ニシノフラワーによる「ステイ・ウィズ・ミー」
私が頑張っている理由があるとしたら、それは早く大人になりたいからでした。なんて曖昧な目標なんだろうって自分でも思うけれど、大人になることが私の夢でした。なんでも知ってる大人。誰かに頼られるような大人。憧れになれる、私よりも先にある大人。
実力さえあれば飛び級だってできるトレセン学園は、そんな私の夢を応援してくれている気がしていました。知識を得たい、頼りにされたい、そして誰かを導きたい。そのための道はトレセン学園にあって、ここなら私も大人になれるのだと思っていました。誰かの期待に応えられる、大人に。
でも実際にトレセン学園に入ってみてわかったのは、私はいくら頑張っても、どうしても子供のままだということ。身体的なものさえ覆せうる環境に置かれても、私の精神は幼くて弱い子供のままだということ。
たとえば授業は本来私が受けられないほどに難しいし、そして頑張って頑張って結果を出してみても、授業以外のところでは私は誰かを頼ってしまうばかり。私より年上の誰かは、いつも輝いて見える気がしました。一つ学年が上がるたび、そこにいる先輩の抱えるものは大きくなっているのだと思いました。それは私にとっては、大きすぎるのだと感じました。そのことが分かった一つの理由が、最近あったことでした。
そしてそんな最初からわかっていたはずの、大人になるには時間が必要だなんて結論さえまだ受け止めきれない、自分。大人というものはちゃんと、きっと待っていてくれているのに勇気を出せない、自分。
そんな焦り。自分への苛立ち。そういったものが、今の私の中心にありました。
スカイさんが元のチームに戻ってからの私はそうやって、ずっとずっと悩んでいました。ちょっと前までの日常は今と同じものだったはずなのに、最近少し変化したばかりのそればかりを追い求めていました。過去の話で、未来に一定の解決策があることもわかっている悩み。大人なら、時間が経てば変化するとわかるくらいの悩み。だから大人な他の人たちはみんなとっくに解決した、取るに足らないはずの悩みでした
。
(ねえ、スカイさん。私、どうしちゃったんでしょうか)
子供の私だけが、悩み続けていました。
「お疲れ様です、トレーナーさん」
「お疲れ様、フラワー」
ぽかぽかとした春の陽気がふきだまりを作っている放課後、私はいつもチーム<デネブ>の部屋にいます。今日もトレーナーさんと今後の練習メニューの確認です。トレーナーさんが私のことを頼ってくれるのは嬉しいけれど、たまに私でいいのかな、そう思う時もあります。もちろん私はチーム<デネブ>のリーダーで、それはトレーナーさんからの期待の表れ。それだけ優秀なのだと、頑張っているのだと思ってもらえているのでしょう。
でも、子供の私はちょっとしたことで不安になってしまいます。トレーナーさんの横に立つには力不足じゃないか、子供の拙い考えに気を遣わせていないか、他にもいろんなことを心配してしまいます。きっとその何倍も、トレーナーさんは私を心配してくれているのでしょうけど。それはわかっているのに、わかっているからこそ私は不安を抱えてしまいます。
大人と子供の差にある、不安を。
「はぁ……。フラワー、あなたやっぱり」
いつも通りに二人でトレーニング工程の確認を進めていると、不意にトレーナーさんがため息を一つ。やっぱりって、なんでしょうか。私、何か間違えてしまったでしょうか……。
また、不安。最近は特に、こればかり。
ほんの少しの時間一緒だったあの人に、いつかまた会えるはずのあの人に、今だけしかない喪失感を覚えているから。支柱を一つ失ったみたいに、今の私はすぐにぐらつく。他の人はみんな、時間が解決すると知っているのに。
そんな自己嫌悪が瞬く間に湧いてくるのも、今の私のおかしなところ。
このままじゃあ、大人にはなれないのに。
けれどそんな私の考えを見透かすかのように、トレーナーさんは違うの、と話を切り出します。安心して、そう言われた気がしました。やっぱり、大人の優しさでした。
「ああいや、一つ頼まれてくれないかしら、と思ってね。フラワーにしかできない仕事よ」
「なんでしょうか? 私でよければ」
謙遜のしすぎは良くない。それは知っていても。私にしか、と言われるとつい、私でよければ、と返してしまって。これも、最近よくあること。
こんなふうに、自分の嫌なところばかり見えてしまう。そう思うことすら、きっと良くないはずなのに。深く深くまで自分でも見たくないものを見て、それで何になるのかな。
「ありがとう。それじゃ、お願いしたいのは──」
そして、トレーナーさんは私に一つの頼みごとをしてくれました。そう、私のために。
あとから思い返せば、きっとその提案は私のことを考えてくれたからこその頼みごとだったのでしょう。他人には誰にもに言い出せない、それどころか自分で自覚すらしていなかった悩みの種。それに自分で気づけるよう、トレーナーさんは道を示してくれた、そう思います。
そんな思いやりに、大人の思いやりに私がちゃんと気づくのはもう少しあと。
今ある悩みを振り切って、私が少し成長したあと、だけれど。
「えーと、このあたりでしょうか」
トレーナーさんから渡された地図を片手に、学園のはずれをうろうろ。私が任された仕事というのは、この先の連携に向けて<デネブ>を代表して挨拶をしに行くことです。もちろん、チーム<デネブ>のリーダーに相応しい仕事。
そしてつまり私が向かう先は、チーム<アルビレオ>のところ。スカイさんのチームへ、一人で出向くことなんですけど……。
たどり着いた目的地らしき場所は、小さな小屋でした。ちょっとおんぼろ? って、そう言ったら失礼ですよね、すみません。看板にはアルビレオの文字。うん、間違い無いですね。灯りがついているし、誰かが中にいるみたい。
……スカイさんだったら、どうしよう。
どくり。少しだけ湧いた考えが、私の中でどんどん膨らんで。その考えが、近づいたはずの<アルビレオ>の部屋との距離をどんどん引き剥がしていく気がします。
手をかければすぐ開くはずのドアノブが、とても遠い。怖がる理由なんて何もないはずなのに、立ち尽くしてしまいます。
そう、何もないはず。子供の私には、自分の意図すらわからないまま。
するとそうやって立ち止まっていた私の代わりに、向こう側からドアが開かれました。多分、私の影を部屋の内側の窓辺りから察知して。また、人に気を遣わせてしまった。そうは思ってしまうけれど、状況が動いたことにはやっぱり安心して、誰かに支えられて進むことができて。
部屋の中から出てきたのは、知らない栗毛の人でした。快活な髪型と大きな背丈、多分それなりに年上の先輩。
スカイさんとは、違う人。そのことに、少しほっとしてしまいます。ちくりと胸のどこかを痛めながら、それでもほっとしてしまいました。
「えっと……どちら様、でしょうか……?」
「……あっ、すみません! 私はニシノフラワーといいます! えっと、チーム<デネブ>から、今後のことをお伝えに、あと挨拶に」
扉を開けられて、恐る恐る挨拶されて。けれどそんなふうにぼうっとしてしまって、名乗ることさえ忘れてしまっていました。なんとか口から出てきた言葉もぐちゃぐちゃで、焦っているのが丸わかりです。
しっかりしなくちゃ、それが私が大人になるために必要なことなのに。
焦ってぐちゃぐちゃな子供のままじゃ、誰の期待も背負えないのに。
「なるほど、そういうことなら歓迎します、フラワーちゃん! あっ、私の名前はナリタトップロードです!」
けどそんな私の慌て具合も気に留めず、にこやかにこちらに手を差し伸べるトップロードさん。それだけのことだけど、優しい人だな、と思いました。大人ってこういうのかなあって、少し眩しく見えました。
私とは、対照的だとも。
私は誰かに、手を差し伸べられるのかな。
それから部屋の中に案内されて、とりあえずトップロードさんから<アルビレオ>の説明を受けて。お返しに<デネブ>のこともお喋りして、それが<デネブ>と<アルビレオ>の両方のための時間になっていました。双方のチームの良し悪しとか、それを踏まえてこれからどう協力すべきかとか、チームのリーダー同士実のある会話ができて、トレーニングが始まる頃にはすっかり打ち解けていました。
そして私の心も少し、少しほぐれていました。誰かのためになれた、その実感があったから。
だって私の目指す大人は、そういうものだから。
けれど、そうやって時間は過ぎて。
大人にとっても子供にとっても、時間は平等に過ぎるものだから。
「あ、ごめんなさいフラワーちゃん。もうトレーニングの時間ですね」
「いえ、気にしないでください。色々参考になりました」
「それにしても本当、しっかりしてますね! スカイちゃんから名前と話は聞いてたんですけど、噂に違わぬというか」
──え。スカイさんが、私の話を?
そんなふとした言葉を聞いて、また心の中に何かが膨らんでいくような感覚があって。
でもやっぱりそれに答えは出せなくて、それは言葉にならなくて。
そんな私を見かねて、じゃないでしょうけど、そんな私にトップロードさんが助け舟を出します。少なくとも、私には助け舟でした。
「あ、せっかく来てもらったんですし、トレーニング見ていきませんか?」
「えっと、その。そんな、いいんでしょうか」
「<デネブ>のトレーナーさんは、今日いっぱい時間をくれたんですよね? それならすぐに帰らなくてもいいじゃないですか!」
「そ、それはそうなんですけど」
「それに。スカイちゃんもきっと、フラワーちゃんに会いたがってると思います」
その言葉で、やっぱり揺れて。そして私はそのままトップロードさんに丸め込まれて、トレーニング場へ二人で向かい始めてしまいました。
手を引かれたりしたわけではないけれど、きっと心は連れられて。
こういうのも大人だとしたら、私はまだまだ敵わないなあ。
そんなふうにも、思ってしまったのでしょう。
陽気はまだまだ残っているけど、少し日が落ちてきたグラウンド。そこに向かってゆく私は、もしかすると少し駆け足だったかもしれない。
はあ、はあって、息の切れる音が聞こえたから。
早く早くって、気持ちが焦っているのはわかったから。
なんの理由かは、もやもやしたまま。
「フラワーちゃん、速いです……」
「すみません、トップロードさん」
「褒めてるんですよ! 制服って走りにくいですけど、それでもフォームが綺麗だったので」
その言葉でやっと気づく。私、やっぱり走ってたんだ。
駆け足くらいのつもりで、それ以上に。でもそうしてしまっていたことにも気づかないなんて、本当に私はどうしちゃったんだろう。
そんな疑問に答えを出そうとした、あるいは出そうとするだけどんどん沈んで行こうとした、その瞬間のことでした。
「あ、フラワーじゃん。久しぶり」
「あ……スカイ、さん」
ひどく、と言っていいかもしれないくらい、あっさりとした再会でした。
少なくともスカイさんは、あっけらかんとした口調でした。
そもそもほんの数日会ってないだけで、再会というのも正しくはないかもしれません。それでもその時その瞬間、私の中で何かが変わった気がしました。
きっと、そのことには意味があるのだと思います。
変化には、意味があるのだと。今まで知らない何かに気づかせてくれる、そんなものだと。
「嬉しいなあ、わざわざ会いにきてくれたんだ」
「あのすみません、そういうわけじゃなくて、頼まれて」
「冗談冗談。フラワーは真面目だし、そんな理由で<デネブ>のトレーニングをサボったりしないでしょ」
そんなふうに、けらけらとわたしをからかうように。久しぶりに喋ってみても、スカイさんは変わらない。そんなふうに思えました。
私は、その逆。こんなに揺れて、この瞬間にも変わっていて。
大人じゃ、ない。
「スカイ! まだトレーニング中だぞ!」
そうやって会話していた私たちの方へ向けて、奥の方から大きな声。そちらに顔を向けてみると、遠くから声だけ届かせる男の人の影がありました。あの人が<アルビレオ>のトレーナーさんでしょうか。
その声を聞いてぴくんとスカイさんの耳が動きます。その反応から、スカイさんにとってこの場所が馴染んだものであることが垣間見えた気がしました。
「呼ばれちゃった。あとでまた話したいことあるし、良かったら待っててくれると嬉しいんだけど」
「はい、私は構いませんけど」
「ありがとフラワー。じゃ、もうちょっと頑張りますか」
そう言い残して、スカイさんはグラウンドの中心へと駆けていきます。グラウンドまで向かえば自然と他のチームメイトの方々に囲まれて、軽く笑みを浮かべていました。
元気そうで良かった、そう思うはずなのに。
スカイさんの姿を久しぶりに見れて、安心したはずなのに。
なんだかそれだけでは、しっくりきませんでした。
そのまま、<アルビレオ>の練習を眺めながら、私はずっと、何かを考えていました。
何か、何かを考えなきゃいけない気がしていました。
けれど少しも、考えはまとまりませんでした。何を考えているのかも、ずっと。
ずっと、子供のままでした。
夕日が落ちて、星が僅かに見える空。青空はペンキみたいなオレンジ一色に一瞬変わったあと、すぐに黒へと変わっていきます。
それだけの時間が、あっという間に経ちました。子供の私にとっても、あっという間でした。だけど結局そこまで考え続けても、自分が何に悩んでいるのかすらはっきりしなくて。
どうして焦るのか、どうしてもやもやするのか。解決策の前の問題すら、わかりませんでした。
子供の私には、わからないままでした。
そのせいでトレーニングを終えたスカイさんがこちらにやってくるのに気づくのも、少し遅れてしまいました。なんとか慌てて、労いの言葉を述べます。
「あっ、お疲れ様ですスカイさん」
「ありがとう。いや、本当疲れるよね。<デネブ>の効率的なトレーニングが恋しいなー、なんて」
「今トレーナーさんと一緒に、<アルビレオ>との合同トレーニングを組み立てているところです。もう少し、お待たせしてしまいますが」
「なるほど、流石だね。<デネブ>のトレーナーさん、元気してる?」
「はい。今日<アルビレオ>を見に来たのも、トレーナーさんの指示です」
「それは良かった。それじゃあ、フラワーは元気?」
私は、元気か。その問いを聞いて、言葉に詰まってしまいます。今の自分は、どうしているのか。どうなって、しまっているのか。
スカイさんの言葉にどう答えるのかにも、悩んで、悩んでしまう。そう悩むこと自体がきっと元気とは呼べないのでしょうけど、そんなことにも気づかない。
きっと、しっくりこない。
考えても見つかるのは得体の知れない問題や不安ばかりで、病巣も解答も見つからない。
本当に、私はどうしちゃったんでしょう。
けれど、その時でした。スカイさんが、はっと思いついたように。
だけど多分、しっかり私を見たから。
一つの提案を、投げかけてくれました。
「そうだフラワー、明日暇かな? 一応学園も休みだし」
「えっ、えっと……。暇、だと思います」
「そっか、なら一緒に散歩しない? 朝からのんびり、二人でさ」
それは、突然の提案でした。私はいつも暇な日は部屋で勉強していて、一人で遊んだこともありません。美化委員として花壇に水を遣るのは、もしかしたら趣味を兼ねているのかもしれませんけど。だから今問われた「暇」とは経験のないことで、私にはこれまで縁のなかったもの。だけど私にもそんな、息抜きというものが必要なのでしょうか。
確かにそうかもしれない、そう思いました。今抱えるもやもやは、そうすれば晴れるかもしれない、そう思いました。
スカイさんの言うことなら、そう思ったからです。
「はい、私でよければ」
「やった。じゃあまた明日、寮の前まで迎えにいくねー」
それだけ伝えると、スカイさんはグラウンドから走り去っていきました。私はしばらく、まもなく日がすっかり落ちるまで、僅かに姿勢を変えつつも、そこにずっと立っていました。
そんなふうに私の外側は動けなかったけれど、自分自身の内側の何かは、今のスカイさんとの会話で少し形を変えていました。
どきどき、していました。
未知はきっと、人を大人にしてくれるから。
次の日の朝はすぐに来ました。目を覚ました直後に瞳に焼きつくよく晴れた青空が、窓の外から私を待ち構えている気がしました。今日は制服じゃなくて、私服に袖を通して。隣のベッドで寝ているブルボンさんを起こさないように、そうっと部屋を出て。
「いってきます」
誰もいない玄関で、誰かに向けてそう言いました。
そして自分自身で、その声を聞きました。
やっぱり少し控えめだけど、いつもよりはっきりしているように聞こえました。
そう、変わっていました。僅かだけど、確かに変化していました。
がちゃり。そうして、扉を開きます。外に向かって、踏み出します。
春の朝の涼しい風が、タイミングよく私の身体を撫でました。
「おはよう、フラワー」
「おはようございます、スカイさん」
約束通り、スカイさんが外で待っていました。まずは二人で挨拶して、そういえばスカイさんに朝の挨拶をするのは初めてかも、なんて思ったり。当のスカイさんはあくびを噛み殺して、寝ぼけ眼を擦っていました。そういえばスカイさん、朝は弱かったような……。今日は朝の待ち合わせでよかったのでしょうか。
もしそれでも私との時間だからと、一日の始まりを待ち合わせに選んでくれたのだとしたら、それはどうしても嬉しくなってはしまうのですけど。早起きさせてしまったことへのちょっとした罪悪感、それと共にだったとしてもでした。
「それじゃ、行こうか。今日目指すのはあっちの河川敷だよー」
「はい、わかりました」
そして、二人でゆっくりと歩き出します。ゆっくり、歩幅を合わせて。
どこかへ向かうことより、その道のりを楽しむような。
それは私にとって、初めての経験でした。歩いているだけで私の不安がどんどん取り払われてくような、そんな気持ちになりました。
そして少し落ち着くことができて、視野が広がった私は一つのことに気づきました。
並んで歩いてはいるけれど、道路の外側を選んで歩いてくれているスカイさん。
私のことを自然と守るような、そんな立ち位置を選んでいるスカイさん。
もしかしたら無意識の行動かもしれないけれど、それではっきりしたことがありました。今日は、スカイさんの気まぐれじゃない。
私のことを気遣って、スカイさんは散歩に誘ってくれたのだと。
そこで、そのことにようやく気づきました。
だから、でした。スカイさんはやっぱりすごいなあって、思ってしまいました。
自然と、人に寄り添える。それが大人だと、そう思いました。
そしてそれはトレーナーさんも、トップロードさんも、スカイさんだけじゃなくみんなが「大人」でした。
私はここ最近ずっと誰かに心配してもらうばかりだったと、その時にわかってしまいました。
だから、やっぱり。
やっぱり私は、まだまだで。
河川敷までたどり着くと、スカイさんは川の方にちらりと目を向けて。私も釣られて、そちらを見ます。川は太陽の光を跳ね返して、きらきら光っていました。星の輝きとは正反対の時間なのに、それに似ている気がしました。
「綺麗ですね。こんな綺麗なものが、こんなに身近にあったなんて。私、考えたこともありませんでした。……やっぱり、スカイさんはすごいですね。大人、ですね」
ぽつり、ぽつり。やっと、私のもやもやは言葉になっていきます。
いくら勉強したって、知識ではわからない経験があって。それはどんなに頑張っても、時間でしか解決できなくて。時間なんて誰にとっても平等なのに、子供はそれまでの人生が少ないぶんだけそれを長く感じてしまって。
たった一日だって長く感じてしまうことこそが、私が子供な証でした。時間はどうしようもないと、そんな当たり前も諦められないのが私の焦りの原因でした。
子供らしい、子供のままの、理由でした。
少しの間チームにいただけのスカイさんが、私にとっては長い間に感じられていた。それだけのことで、日常にしてしまっていた。
ちょっとした、大人なら割り切れるちょっとした隙間が、小さな私には耐えられないくらい大きく見えていた。チームが提携を始めるまでの少しの間スカイさんに会えなくなっていたことが、私にとっては落ち着かなくて、焦ってしまうほど、耐えられないほどに。
かけがえのない日常が、壊されたのだと思ってしまって。
誰も悪くないのに、別の形で戻ってくるのに。
ぽろぽろと、溢れ出すように。
相手の言葉を待つこともできず、私は続けます。
「スカイさん。私、きっと寂しかったんですね。子供だから、ちょっとのお別れにも不安になってしまって。頭ではわかっているつもりなのに、気持ちが待てなかった。だから、不安だったんです。私が、まだまだだから」
目頭がじんわりと熱くなります。
早く大人になりたい、そんな私の夢は、子供の私には届かない。
それこそ子供だからこそ抱ける大それた夢で、達成なんて不可能で。
本当に大人を目指すなら、この夢を持つ限り大人にはなれない。
私の不安は、大人になりたいと思う限り消えない。
それはむしろ不安を増やすだけで、解決できないもやもやが増えていくだけ。
今みたいに、これからも、私は早く大人になんてなれない。
時間を待つって、それだけが答え。私が何かできるって、それは過ち。
それなら私は、私がやるべきは。
そんな夢を、諦めること。
そうするしか、ないのかな──。
「フラワー。ありがとう、教えてくれて」
──そう思った時でした。
スカイさんが立ち止まって、私に向かって目を向けて。スカイブルーの目が、逆光の中でも光っていて。いつもより少し真剣な表情で、私の眼を見ていました。
視線を、しっかり合わせてくれていました。
「すごいよフラワー。それだけ自分のことを見つめられて、嫌になっても目を逸らさなくてさ。『自分が子供だから』、なんて結論出せる子供はなかなかいないよ? 私だって出来ないよ」
「でも、それは。私はそれじゃダメなんです。頑張って勉強して、確かに頼られることもあります。けど私は、大人になりたいんです。スカイさんみたいな、本当の意味で頼れる人に」
そう言うと、スカイさんはちょっと押し黙って。ゆっくりと口を開きます。声のトーンが、少しだけ下がるのがわかりました。
暗く、けれどあなたの本当の気持ち。
「私が大人、か。そうだとしたら、それは何かを捨てたから、諦めたからだよ。子供の頃から持っていたものが成長したからじゃない。本当の意味で大人になるなら、むしろ私みたいになっちゃダメだよ、フラワー」
「……それは」
「……悪いね、今日はフラワーを元気づけなきゃいけなかったのに。ほらやっぱり、私はまだまだだよ」
そして、それきりになりました。
それだけ告げて、スカイさんはくるりと前を向いて歩き出します。私にはきっとわからない、スカイさんの経験の話。それに対して言うべきことは、何もない気がしました。
子供の私から、正しいと断言できることは言えない気がしました。
「スカイさん」
でも。
……でも!
「スカイさんは、ダメなんかじゃないです!」
でも、私が言いたいことはありました。
初めて、自分からそれを引き出せました。
引き出して、伸ばしました。
誰かのために、言葉の手を差し伸べられていました。
「私はスカイさんのこと、尊敬してます。皐月賞、本当にすごかったです。<デネブ>のトレーニングにすぐに慣れたのも、スカイさんの力です。それに今日だって、私のために朝から散歩に連れてってくれて。私だけじゃないです。色んな人が、スカイさんのことすごいって思ってます。きっと力をもらってます。だから」
そこで気がつく。頬を一筋、滴が伝っていました。
それでも、構いませんでした。それよりも、あなたを。それだけ、考えていました。
自分の不安なんか、忘れてしまうくらいに。あなたのそばにいたい気持ちで、いっぱいでした。
「だから。自分を卑下しないでほしいです。それは、それは。それはきっと、スカイさんを応援してる人みんなが……がっかりしちゃうと思います」
ぽん、ぽん。いつのまにかスカイさんはまたこちらへ戻ってきていて、優しく私の頭を撫でます。こんなことで泣いてしまう私は、やっぱりまだまだ子供です。結局、スカイさんに気遣われてしまった。
「叱られちゃったな。うん、やっぱりフラワーはすごいや」
「そう、ですか……?」
「そうだよ。それこそ自分を卑下しないでほしいな。私、フラワーには期待してるんだから」
「私に、ですか」
「そう! 頼りにしてるよ、フラワー。もちろん私以外にも、君を頼りにしてる人はいると思うな」
頼り。そのフレーズは、なんだか心をぽかぽかさせてくれます。
朝日よりも暖かいとさえ、思ってしまいます。
頼りに、なれた。頼りに、してもらえている。それなら私、大人に近づけているのかな。
人の支えになれる、人を導ける、人の期待に応えられる、そんな方に少しでも歩めているのかな。今日は人を心配させたし、泣いてしまったし、それじゃあちっとも大人にはなれていない、そんな気もしてしまうけど。
スカイさんが言うなら、信じよう。そう思いました。
だって、あなたは大切な人なんだから。
そんなふうに他者を寄る辺にするのが私が子供である証だとしても、誰かを大切だって気持ちは大人になっても失いたくない。
「今日はありがとう。……私の方が教わっちゃった」
「こちらこそ、ありがとうございました」
気がつけば太陽は真上に上り、爽やかな青空を照らしていました。気温も上がり、いい気候。散歩を一通りするうちに、すっかり話し込んでしまったようです。
でも、それくらいの時間をかけられました。やっぱり、時間をかけるのは大事だから。焦るとしても、大事だから。そこで諦めなければ、時間は必ず応えてくれるから。
大人にも子供にも、平等に。
スカイさんにとっての私は、頼れる人。期待している人。
そう言われて、そのことはとっても嬉しい。
スカイさんを包む大きな輪のうちに、私もしっかり入っているということだから。私があなたを大切だと思っていたぶん、スカイさんも私を大切にしてくれているのだと思うから。
だから、花びらは繋がれる。
中心からも手を伸ばし返してくれるから、幾多の花びらが集まって花冠になれるのだ。
けれど、今日気づいたことはそれだけではありませんでした。
誰かの心配、誰かの思いやり。そういった形で私もまた、誰かから包まれている。今までは子供だから、それを気にかけられているだけ。そう捉えて優しくされることをもどかしくさえ思っていたけれど、そこにある意味合いは、私が考えていたものとはちょっと違っていました。
それが、一番変わったこと。私が一歩大人になれた、その成長を示す気づき。
誤解を恐れず、ここに開いたものを言葉にするならば。
私を、みんなを、すべての人を包む、他者のつながりを形容するならば。
それはきっと、愛なのでしょう。慈しみ、想い、願い、祈る。さまざまの言い方はできるけれど、だからこそそれは愛と呼ぶに相応しい。誰かの愛が集まって、他の誰かを包んでいるんだ。花開く前の時間は、子供の時間は愛に包まれているんだ。
そしてその愛の輪は人を守り、育て、いつか。
いつか、満開になるのでしょう。
そしてそんな成長し切った時にも、誰とのつながりも離さないのでしょう。
みんなと一緒に、花びらすべてが集まってこその開花なのだから。
今はまだ、小さな蕾でも。
私と一緒に、いてくれるのなら。
次回から第二章『ライバルと友達』開始です よろしくお願いします