私。なら、私も。私の方も、同じように立ち止まって。

 

「好きにしたらいいよ。キングはキングなんだから」

 

 そう、私なりの激励を込めた。軽く、ともすれば無責任に投げ出すようにも聞こえる一言で。あるいは挑発だとしても、それが彼女を引き上げるのならば。そう思って、言葉にした。たとえば挑発してまで引き上げようとするのだって、いつかのキングが私に向けてやったことだ。それこそ真似っこかもしれないけど、好きにしたらいいということは無理に違いをつけるって意味じゃないんだから。その差は、自然と生み出されるもの。他者を意識しない、多分それが一番君に必要なことだ。私みたいに、なのかな。もしかしたら私も、それくらいできるように頑張らなきゃかもね。

 

 

 同じところがあって、違うところがあって。寄り添えど重ならない、だから補い合えるのだと。それが、私の結論。私の私らしさと、君の君らしさ。無理に差を付けなくていいし、無理に共通項を見出さなくていい。それでも自然と、つながりは持てる。そのままであっても、手は繋げる。それくらい隣にはいられて、それくらい互いを見遣れるはず。

 それが、最後に告げることだった。そもそも誰かを意識したくらいで自分の個性を失うような、キングヘイローがそんな程度の人間なわけがないのだ。

 だって、君は私のライバル。私を立てるなら、そのぶん君も並び立つ。そういう、つながりだ。

 

「そう。……授業、始まるわよ」

「そうだね」

 

 きーん、こーん、かーん、こーん。気づけばとっくに、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴っていた。それに気づくのが遅れるくらい私は集中していた、そういうことかもしれない。まあそれは、キングもかな。他のみんなはちゃんと帰ってたしそれは問題なくて、私は別にサボってもいいし──なんて、それは冗談だよ。ここまで来て一緒に教室に帰らないなんて、薄情にもほどがある、ってさ。

 

 そうして久しぶりのまともな会話も、授業が始まれば打ち切られてお流れ。授業中は会話なんかできないし、休み時間もそれほどのものじゃない。明確に空気を変えなければ、いつでもあんな話はできない。そこは、私と君の間の壁のようなもの。二人を区切り断絶する、高い高い壁。けれど、まだ終わりじゃない。一つ何かが終わっても、その先にはやはり続くものがある。壁があるならそれをよじ登るだけ、どんなに高くてもよじ登るだけ。そうやって、諦めない。つながりは、続けられる。今日もきっとその変化。これからどれだけ時間が必要かはわからなくても、待つのに値するだけの大物。大きな大きな、大切な祈り。

 そう願い、信じている。祈りも願いも信じることも、気の持ちようでしかないかもしれないけれど。

 何事も、気分次第だから。だからこれ以上に頼りになるものなんて、きっとどこにもないんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それでは、大事なお知らせがある! 夏合宿についてだ!」

 

 そしてその日のトレーニング終わり、チームメイトのみんなの前で、狙い澄ましたようにトレーナーさんは夏合宿をやると宣言した。はい、予想通り。周りの反応もそんな感じ。まあ予想通りなことを喜んでる子の方が多いかな、って感じではある。私は喜びとその他とで半分半分。いつもの調子が丸一日に伸びるなんて、朝から晩までトレーナーさんの存在がちらつくなんて、それはまあなんというか流石に、ねえ? とはいえ決まったものは仕方ない。とりあえず説明を順に聞いて行くと、トレセン学園からにょっと離れたところにある、海の見える民宿にみんなで泊まるらしい。トレーナーさんを唆したら海釣りできないかなあ。泳ぐのは嫌だし。……いや、忙しいか。お互い。お互いだいぶん、忙しいんだろうなあ。はあ。

 

「ちなみに合宿も<デネブ>との合同だ! 今トレーニングメニューを共同で考えている!」

 

 おお、それなら少しは安心。共同と言えば聞こえはいいが、おそらくトレーナーさんの無茶を<デネブ>の二人が修正する感じなんだろうな。まあでも、その方が絶対まともなメニューになる。<アルビレオ>のペースで連日連夜は、身体が保つとしても他の何かが壊れかねないし。それをまともな方向にしてくれるあちらのトレーナーさんとフラワーには、足を向けて寝られないね。合宿中は昼寝の位置どりにも注意しなくちゃ、なんて。……昼寝させてもらえるタイミングあるのかな。

 

 とはいえ、そうか。そうやってトレーナーさんの説明を聞く中で、胸の内に湧き上がる何かがあった。そしてチームのみんなからも同じものが伝わってくる気がする。細部には差があるだろうけど、軸にある感情はきっと一緒。ああだこうだと文句を並べても、他の何かにうつつを抜かしても、きっとこれは一緒。ここにある一つの気持ちは、まさにシンプル・イズ・ベスト。

 楽しみなんだ。もっと、強くなれるのが。

 うん、うん。周りを見て感じて、私のそれもやっぱりその通り。私も、夏合宿が待ち遠しい。ダービーが終わって夏が終われば、その先にはクラシック三冠の最終戦、菊花賞が待っている。そのために夏の練習は必要だし、それが充実したものになるのなら。そんな期待は、持っていた。トレーナーさんのはっきりとした宣言で、その期待はより鮮明で確実なものになった。私は、更なるステージへ向かうんだ。この先の未来が光り輝く、そんな素敵なものに見えた。

 ……けれどそうして粗方の説明が終わったあたりで、トレーナーさんが一言サラッと言ってのけたのだ。今までの流れと全然関係ない、ついでかって感じのノリで。いや夏合宿も大事だからそっちを優先するのはそんなにおかしくないんだけど、その言葉はあまりにも、衝撃的で、むしろ電撃的とでもいうべきで。おかげで大体の説明は吹っ飛んでしまったと思う。

 うん、だって。

 

「さてそれじゃ、今日付けで加入してくれた新しいチームメイトを紹介するぞ! こっちに来てくれ、キングヘイロー!」

 

 ──え。今、なんと? その言葉の最初から最後まで、自分の耳を疑う他なかった。だってそんなの、何もかもがありえない。このタイミングで新しいチームメイト? そしてそれが、ええ?

 けれど確かにその呼びかけに応じるように、こつん、こつんと練習終わりのグラウンドに近づく足音が聞こえた。静かなその場所ではそれがわかりやすすぎるくらいに響いて、彼女の実在性を疑う余地なんて与えてくれない。やがてその音は砂を踏み、私たちの横をすれ違う。そして、真っ赤な夕日を背負って、目の前に現れる。いつも通りの癖のついたセミロング、いつも通りの意志の強さを湛えたルビーのような瞳。それらを持って、私たちの前に現れる。

 ありえないことなどありえないと、証明する。

 

「多くの方は初めまして、私の名前はキングヘイロー。……今日付けで、チーム<アルビレオ>に加入しました」

 

 それも、いつもの声だった。隅から隅までの印象もそっくりそのまま、私の知っている、キングヘイローというウマ娘だった。それが、チーム<アルビレオ>の新しいチームメイトだった。そのことはもう、もう既に疑いようもなかった。

 変化は時に、前触れなく強引だ。私がゆっくりと距離を詰めていって、それでキングの側からもいつか動きを引き出せればとは思っていた。今日の午前中までは、なんだかんだでそう思っていた。まだまだこの子を振り向かせるには時間が必要だと、それが既定路線で構わないと思っていた。けれど、今はただ舌を巻くしかなかった。キングヘイローという少女の、大胆不敵な行動力に。その選択に踏み切った、勇気と覚悟に。彼女は時に、驚くほど強いのだと。だから侮れない、ライバルなのだと。ダービーの時とは少し違う眼差しから、今度はそれを読み取れた。

 それは衝撃。予想外のもので、きっと予定調和のもの。だからこそ、空に轟く雷の如く。

 

 

 

 

 

 

「ねえキング、色々聞きたいことがあるんだけど」

 

 紹介が終わってチームが解散して、自然とそのあと二人きりになった。日が暮れて空が真っ暗になっても、私はジャージ姿のままだった。わかりやすく着替えずにこの時間を待っていたので、チームのみんなにもあからさまに気遣いをさせてしまった気がする。もちろん、ずっと待っていたキングにも。こっちは制服姿だから、そこは私とちぐはぐ。そんな感じでなんとか、色々気を遣わせた上で今の二人の時間がある。

 

 だから私は、それだけ誰かに助けられたぶんの償いをしなければいけないだろう。そう、これは償いだ。あちらからも歩み寄ってきたのなら、今度はこちらから。互いに、吐露しなければいけないものがあるのだから。

 

「何かしら。少しだけなら権利をあげてもいいわよ」

「じゃあお言葉に甘えて、まず一つ。悩んでたってこのこと?」

「そうね。練習に参加するのは夏合宿からになるわね」

「なるほど。後悔してない?」

 

 そう聞いたのは、かつて私も同じような悩みを抱えたから。皐月賞の時の、<アルビレオ>と<デネブ>の間での一悶着。あそこで色々あったけれど、結局私はチーム移籍をしなかった。考える猶予としてたっぷりインターバルを与えられ、その上で二つのチームのいいとこ取りができてしまった。けれど、目の前の彼女は違っていて。仮だとか体験だとかそういう肩書きは似合わないとばかりに、電撃的にチームの移籍を決断した。<アルビレオ>がそうまでして入りたくなるチームかは、ちょっと疑問が残るところだけど。でも、その決断は尊重するべきだ。判断が早いことを、思慮が浅いなんて言い換えはしたくない。時間を惜しみながらでも、絶対に苦悩の上での決断だっただろうから。

 それでも僅かな迷いは、彼女の中にまだ存在する。戻れないと決めたとしても、まだ置いてきた過去に思うことはある。それは私の言葉を聞いて、その若干の間のあとに答えが返ってくることから垣間見えた。

 

「……するわけにはいかないでしょう。別れを告げたからこそ、私は背負わねばならないの」

 

 だけど、彼女の答えはそういうもの。別れを告げたからこそ、何かを選び何かを選ばなかったことを覚えているからこそ、彼女は決して振り返らない。たとえ迷い発した決断でも、そこに悔いがないと言い切れるほどの割り切りはできなくても。それでもその覚悟には、前を向く瞳には迷いがない。苦悩を抱えれど、道は違えない。それが、彼女の彼女らしさ。キングヘイローというウマ娘の、一番の強さなんだ。

 

「流石の一流お嬢様、ってとこかな」

「私らしい、と言いたいのなら。褒め言葉と受け取っておくわ」

「うん。やっぱり流石だよ」

「……なんだか煙に巻かれている気がするわね」

 

 自分らしさというものは、誰でも取り柄にできるものじゃない。きっと誰にでもあるけれど、誰にとっても難しいもの。見つからなければ始まらないし、見つかってもいいものばかりとは限らない。たとえば諦め癖とか臆病さとか、自分が嫌になってばかりになるようなものばかり見つかる可能性だってある。探すことそのものが、自傷行為に等しくさえ。そんな欠点ばかりが自分に見えることだって、珍しいことではないはずだ。そしてそれは、キングもそのはず。

 

 キングだって、たくさんの「自分らしさ」を見たはず。弱いところ、嫌なところ、劣っているところ。何度も何度も、何個も何個も目にしたはず。

 でも、だからこそ。だからこそ、なのだろう。粘ついた泥を素手で掘り進めるような底無しの道だからこそ、彼女は怯まず往くのだと。たとえ道がなかったとしても、岩さえ砕いて土深くの宝石を見つけ出せるのだと。黄昏の空にやがて浮かんで来たどの星々より、今は君が眩しく見えた。泥だらけの煌めきは、苦難で磨かれたからこそ美しいんだ。

 

「じゃあ気を取り直して、次の質問いこうかな」

「待ちなさい。質問は少しだけ、そう言ったはずよ」

 

 なーんて、せっかくの流れを堰き止めるキング。いい感じに和解の会話が進んでいたのに、本当そういうところは誤魔化しが効かないというか、融通が効かないというか。相変わらず扱いの難しい性格をしているなあ、そう思った。

 だけど、だった。どう誘導すればいいやらと、トレーニングで疲れた頭を回し始めた直後の私に予想外の言葉が告げられる。

 

「これ以上質問したいなら。その前に私からあなたに質問させてもらえるかしら? 釣り合いを、取るためよ」

 

 ……やっぱり。やっぱり、相変わらず。融通の効かない、扱いの難しい性格だと、心底思知らされた気がした。釣り合いを、取るなんて。対等であることを、望んでくれるなんて。いつもはすぐに手玉に取れるのに、時折こうやって思いもよらないことを言う。だからこの子は本当に、誤魔化しも効かない困ったやつだ。

 やれやれ、みたいな感じで。呆れたような、呆気に取られたような。どっちにしろあんまり変わらないけど、そんな態度で私はキングに言葉を返す。ちゃんと、会話の糸を結ぶ。だって君の方も、つながりを求めてくれるみたいだから。

 

「質問、ねえ。答えられることなら答えるけど、そうじゃないのはノーコメントだよ?」

「少しは我慢しなさい。先にあなたが質問してきた以上、私にも色々と聞き出す権利があるわよね?」

「わっ、そんなこと言って。あんなことやこんなことをむりやり聞き出すつもりでしょ、このへんたい」

「おばか! ……私が聞きたいのは、前聞きそびれた程度のことよ」

 

 あはは、そんなに怒ることかなあ、へんたい呼ばわり。いやあ結構、これでキングは純情なタイプなのかな? でもこれで、なんて言うのも失礼かな、とかなんとか色々。まあそれはいいか、そこでからかいはじめたらキリがないし。というわけで、キングの発言の意図を推しはかる。なんだろう、前聞きそびれたことって。……いや、本当に何? 大事なことなんだろうけど、最近そんな類の話をしただろうか。と言うわけで本当に見当がつかなかったので黙っていると、呆れた顔でキングは続ける。呆れてるけど、ぴしっと私に指を突きつけながら。

 

「あなたは、どうしてトレセン学園に来たの? ほら、昔聞いたじゃない。いつかの昼休み」

 

 ……ああ、なるほどねえ。

 

「あったねえ、そんなこと。話したいのは山々だけど、昼休みが終わっちゃうとかなんとか言って」

 

 まだここに来て、すぐの時。多分みんなと今ほどは仲良くなかったし、キングともそれほど仲良くはないくらいだった頃。キングとグラスちゃんを焚きつけようとして、見事に失敗した時のことだ。今の五人にはまだ揃い切っていない、けれどそれの原型になった私たち三人の最初の集まり。そこで確かに語られた、あるいは語られそびれた、私たちのはじまりともいえる一幕の話。もうずいぶん遠くなった気がする、ファースト・コンタクト。

 その時キングとグラスちゃんは、自らが走る理由を述べた。トレセン学園に来た理由。それを互いに告げていて、その時の私は途切れ途切れのそれを、離れた場所から聞いているだけだった。後ろから追うだけで、立ち並べるほどじゃなかった。……その時に私が自分のことを話さなかったままなのを、ちゃんとキングは覚えていた。

 いつか話すことになる、確かあの時そんな予感はしていたな。友達になら、ライバルになら、私も話したいと思うかもしれないって。私のちっぽけな理由でも、しっかり想いを告げたいって。そのことを、キングは覚えていたんだ。

 ……そして。そして私も、覚えていたんだ。こうやって一度思い出せば、その時に終わったはずの会話が蘇る。昨日のことのように、鮮明に思い出せていた。

 私が、トレセン学園に来た理由。こっそり確かに隠していたそれを、目の前の少女は求めていた。より深く、互いを知るために。

 

「よく覚えてるじゃない。話したいのは山々なら、私が話す権利をあげるわ」

「ほんとはそんなに話したいわけじゃなかったとか、多分今ならわかると思うんだけど」

「今でも、そうなのかしら。人の気持ちは変わるものよ」

 

 ううん、そう来たか。意固地で頑固で自分の気持ちなんて簡単には変えてくれないだろうキングにそんなことを言われては、私も我が身を顧みる他ないやもしれない。私なんかは気まぐれだって、ちゃんと見抜かれている。今なら話せそうって、そう考えてるのすら直観しているんだ。

 

「キングって、時折鋭いね」

「時折は余計よ。それに私だって、昔とは変わっていると思うもの。だからあなたも、今なら話してくれるって思うのは道理でしょう」

 

 変わっている。変化している。それはどれだけねじれ歪んでも、途切れず折れず連なっている。やり直しは効かず、避けられない理不尽でもある。どんな変化でも受け入れなければ、そこで立ち止まるしかない。だから進まなければいけないのだとしたらそれは残酷な運命かもしれないけれど、それを悲惨なものと断じるかもまた気分次第。

 世界の見え方を変えるだけで、どんな幸せだって掴めるはず。それも変化。だからやっぱり、私たちは変化の荒波に揉まれている。変化と成長、その積み重ねが私たちを作ることは、どうしたってどうにもならない。

 

「そっか。ならあとで、私からも質問させてよ。同じ質問。キングの走る理由も、私がちゃんと聞いたわけじゃないしさ」

 

 それでも、なんだ。それでもその先に、変化の最先端に私たちはいて。絶え間なく揺らぎ、時には相互に干渉して。変化と変化のぶつかり合いが、更に大きな波紋を作って。そうやって歩んでいくことを、私たちは知っている。勝利も敗北もそれ自体はきっかけで、そこにある変化を己がものにすることこそが大事だと、これまでの道のりで理解している。だから、それでも、と言える理由があるのなら。理不尽で未確定、そんな変化をそれでも私たちが受け入れる理由があるとするなら。

 

「ええ。私は構わないわよ。……もう、あなたにならね」

 

 私たちが、独りじゃないから。変化に立ち向かうのはみんなでなんだって、そのことを知っているから。時には誰かに救われて、それも変化によるものだから。

 自分ではどうしようもないことだからこそ、他者がどうにかできることがあるから。それをお互いに見つけて、変化があるからこそ誰かを助けることができるから。積み重ねる。成長する。どんな変化にも意味を成せる。きっと人はそうやって、大人へと変わっていくのだろう。ならそれまでは子供だ。そしてそれなら、独りでは強く在れないのは当たり前なんだ。

 

「なら私ももちろん、構わないかな。……君に、なら」

 

 変化と成長、その積み重ね。そのすべてを受容し我がものにできる人間だけが、この先へ行ける。夢幻の如くどこまでも広がる世界の先へ、私たちだって進んでいける。

 青空がどこまでも続くように、天使の輪がいつまでも朽ちないように。

 そんな永遠に近づく一歩を、私たちは確かに踏み出すのだ。光あふれる、未来へと。

 

 

 

 

 

 

「えーと、じゃあどこから話そうか。私がトレセン学園に来た理由、それには深ーいわけがありまして」

「あら、そうなの? せっかくだし、ちゃんと最初から聞こうかしら」

「えー、それだと門限を超えるどころか明日の朝になっちゃうけど」

「は!? スカイさん、あなたそんなに壮絶な理由が」

「やだなあ、冗談だよ、じょーだん。それくらいわかるでしょ、そこそこの付き合いなんだから」

「……おばか。まあ流石に、門限を超えるわけにはいかないものね」

「え、門限くらい今日は破ろうよ」

「何言ってるのよ、ダメに決まってるでしょう」

「いいじゃない、今日くらい。……今日くらいは、ね?」

「……あなた、本当にねえ」

「とか言いながら、折れてくれちゃうんでしょ。いやあ、キングは優しいなあ」

「はぁ、ありがとう。褒め言葉だと受け取っていいのよね」

「そりゃもちろん。じゃあ今日はさ、ちゃんと話そうか。……なーんて、そんなに時間を保たせられる話題じゃないかもしれないけどさ。大したことないからね、私がここに来た理由なんて」

「私のだって、そんなに立派なものじゃないわよ。子供の癇癪みたいなもの。知ってるでしょう」

「まあ、ちょっとだけ聞いた。でもちゃんと、キングの口から聞きたいな」

「……どうして。まあ、今更そんなことを聞いても仕方ないでしょうけど」

「そうだね、今更。キングが私の話を聞きたいのと、多分同じ理由だよ。直接、吐き出してほしい。そういうことでしょ」

「そう、ね。ならまあそろそろ、あなたの話を聞かせてもらおうかしら」

「りょーかい。まあ本当に取るに足りない話だから、笑い話とでも思って」

「おばか。人の真剣な理由を、笑うわけないでしょう」

「……ありがとう。それじゃ、聞いてくれるかな」

「ええ。一流の私に話す権利をあげる」

「そりゃ、光栄だね。……まあ、ちょっとした話だよ」

 

 

 

 

 

 

「昔の私はさ、今よりやる気に満ちた明るい子だったんだ。まあ今もお気楽ではあるけどさ、ひたむきに頑張って、誰かのためになれるのが嬉しかった。そんな優しさに満ち溢れた、いい子だったんだよ」

「……へえ。ずいぶんと、他人事みたいに言うのね」

「まあね。今の私とは違うなって思う。変わっちゃったって。もしかしたら変わらないところもあるんだろうけど、大体別物。……まあ、色々あったんだ。どうでもいい話なんだけどね」

「ちゃんと聞かせなさいよ、その『どうでもいい話』。あなたがそう言うってことは、それなりのことだったんでしょう。今のあなたとその時のあなたを区切る、それくらいの」

「……うん。本当に、簡単に説明できはしちゃうんだ。そうやって誰かのためになれてると思っていた私がいたけれど、実は優しく守られていただけだったって気づいた。特別悲劇的なことがあったわけじゃないよ。ふとしたきっかけで自分を初めて客観視して、才能も努力も私には縁のないものだってわかっただけ。……本当に、それだけなんだ。それだけのことで、全部変わっちゃった。変わらなきゃ、進めなかった」

「そう、ね。才能、努力。それは誰にでも縁があるものじゃない。……私も、お母さまに言われたもの。あなたは走る才能がない、その努力は間違ってるって。私は、そこで悔しいと思ったけど」

「私は、そこで諦めちゃった。そうだね、そこがキングとの差かな。別にどっちがいい悪いじゃなくて、私たちらしさみたいなもの。まあ、そこで諦めたのがよかったのかはわからないけどね」

「諦めた、のかしら。あなたはそこで、自分の実力を見限ったのかしら。……それなら、ここにいるはずがないでしょう」

「流石、鋭いねえ。うん、そういう話かな。どう? ここまで、どこにでもある挫折って感じのエピソードだったと思うけど」

「……どこにでもあるとしても、誰かの中には特別なものとして存在する。別に血筋なり本当に希少性があるものがあったって、それが希少かどうかなんてことが一番どうでもいいことだもの。まあこれは、経験則ってやつかしら」

「そっか。じゃあ、そこからの話もしようか。また、どこにでもあるような話だけど」

「あなたにとっては、特別な話」

「……うん。だから、ここに来たんだ」

 

 

 

 

 

 

「それですっかり変わっちゃった私がいてさ、それからは誰にも迷惑をかけないことばかり考えてた。ほどほどで、心配させるようなことはしないって。安全なところにだけいようって、そう決めてたんだ。……だけど、それを許してくれない人がいてさ」

「あら。安全を許してくれないとは、なかなか厳しい人ね。誰かしら、私が知ってるわけはないけれど」

 

「まあ知らないけど、その人との関係性を聞いたらピンとくるものはあるかもね。そうやって変わらず私を引っ張ってくれたのが、じいちゃん、だったんだ」

「……あなたの、お祖父さまってことかしら」

「お祖父さまって言われると、貴族かなんかになった気分だね。でもその通り、祖父にあたる人。私のことを大体育ててくれた人。何も知らなかった頃の私も、知ってしまったあとの私も、ずっと支えてくれた人。それが、じいちゃん」

「……家族が、あなたを支えてくれた。いいえ、そこを羨むのは筋違いなのでしょうけど」

「ううん、いいよ。君の言う通り、私を助けてくれたのは家族。血のつながり。だからまあ、孫が可愛いだけかもしれないんだけどさ。それでもじいちゃんはいつも私に言ってくれたんだ、『お前ならやれる』って。ずっと、ずっと言いつづけてくれた」

「なるほど、ね。それが、あなたの」

「うん、多分ね。じいちゃんの期待に応えることが、私がここに来た理由。……それか、もしくはだけど」

「何かしら」

「そうじゃなければ、結局自分のため。さっき諦めたって言った子供の私を、やっぱり諦めきれていなかったから。まあそれを後押ししてくれたのはじいちゃんだから、紛れもなくじいちゃんのおかげなんだけどね」

「……お祖父さまのこと、大切にしてるのね」

「そうなの、かな。大切にできてるのかな、わかんないや」

「ええ、もちろん。羨ましいくらい」

「そうだとしても、お互いさまだと思うけどね。キングもちゃんと気にかけてるでしょ、お母さんのこと」

「……どうかしら」

「そこで悩むあたりが、まさしく気にかけてる証拠だよ。私はこれくらいだし、次はキングの話を聞かせてよ。お母さんのこと、単に憎いわけじゃないんでしょ? ちゃーんと、口に出してみて」

「そう、ね。じゃあ、次は私。……でも、その前に」

「うん」

「ありがとう。あなたの話が聞けてよかった」

「こちらこそ。君に話せてよかった」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お母さまは、有名なウマ娘だった。レースの世界で実績を残し、今でも有名なデザイナーとして活躍している。だから、憧れてたわ。当然みたいに、その二つの姿に」

「それはまた、ずいぶんと派手なお母さんだね。キングはそれを、一番近くで見てたんだもんね」

「ええ。鮮やかな走りを見せることも、デザイナーとしての自分の能力を活かすことも、あの人はずっと人生に特別なものを持っていることも。その全部が、輝いて見えた。そうなりたいと、子供の頃から思っていた。そうね、一番近くで見ていたもの」

「……でも、それはプレッシャーにもなる」

「そうね。結局、そういうことだったのでしょうね。私にかけられた期待というものは、すべて血筋から来るものだった。当然のように、私を見る視線の奥にはお母さまがいた。……だから、それに負けたくなかった。お母さまみたいに、じゃない。お母さまよりも、になりたかった」

 

「やっぱり、私とはかけ離れた悩みかもね。今更私の方がちっぽけだなんて言わないけど、それでもスケールの差は感じちゃうかも」

「……否定はしないわ。だって、これはまだ飲み込み切れていない悩みなのだもの。私にとっても、大きいもの。……私がレースを目指すって言った時、お母さまにそう伝えた時。まだ、その時のことは忘れられないわ。自分の中でも、区切りをつけられていない」

「『向いてない』、だったね」

「……そう。そう、言われたの。私を一番見ている人が、その上で判断した言葉。優秀で見る目のある人間が、その目で見た言葉。……なら、それが正しいことを疑う余地はないじゃない。間違っているのは、私じゃない」

「確かに、そう思っちゃうのかな。多分、私でも。そこは結構、似たもの同士」

「似ている、かしら」

「うん。期待されなくて、期待されない方が正しいんだって思ったこと。それを今でも、抱えたままでいること。……そして、それでも諦めていないこと。キングはその上で、トレセン学園に来た」

「ええ、そうね。……そう、そうよ。だって、絶対に。絶対に、絶対に……!」

「諦めたく、なかったから。君のお母さんに認めてもらうためにも、ね」

「……それは、否定できないわね」

「そ。君はお母さんを無碍にはできない。ちゃんと自分のことを考えて、それで『向いてない』って言われたのをわかっている。だから君がやろうとしているのは、復讐や叛逆じゃない。きっとそれは──」

「お母さまに認められる、私になりたい。私にしかない価値を、証明したい。そうね、それが理由。私がトレセン学園に来た、理由」

「なるほどね。ありがとう、話してくれて」

「どういたしまして。……まあ、あなたも話したのだもの。釣り合いを取らなきゃいけないから」

「そっか。じゃあこれで、お互いに話せたんだ」

「ええ、お互いに。いつか話すべきだったことを、今できた」

「ならよかった。うん、よかったよ」

「……そうね。私も、よかったと思う」

 

 

 

 

 

 

「……でもそれなら、意外と似た理由でトレセン学園に来たのかもね、私たち」

「そうかしら。否定するほどでも、ないけれど」

「そうそう、そうだって。期待を受けられなくて、それを受けられるようになりたくて」

「自分を一番見てくれていた一人のために、走ろうとして」

「そう、似てるでしょ? まあ性格とかは、似ても似つかないって感じだけどね」

「あなたみたいになりたいとは思わないわ。授業中に居眠りなんて、信じられない」

「にゃはは、まあそう言わないでよ。それでも私に会えて、それは良かったでしょ、多分」

「……それは、あなたが私に対してそう思っているから?」

「……急に小癪な返し方をしてきたね、キング」

「あなたはいっつもなんだから、少しくらいお返しよ」

「なるほど、それなら仕方ない。ちゃんと認めてあげるよ、キングのことが好きだって」

「は……はっ!? す、好きっ……!?」

「いやそういう意味じゃないから、このへんたい。純粋な親愛の気持ちなんだから、ちゃんと受け取りなよ。私がトレセン学園に来て良かったことの一つに、紛れもなく君はいるんだから」

「本当、あなたって時々小っ恥ずかしいことを素面で言うわよね」

「ポーカーフェイスがトリックスターの鉄則なので〜。……なーんて、この気持ちは嘘じゃないよ」

「……おばか」

「たまには、それくらいの暴言は許そう。好きな人の言葉だしね」

「……本当に、おばか」

「はいはい、バカですよー。でもさ、それも事実でしょ。理由を持ってトレセン学園に来たけれど、今はそれだけを理由に走っているわけじゃない。他にも、友達が増えた。ライバルが増えた。たくさんの、応援してくれる人もいる。私たちはまだ、変わっている途中なんだよ」

「変わっている途中、ね。一つの理由を咀嚼し切れていないのに新しい理由が増えるものだから、困ったところではあるけれど」

「でも、嬉しいものでしょ。……たとえば、今この瞬間だって」

「……そう、ね。もうすっかり夜だけど、もう少し」

「うん、もう少しだけ。一緒に、いようか」

「……ねえ、スカイさん」

「なにかな、キング」

「また、話しましょうか」

「うん。きっとずっと永遠に、話し足りないもの」

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこから、しばらくは星を見るだけだった。二人きりで、ただ夜に溶けていた。それでよかった。そう、したかった。続きを語るのは、もう少しあとでいいんだから。この一日では私たちが言葉を尽くすには短すぎるけれど、一日を無数に束ねた幾万の刻が、未来の中で待っている。だから、大丈夫。毎日毎日進めば、遥か遠くまでたどり着ける。

 空の先にある、果てのない青。

 天の向こうにある、揺るぎない光。

 誰もが望む永遠は、そんな手の届くところに存在するのだから。




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