「裕介、真一を頼む」
踵を返した浩太の背を真一は虚ろな瞳で上階に登るエスカレーターで見えなくなるまで眺めていた。遠ざかる足音が聞こえなくなり、懐にいれていた手榴弾の存在を確かめようとしたが、どうにも見つけられない。実のところ、死者に噛まれた数分後から、眼界に小さな黒点が現れ始め、ゆっくりと、しかし、大きくはっきりと形を成そうとしていた。だが、それがなにかは分からず、濃霧の中にいるような視界に対して、真一は自嘲気味に薄く笑んだ。黒点の広がりと比例して感覚が失われていっているのだろう。
次第に、次は何を奪われるから、いつまで生きていられるのか、に思考が切り替わっていく。
「はは……この後に及んで、生きていられるか、なんて考えちまうなんて……浩太と新崎の言う通り、気楽な奴だぜ……俺はよ」
尻餅をついて壁に凭れていた真一が立ち上がろうとした所で、裕介が肩に手を置いた。
「真一さん座ってて下さい。すぐに浩太さんが戻ってきますから」
「ああ、そうだな……浩太ならすぐに戻ってくるぜ……あいつは、そういう奴だ……だからこそ、裕介、お前に言っておきたいことが……」
そこで真一は激しく吐血した。迷彩柄のズボンで目立ちにくいものの、普通の血にしては少し黒ずんでおり、はっ、とした裕介が叫んで膝を折ると項垂れた真一に声を掛ける。
「真一さん!」
血の色で分かったのは、真一の体内で起きている異状が一つではないことだ。
死者に噛まれた右足は、紫に腫くれ上がり膿も流れ出している。そして、もう一つは、内蔵の損傷だった。あるあるシティで、突如、姿を見せた東に翻弄されていた浩太を助ける為、殴りかかった真一は東の膝を腹部に受けている。
裕介は、中間のショッパーズモールで戦車に閉じ込められた時のことを思い出していた。常軌を逸した耐久力と、膨れ上がった筋肉、更には、あるあるシティの壁を拳で貫くような破壊力をもつ男の攻撃を食らって無事でいられる訳がない。恐らくは、臓器の一部が潰れてしまっているのだろう。それをここまで隠しておけたのは、真一の凄まじい精神力に他ならない。
「真一さん!真一さん!」
呼吸も浅くなりつつある。素人目からしても非常に危険な状態だ。
それでも、真一は息も絶え絶えに続ける。
「裕介……頼む、浩太には……こんな俺を見せたくない……」
「しん……いち……さん?」
裕介の瞳が揺れ、真一に父親の姿が重なり、過った映像は八幡西警察署でM360を渡す父親の顔だった。裕介はブンブンと首を横に振る。