完全版・セイウンスカイは正論男に褒められたい   作:春華ゆが

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こういう話


セイウンスカイは正論男に・終

 

 

 

 

 この日が来るまで、どれだけの時間をかけたのだろう。どれだけの積み重ねが、今日という日のためにあったのだろう。そしてその答えはおそらく、始点をどこに置くかによっても大きく変わってくるのだ。ゴールまでの距離は、スタートから測るものだから。

 どこからだろうか。服を買ってすべての準備を終えたあの日か、それともデートの約束を取り付けたあの日か。そこから数えてさえなお長い長い時間だったと思うけれど、本当の始まりはきっともっと昔。はじまりの気持ちは、すべてが始まったのは。

 それは、あの日。入学式をサボって誰もいない教室で微睡んでいた私を、トレーナーさんが面識もないくせに偉そうに叱りつけたあの日。本当に最初の始まりは、私とあなたが出会ったあの日。そのスタートラインから何も、一度だってつながりは途切れていないから。

 チームに入ったあの日も、デビューを決めたあの日も、勝利をわかち合ったあの日も、敗北に打ちひしがれたあの日も、そしてそんなイベントの間にあった、全部の何気ない日常も。

 それらがすべて、繋がっているのだ。

 今日この日に、繋がっているのだ。

 そして、もちろんここで終わりじゃない。確かに今、私は積み重ねの先端に立っている。この先には何も道は見えなくて、これが頂だと錯覚してもおかしくない。もしかしたら少し前の私なら、この場所で満足してしまうのかもしれない。

 だけど、今の私は違うのだ。道標になるべきものが何も見えなくても、その先にまだ新しい目標があると知っている。ゴールをくぐり抜けたなら、更なる未来を見据えられるようになると知っている。

 ゴールは近い。けれど、終わりの先には新しい始まりが待っているから。

 そう考えられるようになったのも、あなたのおかげ。他にもたくさん、あなたから貰ったものはたくさんあるのだ。

 だから今日は、今まで貰ったあらゆるものへのお返しを伝える日でもある。

 恋心という、最高にあなたを想う形で、だ。

 さあ、ほんの少し待ち合わせには早いけど。釣りとは下調べをした上で、現地を早めに視察するものだし。この格好を最大限印象的に見せるなら、きっと何食わぬ顔で先に到着して見つけさせた方がいいし。

 何よりこれだけ楽しみなのだから、じっとしてなんていられないや。

 立ち上がる。談話室を抜ける。

 通り抜ける時に少し物珍しそうな視線を感じながら、玄関口までたどり着いて靴を履く。

 耳をぴこぴこ反応させながら、髪の毛と尻尾に癖がついてないか手で触って確認する。

 うん、大丈夫。あなたに見せられるだけの手入れや努力は、全部完璧だ。

 ぎい、と寮の扉を開いて。

 流石に外は肌寒くて、慣れない格好じゃすーすーするのは事実だったけど。

 それでも、とっても暖かかった。

 寒いのに暖かいなんてそりゃもちろん不思議なことではあるけれど、私がそう感じる理由はまったく不思議じゃない。

 当たり前。当然。

 こう思わなきゃ、おかしいくらい。

 だって今日は、最高に楽しみにしていた日。

 文句なんて一つもつけようもないくらい、こんなにいい日なんだから!

 

 

 

 

 

 

 というわけで、一時間前くらいに到着した。映画館のあるビルの前、まあそれなりには寒い街中の片隅に。私たちの、待ち合わせ場所に。

 もうそろそろ冬と言い切っていいくらいの冷たい風が少し服の合間を通るたびに、耳の先っぽまでぶるりと全身が震える。やっぱりこの服は慣れないな、とちょっと思った。

 思ったけど、同時にワクワクする。

 なぜならこの格好は、あなただって見慣れていないに決まっているのだから。

 ちなみに待ち合わせの一時間前というだけで映画が始まるのはもちろんもっと後なので、今の私はかなり相当気が早い。逸る気持ちを抑えられない。

 いやー、かといってトレーナーさんが待ち合わせより早く来ても困るなあ。一応これだけ早く来ておけば、作戦を再確認する時間にはできるわけだし。作戦会議の時間が多い分にはまあ困らない、はず。とはいえ待ち遠しさも募るばかりで、早くあなたに会いたい気持ちも当然というべきか私の中に存在するので、乙女心というものは難儀というか。普段の私がまず難儀なのに、恋する乙女になった私は更に難儀だろうなあ。

 ……面倒な女にさせられた責任は、取ってもらわなきゃね。

 さて、今日のプランを再確認しよう。最初に、映画を観る。最近話題のアニメ映画。恋愛を扱ってるらしいのはちょっと私にとっても未知の領域だが、具体的には観たことないジャンルだが、まあそういう映画を観ることも作戦のうち。恋愛映画というものを男女二人で観るなら、そのことがほんの少しあなたの意識の変化に繋がるかもしれない。

 どきどき、してくれるかもしれない。そんな策謀とも呼べない胸の高鳴りも、今の私の中には仄かにあるのだ。あとはまあ流行りの映画なら観終わった後微妙な空気にはならないだろうと、そんな割と現実的な考えもある。

 というわけで、映画は観るのだ。なんと、私の奢りで。

 まあそのぶんというか、そのあとのご飯はトレーナーさんの奢り、ご馳走だ。私が観せた映画のあとは、トレーナーさんがご飯に招待する。そういう流れに、私がした。ここにはそれなりの思惑が二つほどあって、いつも通りの私の作戦というやつなのである。

 まあまず一つ目の思惑は、奢りなら美味しいご飯を食べれるだろう、ということ。気兼ねなく、たっぷり。トレーナーさんは多分真剣に、わざわざ私が誘ってくれたのだからとちゃんとしたお店を選んでくれる。ちゃんとしたお店で、しっかりした状況で、私とあなたの二人でご飯を食べる。それくらいの特別なイベントはやっぱり独特の雰囲気を作ってくれて、あなたの心を揺さぶるものになるんじゃないかなって。

 とりあえず、そう考えるのが一つ目。

 そして二つ目の思惑。これは本当に、理由としては本当にしょうもないような小さなものなんだけど。ただ、ただそうしたいだけだから。作戦とも呼べないような、拙い恋情の発露。

 ただただ、デートっぽくしたいだけ。

 男の人が女の人をエスコートする、そんなありきたりのイメージを体験してみたいだけ。

 それだけだけど、とってもしたいんだ。

 私とあなたで、「デート」がしたいんだ。

 ……で、そのあと。映画を観てご飯を食べて、そのあと。そのあとも、ちょっとした計画がある。多分些細ではあって、だけどもしかしなくても一番大事な。私にとっては、一番大事な。

 あなたに想いを伝える、そのための作戦があるんだ。一つ、最後の一つなんだ。

 とはいえこのことについては、あえて今は考えすぎないでおこう。まずはあなたをしっかり見つめないと、私の方も見つめてもらえない。

 釣りとは最初ちゃんと餌を与えて、その上で確実になったタイミングで色気を出すもの。それに準えるわけじゃないけれど、最初はただただあなたとの時間を楽しみたいのだ。

 スマホを開いて時計を見る。あと四十分。どきどきは、時間の流れと共に大きくなっていく。多分待ち時間がゼロになった時、この高鳴りは最高潮を迎えるのだろう。

 ……耐えられるかな。恋に気づいて、はじめての二人でのお出かけ。そういう気持ちでの、初めての特別な時間。特別になる、私とあなた。

 脚をぶらぶら、服をひらひら。軽くビルの前を一周歩き回って、一分もせず元の位置に戻る。どきどき、どきどき。もう少し落ち着かないといけないかも、私。今のままのテンションであなたと向き合ったら、どうなるかわからない。あなたの顔を見る前に、しっかり気持ちを整えないと始まらない。どうしようか、まだ時間はあるはずだ。

 なんとか、なんとか今は独りにならなきゃ。世界に独り、そうやって心を鎮めなきゃ。

 そうだ、ちょっと深呼吸して──。

 

「……あれ、スカイ……?」

 

 ──振り返らないわけにはいかなかった。

 待ち受けているだろう顔を見た私の気持ちがどうなろうと、耳に触れたその声に反応しないわけにはいかなかった。

 耳をすっぽり覆っているはずのメンコ越しでも全身に甘い感覚をもたらしてくれるその声に、にこりと笑いかけながら向き合わないわけには。

 トレーナーさんが、いた。

 黒い瞳に太い眉毛、長めのまつ毛に愛らしい二重。

 あなたが、私にたどり着いた。

 まだ四十分前なのに、なんてことは私に言う資格があるわけないし。我々二人が待ち合わせ時間をいかに無視したかってことももうどうでもよくて、あなたが来たならやることは決まっている。私を見つけてくれたなら、やることは決まっている。

 ふわり、スカートを翻す。

 全身をあなたの方へ向け、私の姿を見せつける。あなたを戸惑わせるほどのものなのはさっきの反応でわかったから、あとはそれを強烈に印象付けよう。

 ねえ、私を見て。

 上から下までわたぐもみたいに真っ白な、飾りのほとんどないシンプルなワンピース。

 だけど腰の部分は絞られているし、長めの袖も端までぴったり肌に沿っている。

 大人の私の肢体を、艶やかに際立たせる。

 袖のレースと胸の細いリボン、僅かな装飾が新しい私を演出する。大人の私の魅力を、新しく。

 純白に染まる長袖とロングスカートは、どこまでも清楚で落ち着いて。

 大人の私じゃなきゃ、着こなせるわけがない。

 私の全身を、ありのままの私を、私のすべてを彩る、大人の女性のためのコーディネートだ。

 そしてその服を今着ているのは、私。

 雲のような白を身に纏っているのは、私。

 あなたのために大人になったのは、私。

 そんな私を、見て。

 あなたのための私に、一瞬でいいから夢中になりなよ。

 

「どうしたんですかトレーナーさん、いつも通りのセイちゃんですよ」

「……いつも通りじゃないだろう。なんだ、その格好は」

「えー、そんな変な格好じゃないでしょう。おめかしですよ、おめかし」

 

 ……やった。やった、やった! 

 こういう時に露骨な反応をしてくれるのは、私からすればもうあなたがどんな思考をしているのかなんて丸わかりってものだ。

 あなたは間違いなく、私を意識した。

 こんな私がいたんだって、どきっとした。

 成功だ。

 大成功だ。

 きっと、あれだけ鈍感なあなたでも理解した。

 今日という日のあなたとの時間のために、私はこの服を着てきたのだと。

 今日は、特別なのだと。

 そう、どんな言葉より強く伝えられた。

 私の想いは一つ届いたと、絶対的に確信した。

 

「それにしても随分早いですね、トレーナーさん。まだ四十分前ですよ」

「それをいうなら君はどうなんだ。いつから待ってたんだ」

「大体一時間前ですかねえ、下見も兼ねて」

「……待たせないようにしようと思っていた。すまない」

「もう、そんなことで謝らないでくださいよ」

 

 本当に、そんなことで謝ってどうなるというのだ。むしろ私がどれだけ喜んでいるというのか、わかっているのだろうか。いや、あんまりわからないほうがありがたいけど。今のところはまだ、私の心の内を知られては困るけど。

 時間より早く来るくらいに楽しみなのはお互い様だなんて、そんなの嬉しいに決まってるじゃないか。とってもとーっても、嬉しくてたまらないに決まってるじゃないか。

 何はともあれ、予想より早く。

 予想より嬉しく、始まった。

 私とあなたの、初めてのデートは。

 透明な自動ドアの方に足を踏み入れ、映画館のあるビルへの道を開いてやる。これからの時間へ、手招きするのはまず私からだ。

 最初は映画。今日の、始まり。

 

「じゃ、ちょっと早いですけど、行きましょうか。外は寒いですし、映画館の中で時間を潰しましょう」

 

 それはまあ、割と何気なく言ったつもりだった。もう外で、出会い頭で話すこともないよなあと思って。だから、予想外だった。

 予想外、だったんだ。

 

「そうだな。……ああ、その前に一つ、その」

「……なんです? 何かありましたっけ」

 

 あなたが、私を呼び止めたこと。

 そして。

 そして、わざわざ呼び止めた理由。

 

「その、びっくりはしたが。その服、似合ってるぞ。うん、スカイにぴったりだと思った。本当だ」

 

 そんなふうに、ぎこちなく。

 それでも、しっかり言葉にして。

 私の精一杯のおしゃれを、褒めてくれたこと。

 あなたが、そう思ってくれたこと。

 私の精一杯を受け取ったからこその気持ちをを、伝えたいと思ってくれたこと。

 あなたは私に、気持ちを伝えたいんだってこと。

 全部、予想外だった。

 全部全部、思ってもみないことだった。

 そりゃもちろん、そうやってあなたを意識させようとひたすらに今日まで頑張っていたはずだけど。そのための作戦としての服選びが上手くいったなら予想通りといえば予想通りで、開幕から順調にデートが進んでるってことかもしれないけど。

 それでもそんなの、実際に言われてしまうなんて。

 現実に、言葉という形になるなんて。

 あなたの意識の変化が、夢じゃなくて現実だなんて。

 予想通りのルートでも、予想外に決まっていた。

 ここまでの幸せを、想像できるわけがなかった。

 

「……それは、ありがとうございます。……えっと、じゃあ今度こそ行きますよ」

「ああ。楽しみだな、スカイ」

「……はーい」

 

 ああ、もう。順調すぎて作戦が狂いそうになるなんて、我が策士人生の中で初めてだ。

 せっかく可愛らしい反応をしてくれたのに、若干そっけない受け答えになってしまったのも許してほしい。

 だって、今確実に前に進んでて。

 だって、遠くて遠くてたまらなかった恋がこんなに近くて。

 だって、今までで一番幸せで。

 大好き。

 気を抜いたら一瞬で、耳の端から指の先までその気持ちで染まってしまいそうだから。

 好き、好き、好き。一歩ずつ建物の中に足を踏み入れるとともに、足音の代わりにそんな気持ちが私の足から鳴った気がした。

 きっと、今日はずっとそうなのだろう。

 私はずっと、あなたが好きなんだろう。

 そんな気も、した。

 

 

 

 

 

 

「で、どんな映画だったか。その……なんとか」

「ええ、全然調べず来たんですか。せめてタイトルくらいは見といてくださいよ。『ホワイトエンディング』、ですよ」

「すまん。なんというか、できるだけ何も知らない状態で観たいと思って」

「本当ですか? 調べるの面倒くさかっただけじゃないですか?」

 

 そう問うと、トレーナーさんは太くて真っ直ぐな眉毛を微妙な感じに歪める。なんとも微妙な感じに。少し図星、といったところか。面倒くさがるのは私だけにしてくださいよ、まったく。

 ちなみにこんなふうに映画館内での会話がちゃんと映画についてのものになるまで、大体一時間ちょっとはかかった。具体的には映画が始まる十五分前になるくらいまでかかった。

 そこまではずっと世間話とかいつものからかいで、なんとなしに日常の延長で時間を潰してしまった。トレーナーさんがこっちやあっちをちらちらと、若干私の服装にまだ慣れずに目のやり場に困ってる感じを見るのはかなり楽しかったけど、いつも通りばっかりじゃムードがないというかなんというか。せめてポップコーンでも買っておけば先に映画の話に切り替えられたかもしれないのに、なんとトレーナーさんはポップコーンは苦手らしい。あれは妙にお腹に溜まるんだ、だって。つまりはちゃんとあとあとのお昼ご飯のことをしっかり二人で食べれるようにと考えてくれてるということも表す一言だったから、そんなどうでもいいはずの言葉でもにやけそうになってしまった私がいたのだが。

 まあ、それはそれ。時の経つのはあっという間、もうそろそろ劇場に入れる時間である。映画を二人で観る、その時間は近づいている。……なーんて、僅かな空白を感じる暇もなく。

 

「まもなくスクリーン三番で上映致します、『ホワイトエンディング』、只今よりご入場を開始いたします。チケットをお持ちの上、劇場窓口までお越しください」

「お、いよいよですよ。さあ行きましょうか、トレーナーさん」

「そうだな。……ところで、どんな映画なんだ」

「えー、事前の情報は仕入れないんじゃなかったんですか」

「直前になって気になってきた。……すまん」

「後で教えてあげますよ、とりあえず劇場に入りましょう」

 

 そんなやり取りをしながら、二人一緒に立ち上がる。二人並んで、同じ方へ向かう。二人で一緒に歩くのも、ほんの少しの距離でもやっぱり幸せ。チケットを渡して、二名様ですねって二人組で扱ってもらえるのも、すごく幸せ。

 なんでもないことでも、あなたとなら幸せだから。

 広い、広い劇場。流石に流行りの映画だけあって、それなりに大きな場所で上映するということらしい。だけど大勢の人がそれぞれの指定席に座るから、劇場というものは広くて狭い。それは少し不思議な場所かもしれない、そう思った。

 特別な空間は、特別な時間に相応しい、とも。

 

「ここですよ、トレーナーさん。ここと、ここの席」

「……隣同士か」

「当たり前じゃないですか、なんで一緒に来て別々なんですか。それにそもそも、カップル割ですよ」

「それはそうだが、その」

「なんですかー?」

「こういうのは、初めてだ。だから、緊張はする」

「なんだ、そんなことですか」

 

 周りを見ればそれなりに他にカップルらしきものは居て、多数の男女二人組に自分達も溶け込むこと。それはやっぱり、流石のトレーナーさんでも取り繕えないほど恥ずかしいことなのかもしれない。……だけど、そんなのは、さ。

「それは、私も一緒ですよ。私だって、男の人と映画を観るなんて初めてです」

 そんなのは、私も一緒なんだから。私だって、恥ずかしくて恥ずかしくてたまらない。

 だけどあなたとなら、初めてのことができる。

 あなたになら、はじめての恋を捧げられる。

 初恋という特別な気持ちで、今日はあなたを誘っているのだ。

 

「……そうか。じゃあ、座らせてもらう」

「はい。私の隣、ですよ」

 

 そう言って、二人並んで指定された席に座った。こんなに広い劇場なのに、そこには二人だけの空間があった。大きくて私より背の高い、あなたの背中が真横にあった。少し身体を傾ければ、寄りかかれてしまうような距離にあった。身体の熱を感じられるくらい、近かった。

 どくん。心臓は、また一段と高鳴る。

 また、幸せになる。

 私の世界はそうやって、今日はどんどんと色づいていくのだ。

 

「そういえば、どんな映画なんだ」

「あ、そうでしたね。恋愛映画、らしいですよ。夜の街で出会った少年と少女の、恋の話」

「……なんでそんなのを」

「いやまあ、評判良かったんで。なんですか、私がそんなの観ようとしたのが意外ですか」

「……それは、そうかもな」

 

 むー、やっぱりそんなふうに思ってたんだ。私がこんなに恋してる間も、私が乙女ちっくなことをしたがる可能性なんて考えてもなかったんだ。ちょっと抗議してやろうかと思ったけど、その前にトレーナーさんは言葉を続けた。

 あっさりと、ひどくあっさりと。

 あなたは、言葉を紡いだ。

 

「でも、変だとは思わない。スカイがそういうところもあると知れて、嬉しい」

 

 私が何も言えなくなるような、そんな言葉を。

 ……嬉しいのはこっちの方だよ、ばーか。

 

「そうですか、そりゃどうも。……ほら、そろそろ静かにしましょうか」

「まだ始まらないと思うが」

「いいから」

 

 強引に説き伏せて、会話はそれきり。隙を見せたら嬉しいことを言ってくれてしまうから、本当に困った人だ。本当に、ちょっとは休ませてもらわないと、長距離を走るよりしんどいや。

 とりあえず、映画で気分転換をしないと。

 もしかしたら映画の内容がもっと気持ちをかき乱してくるかもしれないけど、とりあえず。

 とりあえず、これも大きなイベントだ。

 二人で過ごす特別な時間、その一つなのだから。

 上映前の予告。上映前の注意。今流れているそれは何かの感情を乗せているものじゃないし、ひょっとしたらこれから始まる映画そのものだって、ただの映像と切って捨てることはできるかもしれない。

 けれど、そこには物語があるのだろう。少し前は所詮フィクションだと冷ややかに見ていたけれど、それはきっと手の届かないものへの羨望に近かった。どこかで、恋を遠くの夢にしていた。

 今ならわかる。人の気持ちは、誰かの心は必ず理解の及ぶもの。フィクションでも、現実でも。人は相手を理解して、どこまでも寄り添うことができる。

 かけがえのない特別にだって、なれる。

 だから、楽しみだ。恋愛映画なんて縁のなかったものでも、とても楽しみ。

 ……まあでも、一番楽しみな理由があるとしたら。

 あなたの隣で、体温すら僅かに感じられること。終わったあと、あなたと語り合う話題を持てること。結局、そんなことかもしれない。

 どちらでもよかった。

 幸せだったから。

 今日はずっと幸せで、どんどん幸せになっていっていたから。

 そうして間も無く、少しだけ残っていた灯りが消える。

 映画の幕開けを知らせるために、スクリーンが開いていく。

 幕が開く。

 すべての幕を、下ろすために。

 

 

 

 

 

 

 すべてのものに、終わりがある。始まりがどんなに偶発的で、過程がどれほど困難なものであっても。それが結実するからこそ、その積み重ねは報われる。

 終わりがあるから、始まりがある。

 映画のエンドロールを観ながらまず思ったのは、そういうことだった。ある一つの物語の、幕開けから幕引きまでの二時間弱をスクリーンに見入って、最初に思ったのはそんな感覚だった。結末こそが、そこまでのすべてに意味を成すのだと。そういう、ことだった。

 だけど、もう一つ別のことも思った。結末は、終わりは、道を閉ざすものではないということ。映画の中で出会った主人公とヒロインは、映画の中で結ばれた。幸せで満たされることで、その映像自体には幕が引かれた。

 けれど当たり前のように、ラストシーンにはその先の二人の未来が示唆されていた。幸せの絶頂が恋の結実の瞬間に見えても、恋の結実は決して最高潮ではない。

 もちろんその瞬間も最高に幸せだったのだろうけど、最高は一つじゃないんだから。進みつづける限り、常に増えて更新されゆくものなのだから。

 恋は、愛に至るからこそ幸せなんだから。

 そう思うのは映画を観た感想というより、私の考えも多分に含んでいるのかもしれないけれど。でも、きっとそれでいい。ある物語があったとして、そこから受け取る印象が誰しも等しいなんてあり得ないのだろう。

 私は、私の道を今まで歩んできたから。私は、あなたの隣でこの物語を観たから。

 大好きなあなたと一緒に、大好きになるまでのこれまでの時間すべてと一緒に、私なりの感じ取り方をしたのだから。

 だから今感じたのは、私だけの気持ち。

 私という人間がいて、私だけの人生があって、私が在ることの紛れもない証明なんだ。

 ……ああ、でも。

 

「……いい映画だったな。君と観れてよかった」

「そりゃどうも。じゃあ次はご飯でも食べながら、映画の感想でも語り合いましょうか」

 

 あなたとなら、私だけのはずの気持ちを共有してもいいかもしれない。特別な秘密でも、あなたになら打ち明けてもいいかもしれない。

 だって今日はそういう日。

 あなたに私を知ってもらって、私も新しいあなたを知る日。

 ずっと秘めてきた恋心を、あなたに告白する日なのだから。

 二人で同時に立ち上がり、こつこつと足音を並べて劇場を後にする。私たちが映画を観ている間に午前は終わり、時刻は正午を僅かに過ぎていた。

 ちょうど、ご飯時だ。

 劇場の受付を出たあたりで、トレーナーさんが私の前に出てきた。ここまでは私が先導してきたわけだったので、少しびっくりしながらその顔を見る。意志の強そうな眉毛も真っ白な歯も、意外とくりくりした瞳も見る。

 そんな不意のことでも、ああ好きだなあ、そう思ってはしまった。

 やっぱり、大好きだって。

 今日こそ、想いを告げるんだって。

 そして、トレーナーさんは私に一つの言葉を差し伸べる。ここでイベントは一つ、映画を観終わって一つ区切られたという合図。

 私からあなたへ、攻守交代の宣言だった。

 

「じゃあ行くぞ、スカイ。昼を食べる場所は決めてある。俺が案内するぞ」

「なんだトレーナーさん、映画のことはまるで調べてなかったくせに」

「それはまあ、スカイに任せようかと……すまん」

「いいですよ別に、そのぶんしっかりそっちは下調べしてくれたんでしょう? 期待してますよ、トレーナーさんが念入りに選んでくれた素敵なお店」

「もちろんだ! このビルを出てすぐのところにある小さな洋食屋だが、味は確からしい。期待は裏切らない、はずだ」

「ちょっと最後に不安そうな付け足ししないでくださいよ。まあでも、行けばわかりますか」

「そうだな。行こう」

「はい。エスコート、よろしくお願いしますね?」

「……ああ、そのつもりだ」

 

 やっぱりしっかりしてるな、トレーナーさん。ちゃんと今日のこと、大事に大事にしようと思ってくれてたんだ。

 しっかり私をリードする時はリードしよう、そんなふうに下調べもしてくれてたんだ。

 不器用なりに努力して、私のことを考えてくれてたんだ。

 私と、同じ気持ちだったんだ。

 それは当然私への恋情ではないのかもしれないけれど、私を大切にしてくれているのは伝わった。大切に、特別だと。

 あなたの心の深く深くまで、私がいることに違いはない。

 なら、後は少しその向きを変えてやるだけ。

 既にある特別さの意味に、ほんの少しの彩りを添えてやるだけ。

 そして新しい色は着実に、今この瞬間もちょっとずつあなたを染め上げ始めている。

 いつもと違う装いでどきどきさせた。

 二人で映画を観てどきどきさせた。

 そして次は、二人で食卓を囲む。

 次にある特別な時間もきっと、あなたをどきどきさせてくれる。

 なぜってこんなに、私がどきどきしているのだから。

 エレベーターを降りて、二人並んで大きなビルを後にする。そしてそのまま寒空の下に出て、目的の店までの僅かな距離を移動するまでも。

 二人で、並んで歩いていた。

 私とあなたは、互いに互いの隣にいた。

 距離は近づく。

 幕引きの、終わりの時と共に。

 

 

 

 

 

 

「……ねえちょっと、トレーナーさん」

「……なんだ、スカイ」

「めちゃくちゃおしゃれじゃないですか、ここ」

「そうだな。一応、写真で見た通りだ」

「あの、頼りにしていいんですよね」

「……任せろ」

「ちょっと、なにその間」

 

 店に入るなり、そんなひそひそ話をしてしまった。まあ、ここはあなたに任せるのも作戦のうちなんだけど。トレーナーさんの心持ちを探るために、一旦自由にさせてみるというか。

 ただそれにしても、この空間の雰囲気は気後れしてしまう。派手すぎず落ち着いた色合いの照明、トレセン学園のそれより数倍ぴかぴかのフローリング、傷一つ見えない木製の壁には、ところどころワンポイントの壁面クロスなんかがかけられたりしてて。

 本当にあのトレーナーさんが自分でこのお店を選んだのか? と疑ってしまいそうになるほど、格式とムードを感じられる空間だった。

 いや、よくよく考えたら私はまだマシなのかもしれない。とっときのワンピース姿は、ここまでしっかりした場所ならむしろ相応しいくらい。そういう意味では、私のために選んだ店というのなら正解。それはまあ、嬉しい。かなり、嬉しい。

 でも肝心のトレーナーさんは、いつものカッターシャツと使い潰しのスラックスじゃないか。そりゃあなたなりに精一杯きちんとした格好をするつもりでそれを着てきたんだろうけど、なんでしっかりした格好の選択肢が仕事服しかないのやら。この店に来ることを決めたのは他ならぬトレーナーさんなのだから、もうちょっと考えを巡らせてもよかったのに。

 なんて、こういうなんとも融通の効かないところがあなたらしさでもあるのだけど。私にとっての、あなたの好きなところの一つでもあるのだけど。

 だから大目に見てしまおう。そんなところも愛おしいって、そういうことにしてしまおう。

 

「いらっしゃいませ、お二人様ですか?」

「はい、二人です。私と、彼女の二人」

「かしこまりました。では、こちらの席へどうぞ」

「わかりました。……行くぞ」

「言われなくても行きますよ、トレーナーさん」

 

 店員さんに案内され、私たちは幻想的な店内へ招き入れられる。

 ちゃんと私をエスコートせんと率先して受け答えしてくれたトレーナーさんの態度が、大したことでもないのにとっても嬉しかった。

 でも、「彼女」って。

 もちろん私が勘違いしているような意味じゃないのはわかってるに決まってるけど、「彼女」って。それに「彼女」って表現を使われることは、あなたが私を子供扱いしてないってことな気もして。対等に、一人の大人として扱ってくれてるような気がして。

 まあ、単なる言葉選びに深い意味はないのかもしれないけど。

 私の考えすぎ、杞憂みたいなものかもしれないけど。

 それでも、嬉しい一言だった。

 これから始まる次の特別の開幕を告げるには、十分すぎるほどの幸せだった。

 

 

「……このハンバーグ、美味しい。お肉が詰まってて、噛んだらじゅわ〜っと……語彙が足りないんですけど、ひょっとして、トレセン学園の食堂よりも。あそこもかなりレベル高いんですけどね」

「それは相当だな。でも確かに、このカレーも美味い。辛いだけじゃない、ちゃんと旨味のあるカレーはなかなか出来るものじゃないはずだ。評判のいい店だったが、ここまでとは」

 

 とん、とん、かちゃ、かちゃ。互いに食器の音を静かに立てながら、最初に交わされた言葉はそれだった。料理が美味しいって、外食するなら誰でも出せるようなありきたりな会話。だけどそう素直に漏らしてしまうくらいには、美味しかった。拙い言葉で述べる感想は、今日で一番真っ直ぐな気持ちだったかもしれない。

 この店特製らしいデミグラスソースが、肉厚のハンバーグに染み込んで一つの料理として完成されている。まともな料理なんてあのクリスマスパーティぐらいでしか自分ではやった記憶もないけれど、ここはちゃんとしたお店だということくらいはわかる。

 よかった、しっかり選べてますね、トレーナーさん。特別な時間のための、特別な場所を。私とあなたのために、選んでくれてるね。

 とはいえもしかしたら少なからず、美味しいなんて料理への感想にすら、あなたと食卓を囲んでいるというのは理由にあるかもしれないけど。けれどそうだとしたらやっぱり、今の食事も特別を確認する行為なのかもしれない。

 あなたと私が、特別だって。

 ぱく、ぱく、もぐ、もぐ。ついつい、黙々と食べてしまう。何も他に考えてないみたいに、黙々と。

 それでも向かい合っている限り、料理を捉える視界の端にあなたの大きくて少し節のある手の甲を入れてしまって。そんな優しい私とは違う男の人の手が、少しぎこちなくスプーンを扱うのをこっそり眺めて。

 言葉がなくても、今の時間は幸せだった。

 あなたと二人なのだと、実感できた。

 そうして七割くらい、お互い七割くらい食事を終えた頃だった。初めて食べたってくらい美味しいものを食べて、気持ちも身体も満たされて落ち着いて、緩やかな暖かさが身体を包み始めていた頃だった。

 おもむろに、トレーナーさんが口を開く。

 当たり前といえば当たり前の話題で、だけど確かな、今までとは明確な差のある言葉。

 そんな、言葉を。

 

「さっきの映画、良かったな。本当に良かった。誘ってくれてありがとう、スカイ」

 

 この特別な時間を、あなたの方から更に彩ろうとする言葉を。

 私の空回りじゃないんだって、ちゃんとあなたを意識させられているんだって。そう、思えるような。あなたが今を特別だと思ってくれる、そういう言葉だった。

 そして、あなたの言葉はそこでは止まらなくて。

 少し照れ臭そうに、けれどあなたの歩みは止まらなくて。

 未来の結実に進んでいるのは、私とあなたの二人だった。

 

「あの主人公とヒロインは、たまたま出会ったわけじゃないか。別々の目的で夜道を歩いていて、たまたま。特別な意味を持って、何かを決めて待ち合わせしていたわけじゃない。だけどそこから物語は始まった」

「まあでも、映画ですからねえ。たまたまとは言っても、そう脚本で決まっていたといえばそう決まっていたものです」

「それはそうかもしれないが、俺はあれを観てこうも思ったんだ。案外、現実もそんなものかもしれないって」

 

 ……ほう。いつも正論ばかりのトレーナーさんにしては、なんというか珍しい発言な気がする。結論のはっきりするはずもない、自分なりの考え、なんて。

 まあたまには聞けていたこともあったかもしれないけれど、こんなふうにそれを赤裸々に語ることはなかったと思う。

 ここに来て、ここまで来て、あなたの新しい一面を見ていた。あなたを見ることは、あなたへの想いを深めるもの。もっと知れてよかったと思えるもの。

 新たなあなたを知って、もっともっとこう思う。

 やっぱり、あなたが大好きだ。

 

「現実も、ですか。現実はフィクションじゃないですよ、でも」

「だとしても、というか。たとえば俺とスカイの出会いは、偶然だった。たまたま、君がサボっているのを見つけた」

「そうですねえ。あの日トレーナーさんに見つからなかったら、今日の私は代わりに一体どこで何をしていたのやら」

「でも、見つけたなら必ず声をかけたはずだ。俺がサボりを見過ごすはずはないからな。そしてそれなら、偶然というだけじゃないのかもしれない。さっきの映画と、同じだ」

「……どういう、ことですか」

 

 初めて聞く、あなたのあなたなりの考え。あなたが正論の底に沈めがちな、本当の気持ち。それは私がすぐさま推し量るには大きくて深くて、翻弄されてしまう。やっぱりあなたは大人だなあ、そんなことを思った。

 そしてそうやって聞き返す私に、真っ直ぐ意図が伝わるように。あなたの瞳が、私の瞳を捉える。いつのまにか二人の食事の手は止まり、互いが互いを見つめていた。青と黒の視線が、二人の真ん中で繋がっていた。

 ちょうど、真ん中で。

 あなたは言葉をしっかり伝えるために。

 私は言葉をしっかり受け止めるために。

 気持ちの一致。

 それは私たちのつながりを、今までで一番強くしてくれるのだ。

 

「現実にあるような偶然でも、物語にあるような運命でも、そこにあった出会いに価値を見出したから、それは出会いになったんだ。価値を見出したのは、出会った人同士の意志なんだよ。それは、あの主人公とヒロインもそうだし」

「私とトレーナーさんの関係も、ってことですか。……なるほど、ですねえ」

「……すまん。少し、いやかなり変なことを言ったかもしれない」

「いやあ、確かにびっくりしました。トレーナーさんがそんなロマンチストなことをいうなんて」

「その、今からでも忘れてくれないか」

「やでーす。絶対覚えときます」

「なんでだ。トレーナーの指示だぞ」

「そんなのしょっちゅう無視するのがセイちゃんじゃないですか。絶対、忘れませんよーだ」

 

 ほんと、絶対忘れてやるものか。

 あなたはきっと気づかず言ったのだろうけど、今あなたはものすごいことを言ったんだぞ。

 あなたと私の出会いは、互いに価値を見出したからこそだって。つまりあなたもそこからすべてが始まったって、私と同じくらいあの出会いを想ってくれてたんだって。すべての始まりから今この瞬間に繋がるという大それた感覚さえ、私とあなたで同じだったって。

 それに、それにだ。あの主人公とヒロイン、それと私とあなたを重ねるのなら。何気ない出会いから最後には愛で結ばれた、そんな二人にさえ重ねてしまうなら。

 きっとやっぱり、あなたの発言自体に今はそんなつもりはないのだろうけど。

 ありがとう。

 あなた自身から、私の恋を肯定してくれて。色々な人が後押ししてくれてここまで来て、最後に背中を押してくれるのが、他ならぬあなた自身だなんて。

 よし、大丈夫。もとより引き下がる選択肢なんてないけれど、あなたまでそういうなら尚更だ。

 最後の、本当に最後の大作戦。

 策士セイウンスカイ、そのすべてをあなた一人のために尽くしてやろうじゃないか。

 

「ご馳走様。本当に美味しかったな」

「ご馳走様をいうなら私の方ですよ、奢ってもらったんですから。美味しかったですね」

「ああいや、お店に向けてというか。……スカイの方を向いていうのは変だったな」

「いいですよ、そんなのいちいち気にしなくて。それよりご飯を食べ終わったら、ちゃんとお店を出ましょうね。食事中の談笑はともかく、その後も居座るのは御法度です」

「そうだな。なら、帰るか。今日は本当に楽しかった。色々新鮮なこともあったが、誘ってくれてありがとう」

 

 ──ほら、そう言うと思った。

 予定が全部終わって、そんなふうに心底ほっとしてくれると思った。

 

 これだけ慣れないことをさせられて、緊張して、それでも楽しくて、それがひと段落した今なら、あなたの頑固な気持ちが丸裸になると思った。

 だから。

 

「何勘違いしてるんですか、トレーナーさん。まだもう一つ、行くところはありますよ」

 

 だから、そこを逃さない。

 釣りは長い根気の勝負であり、逆にほんの一瞬の隙を必ず逃してはならない勝負でもある。

 だから、このタイミングまで黙っていた。長い長い一日の、最大の瞬間を捉えるため。

 最後の仕掛け、あなたという大物を釣り上げるための運命の一手は、ここで打つ。

 

「……え?」

 

 よし、ばっちりだ。

 取り繕うそぶりもない、本当に無防備な一言があなたの口から漏れる。

 もう、逃げられない。

 もう、離さない。

 終わりまで、必ず一緒にいる。

 今日の終わり、未来の始まりまで、必ずだ。

 少しわざとらしくあなたの前に躍り出て、ふわふわとスカートを浮かせて。

 もう一度大人の私を意識させてから、私はあなたに一つの提案をする。

 もっとも、拒否権なんてないけれど。

 ここまでやって拒否するようなやつだなんて、一度も思ったことはないけれど。

 だから、今からはまた攻守交代だ。

 告げた瞬間、私のリードが確定する。

 二人が今日たどり着くゴールが、確定する。

 さあ、告げよう。

「行きますよ、観覧車。最後は二人で、観覧車に乗って終わりましょう」

 あの入学式の日から始まった長い長い道のりのゴールが、一体どこにあるのかを。

 これからの二人の、特別な日常のスターティングゲートが、一体どこにあるのかを。

 あなたと二人なら、ゲートに入るのは怖くない。

 終わりの瞬間も未来の確定も、むしろ幸せになってしまう。

 そう、私は告げたのだ。

 今日の、終わり。すべての、終わりを。

 私の「観覧車に行こう」という一言には、流石にトレーナーさんもとってもびっくりしたみたい。しばらく固まって、眉毛も目蓋もぴくりともしなかった。

 まったく、食べ終わったんだから早く店から出なきゃいけないのに。

 わかってるくせに、断れないことなんて。

 わかってるくせに、もう完全に捕まったってことなんて。

 ……ああ、少しくらい強引にしてやるか! 

 

「もう、行きますよ!」

「あっ、おいちょっと、スカイ!」

 

 ぐいっ。成人男性一人引っ張るくらい、ウマ娘の膂力を以ってすればわけもないことだ。そのついでにちょっと手を繋ぐのも、この際ほんの少しのフライングみたいなものだろう。

 そういうことにしておいて、後でそのぶん責任を取ってもらおう。

 全部全部の責任を、はじめての恋をさせた責任をね!

 

「ご馳走様でした、また来ますねー」

「はい、ありがとうございました」

 

 店員さんに挨拶して、がらんがらんとベル付きのドアを少し強めに開いて外へ出る。

 ちなみにまた来るというのは、もちろんトレーナーさんと一緒のつもり。未来の話だとしても、私にとっての未来はもう目に見えるくらい近いから。

 恋は、愛へと変化する。今日の数々の積み重ねによって、そんな未来が確定しようとしていた。

 片手はずっと、トレーナーさんの右手首を握りしめたまま。調子に乗って走っちゃうとトレーナーさんを潰しちゃうので、ほんの軽い駆け足くらい。まあ、このくらいは急いでもいいよね。楽しいことが間近に近づいているのなら、気持ちは急いでしまうもの。

 私らしくゆっくりのんびりもいいけど、気持ちが急ぎたいならその気持ちに素直にならなきゃ、それだって私らしくはないんだから。

 昼下がり、まだ青い空の下。

 あなたの手を繋いで引っ張って、すぐそこに見える真っ赤で大きな観覧車の足元へ向かう。

 そこから見えるもの。

 そこで過ごす時間。

 多分今日あった特別なものの中で、一番短くてあっという間なのだろうけど。

 一番特別で、幸せだ。

 始まる前から、そう決まっていた。

 理由はやっぱり簡単で、誰でもわかるくらい単純だ。

 ここが、積み重ねの一番上だから。

 ここが、告白をする場所になるから。

 純白の恋を告げる、終わりの場所になるから。

 青碧を愛に超える、始まりの場所になるから。

 トレーナーさん、最後の勝負だよ。

 あなたを釣り上げて、私と対等なところまで持ってくる。

 全部を告げる。

 全部をあげる。

 だから、だから。

 私を、見てよ。

 今までで一番キレイな、最高の私を。

 クライマックス、最後の瞬間。

 舞台の上にあるものすべてが最も美しく映るのは、フィナーレ以外あり得ないのだから。

 

 

 

 

 

 

 がこん、がこん。結構人は並んでいて、私たちが乗る観覧車がそうやって動き出したのはチケットを買って待つこと二十分ほど後だった。その頃にはトレーナーさんも状況を受け入れた様子だったので、手首を掴むのはやめてあげた。

 チケットは私の奢りになってしまったから、トントンだったはずの貸し借りは私に貸し一個多い状態になってしまったかも知れないけれど。

 ……まあ、それはこれから返してもらうわけだし。

 だからここまで、計画通り。

 最初からの、作戦の通りだ。

 

「外の景色綺麗ですねー、トレーナーさん」

「……そうだな」

「あっ、あれトレセン学園じゃないですか? ほら、あの端っこ」

「……そんなに近づくな」

「しょうがないじゃないですか、狭いんだから」

 

 そしてそんなふうにむりやり連れ込まれたトレーナーさんは、さっきから外の景色に目を向けてばっかりだ。態度もそっけない。

 だけどそれでも観覧車の中なんて狭くて、互いの呼吸の音さえ聞こえてしまう。

 今日で一番、あなたを意識してしまう。

 けどそうやって相手を意識してしまうのは多分あなたも同じ。

 だから必死に目を逸らしてるのかな、なんて。そうだったら、いいな。

 トレーナーさんの、大きな身体。私のちっぽけで肉のついてないそれとは違って、引き締まった筋肉がシャツの上から見て取れる身体。やっぱり、あなたは私より大人だ。私も大人だと言っても、いまだにそこには差があるのだろう。

 向かい合って座れば、身体つきだけじゃなくてそのサイズの差だって明瞭になる。

 座っている状態でも、私より一回り大きいところにあなたの顔があるのがわかる。私の身長に耳の長さまで計上しても、そうしたってまだあなたはとっても大きい。大人の私をこれほど見せても、まだまだあなたの方が大人な気がした。

 きっと抱き締めてもらうなら、少しあなたに屈んでもらわなければ叶わない。

 きっと口付けを交わすなら、少し私が背伸びをしないと叶わない。

 それは事実。身体の距離は、どちらかがどちらかに寄り添わなければゼロにはならないのだ。

 そのことは、よくわかっている。

 これほどまでさまざまの努力と時間を重ねても、私とあなたの身体は重ならないのだろう。

 それでも、今なら。

 今の私ならもう一つわかるのは、気持ちの距離はゼロにできるということ。

 だから、寄り添い合えるのだ。

 寄り添うことさえできれば、二人の距離はゼロにできるのだから。

 身体も気持ちも、ゼロ距離で熱を伝えられる。

 大人と大人、対等な私とあなた。

 だからこそ私は、あなたに恋をできるのだ。

 観覧車はゆっくりと回り、一番高いところに近づいていた。

 地上の景色は遠く、世界は二人だけのものになる。

 ──この頂点で、想いを伝えたい。

 そう思ってから口が動くまで、刹那のタイムラグもなかった。

 どんなに重大な決断だろうが勇気が必要だろうが、覚悟は決まっている。

 とうの昔に。

 完璧なタイミングを、最高の瞬間を狙っていただけ。

「ねえ、トレーナーさん」

 ねえ、今はわざとらしく外ばっかり見てるけどさ。

 私は今まで、あなたが見ててくれたからここまで来れたんだよ。

 あなたが支えてくれて、「走れる」って言ってくれて。

 しつこく見捨てなかったから、私は渋々走り始めて。

 けれど見ていてくれたから、私は自分を認められるようになった。

 走りたいって思っていいって、誰かのためになれるって、そう思わせてくれたのは、あなたが見ていてくれたから。

 ずーっと、見ていてくれたから。

 

「ねえ、トレーナーさんってば」

 

 もちろん、時には見られたくはないようなものも見られてしまった。

 弱いところ、泣いたところ、みっともないところ、そんなのまで見せてしまった。

 だけど、その上であなたは私を肯定してくれた。私も、その肯定を受け入れた。

 気性難の私があなたを受け入れられたのはきっと、あなたも同じように弱さを見せてくれたから。あなたがあなたのことを教えてくれたから、私はあなたのことを信頼できた。

 自分の弱さを見せてもいいって、思えた。

 そして最後には、恋までしちゃった。

 私はあなたに、恋をしてしまった。

 でも、それもあなたがくれた幸せなのだ。

 あなたが、私に恋を教えてくれたのだ。

 人を愛する、きっかけを。

 

「もー、トレーナーさんったら」

 

 だから今、私はこう願っている。

 今まで色んなことを見てもらえて、私もあなたのことを見て。

 お互いのことを、たくさん知って。

 そうやって特別なつながりを持つことが、幸せなのだと知って。

 だから、だからこう願う。

 今よりも、もっと私を知ってほしい。

 そのあとでお返しに、あなたのすべてを知りたい。

 もう、私は私を隠さない。

 怯えて雲隠れして、逃げたりしない。

 私は、私を肯定できる。

 歳の差も関係の差も超えてあなたの心を射止められると、そんな自信を持てるほどに。

 だから。

 

「トレーナーさん!!」

 

 びくり、目の前の男の人が叱られた子供みたいに反応する。まあ至近距離でこんな大声を、それも滅多に大声を上げない奴の大声を聞いたらそうもなるだろう。

 だけどそれくらいの手段で振り向いてもらえるなら、まったくもって楽な仕事だ。

 

「……なんだ」

 

 今日はいつもより整えられた黒髪。

 連れ回されて疲れたのか、少し汗の垂れた頬。

 少し困惑まじりに、けれどようやくこちらを向いてくれる、わりかし長いまつ毛を二重に讃えたくりくりとした黒い瞳。

 そのすべてが、ゆっくりと私の方へ。

 私の両の瞳で、それを真正面から捉えられた。

 ああ、こうなると顔が真っ赤になるのがわかるな。

 言うべき言葉が喉の七割くらいまで来たあたりで、耳も尻尾もひたすら忙しなくなる。

 でも、でも。

 恥ずかしいのは当たり前。

 怖いのもやっぱり当たり前。

 それでも、それでも。

 気持ちの扉を、開く。

 千の感情が渦巻く今の私の心臓から、一番強くて特別なものを取り出すために。

 

「トレーナーさん」

 

 ああ、ようやく。

 

「好きです」

 

 ようやく、言えた。

 

「担当ウマ娘として、じゃないです。ただ一人の、なんでもない女の子として言います。あなたのことが、大好きです」

 

 恋を告白すること。

 秘めた想いを口にすること。

 恋情とは一度言うのが、言い始めるのが一番難しいのだと思った。

 だって開け放ってしまえば、こんなにもとめどなく溢れてくるのだから。

 

「もちろん歳の差なんてわかってます。トレーナーと担当ウマ娘、大人と子供。それが今までの関係で、私が望んでるのはそれとは違うものなのはわかってます。でも、それでも変えたいんです。私はあなたの特別になりたい。本当の意味で対等な、大人と大人になりたい」

 

 ずっと考えていたことだった。

 何度も悩んで胸がいっぱいになった悩みだった。

 それを解き放って、なによりあなたに正直になれて。

 大好きな人に私の本当の気持ちを知ってもらえることが、幸せでたまらない。

 一言想いを吐き出すたび、世界はより一層鮮やかに見えていた。

 世界の見え方は、私の気持ちは、変わっていた。

 この瞬間視界にあるのは、あなたの姿だけなのだけど。

 あなたが、世界のすべてなのだけど。

 

「今までの関係が、あなたとの関係がとても幸せだからこそ。だからこそ、今から先に進みたい。私は、あなたのそばにいたいんです。どんな日でも片隅に想ってもらえるような、特別な場所に。……これが、今日言いたかったことです」

 

 言い切った。

 そう思うと、途端に全身に疲労がのしかかってくるような気がした。

 けれど一方で真逆の、心の底から活力が湧いてくる感覚もあった。

 全部を出し切った、気がした。まるでレースの後みたいに。もちろんレースとは違って、出し切って終わりではないのだけど。

 がこん、がこん。揺れる観覧車の音だけが、狭くて二人きりの空間に響く。

 答えは、まだない。どこまで行っても、この私の言葉は問いかけだ。あなたがそれを肯定しなければ、受け入れなければ意味はない。すべてを尽くしたつもりだけど、最後に大事なのはあなたの気持ちに決まっている。

 そのために、ここまであなたの気持ちを揺らそうとしていたのだから。

 がこん、がこん。観覧車は大体七割くらい回り終わった後で、このまま黙ったまま降りるつもりなんじゃないかって疑いたくなる。そうだとしたらとんでもないやつだ。そりゃあとびきりびっくりしただろうけど、いくらなんでもそれはないだろう。幻滅しちゃうかも、なんて。

 ……なんて、やっぱりそんな心配は要らなかった。重い重い口を、ものすごく恥ずかしそうにトレーナーさんは開く。まあこれが恥ずかしそうだとわかるのは、私の長い付き合いあってこそだと思うけど。

 そうして、絞り出された言葉は。

 

「……君は担当ウマ娘で、俺はトレーナーだ。だから、その、わかるか」

 

 ……なーんだ、それで。

 それで、否定のつもりなんだ。

 がたん。不安定な足場なんて構いもせず、スカートの皺を整えながら立ち上がる。

 ぎぃ、と少しだけ私の体重で観覧車を揺らしながら、一歩、一歩。

 身体を寄せる。

 僅かに身じろぐあなたの胸に、私の胸元をぴったり押し付ける。

 もちろん、力加減は絶妙に。

 トレーナーさんなら簡単に押し退けられるくらいの、拒もうとすれば拒める詰め方で。

 そして、身体はぴったり重なって。

 互いの息が当たるところまで、あなたの顔に私の顔を近づけて。

 ──ちゅっ。

 はじめての、キスをした。

 ようやく触れられたあなたのそれは、すこしかさついた唇だった。

 幾度も夢で見て、だけど心の裏ではきっと手が届かないと思っていたもの。

 キスを、していた。

 唇と唇を三十秒ほど合わせるだけの、甘酸っぱいキス。

 けれど三十秒、あなたからの抵抗はなかった。答えがないことが、何よりの答えだった。

 永遠にも思えた一瞬を終えて、鼻の先が触れそうな距離のまま私は言う。

 もう一度そのくらい近くでトレーナーさんの顔を見れば、やっぱりあなたの気持ちははっきりしていたし。いつも通り、わかりやすすぎたし。

 ずばり、指摘してやった。

 

「トレーナーさんがそうやって正論をいう時は、決まって本心を隠す時じゃないですか。バレバレなんですよ、あなたは」

「……でも」

「でもじゃない。もうバレてるんだから、キスだって拒めなかったんだから。既成事実ってものはできちゃってるんですから、諦めてください」

「だが、俺でいいのか? ……その、そんな気持ちを向けられるのは初めてだ。多分不器用で、人付き合いは上手くないからだ。それはその、嬉しい、とは思う。だが、本当に俺で」

 

 もう、本当に困った人だ。

 全部言わせる必要はないだろう。

 私の気持ちを受け取った、肯定した、嬉しかった、そういう言質は取った。

 もう一度、もう一寸。

 ──再び、唇を重ねる。

 んっ、とくぐもった声だけで、強制的にあなたの言い訳を止める。

 そして口を離した後、間髪入れずに言い放ってやる。もう釣り上げた獲物なんだから、今やってるのは神経締めみたいなものだ。

 

「そんなの、決まってるじゃないですか」

 

 がこん、がこん。観覧車は、ちょうど下に降りてきたみたいだ。タイミングが良くて大変結構。

 最後にとどめを刺してから、二人で元の世界に戻れる。

 

「あなただから、いいんですよ」

 

 まるで生まれ変わったみたいに見える、新しい世界に。

 こうして、最後の特別な時間は終わった。

 一番短い、けれど一番特別な。

 きっと、永遠に残る思い出になるだろう。

 この時間こそ私とあなたの二人にとって、新しい始まりなのだから。

 

 

 

 

 

 

 観覧車から降りて、今度こそ帰路に着く。

 案外劇的に何かが変わった感覚はないけれど、それでも心の隅にずっと暖かいものがあった。

 多分、これが目指していたもの。

 日常の特別に、お互いを置くということだ。

 恋人と、いうことだ。

 

「いいか、スカイ」

「なんですか、トレーナーさん」

「気持ちは嬉しい、それは認める」

 

 それはそれとして、しばらく歩いたあたりでトレーナーさんが喋り出した。さっきまでたじたじだったぶん、やっと元気が出てきたのかもしれないけど。だけどその元気でまさか先程までのあれやこれやを撤回しようとするなら、ぶん殴られても文句は言えないぞ。

 なので、再確認を取る。生簀の魚がいまさら逃げようとするな、まったく。

 

「じゃあ言ってみてください、私のことが好きって」

「……わかった。スカイのことが好きだ。そう、それも認める」

「じゃあなんですか」

 

 よし、よし。

 実際言わせてみると、とんでもなく嬉しいな、これ。

 何回聞いても飽きない気がする。あなたのその言葉なら、永遠に聞いていられる気がする。

 ああ、好きだなあ。

 本当によかった。

 気持ちを伝えて、よかった。

 ……でも、まだなんか含みがあるみたい。

 ずいぶんと困った人だけど、恋人のわがままを聞いてやるのもいい女というものだろう。

 

「これだけは守らせてくれ。俺は教え子には絶対に手を出さない。これは言い訳じゃなくて、君のことを思うからだ。なんと言おうとトレーナーとして、担当ウマ娘を大切にしないわけにはいかない」

 

 うーん、その「正論」は流石に一理ある。正論の理由を私のためにするなんて、トレーナーさんもちょっとは口八丁が上手くなったなあ。私から教えられたこと、かもしれないな、うん。

 

「えー、じゃあデートもこれっきりですか」

「そうだ。そもそもデートだということなら、誘いを断っていたはずだ」

「あんなに楽しそうにしてたくせに」

「それとこれとは、別だ」

「本当、頑固な正論男」

 

 まあ、そんなところも大好きなんだけどさ。

 だけどあなたが正論を使うなら、たまには真っ向から向き合ってやろう。

 当然、口で勝つのは私の方だ。

 

「でも、それなら待っててくれるって意味ですよね? 『トレーナーと担当ウマ娘の関係』を大切にするってことなら。私が大人になって、あなたの隣に立てるくらいの時間が経ったら、その時は迎えに来てくれるってことですよね? 言葉通りなら、そう受け取りますけど」

 

 そういうことなら、仕方ないよね。

 あと何年かかるかわかんないのに、それでも待つって今から言ってくれるなら。そこまでちゃんと向き合われたら、それを裏切るわけにはいかないや。

 そんなに、そんなに嬉しいことを言われちゃったらさ。

 恋が愛に変わった空の果てまで、ずっと一緒だって言われたらさ。

 ああ、私は幸せ者だ。

 今なら世界で一番かも、そう思えるくらいだよ。

 

「……そのつもりだ。責任を持って、待っている。だから、それまでは」

「じゃあそれまでは、お触りなしで。でもお出かけするくらいは許してくださいよー、トレーナーさん」

「わかった、わかった。だがそれまでは──」

 

 ぎゅっ、ぎゅっ、するり。

 あなたの右腕に私の左腕を絡める。

 絡めて、絡めて、指の先まで。

 恋人繋ぎ、というやつだ。

 恋人同士だからこその、甘酸っぱいゼロ距離だ。

 またじたばたするあなたのふしくれだった指を、全部全部柔らかく絡め取る。

 そりゃあ、こうなるでしょうに。

 

「……おい、スカイ」

「えー、なんですかー? 恋人同士手を繋いで、嬉しくないですかー?」

「触らない、という約束は」

「それは、今度から。今日はだって、デートじゃないですか。それより、嬉しくないんですか?」

「……それは」

「私は、嬉しいですよ。とっても。ありがとうございます、私の気持ちを受け取ってくれて」

 

 きっと、恋はありふれている。けれど今日成立したこの恋は、世界でただ一つだけ。私とあなたのつながりは、世界で一つの特別なもの。

 私の気持ちを、あなたが受け取ってくれたおかげだ。

 一人で抱えていた恋は、二人で抱える愛になるんだ。

 

「それはこちらこそだ。その、ありがとう」

「はい。これからも、よろしくお願いしますね? やりたいこと、目指す夢、トレーナーさんへのお願いはたくさんあるんですから」

「もちろんだ。スカイのトレーナーとして、その……恋人として。どちらも、全力を尽くすぞ」

「ふふっ」

「何がおかしいんだ」

「いやあ、可愛いなあと思って。それなら私も、全力を尽くさなきゃですね。……これから先、末永く」

「……ああ。大切にする」

 

 本当に、隙だらけなのにしっかりした人だ。その一見矛盾した振る舞いはきっと努力の賜物で、存分に支え甲斐があるというもの。

 そう、そのつもり。愛する人の全部を支えられるよう、強さも弱さも全部を受け入れなくちゃ。あなたが私を受け入れてくれたのだから、これからあなたを私が受け入れるのも当然の道理だ。

 これから。これから、これから永遠に。私とあなたは支え合い、愛し合うのだ。

 ほっぺた全部を桃色に染めた、今までで一番くしゃくしゃな笑顔であなたを見上げて。

 愛おしむ手のひらと最高の表情で以ってして、私はあなたにそう伝えた。

 言葉だけじゃなくて、言葉で伝えきれないことさえ。私のすべてを、それで伝えた。

 これが私の、恋の終わり。

 これが私の、愛の始まりだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今日は今までの集大成で、同時にこれからあるものすべての始まり。積み重ねとはそういうもので、始まりと終わりが何度も何度も繰り返される。変化も成長も悩みも挫折も、つながりを見出せるから意味を成す。

 今までとまるで変わってしまったように見えても、それは絶対にこれまでの人生に裏打ちされている。無駄な時間はない。回り道や休みも時には必要。

 だから、人は大人になれる。長い時間をかけたからこそ、私たちは大人になれる。立ち止まっている瞬間すら、大人のための準備なのだ。

 いつかは諦めてしまったことも、届かない夢だと思っていたことも、未来でまでそうとは限らない。大人になっても、諦めなきゃいけないとは限らない。だって人は変わってゆくもので、だけど一方でまったくの別物になることもできないものだから。

 変化するのは己の本質ではなく、世界の見え方。

 視野が広がり色づいて、成長するたびに幸せなことが増えていく。そういうものなのだと、それがはじまりから今までを経験した私の結論だ。

 ほら、その証明がここにある。今この瞬間、私たちを、世界を、オレンジ色の夕日が染め上げている。夕日に照らされる何度も体験したはずなのに、橙に染まる景色なんて見慣れたものなのに。空の色なんてどう変わっても、見たことのない色にはならないはずなのに。

 それでもいつでも、空はどうしようもなくキレイに見える。

 夕日も、夜空も、青空も。

 そう思えるのは、きっとなによりの証明なのだ。

 人が日々成長し、世界の見え方を変えていることの、証明なんだ。

 世界は変わらない。

 だけど私たちにとっての世界の見え方は変わるから、いつだってキレイなんだ。

 大人になって見る空も、キレイなんだ。

 褒められたいなんて子供の頃の私の願いは、巡り巡ってこんなところまで来た。遠い遠い、あなたの隣というゴールまで。かつては子供の頃の願い事を後悔しながらも引きずっていたけれど、今ならはっきりわかる。

 大人の今なら、子供の私を見つけられる。

 褒められたいって、思ってよかった。

 届かない夢だなんて、諦めなくてよかった。

 だってそう思っていたからこそ、私は今ここにいるのだから。

 だからこれからも、私は先へ行く。

 きっとまた苦難があって、どんなに思い悩むとしても、苦悩は不可能を意味しない。

 広い世界を見渡せばどこかに助けてくれる人はいるし、気づかなかった自分の気持ちに気づくこともあるのだから。

 苦しいことも楽しいことも、ものの見え方と気分次第なのだから。

 そうして先へ先へと進んだ、長い長い旅路の果て。

 最後の最後のゴールに、いつか私たちはたどり着く。

 ゴールというものには特別な何かがあって、そのうちの一つとして今日という日が終わる。

 これから先の、新しい世界を示すために。

 未来の、始まりを告げるために。

 自分の中にあるものがいずれ訪れる変化と成長でどんなに変わるとしても、今まで積み重ねた永遠に変わらない本質を見つけて指針にしていこう。

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 そう、たとえば私の場合は。

 今の私が、永遠に変わらないと確信できる気持ちは。

 私はあなたに、褒められたい。

 この気持ちは、きっとずっと変わらないだろう。

 最高の褒め言葉を、受け取ってもらえたのだから。

 ずっと。

 ずっと。

 ずっと、あなたが。

 ──あなたのことが、大好きだ!




次回 セイウンスカイによる「エンディング・オア・エクステンディング」
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