完全版・セイウンスカイは正論男に褒められたい   作:春華ゆが

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タイトルは30秒くらい


甘き黒きに沈溺し、されど其は天頂に廻るを求めるが故

 

 

 バレンタイン・デイ。その名を聞けば誰もがときめく、心を込めたチョコレートと共に、甘い甘い恋の想いを伝える日。……なーんてのは大昔の話で(まあそもそもバレンタインのチョコレート自体が由緒正しくもなんともない風習らしいけど)、今や義理チョコから始まり友チョコやらなんやらバリエーションはたくさん、恋愛なんてどこへやら。一貫しているのは女の子が誰かにチョコを渡すという点だけで、それ以外はなんでもあり。どんな理由でも、チョコさえ渡せばバレンタイン。チョコを売るために恋人だなんだと言って、結局建前までほとんど変わっていったのにすっかりバレンタインというものは定着してしまっているのだから、いやはや、この催しを最初に考えた人は商売がうまいですなあ。

 というわけでバレンタインとは年頃の女子のためのイベントであり、そうなればつまりは年頃のウマ娘集うトレセン学園でも重要なイベントとなるわけである。学園中どこを見渡してもチョコを渡すか渡されてる、そんな光景が当日は予想されるのだ。

 ちなみに、こんなふうにバレンタインを遠目に見ているつもりの私セイウンスカイはどうなのかというと、やはりというべきか、なぜかというべきか、バレンタインのためにチョコレートを用意する人間になってしまったのだが。

 いや、正確に言えばさせられたのだ。私だけで買おうとしたわけじゃないのだ。故にこうしてトレセン学園近くのデパート前で、ある人とチョコを買うための待ち合わせをしている。そんな事の始まりは三日前、つまりバレンタインの六日前に遡る。今週末がバレンタイン、そんなタイミングだった。

 

 

 

 

 

 

 まず最初にその話を持ち出したのは、トップロードさんだった。しかも誰でもいいとかじゃなくて、私一人をめがけて。トレーニングの合間、私がからからの喉をミネラルウォーターで潤している最中だったのに、そんなことを気にもせず藪から棒に。

 

「今度のバレンタイン、トレーナーさんにチョコを渡しませんか」

 

 むせた。吹き出しはしなかったけど、むせた。げほっと、口からこぼれた。なぜなら純情乙女のセイちゃんには、バレンタインにチョコをあげるなどという一大イベントの経験はなかったからである。それも誰かと合同でなんて、なおさら経験のないことである。

 え、バレンタインってみんなで渡すものなのかな。何もわからない。はい。というわけで私はすかさずというか、とりあえず浮かんだ疑問をぶつけた。

 

「ええそれ、どういう意味ですか」

「そのままの意味ですよ? 日頃の感謝を込めて、チームを代表して義理チョコを」

「なんで私が巻き込まれてるんですか」

「だって、みんなからもらった方が嬉しいじゃないですか! でも流石に、数は絞らないといけないし。私は毎年、食べるのが大変なので……」

 

 その発言で私は即座に、トップロードさんがバレンタイン慣れしている方の人種だと察知する。チームでも慕われているし、確かクラスの委員長やってるらしいし。そりゃ、モテますわ。妙に納得、この提案をできる人間だということも含めて。

 まあ、それはともかく。とりあえず事態を飲み込んだあと、ちょっと考えて、私は答えと一つの問いを同時に投げかけた。

 

「……まあ、いいですよ。私とトップロードさんで、ですか? 実はもう一人くらい、当てがあるんですけど」

 

 私が乗っかったのには、気分転換を含めたそれなりの打算があるのだけど。それはさておきそういうわけで計画に加わった私は、早速一つの提案をする。立案トップロードさん、進行私セイウンスカイ。となれば残るはあと一つ、実行役が必要だと思われた。

 

「あと一人くらいなら、別に増えてもいいと思います。あんまり増えると渡すチョコも増えちゃいますが、合同でという形なら。……で、誰でしょうか」

「それはせっかくなら、きちんとした贈り物とかそういう高級品に詳しい人がいいと思いまして。実際にチョコを選ぶタイミングでのリーダーですね」

「ははあ、なるほど。……で、つまり?」

 

 あれ、ピンときてないか。この人は思いのほか察しが悪いというか、むしろ私の持って回った言い回しが悪いというか。しかしそうなると逆に、軽いサプライズにしてもいいかもしれない。トップロードさんと「彼女」、二人ともにとって、だ。

 

「まあ、買いに行く日に呼んでおきますから。その時のお楽しみ、ということで。後で買い出しの日、教えてください」

「あっスカイちゃん、なんでそこで隠すんですか!」

「にゃはは、たまにはトップロードさんをからかいたい時もありますよ〜」

 

 かくして、計画は実行に移されたのである。ちなみに該当約一名の哀れな巻き込まれガールには、「十一日十時にトレセン学園近くのデパート前で」としか伝えていない。トップロードさんが来ることとか、そもそもの集まりの目的とか、そういったことは何も。

 先に言ったように私がこの計画に乗っかったのも、それなりに真面目な事情はある。相変わらず晴れることのない、未来を塞ぐような不安についてだ。

 そこにある不安に働きかけたかった。いても立ってもいられなかった。

 だから、何か意味のあることをしたかった。

 トレーナーさんにプレゼントをするのは、前のクリスマスの再現に過ぎないかもしれないけど。それでもうっすらとかかる不安は杞憂だと、そう証明できるに越したことはないから。

 そしてそれはそれとして、別の思惑はあるのだけど。だけどすべてがはっきりするのは、バレンタインに紐づく話だ。今日今からの僅かな日にちにある、これからの話。間近に近づくバレンタイン、ひとつの特別なイベントに向けての話。私たちが迎えるそのイベントは、見え方によってはただチョコを渡すだけ。でも、それだけじゃない。そこにあるのはチョコレートを送ることそのものではなく、このイベントに込められた想いの話。

 バレンタイン・デイは、たとえどれだけあり様を変えようと。

 乙女たちのときめく日だと、そう決まっているのだから。

 

 

 

 

 

 

「おはようございまーす、スカイちゃーん!」

「あっトップロードさん、こっちですよー」

 

 そうして今日、バレンタインの三日前。私とトップロードさんともう一人は、こうして待ち合わせをしているわけである。ちょうど今、トップロードさんが私の待ってる場所に来たところだ。大体十分前きっかりといった感じで、この人の真面目さがここにも垣間見えるというか。

 ちなみにそれに比べて不真面目な私が、どうして彼女より先に待ち合わせ場所に着いているのかというと、だが。

 

「スカイちゃん、今日は早いですね! やる気たっぷりって感じです!」

「いや、そーいうわけでもないんですけど。ほら言ったじゃないですか、もう一人」

「言いましたね、結局誰なんですか?」

「それはいずれわかるとして、多分あの子はめちゃくちゃ早く待ち合わせに来ると思ったんですよ。だけどそれで誰もいないままだったら、そのまま帰っちゃうかもしれない」

「ええ、それは困りますね」

「まあこれは私が待ち合わせ場所と時間しか伝えてないから、それで不安になってしまわないかという話なんですけど」

「……なんでそんな無茶振りしてるんですか!?」

 

 そう驚くのは至極当然。無茶振りと言われるとその通り。まあでも、多分あの子なら来てくれるし。今日どういうことが彼女に必要かもちゃんとはわかってないし伝えてないけど、多分それも何かしら用意するか来てから一生懸命探してくれるし。それくらいには、彼女のことは信頼しているからね。良くも、悪くも? いやこの場合悪いのは私の性根か。まあ、ともかく。

 

「あ、来たっぽいですよ。おーい、こっちこっちー」

 

 そんなふうに私が手を振る先にあるのは、いつも見慣れた彼女の姿、いや、あれ……? えーと、何あの服。記憶にある限り彼女の私服姿を見たのは夏合宿くらいだけど、その時はもっとラフな格好だった。あの着こなしは重ね着というやつか、いやもっと高尚にコーディネートというべきか。重ね着としてもこんなに重ねるものなのか。冬だからか。それだけではない? 私は女子力ないのでわかりませーん。

 こつ、こつ。更にあちらから近づいて来たのでその服装の細部を見てみると、その手首には金属のアクセサリがあったり、首には小さなブローチを付けてたり。何より黒を基調としたロングスカートとゆったりとした長袖の組み合わせには、ところどころにレースがついた豪勢な服装。上から重ねたブラウンの大きなコートで、華やかさがいい感じに抑えられている。

 なるほど、このおしゃれが今日の遅刻の理由か。いや、ちゃんと五分前には到着できているのだけど、それでも彼女にしては遅い。とはいえこれだけの時間のかかりそうなおめかしをしながら集合時刻にも間に合う、流石「一流」だ。

 そう、何を隠そう、私の呼んだ助っ人とは。

 チーム<アルビレオ>のお嬢様担当、キングヘイローその人である。

 まあ、そんな隠すつもりもなかったんだけど。そこはトップロードさんがあの時律儀にクエスチョンマークを浮かべて気になるなーってふうを出したのが悪い、うん。

 

「おはよ、キング」

「おはよう、スカイさん……って、トップロード先輩!?」

「おはようございます、キングちゃん! えっと……すごく、すっごく綺麗ですよ!」

「それは当然! です! なにしろスカイさんが用件も告げずに待ち合わせの連絡だけして来たので、服装だけでもどんな状況でも粗相のないようにと! 何を考えてくるかわかりませんものね、スカイさんは!」

「えー、そんな理由なのー? 私はてっきり、愛しのセイちゃんとのデートだからって張り切っちゃったのかと思ってたけど」

「お、ば、か! ほんとにそんな用事で呼びつけたのなら、今すぐ帰るわよ!」

「まあまあ落ち着いて、ちゃんと真面目な話もするからさ。実はこれは元はと言えば、トップロードさんの発案なんだけど」

 

 そう言って気性難真っ盛りのキングを若干強引に宥めながら、私とトップロードさんで今回の企画についての説明をする。

 日頃の感謝を込めて、チームを代表してトレーナーさんにチョコレートを渡す。私たち三人で。そして今日はそのチョコレートの買い出しに、このデパートまでやって来たこと。順に説明すると、キングは大体納得しつつも。一つ、疑問を口にした。至極真っ当な疑問。

 

「……で、なぜ私が呼ばれたのかしら」

「そうですね、私もちょっと気になります。スカイちゃんの人選の意味、というか」

 なぜ、か。そう疑問が浮かぶのも無理はない。なにしろキングは<アルビレオ>においては新参者で、言ってしまえばトレーナーさんとの付き合いも浅い。それなのにチームの代表の一人として出てきていいのか、という考えはあるだろう。私にもそれくらいはわかる。

 だけどそれくらいわかっていて、私は君が相応しいと思ったんだ。もちろん、ね。

 

「そうだね、どこから説明しようかな……なんて、もったいぶるのもそろそろやめとこうかな。まず前提としてキングはさ、<アルビレオ>では新入りなわけじゃない?」

「そうよ。新入りがでしゃばることにならないわけ、それ」

「まあ一見、そうだけど。そもそもでしゃばりだなんて思うような子、<アルビレオ>にはいないと思うし」

「そのくらいはわかってるわ。それでも、意図としてそぐわないでしょう。日頃の感謝、という意図に」

 

 そう言うだろうことも、多分わかっていた。わかっていて、私はキングを呼び出した。

 なぜか。それはきっと、私がキングのためになりたいから。そんなのストレートには言えないから、いろんな理由はつけてしまうけど。

 でもその理由だって、本当に思ってることに違いない。

 

「……見え方を、変えればいいんだよ」

「見え方?」

「そ、物事の見え方。何事も表裏一体、コインの裏表なんだから」

「意味が良くわからないけれど。私があえてチームの代表なんて立場を取ることに、何かしら有意なことがあるのかしら」

「そうそう、その通り。要はさ、これまでだと仲良くないのなら。それじゃ自分は相応しくないと、そう思うのなら」

「……なるほど。その逆」

「そう。これから仲良くなるのなら、これ以上のイベントはないと思わない? そもそもトップロードさんと私だって、チョコレートに込める想いは違うんだから」

 

 その私の言葉を聞いて、うんうんと頷くトップロードさん。それならきっと、その通り。

 間違い、ない。

  たとえばチームリーダーのトップロードさんにとっては、トレーナーさんへの感謝とはこのチームそのものを包括したもの。おそらくチーム<アルビレオ>結成から今この時までを見てきたトップロードさんだからこそ、想う気持ちがあるはずだ。

 そしてたとえば私にとっては、トレーナーさんへの感謝とは……少し、言葉にするには恥ずかしいくらいのもの。第一印象では散々なことをあの人に対して感じてしまったのだから、なおさらだ。だけどこのトゥインクル・シリーズを走る上で、たくさんの大事なものをトレーナーさんからはもらってしまった。だから多分、それを伝えたくて。これから先も、あなたなら道を示してくれると信じて。きっとそう想って、私はチョコレートを渡そうと決めたのだろう。実はまだまだぼんやり曖昧で、ちゃんとチョコを渡す理由を言語化できてはいないけど。

 そして、キングにもキングなりの気持ちがある。私たちとは違うからなんて、そんなことを否定の理由にする必要はない。むしろ必ず違うから、私たちには君が必要なんだ。

 

「キングがこれからも<アルビレオ>でうまくやっていきたいなら、きっとこれは意味のあることだよ」

「……否定できないわね」

「なんで否定する必要があるのさ」

「私は自分の考えを簡単には取り下げたくないの。まあその上で、今回はあなたの言い分に納得するわ」

 

 なんだか奥歯に物が挟まったようなというか、悔しさ全開というか。

 

 まあそれもキングらしさだ。そこまで私が捻じ曲げる必要はないし、そのままでいいこともあるに決まっているのだから。

 

「……じゃ、これで無事キングちゃんも参戦ということで!」

「すみませんトップロード先輩、私としてもどうしても気になって」

「わわっ、いいんですよキングちゃん。スカイちゃんは時折、何を考えてるか隠す癖がありますからね〜」

「うわっ、トップロードさんも私をなじるんですか。セイちゃん、ショックです……」

「ああごめんなさいスカイちゃん、そんなつもりじゃ」

「……そういうところよ、スカイさん」

「いやはや、反省せねばなりませんなあ」

 

 とりあえず、というわけで。話はようやくまとまって、私たちは足並みを揃えて一歩ずつデパートの中へ入っていく。その合間にも会話は絶えなくて、これぞまさしく女人三人集まれば姦しいといった感じ。けれどそうやって皆が同じ方向を向く中で、それでも皆見えているものは違う。どこかは重なりどこかは補えるから、私たちは一緒にいるのだと。

 そしてキングの次なる言葉も、そんな思考と重なっていた。立ち止まりおもむろに翻って、彼女は私に声を託す。

 

「スカイさん、一つだけ」

「なに、キング。一つなら、いいよ」

「私は正直、今日ここに来るか迷っていたわ。だって私はきっと、それどころじゃない。クラシックで勝てなくて、そのままシニアに突入する。より厳しくなる戦線で、どうにか勝つ方法を見つけなければいけない。どんな道を通っても、あらゆる手段を使っても」

「……じゃあ、どうして来てくれたの」

「あなたが私を呼んだのも、同じ理由だと思ったからよ。あの日グラスさんに指摘された、あなたが克服しなければならないもの。それをなんとか探すために、あなたは行動を起こそうとしていた。……もっとも、もっとストレートに話し合いか何かだと想っていたけどね」

「なるほど、そこまでお見通しかあ。流石キング、ってとこかな。やっぱり君はすごいよ」

「あなたも、立派なものよ。自分をみくびるのは、止めた方がいいわ」

「それはお互い様、だね」

「そうかもね。否定はしないわ」

 

 私がキングを呼んだ、正確にはトップロードさんの誘いを受けるところから、ずっと心の隅で考慮していたこと。考慮せずにはいられなかったこと。

 今私が抱える、得体の知れない不安の正体。それを取り払うきっかけを誰かから掴めたら、というのが、私が独りで悩み抜いた後に出した結論だった。

 そう考えるのが、もう一つの誘いに乗った思惑。誰かとなら、道は開けるんじゃないかって。

 結局私は誰かを頼るしかない。今までそうして来た中で、それが染みついてしまっていた。だけど直接は誰かに悩みを言えない難儀な性格なので、こうしてプライベートな時間を共有する方法を取った。直接聞いたら私が成長できないと感じたから、私は私のために迂遠な方法を選んだ。でもやっぱり私には、誰かを頼るしかないのかもしれない。それはなんとか一人でこの壁を乗り越えようとしていた私にとっては、情けない結論かもしれないけれど。

 トップロードさんと、キング。<アルビレオ>でも特に私と親しくて、いつも力になってくれた二人。そうやって誰かを素直に頼ってしまうのも、昔の私からすれば考えられないことなのだけど。そんなふうに変われたからこそ、私はここまで来た。ならちゃんと素直に、これから先も誰かの手を借りて。みんなで、一緒に。みんなだから、乗り越えられるんだって。

 ……それでもいいから、どうにかしなきゃいけなかった。誰かの手を借りることを肯定するのは、微妙なバランスの上で成り立っている。依存してしまっては、きっとずっと大人にはなれない。支え合うのなら、前に進める。そう信じて、少しだけまた手を伸ばしている。他者から何かを見つけ出すのは、私自身の意志だから。

 それでもいいから、息をするのも苦しい霞の中から抜け出したかったから。

 

「まあでも、私のことは気にしなくていいから。勝手に二人の方を見て、盗んじゃうからさ」

「よく言うわね。そもそも私を誘ったのも、半分くらいはこちらのことも気にしてたでしょうに」

「……さあ、どーだか」

「まあいいわ、それについては追及しない。……でも、それにしても」

「まだ小言? お嬢様、それじゃ将来嫁の貰い手がつきませんよ」

「おばか。そうじゃなくて、やっぱりあなたはすごいわね。そう思っただけよ」

「何それ、なんか唐突な褒め言葉すぎて怖いんだけど」

「裏も何もない、褒めただけよ。たまにはいいでしょう、バレンタインはそういうイベントなのだから」

 

 キングはそう、少し照れ臭そうに言い残して。

 今までにない君の言葉にちょっと呆気に取られた私を置いて、何してるんですかー、とこちらにぶんぶんと手を振るトップロードさんの方へと歩いていく。 

 ……そっか、キング、今私を褒めてくれたのか。やっぱりすごい、って、やっぱりだって。本当はいつも認めてくれていると、言葉で見せてくれたのか。それは、あのプライドの高いお嬢様にはなかなか珍しいことかもしれない。あるいは私の不調に発破をかけるための、そんな意図だからこその滅多にない発言の可能性もあるけれど。

 それでも、その言葉は本物だ。彼女のことが私にはわかるから、私にも彼女のことがわかる。

 そう、まさしく彼女のいう通り、今日はバレンタインに連なる日。

 当日だけじゃなくその準備からだって、私たちの気持ちは抑えられない。

 バレンタイン・デイは、たとえそこにあるものが不安や恐れだとしても。

 乙女たちの想い伝わる日だと、そう決まっているのだから。

 

 

 

 

 

 

 デパート。百貨店。それすなわち幼い頃から近所の商店街に慣れ親しんでいた私にとっては未知の領域である。平々凡々な庶民たるセイちゃんには一生縁がないと思っていたような気もするその場所に、私は今足を踏み入れている。

 もちろん一人ではいまだに入れないだろうというわけで、同行者二人つき。トップロードさんとキングの二人がいればなんとか、である。それにしてもキングはともかく、トップロードさんはこういうところに来るものなのだろうか。

 

「なんかこう……すごいですね。はい、デパートなんて初めて来ましたけど」

「ありゃ、トップロードさんも初めてですか」

「はい……。いやでも、贈り物なら高級なのがいいのかな? って思ったんですが……」

 

 なるほど、それは確かに一理ある。そもそもせっかく割り勘で買うんだし、高いものじゃなきゃ逆にもったいないかも。しかし当初の計画通りなら、そんな何もわからない場所に私と二人で来るつもりだったのか、この時折勢いで突っ走る先輩は。こんなところ、私だけじゃ絶対力になれない空間だが。いや、我ながらキングを連れてきたのは正解だったな。もはやキングを連れてきた時点で、私の役割は完遂しているレベルだ。

 ちなみにそのお嬢様はどうしているのかというと、先程からずっとデパートのフロアマップと睨めっこしつつぶつぶつ言っている。このブランドはどう、とかそういった感じの。いやあ、頼りになると言わざるを得ない。下々にはわからないあらゆる事柄については、キングには存分に頼らせてもらおう。今日の買い出しについては頼ることしかない気もするが、許したまえ。

 

「ちょっとスカイさん、それにトップロード先輩。こっちに来てください、一緒に考えますよ」

「え、何を考えるってのさ」

「どの店を周るかよ。もちろん全部周ってもいいけど、デパートってものは相応に広いし店の種類も豊富。全部周りたいなんて言ったら相当苦労するわよ。……というわけで二人とも、まずは数を絞りましょう。ある程度の概要は、こちらで教えますから」

「助かります、キングちゃん……」

「別に、乗りかかった船ですから。それに私も、渡すなら良いものを選びたい。もちろん金額やブランドが気持ちそのものではないけれど、特別な日には特別なものが必要ですから」

「そうだねえ、バレンタインだもんねえ。流石キングだねえ」

「何でそんな他人事なのよ、あなたは。今回のチョコレートは三人合同、それならあなたも渡す側よ」

 

 そうなんだよなあ、それはキングのいう通りなんだよなあ。つまりどういうことかというと、私も私なりの気持ちをチョコレートに込めてやらねばならない。何かしら、特別な気持ちを。私だけにしか、伝えられない気持ちを。

 ……実は、このことが結構問題で。先述の通り、まだ曖昧で。

 キングの場合は、これから仲良くなりたいという意思表示。トップロードさんの場合は、これまでの感謝を伝えるためのもの。でも、なら私はなんだろうか。何を、送り届けられるだろうか。トップロードさんに倣って感謝を伝えるのは一見良さそうな案なのだが、ここには一つの問題があるのだ。現状私しか知らない問題。

 

(「いつもありがとう」は、クリスマスにやっちゃったんだよなあ)

 

 あのクリスマスパーティの日、トレーナーさんに私はクリスマスプレゼントを渡した。チョコとかじゃなくてルアーなんだけど。帰るところだったので、必然的に他の誰にも見せず言わずにこっそり。今までありがとう、これからも頑張りますって。……その後の有マでは負けてしまったから、それ以上は求められない。同じ気持ちは、同じままになってしまう。

 新年を挟んだとはいえ、あのクリスマスから、あの有マ記念から二ヶ月も経っていない。きっと二ヶ月の短い中にでも変化はあるのだけど、私自身はまだ二ヶ月前から前に進めていない。ずっと、霞に囚われている。

 つまり今の私には、あれから新しく何かを想うことはできないんじゃないかって。

 もちろん、もう一度改めて感謝を告げることは可能だろう。重ねて、気持ちをより深くする。そうするのは間違いじゃないと思う。ベターな選択肢、ではあると思う。だけどそれはなんとなく、嫌だった。何にも、何にもならない気がして。私にとっても、あなたにとっても。せっかくの、バレンタインなのに。

 

「……スカイさん」

 

 でも代わりの答えは見つからず、私の思考は堂々巡り。このまま永遠に、私は前へ進めないんじゃないか、なんて。

 

「……スカイさん?」

 

 やっぱり、ダメかもしれない。私はどうしても、私の不安への答えが出せない。どんな方法を取っても、どんなにみっともなく足掻いても。得体の知れないものに、得体の知れないまま絡め取られる。

 そうだとしたら、私はどうすればいいんだろう。わからない。わからないままなのか、このまま。いつかわかる時は、もう取り返しがつかない時なのか。

 ──ねえ、教えてよ。誰でもいいから、希望を見る方法を教えてよ。それさえわかれば、あとは自分でできるんだから。

 ねえ、だからほんの少しだけでいいの。この雲に切れ目を作る方法がわからないの。

 ねえ、一体。一体、私はどうしたら──。

 

「スカイさんったら!」

「うわっ、何さキング」

「それはこっちの台詞よ、さっきからずっと考え込んで。もうトップロード先輩と二人で、巡回ルートは決めちゃったわよ」

「ああ、それはごめん。いや、考え事ってほどじゃないよ? ちょっとぼーっとしてただけ」

 

 ……参ったな、私そんなに考え込んでたか。まだ答えは見えないのに。永遠に見えないなら無意味なのに。それならさっさと止めてしまって、それなりの私を演じればいいのに。誰にも手のかからない私。あの日諦めた、そこからの私だ。

 ……今でも、私はそんな子供のままのはずだから。

 今からでもそんな「私」になろうと、一生懸命に言葉を取り繕う。するとキングは一歩私から足を引いて、少し俯いて。クリムゾンレッドの瞳に、呆れたような光を浮かべて。あとは一つ、ため息を吐いて。はあ、って。やれやれ、って。その後彼女から切り出された言葉は、何事もなかったかのような。努めて、そうしてくれているのだろう。

 

「そう。ならとりあえず、早く行くわよ。トップロード先輩が待ってるの」

「……手間かけさせちゃったね、ごめん」

「そうね。あなたは案外、手間がかかる。自分なんて誰も気にしてないし気にもさせません、みたいな風をしておきながら」

「はは、そりゃぐうの音も出ないね」

「でもね、覚えておきなさい」

 

 と、唐突に。キングはそう言って、上向きに人差し指を立てて、私の顔をじっと見て。そのまま、私に一つの言葉を告げる。一つだけ、私に教えてくれる。

 

「手間がかかるのは、それだけあなたが考えているからよ。あなたのそれは、無駄じゃない」

「……何さ、わかったようなこと言っちゃって」

「自戒も込めて、よ。別に、あなたに上から説教できるとは思わないもの」

「……ありがと」

「そもそも今のあなたが悩みを抱えてることくらい、大体みんなわかってるんだから。自分だってそれを織り込み済みで、今日は他人を頼りに来たんじゃない」

 

 すとん、と何かが心のうちに収まる音がした。そういえばそうだったっけ、キングにはもう言ってしまったことだった気がする。今日は素直に誰かを頼るために、わざわざトップロードさんの誘いに乗った。キングを呼びつけた。なんだ、私にはもう解法が見えていたんじゃないか。答えは見えないままだけど、解き方はとっくのとうにわかっていた。

 今日は素直に、悩みをそのまま口にしよう。

 誰かにわかることじゃないかもしれないけど、みんなで答えを見つければいい。最後は私が見つける答えなら、それまでは助けてもらっていい。

 そうわかっているのなら、私にできるのはその通りにすることだけだった。

 

 

 

 

 

 

 さて。トップロードさんとキングに合流して、チョコを探して幾星霜。ブランドは色々あるのだが、どれも高級、高尚、そして高額。つまるところどんなものにせよ全く普段見ないようなチョコレートであり、これは本当に私の知るチョコレートという物体なのか? と思わざるを得ない。失礼ながら、こんなに小さいのにこんな値段かあ。いや、こんな思考だから私には女子力が足りないのだろうな、うん。見よあそこのトップロードさんを、目をキラキラさせながらウインドウを眺めているぞ。庶民派といえど私との大きな差を感じてしまう。

 この人、案外乙女だからね。

 

「うーん、悩みますね……」

 

「トップロードさん、ここで買うって決まってるわけじゃないんですし、そんなここで悩まなくても」

「いえ! それは甘い、甘いですよスカイちゃん!」

 

 ばっと大きな身体でこちらを振り向いて、心なしか尻尾をいつもより多めに揺らしながら。耳は興味を隠せずぴこぴこ動くトップロードさん。……大型犬みたいだな、などと思ってしまった。まあそういう見た感じの印象は置いといて、トップロードさんの言説を聞いてみようか。流石にちょっとからかうけど。

 

「甘いって、チョコレートのことですか?」

「いえ、そうではなくてですね! これだけ種類があって、でも一つ一つに心が込められてるんですよ、チョコレートって。なんて、今見て思ったばかりのことですけどね。なら私たちもしっかりその中から選び取らないと、失礼じゃないですか」

「……それは、そうなんでしょうね」

 

 なんて、軽口を空振りにされたのはさておき、トップロードさんのいうことは正しい。そのこともいつも通り、だ。トップロードさんは正しくあろうとする人。そして、そんな己を苦とは思わない人。いつも見てきた彼女の姿が、今日はいやに眩しく見える気がした。

 それにしても、失礼、か。トップロードさんが想いを込める理由として使ったその言葉は、なかなか耳の痛い話ではある。

 私はこのチョコレートに、どんな想いを込めればいいのか。何も考えずに渡すのは、トップロードさんのいう通り失礼だ。けれど、答えは見つからない。

 まだずっと、考えて立ち止まったまま。

 私、一人では。

 

「はい。だからスカイちゃんも遠慮なく、このチョコがいい、みたいなのあったら言ってくださいね! まあ、実際贈り物に適してるかを見てくれるのはキングちゃんなんですけどね……」

 

 私一人、そのままでは。

 なら、どうするか。先程見つけた、あるいは最初からわかっていたやり方。

 多分普段なら、こんなふうにはできないのだろうけど。

 

「あの、トップロードさん」

「はい、なんでしょうか、スカイちゃん」

 

 でも、今日は特別な日。

 当日ではないけれど、紛れもないバレンタインの日。

 

「相談したいことがあるんです。今だからこそ、です」

 

 バレンタイン・デイは、特別な赦しを与えるものだからこそ。

 乙女たちが秘めたる想いを告げられるのだと、そう決まっているのだから。

 

「いいですよ、スカイちゃん。……店の中で立ち話もなんですし、少し外に行きましょうか」

「はい。ありがとう、ございます」

「いいえ、こちらこそです。困ったときは、お互い様ですよ」

「私はトップロードさんほど優しくはないと思いますけど」

「そんなことないですよ!」

「えー、そんなことありますって」

 

 適当に会話をこなしつつ、今入っていたチョコレート屋さんを抜けて、近くにあったベンチに座る。店を抜けていく時キングがちらりとこちらを見たのを、私は見逃さなかった。もっともキングの方はそのまま、私たちが抜け出すのを見逃してくれたわけだけど。トップロードさんもだけど、キングもやっぱり優しいよね、などと思った。

 チョコレート屋さんを外から見ればそれなりに混んでいて、やはりこれが皆バレンタインに向けた人だかりなのだと思うと圧倒されてしまう。もちろん私もその中にいて、チョコレートを選ぶ立場なのだけど。そこに込める想いが、まだ私にはない。まだ、わからない。

 

「チョコレートをどんな気持ちで渡せばいいのか、わからなくって」

 

 だから、それを素直に口にする。「わからない」ということだけは、わかるから。

 

「トレーナーさんにはもちろん感謝してます。だから贈り物をしたいとは思います。でも、具体的な気持ちが出てこないんです」

「……そう、なんですね」

 

 トップロードさんは、私の言葉を一つ一つ丁寧に聞いてくれる。まとまっていないばらばらの言葉でも、この人なら掬い上げてくれる。最後まで、助けてくれる。そう思った。

 

「まあ一番はトレーナーさんにクリスマスプレゼントをあげてしまったので、もう一回プレゼントとなるとどんなネタにしようかなってのがあるんですけど」

「……え?」

 

 ……と、思ってたんですけど。今の「え?」は困惑の「え?」である。

 あれ、もしかして。

 

「スカイちゃん、トレーナーさんにクリスマスプレゼントあげたんですか!?!?」

 

 思ったよりも数倍驚かれて、周りに聞こえるほどの大きな声で。……げ、よく見たらちょっ近くに来てたキングもびっくりしてるじゃん。いやこれはトップロードさんの声に驚いてるんだ、私の発言が理由じゃない。そうであってほしい。いや、そうに決まってるでしょう。

 あれ、そんなに驚くことですか? 確かに二人ともクリスマスプレゼントなんて渡しそうにはないとは思ったけど、そう思ったのは二人の性格的な問題で、気持ちとしては同じくらいのもんでしょう、別に。

 こっちが悩みを話していたタイミングなのに、気づけば発言者は転換していた。

 そんな180度の半回転が起こるほどのことだったかな、これ。

 

「え、何を! 何をあげたんですか、トレーナーさんに!」

「ルアーですよ、ルアー。チョコレートほど大層なものじゃないですよ」

「大層じゃないなんて、そんなこと言わないでくださいよ! クリスマスプレゼントだなんてもう、とってももう、かなりですよ!」

「そんなもんですか」

「そんなもんですよ!」

「……呆れた。あの日さっさと帰ったと思ったら、そういう事情だったのね」

 

 うわ、キングまで来た。ついさっきまでほっといてくれたのに、まったく知らない興味のある話題になった瞬間来るのかね、君も。というかなんというか今更ですけど、お二人とも盛り上がりすぎじゃないですか? 

 

「まあ、それならなんというか。スカイさんのチョコレートに関して、私とトップロード先輩から何か言えることはないわね」

「えっちょっとキング、さっきまで頼れみたいなこと言ってたじゃん」

「いや、キングちゃんのいう通りです。私からは、何もっ……! 応援することしか……!」

「そうね。というよりあなた、それは一人でチョコ買った方がいいわよ」

「え、割り勘は」

「そっちは私たち二人でやるから。あなたは一人で買って、一人で渡しなさい」

 

 なんで? なんで私だけ一人なのさ、意味わかんない。まるで話が飲み込めない。

 トップロードさん、応援するって何を? いやいや、なんなんだこの展開は。

 困惑しかなかったのは事実だった。完全に二人に振り回されているのは間違いなかった。

 けれど不思議なことに、こうやってあらぬ方向に引っ張られていると、それだけで抱えていた悩みが引っ込んでいく気がする。それならこれで、正解なのかもしれない。そんなふうに思考はまとまって、なぜか不思議と落ち着いて。

 なんとなく、その結論に落ち着かされて。バレンタインチョコは、私からトレーナーさんに一人で別口で渡すということになる、のか。

 ……ん? 少し落ち着いた目線で見てみると、なんだかとんでもないことになっている気がする。バレンタインのチョコレートを、私一人で渡すんですよね。えーと、トレーナーさんにですよね。二人がチーム代表なのに、私だけなんか違う枠で渡すんですよね。

 あれ、応援ってそういうことですかトップロードさん。ちょっといくらなんでも、クリスマスプレゼント一つで飛躍しすぎてませんか?

 キングも平然としてるふうだけどそんな突拍子もない作戦変更に乗っかってるって、あたまピンクヘイローじゃないんですか?

 作戦ってのはね、そんな気軽に変えちゃいけないんですよ、ほんとに、もう。

 ええ、どうすればいいんだろ。目の前の二人がかかりすぎてて、どうにも私の方がおかしい気さえしてくる。クリスマスプレゼントはびっくりさせたいから渡しただけだし、そんな他意はないはず。いやもちろん気持ちは込めたつもりだけど、そういうのじゃないでしょう、絶対!

 ぜーったい、違うって!

 

「じゃあ、スカイさん。あとは頑張りなさい」

「スカイちゃん、ここは踏ん張りどころですよ!」

 

 それだけ言い残し、私を置いてチョコレート屋さんに戻っていく二人。

 私にとっての踏ん張りどころなのは確かなんだけど、二人が思ってるような踏ん張りどころじゃないんですよ、これ……。

 思い切って切り出した会話はあらぬ方向へ飛んでいき、そのまま空中分解。それだけ見ればかなり大失敗の結果なんだけど。だけどもやっぱり、私の気持ちは変わっていた。

 もしかしたら私に必要なのは、こういう何気ない会話だったのかも。一人で考えすぎて、答えが出ないことに思い詰めすぎて。結論を急いでいた。だから必要なのは、何気ない回り道。そんなふうに考えればこの大いなる勘違いも意味がある……のかもしれない。多分、そういうことなのだろう。そういうことにしないとやっていけない、だけかも。まあなんとなく気持ちは軽くなったから、間違いじゃなかったのかな、だいぶん変な気持ちにさせられたけど。

 ちなみに私一人に任された私のぶんのチョコレートは、お財布と相談する以外に選ぶ方法がなかった。ルアーと同程度、三千円までなら許容できる。

 それは個人的には高価な価格設定なのに、その時点で選択肢がかなり狭いのが恐ろしいところだ。デパートって怖い。いや、心からそう思います。

 というわけで、すぐ決まりました。それなりには選んだけど、出費の問題自体は仕方ない。それにあんな変な理由づけをさせられると、ますますどういう気持ちで選べばいいのかわからなくなってるじゃないか。……なんて、むしろ明後日に連れて行かれたおかげで見えてくるものもあった、かもね。

 なんて感じで店から出てくると、目ざとく私を見つけて声をかけてくる人が一人。今ならある程度私から罵倒しても許される気がする、キングヘイローというすっとこ少女である。

 

「あら、もう買ったの」

「じろじろ見ないでよ、キングのへんたい」

「人前でそんなこと言わないの、おばか! ……そりゃ気になるわよ、そりゃ」

「あのねキング、言っとくけどそういうんじゃないからね。……何その目は」

「いや、別に」

「信用してない目だ! やっぱりあたまピンクヘイロー!」

「何よそのあだ名は! じゃあなんだっていうのよ!」

 

 うぐっ、そう問われると言葉に詰まりそうになる。何しろトレーナーさんに向ける気持ちはまだ決まりきっていない。いや、キングやトップロードさんの想定している方向では絶対ないのだが、それはそれとして彼女の問いは重要なものなのだろう。

 一応これは曲がりなりにも二人に聞いて、その上で出た結論だ。二人にはわからない、私だけの気持ち。盛大な回り道をして、もう一度スタートに戻ってきた感じ。けれど回り道の分が無駄じゃないから、今度こそ答えにたどり着けるのだろう。

 すーっと、少しだけ深呼吸して。肺に酸素が満ちると、気持ちも晴れていく気がした。いまだに一寸先さえ包むのは、深い、深い霧。されど、道くらいは見えているのだ。足元の一歩目をどこに踏み出せばいいかぐらいは、判別できる。

 

「トレーナーさんは、大人だから。そりゃちょっと不器用なところもあるけど、そこも含めてやっぱり大人。子供の私とは、違うんだよ。だから、そういうのじゃないでしょう。大人と子供の差、キングも身に覚えがあるんじゃないの」

「それなら、そうね。私も大人に、あの人に認められたくて、そのために走っているのでしょうね」

「そ。もしかしたらわたしにとっての大人ってものが、トレーナーさんなのかもね。……わかんないけど」

「なるほど、理解はできたわ。けれどそういうことならやっぱり、私やトップロード先輩の助力は必要なさそうね」

「そうかも、ね。私が見なきゃいけないものは、トレーナーさんに求める理由は、なんだかんだで見つけられたかも。でも今日こんなことまで考えられたのは、多分二人がいたおかげだよ」

 

 これだけ振り回されたけど、そのことは間違いなかった。むしろ、振り回されたからこそだった。今の私に一番必要なのは、回り道だったんだ。

 それがグラスちゃんの言っていた「足りないもの」なのかはわからないけど、確かに満ち足りた感覚はある。今だからこそ、満ち足りた感覚はある。そしてここに至るために、私は一人で抱えたものを忘れる必要があった。虚を抱いて空っぽの自分で悩むより、ちゃんと詰め込んだ頭で考え直すために。いつも通りの自分で、悩みに向き合うために。だから、すっきりするための気分転換が必要だった。

 ほんの一度で、いいから。一度あれば、私たちなら全部塗り替えられるから。

 

「トップロード先輩には、大丈夫そうだって伝えておくわ。……面白そうだから、勘違いはそのままにしておくけど」

「え、じゃあやっぱりチョコレートは一人で渡さなきゃいけないの」

「それはそうでしょう。……私が言えることではないけど、たまには言葉にして伝えてもいいんじゃない。あなたの言う大人に対して、ね」

 

 それだけ言い残して、キングはトップロードさんのところへ歩いていく。私は少し遅れて追いかけながら、キングの言葉を咀嚼していた。

 言葉にして伝える、か。確かにそれなら、クリスマスの時とは違ったものをあなたにあげられるだろう。

 あの時伝えた言葉は、あの時だから伝えられたもの。今日だけは子供でいていいのだと、そんなことを言ってみたっけ。なら、クリスマスのあなたは子供だった。

 なら、バレンタインの日のあなたは大人のはずだ。

 ほんの少し前に頼っていいと言ったぶん、今度は私があなたを頼るのかもしれない。

 そうか、このこともきっと。このこともきっと、私に必要なもの。誰かと互いに支え合う、当たり前のもの。私の不安はおそらくまだ完全には消えていなくて、だからこそ誰かに助けてもらわなければならない。そうやって人と一緒に進むのはこれからの私のことだけど、今まで通りの私でもある。昼行灯を気取ってはいるけど、なんだかんだで誰かとつながりを持ってしまう。それが私だ。一人では生きていけない、やっぱり子供の私だ。

 誰にも迷惑をかけないなんて、そんなの子供には無理なんだ。

 だから私はまだ、子供でいていい。

 みんながいるから、褒められたいって思っていい。

 私はやっぱり、独りじゃないから。

 諦めて、いないから。

 そんななけなしの光明が、確かに空から射してきたように思えた。

 まだ、空は堕ちてこない。

 

 

 

 

 

 

 

 そうしてすぐにやってきた、バレンタイン当日。学校は休みでゆっくり寝れるはずなのに、前日の夜はあまり寝つけずその日は来た。

 我ながら緊張しているのは間違いない。事前の準備も何もなく、さてどんな時間に渡そうかなどと思い巡らせ悩み悩んでいたセイちゃんであったのだが。

 

「スカイさん、今日って空いてますか」

 

 起きがけにかかってきた一通の電話が、そんな私の眠気を吹き飛ばす。聞き慣れた声だけど、その幼さのある声にもどこかに緊張が混じっている気がする。

 私が今抱えるものと似て非なるもの。

 自分では、解決できないもの。

 なら、私にできることは一つだけ。

 

「うん、空いてるよ」

 

 彼女の緊張を、不安を無駄にはしないこと。

 なぜならニシノフラワーにとって、セイウンスカイは頼りになる大人なのだから。

 そして私にとって君は、あるいは頼るべき仲間の一人。

 そうやって、繋がってきた。

 そうに、違いない。

 なら、そうしよう。

 バレンタイン・デイは、お互いに不完全で未完成で、不安や矛盾を抱えていようとも。

 乙女の想いだけは真実であると、そのことは決まっているのだから。




バレンタイン続きます
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