完全版・セイウンスカイは正論男に褒められたい   作:春華ゆが

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セイウンスカイは正論男に・5

 

 

 どれほど爽やかな朝だっただろうか。

 授業のない休日というだけで、別に何かいつもと明確な差があるわけでもないのに、ベッドから上体を起こしてまず思ったのはそんな今までにないような感情だった。昼寝名人の私にとっては、目覚めの感覚なんて普通の人の三倍四倍は体験したようなものだ。

 それでも、今日の目覚めは印象的なものだった。肌身に沁みるように、そう思った。

 もちろんここ数日は、目覚めるたびに何かを考えていたわけだけど。悩みに悩んで眠りにつき、その度に何かを象徴するような夢を見て。起き上がるたびに夢に悶え、また悩んでいた。あなたを想い苦しみと幸せをまぜこぜにする、はじめての恋の悩み。初恋、だった。

 今日の目覚めは、それに比べればなんてことはないのだ。むしろ、なんてことはないのが一番の差異。なんてことのない目覚め、そんなありふれた朝が私にとって新鮮なものだった。

 あれだけ毎晩私を悩ませた、あなたの夢を見なかったから。正確には見ていたのかもしれないけれど、覚えていなかったから。今の私にとってはとっくに夢なんて大事なものじゃないみたいに、ただ安らかに眠って、気持ちよく目覚めたから。

 どこにでもある普通の朝が、ひどく久しぶりだったのだ。

 夢幻が、空に溶けてゆく。

 恋を知ってから、初めての変化だった。

 もしかしたら少し前の私なら、ここで夢を見なかったことに悩んだのかもしれない。あなたへの気持ちが冷めてしまったのじゃないかと、そんなふうにまた夢に惑わされていたのかもしれない。私の恋心なんて数日で薄れてしまうほどなのだと、そんなふうに思い込んだかもしれない。だけど、もう大丈夫。今の私はもう一度成長し、夢は夢に過ぎないと知っている。今の私なら、夢の本当の意味を知っている。夢は確かに過去の積み重ねで、大切な私の気持ちを映す鏡のようなものだけど。夢を夢のままにしていては、絶対に未来には手は届かないのだから。夢をその手に掴むには、未来に羽ばたかねばならないのだから。

 積み重ねた過去の上に、今の私が未来を重ねていくのだから。

 私が見たいのは、独りで浸る幸せな夢じゃない。

 あなたと過ごす、何ものにも変え難い現実なのだから。

 

(……っと、そろそろ起きるかな)

 

 ぐいっとベッドから立ち上がり、別に休日の朝から部屋を出る予定もないのにパジャマを脱いで制服を着て。服装を整えれば、少し気持ちも目覚めるもの。

 今の私に必要なのは、こうして少しずつ未来について考える時間を作ること。眠っていた間の過去に浸る時間は、もう必要ないのだから。

 今を見よう。今日からを見よう。

 未来に繋がる大作戦、あなたのハートを射止めるために。

 そしてその先にある、特別同士の日常のために。

 そんな大望に向けて、一歩一歩と踏み出すこと。あなたと私でこれからやりたいこと全部を考えるのが、紛れもなく今の私が張り巡らせるべき大謀なのだから。

 さて、それにしてもどうしよう。踏み込むべきなのはわかるのだが、踏み込むための行為がなんなのか、その判断がそもそも難しいものがある。

 悩み、悩み。私じゃどうにもわからないなあ、などと苦笑しながら。

 初めてのことだから当然だと思うけど、それでも臆せず模索しているのだから、むしろそれは褒めてほしいくらいだ、なんてね。

 というわけで、一度読んだきりのティーン誌をもう一度引っ張り出す。異性との距離を縮める方法、みたいなのが載ってないかどうか。

 結論から言えば、二つくらいは手がかりはあった。言うは易し、行うは難しだと思うけど。

 まあ、まず一つ目。「グッとくる仕草」。そういえばいつぞや誰かの恋バナを盗み聞きした時も、恋をする時どういうところが好きになる、みたいな話をしていた気がする。それは私がトレーナーさんを、だけじゃないってことだった。つまり私に魅力を感じてもらう。特別だと、思ってもらう。そう思ってもらえるようなアピールを、する。……うう。

 早速頭を抱える。私にそんな、女の子らしい魅力があるだろうか。いやーそりゃファンの皆様方にはおかげ様でよくしていただいてますけど、トレーナーさんはそういうのとはちょっと距離感が違う。身近な人だからいいところもいっぱい知っている、といえば聞こえはいいかもしれないけど。逆に距離感の近さが、異性としての魅力を感じさせないことだってあるはずだ。それこそ、今までの私があなたを何とも思ってなかったように。

 その話になるとそもそも私、トレーナーさんの何がそんなに好きなんだろう。今更気づいて、いつからかわからない。考えるのも恥ずかしいけど、少しは並べてみなくちゃ始まらない。あなたにも、私の好きなところを見つけてもらわなきゃいけないんだから。

 さて、なんだろう。優しいところ、励ましてくれるところ、時々意外と子供っぽくて可愛らしいところ。顔を真っ赤にしながら頭のうちに理由らしきものを浮かべてみるけれど、これだ! と言えるほどはっきりはしていない気がする。あそこで聞いた恋バナとは真逆だ。曖昧模糊なくせに、あなた以外は考えられないくらいになっている。

 でも、そんなものなのかもしれない。今の私なら、私の曖昧さを前向きに捉えられた。今まで散々知ってきた、あなたのこと。あなたの魅力なんてずーっとわかっていて、ちょっと見え方が変わっただけ。世界をひっくり返して、中心にあなたを置いただけ。

 だから、恋をした。

 新しいことなんてなくても、私が変わることで恋をした。

 ……あなたにとっても、それでいいのかもしれない。

 あなたもきっと、私のことをよく知っている。今まで真摯にひたむきに、時に頑固に投げかけてくれたさまざまの言葉は、私のことを素敵に思ってくれている証拠。あなたも既に、私に魅力を感じてくれている。自分からは自惚れみたいでなかなか思えないことだけど、あなたの今までの態度は嘘じゃないってわかるから。

 なら、やるべきことは簡単なのかな。着替えてから数十分、朝と呼べる時間全部を思考に使って、作戦の第一段階は確定した。

 あなたはもう、私のことくらいよく知っているのだと。だけども多分トレーナーと担当ウマ娘とか、そういう関係としての信頼なのだろうのだと。そうなれば必要なのは、あなたの目を少し変えさせることなのだと。あなたからの私の見え方を、ちょっと上向きの気分にするんだ。

 私らしさを存分に伝えて、それと同時に今までと違う私を教えて。大人と子供という今までのつながりを、対等なものへと成長させる。

 あなたが見る世界の色を、ほんの少しだけ私で染める。そうすれば、いい。

 ひょっとしたら頑張って女子力アピールをするよりも、何倍も大変かもしれないけれど。

 あなたのことが、好きだから。

 あなたを惚れさせるための方法が特別なことくらい、むしろとっても嬉しいんだ。

 穏やかな休日、晴れやかな窓の外の日差し。

 部屋の中での思考なんて閉じているはずなのに、それでも開けた世界と繋がっている。

 そんな、一日の始まりだった。

 

 

 

 

 

 

 もしゃもしゃ、もしゃもしゃ。寮には寮長のヒシアマゾンさんが作り置きしてくれてるご飯があるので、休日も寮に篭りたい面倒くさがりは結構それをいただくことが多い。いや確かにいつもは面倒くさがりだけど、今日は違いますったら。考えるべきことがあるから、食事を用意したり食べに行く時間も惜しいんですよ。本当、それくらい大事な悩みなんですよ。

 というわけで、ありがたくおにぎりを五個ほどいただいた。……そういや私、料理の面でも女子力ないなあ。いつかのクリスマスの時に向いてるよ、ってフラワーと<デネブ>のトレーナーさんに言われたけど、本当かなあ?

 でももし、もし私に料理が作れたら、トレーナーさんにも……いやいや、流石に気が早すぎるだろう、私。その時は、その時。取らぬ狸の皮算用なんて碌なことがないというか、あとの楽しみに取っておくべきというか。あとの楽しみって、食べれるものを作れるまでどれだけかかるかもわかんないけど、そもそも食べさせられるような関係になれるかの話なんだけど。

 それでも確かに大好きだって言えたなら、そこから先はずっと永遠にしたい。別れることを考えるなんて、それこそ気が早すぎるもんね。

 ならほどほどに未来を夢見て、恋の成就だけを考えようか。

 うん、そんな感じ。何より今は、目の前の考え事だ。離れたくないくらい惚れさせれば、あとの心配なんて無用なんだから。だから、今だけでいいじゃないか。

 これまた悩ましくて、けれど楽しい。私とあなたのための、作戦だ。

 ティーン誌に書いてあった、二つ目。気になるあの人との距離を縮める方法として、さも当然のように書いてあったもの。

 言われてみれば、なんだけど。実は、やったことがあったんだけど。

 二人きりで、お出かけする。異性とのそれは、一般的にはデートと呼ぶ。恋人同士の関係に発展させるには、もっとも王道かつ強力な手段。まあ二つ目に書いてあったのは、聞くまでもないかもしれないような、そういうことだった。

 だけど、だった。恋人に発展するにはデートが最良だというふうに言われるとまったくもってそのとおりなのだろうことは疑いようもないのだが、なにせここには一つ問題がある。

 これまた私とトレーナーさんとの間だからこその、独特の問題。

 二人きりでお出かけなんて、既に何度かやっているということだ。釣り仲間として。トレーナーと担当ウマ娘として。ここに書かれたものとは全く違う文脈で、お出かけというものは既にこなしてしまっているということだった。

 つまり、私たちがただ一緒に出かけるだけではデートにはなってくれないのだ。そのことはこれまでの経験が実証することであり、これまでの経験があるからこそそう意識してくれないという意味である。たとえば二人でまた釣りに行ったって、どきどきするのはこっちだけだ。

 それだけでも確かに幸せだけど、今の私は恋がしたいんじゃない。

 あなたも私を特別にしてくれる、恋人になりたいんだから。

 さて、そうなると。腹に溜まったエネルギーを早速使って脳みそをフル回転させる。ほんと、ターフを支配するだけの力を持った崇高な私のアタマをあなたのためだけに使うのだから、ちゃんと責任は取ってほしいよね、なんて。まあでもこういう思考の経験はやっぱりまるでないので、唸っては唸ってはという感じだったが。

 けれど少し前より目指す方角が開けていた分、私の悩みは前より一段先に進んでいた気がした。夢を現実にする決意を固めたから、進めていた気がした。

 恋の悩みの先、恋の成就を願う段階に。

 私は、一歩進んでいた。

 ……うん、うん。ちょっと考えてみたけれど、これは先ほどの一つ目と繋がっているのかも。あなたの私に対する見え方の問題。それさえ変えれば、世界が変わる。あなたの世界を変えれば、あなたの私に対する賞賛も期待も、お出かけの意味だって。そう、きっとそうなのだ。

 ならばやっぱり、お出かけには意味がある。

 ほんの少しの変化で、あなたをひっくり返せばいい。

 変えるんだ。

 いつもと違う私を、見せてやることで。

 いつもの私を存分に見せつけた上で、更に変化したと示してやることで。

 大人の私に、気づかせることで。

 そんな変化を見出すために必要なのは、きっと大々的過ぎないイベントなのだと思った。

 だって当たり前に、私はいつもの私だから。

 いつもの私が、成長と変化を積み重ねたのが今の私だから。

 ならばほんのちょっとだけ、けれど明確に変わったところを見せることこそが重要。私を見せる、私を魅せることこそが重要。

 だから、私に必要なのは。

 私とあなた、その先に必要なのは、きっと。

 ほんの少しだけ、特別な時間を二人で一緒に過ごすこと。

 ほんの少しだけ、恋人に近しくすること。

 それだけでいい。それだけが、一番あなたに私を見せられる。

 いつものあなたが見ている私、そしてそこから少し変わった私。

 あなたに恋する、私を。

 「私」を間近で感じさせること。何をしていても二人なら幸せだと、意識させること。いつだってずっと、私というファインダー越しに世界を見てもらうこと。

 そうやってあなたの世界に尽くすのが、私にできる精一杯のことだ。

 不器用な私と、不器用なあなた、その二人を結びつけるためにできる、最高の作戦だ。

 どんなに迂遠でも、奇妙でも、私とあなたには、きっとこれしかないのだと。

 そう、確信した。

 

「はぁ〜……」

 

 とりあえず思考をまとめてみると、自然と口からため息が漏れた。達成感に満ちた、それなりに感極まった感じのため息。いや、まだ具体的なことは一切決まっていないのだけど。それでも方針が決まれば、あとはなんとでもなるし。まだ昼間だしずっと部屋で座ってるだけなのに、結構疲れちゃったし。

 ……昼寝でもするか。そういや私、昼寝好きだったし、なんてね。ここ最近寝るたびにどきどきさせられてたけど、寝相についても元に戻せたということだろう。眠りはいつでも心を休めてくれると、そんな私の矜持のようなものを思い出した。焦る必要はない、時間が解決することもある。人事を尽くして天命を待つ、まさに今はそういう時なのだ。

 ぽふり、とベッドに身体を落とす。制服姿のままでも自然と微睡めるので、つくづく私は都合のいい身体をしているなと思った。こうしてゆっくり気ままに昼寝をするのなんて、割と久しぶりな気はするけれど。でも、いつもの私だ。たっぷりの恋を抱えたまま、私は私を見つけ直した。これもきっと必要なこと。

 だってあなたに好かれたい私は、ありのままの私なんだから。

 意識は溶ける。視界は天井から暗転する。残った問題はあるけれど、このあとのことは、この後の私が考えてくれる。未来の方が進んでいるのは、当たり前のことなのだから。

 ゆったりと、眠れた。

 思考を闇に溶かすだけの、本当の眠りだった。

 そして、安らかに起きられた。

 そこにある夕暮れからの寮の生活も、いつもの日常と呼べる休日だった。そうやって残りの休日を過ごせばすんなりと、あっさりと結論は出た。夜寝る前に結論が出せたので、次の日曜日はすぐに行動に移せた。逸る気持ちを抱えながら、やるべきことを終えたあとの日曜日の残りはやっぱり昼寝をしたりして。すべては決まった。後は時間が経つのを待つだけ。そんな狭間の時間も焦らず、いつも通りに過ごそう。

 大丈夫。日常を生きることほどに、未来に近づくものはないのだから。

 そうして、次の日の朝が来た。

 予想通り、なんてことのない朝だった。

 けれど、青空はキレイだった。

 それだけで、私を最後に後押しするのには十分だった。

 

 

 

 

 

 

 まあ、それだけ決意を固めといて、なんだけど。いざタイミングを図るとなると、ずっとどきどきしてしまっていた。朝イチでチーム部屋に行こうかと思ってやっぱりやめて、そのせいで授業中は(いつも通りといえばいつも通りだけど)集中できなくて。

 そして昼食を食べる段になってわかったのは、ちょっと前、1,200mのタイムが良かったことがキングにとって相当なやる気の源になっているということ。つまり今日はいの一番にトレーニングに向かう気満々なのが見て取れたので、その時点でトレーニング前の時間を使うという選択肢も潰れてしまった。若干心の中でキングに恨み節を吐いたのは許してほしい。

 というわけで、これもいつも通りのスパルタトレーニングも最後までしっかりこなしてしまって。何度かトレーナーさんに声をかけられるたびに耳とか尻尾まで反応してしまうのだけど、いやいやそんな調子じゃこの後のイベントをこなせないだろう、と何度も思い直して。

 トレーニングの終わりが近づくたびに期待と緊張が高まって、体力の消耗と共にひたすらしんどいなあと考えるばかりだった。

 だけどやっぱり、時間は過ぎてゆくものだ。これだけ遠回りになっても、私の目的が遂げられないことはあり得ない。長い長い時間を超えてでも、けれど最後にはその時は来た。

 ちゃんと、やって来てくれた。

 

「よし、今日はここまで! みんなお疲れ様!」

 

 トレーニングも終わり、いつも通りトレーナーさんが解散の挨拶をする。それだけ告げて、チーム部屋に一人帰っていく。トレーニングの終わり、一人の時間のために。

 ……うん、他に追いかける子はいないか。これ以上何かしらを待つのも嫌だし、このタイミングでちょうどいい。やっぱり緊張はするけれど、それでもあなたに伝えたい。

 私の作戦。

 考えて考え抜いた最高をいよいよ実行に移す、最初の段階だ。

 

「お疲れ様です、トレーナーさん。入ってもいいですか」

 

 こんこん、と一応古びたドアをノックして、さも何事もないかのように、中にいるであろう人に返事を求めてみる。私の、トレーナーさんに。心臓ははち切れそうなくらいだけど、トリックスターはポーカーフェイスが命だから。今手にしているものを買うのにどれだけ決意を込めたかなんて、まだあなたには教えてあげないのだ。

 

「おお、お疲れ様。入っていいぞ」

「では、失礼します。いやなに、一つご相談がありまして」

「そうか、なんだ?」

「いやまあ、大したことじゃないんですけどね」

 

 嘘。いのち全部を賭けてるくらいの気持ち。

 やっぱりここに来て手は震える。

 持ったものを握りしめてしまいそうになる。

 それくらいの気持ちだけど、大きな大きな気持ちを伝えるための行動ではあるけれど。

 作戦は順番に、丁寧に。

 必ずあなたを仕留めるために、仕掛けの時から失敗なんてできないのだ。

 そうしてさっと、さも何事もないかのように後ろ手に持ったものを前に出す。間に挟んだ沈黙は、気取られないくらい少なかったはず。

 ここは、受け入れてもらわないといけない。

 ここはまず、いつもの私で誘い込まないといけない。

 そんな思いで何気なく取り出した、二枚の細長い紙。トレーナーさんがそれを覗き込む。それに合わせて、説明してやる。

 駆け引きの始まり、それを告げる私の声だった。

 

「映画のチケットですよ、映画のチケット。流行りの映画らしいです。知ってます? 『ホワイトエンディング』」

 

 映画のチケット。二枚組。私が出した結論は、いつか宣伝を見かけた映画を二人で観に行きたいということだった。

 確か、恋愛を扱ったアニメ映画。恋人同士でいかがですか、そういったふうにも説明されていた映画。その時は確か、少し冷ややかに宣伝文句を聞いていた。

 だけど今になって思い返して、そんな恋愛映画というものへの少し捉え方を変えられていたから。フィクションのような結ばれる恋愛も、それを二人で観に行くなんてありきたりなデートも、今なら手が届く現実に思えたから。

 恋の成就は、もう夢じゃない。

 だから、これが私の作戦。

 私があなたを誘う、デートだ。

 

 私の行為に対して少し驚いた様子で、トレーナーさんは返すべき言葉に悩んでるみたいだった。ふーん、トレーナーさんでもこの意味くらいはわかるんだ。

 二人分のチケットを、男女の間で見せた意味。

 

「まさか、俺に」

「はい。いけませんか?」

「なんで、俺に」

「そりゃあ、息抜きですよ」

「それなら釣りとかでいいんじゃないか」

 

 まあ、今の言葉は正論かも。でもあなたの正論をかわすのは、とっくのとうに慣れっこなんだ。理屈の捏ねあいなら負けませんよ、この正論男。

 

「たまには違うことをしたっていいでしょ、お互い。それともなんですか、私が映画なんて文化的なものを観たがるのがそんなにおかしいですか」

「いや、それはおかしくないが」

「じゃあ文句つけないでくださいよ」

「それでも、なんで俺に」

 

 よし、ここまで誘導完了。「なんで俺に」は想定内だ。そこでちょっとだけ、仕掛けに誘い込む。安全圏で竿を垂らしているだけでは、釣れるものも釣れないからね。

 だから、踏み込む。

 あなたに向かって、心の距離を。

 

「そりゃあ、一人で観るより二人で観た方が楽しいでしょう。楽しくないですか、感想言い合うの。一人は寂しいセイちゃんだからわざわざ誘ったのに、トレーナーさんは私とじゃ嫌ですかー?」

「他にも君には仲のいい子がいるだろう。なんで、わざわざ」

「それがですね、わざわざじゃないんですよ。トレーナーさんだから、なんです」

 

 そう言って、一枚。手渡すというか、押し付けるように。

 ここまで攻めた発言をして、更にもう一押しをしてやる。全くその気がないだろう奴には、そうしてやっと第一段階なのだろう。

 さあ、深呼吸は心の中だけで。

 動きを外に出してしまったら、難しい獲物は逃げちゃうんだから。

 あなたみたいな小難しい生き物には、欲を出しちゃいけない。

 ……でも、奥底では望むんだ。あなたに、あなたに。

 あなたに、私は。

 

「この日、男女ならカップル割が効くんですよ」

 

 ねえ、こっちを見てよ。

 今までも見てくれてたと思うけど、もっと。 

 もっと特別な眼差しで、雲色の私に色をつけて。

 あなたの世界の上半分を、青空みたいに私で覆わせてよ。

 ……と、流石に狼狽えた様子だった。カップル割、なんて聞いてしまったら。

 まあ、それくらいは想定内。というか狼狽えられなかったら、きっと一生一度もそういう意識を向けてもらえない。少し大胆なやり方だけど、多分これで一瞬意識した。多分大人のトレーナーさんはすぐに振り払うんだろうけど、一瞬。

 一瞬で、十分だ。針が通せるだけの隙を見せてもらえたなら、私にとっては十分な穴だ。

 トリックスターは嗤うだけ。自分にしか見えない、あなたの隙を。

 無事、チケットは受け取った。それでもやっぱり、私の告げたものへの返答には時間がかかるみたい。そのくらいあなたを私のことで悩ませられているのは嬉しいかもしれないけれど、ほんの少しだけ不安だ。

 でもそんな不安だって、当たり前と言えば当たり前。

 全部を込めた作戦なのだから、願い事が通るか不安なのは当たり前。

 ちらり、ちらり。チケットを見つめたまま悩むあなたの少し長いまつ毛を、それがぱちぱちと何度も見開かれるのを見て。何度見てもあなたのすべてが愛おしい、そんなふうにこの時間すら幸せで。けれど、やはり時間は進むのだ。幸せが終わるという意味ではなく、更なる幸せがあるという意味で。トレーナーさんは顔を上げて、こちらを見つめて口を開く。

 やっぱり見つめ合えるのが、一番一番幸せだ。

 

「……よし、なら行こう。せっかくスカイが誘ってくれたわけだしな」

「やった、ありがとうございます。チケット代は払わなくていいんで、ご飯奢ってくださいよ」

「チケット代はいいのか」

「そりゃ付き合わせてる方ですし。その代わり、ご飯は絶対ですよ」

「……わかった。その、楽しみにしている」

「はい。私も、とーっても楽しみにしてますね」

 

 楽しみにしている、かあ。ついでにご飯の約束まで取り付けられたところまで順調なのは置いといて、楽しみ、かあ。

 この人おべっか下手くそだから、きっと本気で言ってくれてるんだろうなあ。

 ……ああ、よかった。勇気を出して、よかった。

 本当に、手が届く気がする。

 夢よりずっと幸せな、現実で。

 一歩、確かに踏み出した。

 

「じゃ、それだけなんで。当日、映画館のビルの前で集合ですよー」

「ああ、お疲れ様。誘ってくれてありがとう、スカイ」

「……はあ、本当に」

「えっと、どうかしたか」

「なんでもないでーす。では」

 

 少し乱雑に、ばたんと音を立てて部屋を出た。

 まったく、本当、本当に。

 楽しみ、とか。

 ありがとう、とか。

 随分素直になっちゃって、それくらいの言葉がどれだけこっちの胸をいっぱいにするかなんて知らないで。

 本当に、どうしてこんな人に惚れちゃったかなあ。

 まあ、でも。夜空を見上げながらゆっくりと更衣室への道を行くうちに、別の気持ちが湧いて来た。あなたに振り回されっぱなしは嫌だって、そんな気持ちが。

 策に嵌めてるのは私の方だ。びっくりさせるのは私の方だ。

 私が、あなたを変えさせるんだ。

 楽しみ? 

 なら、もっともっと想像よりもっと楽しくさせてやる。

 私とあなたの二人でいることが、どんなに幸せかって思わせてやる。

 予想を超えて、今までにない気持ちを持たせてやる。

 覚悟、してなよ。

 ありがとう? 

 それならそのフレーズも、もっとたくさん引き出させてやる。

 最高の感謝、今までで一番の感謝を引き出させてやる。

 そういう日にしてやる。

 いいか、いいかトレーナーさん。

 デートの日、あなたが最後にいうありがとうは。

 最後の、最高の感謝は。

 私が「好きです」って言った後、それを受け取る返事に決まっているんだ。

 そんな「ありがとう」が、私が一番聞きたいものなんだ。

 あなたに言わせたい、恋人の成立する瞬間なんだ。

 本当に、覚悟してなよ。

 今のあなたは、全然私が思うようなことは思ってないだろうけど。

 その日は、互いの世界を変える日。

 日常にかけがえのない特別が生まれて、それが永遠だと確定する日。

 はじまりのチケットは、もう二人の手に握られている。

 確かに渡して、受け取った。

 もう、後戻りなんてさせない。

 運命の結実はゆっくりと、されど確実に近づいている。

 どんなに長い時間でも、遥かな道のりでも。

 未来は、その先にあるのだから。

 

 

 

 

 

 

 まさか、と思うような出来事は、意外とありふれているものである。それは自分自身の行動でも例外はない。ちょっと前は予想どころか可能性の一端も感じていなかったようなことでも、その時になったらやらなきゃいけないというふうに思うもの。

 まあなにしろ私の場合は特に気まぐれ気の向くままにだし、そういった気持ちの変化は大して驚くことでもないといえばそうなんだけど。それでも、まさか。まさかまた、ほんの数ヶ月でここに再び来ることになるとは思わなかった。

 そんな私が今いるのは、トレセン学園近くのデパートの前。バレンタインのチョコレートをトップロードさんとキングと私で買いに行ったのと同じところ。

 しかもあの時は自分一人じゃ絶対縁なんてないなあ、と思っていたのに、今日は一人でここへ来ている。練習のない貴重な放課後、いつもならのんびり過ごしているような時間に。

 ……いや、一人じゃなきゃダメなのだ。流石に今回の買い物は、誰にも秘密じゃなきゃいけない。とはいえやっぱり、まさか私が一人でこんなところへ来るなんて。そう何度も思ってしまうのもまあ仕方のないことではあるけど、それでも気後れはしていなかった。なぜならこうすることも、変化と成長。そして私が望むのは、それを積み重ねた頂点にあるもの。だから一寸先が何も見えない闇だとしても、一歩踏み出せばそこから光は溢れてくるものなのだ。

 さあ、行こう。大きな大きな自動ドアをくぐり、私は私のために未知の世界を見遣る。とはいっても、目的くらいは決まっている。ここが360度全面に広がる大海原だとしても、羅針盤くらいはあるということだ。

 指し示すのは壮大でもなんでもない方針だけど、私にとってこれ以上大切なものはない。

 やっぱり、あなたのためなのだから。

 あなたと過ごす二人きりの時間、デートのための下準備なのだから。

 デートに着ていく、服を買うこと。

 シンプルだけどそれなりに重大な、それが今日の私の目的だ。

 さあ、作戦を進めよう。

 煌びやかなモールの内側へ、揺るがない決意と共に進んでゆく。

 世界は、きちんと私を出迎えてくれていた。

 

「さて、どうしようかなぁ〜……」

 

 というわけで、デパート全体のマップを見る。前チョコレート屋がたくさんあったように、服屋もたくさん、そりゃもうたくさんあった。チョコの時はキングにかなり頼ったことを考えると、私一人じゃ下手すりゃここで挫折しかねない。

 いや、そんなわけにはいかないんだけど。頑張るぞ、私。

 そういえば、チョコレートを買う時はなんだか色々含めた一悶着があった気がする。店の一覧をとりあえず眺めたり紙のガイドに書かれた説明を読んだりしながら、今の気持ちに連動して思い起こすことだった。

 私がトレーナーさんにクリスマスプレゼントを渡した、なんて言ったら、トップロードさんとキングがにわかに色めきだって。

 そういう気持ちの、プレゼントだって。

 あの時は勘違いだって若干必死に否定したし、事実「あの時は」その通り、だったんだけど。

 ……本当、まさかなんてことはありふれているものだ。

 でも、こうも思った。あの時のクリスマスもバレンタインも、その時点なりにあなたのことを想って渡したことには変わらない。

 恋心は存在しなかったわけじゃなくて、芽生えていなかっただけ。今の気持ちに確かに連なるものはあの頃から、いやもっとずっと、ずーっと抱えていたのだろう。

 そこから変化した、それだけのこと。

 恋は、今までとは違うものではあるけれど。

 今までを壊す振って沸いたようなものということも、やっぱりあり得ないのだ。

 空はいくら色合いを変えるとしても、決して墜ちてはこないのだと。

 ……なんて、そんな感慨はともかく。

 ほんと、どんな服を買えばいいのやら。いっぱい買って全部着るなんてことができたらいいのだが、あいにくそこまで金持ちじゃないし。そもそも、今度のデートの一回で着れる服は一着だけだし。店もたくさんあれば、それぞれの中に売ってる服もたくさんある。それを思うと目が回ってしまいそうだ。ちゃんとした女の子なら苦もなく選べるものなのだろうか?

 うーん、悩ましすぎる。

 とはいえ流石に私も下調べくらいはしているし、流石に服に種類があることくらいは知っている。いや、流石に。

 ボーイッシュなパンツスタイルとか、ティーン誌に載っていたようなガーリーなやつとか。

 要はその中から、どれを選択するかということ。

 ……前トップロードさんとコンビニ前で鉢合わせた時は、私ならどんな服でも似合うなんて言ってくれていたけど。トップロードさんのその言葉は真っ直ぐで、お世辞のつもりなんかじゃないんだろうけど。それでもやっぱり、似合わなかったら怖いのは事実でもあり。

 ただ似合うだけじゃなくてあなたの気持ちを捉えられなきゃ、まったくもって意味はないのも事実ではあり。

 なんといっても練習なんかなくて、ぶっつけ本番なんだから。

 その一回であなたの心を揺らせなきゃ、何の意味もないんだから。

 でも、それなら。

 そんなつもりもないだろうあなたをどきどきさせる、そのためなら。

 そうやって大目的を再認識すると、選択肢は次第に絞られてくる。いくら悩んでも、やっぱり時間と思考さえあれば解決は近づく。

 うん、いつも通りの私だ。

 いつも着ているような服は、ナシだ。

 緩いやつ、動きやすいやつ、いつも好んでいるようなそんなのは、ナシ。

 それじゃあ、あなたの受ける印象はいつも通り。

 それじゃあ、届かない。

 かといって女の子女の子した、ガーリーなやつも、ナシ。

 それは可愛らしいという意味であなたの印象を変えられるかもしれないけれど、それじゃあ私は「女の子」。子供のままでいるなんて、その程度の意外性じゃトリックスターの異名が廃る。

 もっともっと、あなたを惑わせなきゃ。

 今の私を最高に見てもらえる服を、選ばなきゃ。

 予想を超えて、だけどしっかり私を見せる。今までの私も変わった私も見せられる、そんな。

 なんだ、案外やりたいことを言語化すれば簡単だ。これしかないのかは若輩者の私にはわからないけれど、私なりの正解を見つけた気がする。ジャンルは決まれど実際どんな服を着れば、なんてのは後から決めればいいだろう。

 店に行って、その目で見てみて。あんまり考えてばっかりでも始まらないし、ちょっと決めてみたら早く服を見てみてたまらなくなったし。

 こういう時は、心に正直に。

 どんなに重大な一歩でも気楽に捉えてやるのが、私らしい生き方ってものだ。

 そう、最後まで。

 デートの終わりの運命の時まで、とびきり楽しく行こうじゃないか。

 こつ、こつ。

 向かう店さえ決めてしまえば、足取りは軽かった。

 いつかみたいに、白く大きな翼が生えたかのようだった。

 たとえ今は一人で進んでいるとしても、背中を押す翼を与えてくれるのはみんなの後押しだから。ならばきっと、ここからも。今の私はここまでのすべてのみんなと、そしてこれからのすべてのあなたと共にあるんだ。

 大人の私の、初めての一歩は。

 独りじゃ、ない。

 

 

 

 

 

 

 まさか、と思うような出来事は、意外とありふれているものである。こんな短いスパンでそんな言葉を復唱すること自体も、多分。

 ……いや、でもさあ。偶然に理由を求めるのは意味のないことだし、まあ何があってもなんとかなるさ、の精神で今まで生きてきたわけだけどさあ。

 

「……えっと、スカイさん?」

 

 店に入るなり、私にかけられた聞き馴染みのある可愛らしい声。声のする方を見ればやっぱり、見覚えのある黒鹿毛のショートカット。これまた見覚えのあるクリアパープルの瞳孔も、他にも見覚えしかない顔立ちと立ち姿。

 彼女と目を合わせるために少し視線を落とすのも、それも何度も経験のある感覚で。

 

「ああ、こんにちは。……こんにちは、フラワー」

「こんにちはスカイさん、こんなところで会えるなんてびっくりですね」

 

 誰にも秘密にしたまま服を買いたいな、なんて私の願望は、あえなくここで断たれたのである。よりにもよって、身内でもとびきり察しのいい女の子、チーム<デネブ>のリーダー、ニシノフラワーに見つかって。

 まったく、なんでこんな時に鉢合わせるかなあ。嬉しくないわけじゃないけど、流石に今日はちょっと困っちゃう。フラワーには非常に申し訳ないけど、君を困る原因にしちゃう。

 

「……フラワーは、なんでここに?」

 

 とりあえず、私の口から素直な問いが出る。いや、服屋にいるのだから服を買いに来たのだろうけど。とはいえそれだけではあんまり説明がつかないといえばつかないのだ。フラワーが、この店にいる理由としては。

 

 

 だって、このお店はフェミニン系。いわゆる大人の女の人、そんなファッションを取り扱う服屋さん。別にフラワーが大人びているところやしっかりしているところがあるのは重々承知だが、多分そもそもサイズがちょっとばかり合わないはず。

 だから、なんで。そう問うた。当然の疑問だった。

 そして、返答は至極真っ当なものだった。だけど真っ当じゃないというか意外なことがあるとすれば、答えたのは、フラワーじゃなくて。

 

「私の服を買いに来たのよ。フラワーの息抜きがてら、ね」

「なるほど、腑に落ちました」

 

 いつものスーツ姿ではないけれど、やっぱり見知った顔。薄いブラウンの長髪を讃えた、まあここで服を買うのも極めて納得の女の人。その顔を見るなりこの人がフラワーをここに連れてきた元凶か、などと思ってしまった。結局どこまでも偶然で、責めることなんてできないんだけど。チーム<デネブ>のトレーナーさん。フラワーと二人がかりで、私の秘密の買い物を暴き立てる人だった。

 

「あっトレーナーさん、どうですか? いい服ありました?」

「そうね、大体見繕えたかしら。まあそんなことより、気になることができたけれど」

「そうですね、同感です」

 

 そう二人で即座に意気投合し、四つの目玉が私の方に向けられた。まさに阿吽の呼吸、流石トレーナーとそのチームのリーダー。いやー、でもそれをここで発揮しないで欲しかった。

 

「スカイさんは、どうしてここに来たんですか?」

 

 ほら、やっぱり聞いてきた。服屋に来る理由なんてわかりきっているのに、時々フラワーは意地が悪い。渋々答える。

 尋問じゃんか、こんなの……。

 

「そりゃまあ、服を買いに。セイちゃんだって女の子だから、そりゃ服だって買いますよ、そりゃ」

「あら、あなたが買うには珍しいタイプの服じゃないかしら」

 

 うわあ、わかってはいたけど、覚悟はしてたけどそのことを指摘されるかあ。<デネブ>のトレーナーさんの追撃が、一切の容赦なく私を襲う。

 まあそりゃそうだ、こんなお店の服は私が買うには珍しいタイプ。そんなのは私が一番よーくわかっている。クローゼットにあるのは若干子供っぽいくらいの服ばっかりだし、この場所にあるものとは真逆だ。

 大人の女性のため、なんて服は。

 けれど、今の私にはちゃんとした理由がある。私の熟慮の結果が、大人の女性のための店、という選択を取らせたのだ。

 まさか知り合いと鉢合わせるとは、まったくもって思わなかったが。

 

「イメチェンってやつですよ、いけませんかー?」

「なるほど、イメージチェンジねえ。じゃあ、イメージチェンジをしたいと思った理由は」

 

 <デネブ>のトレーナーさんって、こんなに人のプライベートに踏み込んでくる人だったのか。そりゃ聞いてもいいくらい、それなり以上の付き合いではあるけどさ。だとしても流石にこれを言うわけにはいかない。だけど誤魔化しも効きそうにない。

 ええい、なら強行突破だ。

 

「ノーコメントで。一切の質問は受け付けません。はい、諦めてください」

 

 強行突破、あるいは完全な逃げとも言えるけど。そう言ってのけたら、フラワーと<デネブ>のトレーナーさんは顔を見合わせて。

 ……あっ、今笑った。二人でふふって笑った。ひどい。ひどすぎる。

 二人がかりで私をからかってるんだ。もしかして、いつも私が人をおちょくってる罰なのか? だとしたら甘んじて受け入れるしかないのだろうか。うう、それでも絶対言わないからね。

 何かを察されたとしても、自分からバラすのとは大違いなんだから。

 この気持ちは私だけのもの、そこだけは絶対に守らせてもらうからね!

 

「じゃあ、ちゃんと一人で選ばせてあげましょうか、フラワー」

「はい、そうですね。じっくり選んでくださいね、スカイさん」

 

 そう言って、なんかさっきよりちょっとにこにこしながら。<デネブ>のトレーナーさんとフラワーは、店の中に散らばっていった。私の完敗である。まあでも、これも応援の形の一つではあるのだろう。だからうん、不貞腐れずに受け取って。ちゃんと、君たちのことも力にして。

 やっぱり、独りじゃない。

 そのことをしっかり認識してから、私も店の奥へと入っていく。

 これもある種の「勝負服」、ただ一つのそれを選び取るために。

 

「うーん……」

 

 さて、やはりいろんな服があった。フェミニン系、と一口に括れるだけの共通点はあるのだけど。どちらかといえばシンプルな装飾と、淡い色合い。それでいて、少し女性的なボディラインをさりげなく浮き立たせる。まさしく、大人の女性の魅力を引き立たせるものだ。

 そういう服が、様々に並んでいた。どれもきっと魅力的なのだろう、そう思った。

 けれど、なんとなくピンとこない感覚があった。

 理由は簡単で、やっぱりここにあるような服を自分で着たことがないから。そしてなにより、そんな目線で服を選んだことがないから。

 私の女性らしさ、なんて。大人の女性の魅力ってものが私にちゃんとあるのか、なんて思ってしまう気持ちもある。

 それを引き出せる素敵な服を、間違いなく選び取れるのか、そんな不安も。

 ざわざわ、ざわざわ。心は騒ぎ、静かな店内に雑音が増える。並んでいる服はどれもこれも魅力的に見えてしまって、かえって一つに決める勇気が出ない。

 情報量の多さに混乱するというか、圧倒されているというか。店を二周三周して、それでも答えは出なかった。初めてのことだから当然ではあるけれど、服を選ぶというのはこんなにも大変なことなのか。そう思って、軽くため息を吐く。でも妥協は絶対したくないし、もう一回見て回ろうか。この店で買いたい理由は、しっかり持っているのだから。

 そうして、また最初から。店の端までまた戻った、そんな時だった。

 とんとん、と後ろから肩を叩かれる。

 小さな手を、私に差し伸べる人がいた。

 誰なのかは、振り向く前からわかっていた。

 君はいつでも、私の頼りになる人だから。

 

「迷ってますか、スカイさん」

「そうだねえ、その通り。なんかどの服も素敵に見えちゃってさ、逆に決めれないっていうか」

 

 そう素直に告げると、ニシノフラワーは口元に手を持っていってくすりと笑う。

 嬉しそうに、笑っていた。

 それでいいのだと、私を肯定する笑みだった。

 

「それはきっと、楽しいんですよ。服を見て、ワクワクして。これを着たら、自分はどうなるんだろうって。そのどきどきが大きすぎて、不安になるくらいってだけです」

「楽しい、なのかな。そんな気持ちで服を選んだことなんてなかったよ。知っての通り、おしゃれなんて全然わからない」

「それでも、わかり始めてます。だから、楽しめてるんです。悩んで、悩んで、服を選ぶ時間って、すごく楽しいものなんです」

「そっか。フラワーは流石、しっかり可愛い女の子だね」

「もう、スカイさんったら」

 

 フラワーに教えてもらえることが多いのは、いつものからかいじゃなく本当だ。もちろんこちらからもたくさんのものを上げられたと思うけど、その分しっかり返してくれていた。

 そして、今日もそうなのだと思った。フラワーは、私に何かをくれる。それはフラワーだけじゃなくて、色んな人が私を何かをくれる。私が何かをあげていたからこそ、かけがえのないものを返してくれる。

 一瞬の、思考を挟む沈黙のあと。

 フラワーは、その紫の水晶で私の顔を隅まで見つめて。

 底まで私を捕まえて、改めて問うてきた。

 間違いなく、私に何かを与えるために。

 つながりの意味が、ここにも一つ。

 

「……スカイさんは、どうしてここで服を買おうと思ったんですか? 色んなファッションがある中で、なんでここを選んだんですか?」

「やっぱり、言わなきゃダメかな」

「言える範囲でいいですよ」

 

 はあ、なら仕方ない。うん、仕方ないんだな。

 だってこうなったフラワーには、私は逆らえないもの。

 観念して、少しだけ言葉を選んで。私は私の気持ちを伝える。

 大人の女性のファッション、それを選んだ理由を。

 

「フェミニン系、っていうんだよね。大人の女性の、派手に着飾らない魅力。ここにあるのは、そういう服」

「はい。落ち着いた、ありのままの印象を引き立てるものですね。私もいつか、こんなのが似合う女の人になりたいなあと思います」

「そう、そうなんだ。私は、私にこれが似合ってほしい。私のありのまま、それを引き出せるような。それを引き出した時、そこに大人を感じれるような」

 

 それが、ここに拘った理由だった。

 ありのままの私に、魅力を感じて欲しかった。

 そして何より、大人だと思って欲しかった。

 私の成長を、何より実感して欲しかった。

 もう子供じゃないんだって、そう伝えられる服を選びたかった。

 なによりシンプルだからこそ、大人の私を見てもらえるのだと思った。

 もちろんすべて、あなたのために。

 私はあなたに、大人の私を見てほしい。

 そんな想いを全部込めた結論が、「大人の女性」のための服にある。普段着るものとは違う服が並んでいるこの場所でどれか一つを選べば、私は必ずまた前に進めるはず。けれど、だからこそ悩んでいるのだろう。悩んで、立ちすくんでいるのだろう。でも、悩む理由は不安じゃない。フラワーのいう通り、ワクワクしてしまっているからだった。

 今、気づいた。

 君の言葉で、もう一つ。

 独りじゃないから、私は私に気づくんだ。

 そんな私の、ささやかな告白。それを聞いたフラワーは、少し考え込んで。

 けれどやっぱり、私に言葉をくれる。

 確かに背中を押してくれる、心からの言葉を。

 

「大丈夫ですよ、スカイさん。確かに、素敵な服はたくさんあります。目移りしちゃって、悩みます。でもそれはスカイさんがちゃんと、ワクワクしてるからです。自分を変えてくれる、その可能性を見られているから」

「自分を、変えてくれる」

「はい。服は、人を変えるものです。もちろん着ることで見た目も変わるし、着飾ることで気持ちも変わります。だから、スカイさんは服を買いに来たんですよね。自分を変えて、それだけじゃない。その姿を見てほしい人が、自分への見え方を変えてほしい人がいる」

「……参ったな。ほんと、フラワーには敵わないや」

「まさか。スカイさんにはまだまだ、追いつけないことばっかりですよ」

 

 フラワーにはどこまでも見透かされてしまうな、そうされてしまうくらいの関係になってしまったな、なんて思いつつ。

 それでもだからこそ、彼女の言葉が正しく私の助けになるのだとわかる。

 ありがとう。君は今日も、私を救ってくれたんだ。

 そして、彼女の言葉を踏まえて。

 受け止めるだけじゃなく噛み締めて、しっかりと自分のものにして。

 私は、私の答えを出した。

 うん。簡単なことだ。簡単なこと、だったのだ。

 デートのための、あなたのための服を選ぶ。

 それは私のすべてを伝えるためでもあり、あなたの心をひっくり返すためでもある。

 私とあなたが、変わるためのもの。

 だから、私は色とりどりの服を見てワクワクしていた。

 この服がどんなふうに私を変えてくれるのだろう、そう期待していた。

 あなたは今までと違う私を見てどう思ってくれるのだろう、その未来に想いと期待を馳せてしまうことだってたまらなく楽しみだったのだ。

 つまり今の私が持っているあらゆる不安や緊張は、全部がとめどない期待の裏返し。

 あなたとのデートは、それだけ楽しみだってこと。

 じゃあ、やっぱり幸せだ。

 重大な決断をすることすら、今の私にとっては幸せを膨らませてくれるもの。

 運命を決めてしまうゲートすら、あなたのためなら幸福の始まりに変えられる。

 世界の見え方を、変えただけ。

 あなたのために、変えているだけ。

 なら、今じっくりじっくり選ぶのだって間違いじゃない。

 大いに悩んで、大いに気持ちをときめかせよう。

デートまでにあるすべての時間と出来事を、結末に繋がる楽しみにしていこう。

 

「フラワーお待たせ、やっと選び終わったわ……あら」

「お疲れ様ですトレーナーさん、ちょうどスカイさんと話をしてたところでした」

「そうね、なら時間をかけて正解だったかも。……あなたの顔つきもちょっと変わったみたいだしね、セイウンスカイ」

「そうですか? ならそれはチーム<デネブ>のリーダー、ニシノフラワーのおかげですね」

「そう言ってもらえると、そのチームを率いる人間としては鼻が高いわね」

「……それにしても、買いすぎじゃないですか? その袋の量」

「大人はこんなものよ。あなたもいずれ、そうなるかもね。……さて、私たちは帰りましょうか、フラワー」

「はい、トレーナーさん。もうスカイさんも、大丈夫そうですし」

 

 なんだかんだでおんぶに抱っこで、一人でしっかり服を選べるまで二人に見守られていたのかもしれない。最初は誰にだって秘密で服を選ぶつもりだったのにこう見つかってしまったのは気恥ずかしくはあるけれど、助かってしまったものは感謝せざるを得ない。たとえ大人といっても、誰かに支えられることで前に進めるのは変わらないのだから。

 そしてそれは、あなたも同じ。

 いくら頑固で意固地な正論男でも、私はあなたを支えたい。

 一番特別な位置で、あなたの日常を彩りたい。

 だからしっかりと、今日はそのための準備をこなすのだ。

 どの服も魅力的に見えるのは、やっぱり変わらない。

 目移りしてしまうのも、やっぱりやっぱり変わらない。

 だけど、心持ちは少し変わっていた。どれも素敵なのだから、きっとどれを着ても私の心は満たされる。それでもいつかちゃんと一つは選ばないといけないけれど、この胸の高鳴りが間違いを起こすことはあり得ないのだ。私の恋が過ちじゃないのと、まったく同じ理屈で。

 恋は、すべては、積み重ねの上にあるから。

 天を壊すことなんて、絶対にありえない。

 もう一周、店の中に立ち並ぶ服を眺める。さっきまでよりずっと、気楽な心持ちで。好きな色合い、ちょっと目を引くデザイン。そんな、感覚的なものでいい。楽しんで、選べばいい。気楽で素直で、自分の心に正直になることが、いつもの私のやり方なのだから。

 それからまあ、一時間くらいはやっぱり悩んだんだけど。それ以上は、悩まなかった。

 一つの服を手に取って、店員さんに頼んで試着して。本当に似合ってるのかな、みたいな心配がゼロだと言ったら嘘になるけど、多分慣れてないだけだろうと思った。これから毎日こっそり自分の部屋で着てみれば、運命が待ち受ける当日までには慣れるだろうと思った。それに自分でも疑うくらい新鮮な印象なのだと思えば、デートのその日にあなたがどんな顔をしてくれるのかはより楽しみなものになっていった。

 そんな時間。そんな前触れ。世界は、少しずつ廻ってゆく。

 私とあなたを乗せて、幕を引く瞬間を待っている。

 今日も、ゴールまでの一つの道のり。

 ゴールのその先が、幕引きの先が、疑う余地のない「最高」だ。

 

 

 

 

 

 

 デパートを出れば、すっかり夕暮れといった時間帯だった。鮮やかなオレンジが私の足元から耳の先まで照らして、少し眩しかった。

 だけど、怯むことはなかった。とっておきの服の入った紙袋を揺らしながら、私は軽くステップさえ踏んでいた。

 それくらい浮かれている。

 その日を楽しみにしている。

 あなたの反応を期待している。

 恋を、している。

 寮に着く頃には日も落ちていたけれど、対照的に私の気持ちはどんどん晴れやかになっていた。この服を着た私をあなたに見せるその日が、私がまた変わるその日が、やっぱりワクワクして待ちきれなかったから。

 そんな気持ちが熱を持って、私の心の輝きをつくる。

 陽光によって青空の青が浮かび上がるものなら、あなたを想う焼けつくような輝きで内側から照らされている今の私はきっと。私の全身は、心の隅の隅まできっと。

 果てのない透き通る青空で、満たされているのだろう。

 そして私という雲は、まだまだ更に鮮やかな青に染まるのだ。

 光より速く、駆け抜けよ青雲。

 闇より優しく、包めよ青雲。

 あなたに想いを告げる、その日に向けて。

 いのち短し、恋せよ少女。

 大好きだって言ってみせる、終わりの日に向けて。

 今日、すべてが終わった。

 数日で、すべてが始まる。

 合間にあるのは、僅かな時間だけ。

 かち、かち。時計の針だけ、待てばいい。

 最後の仕掛けは、完了した。

 




次で完結です その後エピローグがあるけど
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