第一話 邂逅
古びた校舎に朝のチャイムが鳴り響く。公立中学校らしい狭い廊下は、生徒たちでごった返していた。彼らは配られたA4サイズの名簿を見ながら、新しいクラスへと足を進めている。
「えーっと、僕のクラスは…」
「おい、中川!」
背の低い幼げな少年に、眼鏡を掛けた少年が話しかける。
「あ、大崎くん。」
中川は振り返る。大崎は満面の笑顔である。
「お前、俺と同じクラスじゃん!」
「あ!ほんとだ!同じ1組だね。」
中川は嬉しそうに、丸っこい目をパチパチさせた。
「よかったァ!とりあえず、これでぼっち回避だわ~!」
胸を撫で下ろす大崎を横目に、中川は背伸びをしながら周りを見渡す。
「他に知ってる人いるかな?」
「どうだろ、まあ俺ほとんど友達いないし…。」
大崎は長い前髪をいじりながら中川について行く。2人は2年1組の教室の前に到着した。教室内には既に大勢の新2年生たちが集まっている。
「よう、中川!久しぶり!」
「あ、西村君!」
背の高くて肉付きの良い少年の顔を、中川は見上げる。
「西村君も1組?」
「おう!また同じクラスだな!よろしく!…お、竹橋~!お前らもォ!?」
西村は大崎とは話さず、他の友達のところに行ってしまった。大崎は不機嫌になる。
「俺も同じクラスだったのに、覚えてないのかな?」
「…そ、そんなことないんじゃない?」
「やっぱ俺、陰キャラだから。認知すらされてないわ、多分。」
「そんな…。」
ふてくされる大崎に中川は苦笑いする。2人は黒板に貼られた座席表を確認し、各々の席に着いた。
全員の教室移動が完了したようで、クラス内は生徒たちの雑談で賑わっている。大崎は自席を離れ、中川の机に寄りかかって話す。
「やっべ~全然知らない人ばっかだわ。まあ、そもそも知ってる人自体いないけど。ってかまだ先生来ないよな?」
顎を机の上に置きながら、中川を見上げる大崎。
「早く自分の席つきなよ。藤原先生とかだったら怒鳴られるよ~。」
「だって俺友達いないもん。」
「う、うん…」
大崎の陰キャラアピールに中川は呆れている。一方で他の生徒たちは、新たな教室の主の到来にそわそわしていた。
「どう思う?去年1組は藤原だったから嫌な予感するんだけど。」
「流石にないっしょ。ってか今年も藤原だったら、親に頼んでクレーム入れてもらうわ。」
「どんだけ嫌いなんだよw。」
「いや、あんなクソジジイの相手すんのはもうこりごりだって!」
男子たちが不安を募らせる一方、女子たちは期待に胸を膨らませている。
「ワンチャンあるよこれ。」
「う~ん。でも、1年4組からいきなり2年1組になるかなァ。」
「絶対ある!」
「そんなミラクルある~?」
「でも、マジで、俳優でもあれ以上のイケメンいないから!」
「…スタイルもいいし、王子様みたいだしィ…。」
「やっぱイケメンは正義よね。」
「ったくイケメンイケメンって。中身の方が大事でしょ~。来年は受験もあるんだし。」
純粋な乙女たちの会話に、現実主義的な意見を投げ込む少女が一人。
「も~!橘さんは真面目だな~。」
「そうだよ!イケメンに越したことはないでしょ!第一、あの人は中身も…」
ガラガラ…
教室前方のドアが開く。入室してきたのは長身の若い男である。タイトな黒のスラックスにワイシャツ、そして血のように真っ赤なネクタイを締めている。髪はクラシカルなセンター分けで、堀の深めな目元には若干影がかかる。
「え…!?」
「…嘘でしょッ!?」
「ヤバいヤバいヤバい!」
乙女たちは芸能人でも現れたかのように取り乱している。男はゆっくりと教卓の前に立ち、低く落ち着いた声で言った。
「おはようございます皆さん。」
「きゃあああああああああああああ!」
「もーうるさいわねッ。」
橘は女子たちの熱狂っぷりに呆れる。黄色い歓声の中、男は淡々と自分の名前を黒板に記した。
「室井実章です。よろしくお願いします。」
微笑を浮かべつつ、彼は名乗った。
「ッしゃーっ!!マジ神!」
「転校しなくて良かったァ!」
「また室井かァ。まあ、別にいいか。」
「いや、藤原じゃないだけマシだろォ!!」
やんやん騒ぎ立てる生徒たち。室井は手元の名簿に軽く目を通す。
「私のクラスは初めての人が多いようだね。では、軽く自己紹介でもしようか。名前は室井実章、28歳です。担当教科は社会で、吹奏楽部副顧問。趣味は筋トレやギターとかかな。」
室井はあっさりと自己紹介をした。
「ええ?ギターも弾けるの!?」
「ますますイケメンだわァ~!」
「先生!私、千葉県出身です!」
女子たちのどよめきが大きくなる。
「皆さんと素晴らしいクラスを作っていきたい。これから1年間よろしくお願いします。では、この後は始業式があるので、並んで体育館に行きましょう。」
生徒たちは薄暗い体育館に集められ、出席番号順に整列する。中川は体育館シューズの袋の紐をいじりながら、ぼーっとしていた。
「…。」
「お、中川じゃん!」
「え?」
癖っ毛の少年が、前から中川の方をのぞき込んでいる。
「…た、高橋くん!久しぶり~。」
「久しぶり~じゃねーよ!お前が幽霊化したせいでうちの卓球部は衰退する一方だわ。」
「だって、みんなやる気ないじゃん。練習も軽いしィ。」
呑気な返事をする中川を睨む高橋。
「…まあ、そうだけどさァ、3年生が1人もいないせいで部長やらされる俺の身にもなってくれよ。」
「…ご、ごめん。」
中川は気まずそうに笑う。
「まあいいや。ってか他のクラスって担任誰なんだろ?」
高橋は辺りを見回す。
「2組は早乙女先生じゃない?」
「ああ、確かに。先頭に立ってるもんな。」
2組の前に立っているのは、線の細く若い女性だ。前髪を横に流して静かな表情をしている。
「ってか中川、お前去年早乙女クラスだったよな?」
「うん。」
「どうだった?」
「まあ、普通の優しい先生だったよ。」
「いいなァ。俺も早乙女先生が良かったわ。…ええっと、3組は?」
3組の前には痩せた茶髪の男が立っている。派手な蛍光色のTシャツとジャージを着ているが、顔は小奇麗に化粧している。
「うわ、南条かよ。」
「…うわァ…。」
「元アイドルのナルシストだ。3組かわいそうだなァ。」
「確かに…絶対、ホームルームとかで無駄話聞かされてるよ。」
南条を忌み嫌う中川と高橋。
「…も~う。あんま先生の悪口ばっか言うもんじゃないでしょ。」
中川と高橋の間に座っていた橘が口を開く。高橋は反論する。
「いや、去年、俺あいつのクラスだったけど地獄だったぞォ!しょうもない自分語りばっかりだし、クラスの事全然考えてねェし。」
「でも、藤原先生ほど厳しくはないでしょォ。」
橘は側頭部のピンを付け直しながら言った。
「…君は去年藤原先生クラスだったの?」
中川は尋ねる。
「まあね。あ、私、橘友香っていいます。よろしくね~。」
「お、おお。よろしく。俺は高橋春基。」
「中川亮介だよ。」
自己紹介し合う3人。新2,3年生が並び終わると、檀上には副校長が上って来た。教師たちも体育館の隅に整列している。
「コラーッ!静かにしろォッ!始まるぞッ!!」
2年生の列の横から、禿げた中年の男が叫ぶ。
「ったく、うるせぇんだよ藤原のやつゥ。」
イライラする高橋。
「ほら、静かに。」
橘は宥める。
始業式が終わり、教室に戻ると、室井は何枚か配布物を配り、すぐにホームルームを終わらせた。
「では、今日はこれで解散です。明日は春休みの宿題を回収するので忘れないように。では起立。」
生徒たちは起立する。
「礼。さようなら。」
「さようなら~。」
帰りの挨拶を終えた後、女子たちは室井の元にわんさか集まってきた。
「室井先生~!宿題でわからない問題があったんですけど~」
「進路のことで相談があってェ…」
「サインください!!」
「…すまない、今日は職員会議があるから、また明日。」
困り笑いをしながら教室を後にする室井。
「ああ!待って先生!」
女子たちは室井を追いかけながらキャッキャと騒いでいる。それに対して、男子たちは冷ややかである。
「なんか、うざくね?室井」
「イケメンだからって調子に乗ってそうだな~。」
「何がそんなにいいんだか。」
放課後、中川と大崎は廊下を歩きながらだべっている。
「室井、どう思う?」
大崎は訊く。
「う~ん、まあ、いい先生なんじゃない?」
中川は適当に答える。
「そうかなァ?なんか、ただの無難なイケメン教師って感じ。」
「…まあ、確かにねェ。」
2人とも室井との接点は少ないため、特に何の感想も持ちえない。
「イケメンで背高いし女子からはちやほやされてるけど、俺みたいな地味な眼鏡のキモいやつだったら絶対人気ないしなww。」
また自虐する大崎。
「…そんな卑屈にならなくても…。」
「まあ、話はそんなに長くないからよかったわ。」
「ま、そうだね。早く帰れるのはありがたいよォ。」
校庭からは、サッカー部が練習を行っているのか、掛け声が響いてくる。2人は玄関を出て、裏門の方へと歩いて行った。4月上旬だがまだ風は冷たい。大崎はあくびをしながら、中川に尋ねる。
「ふああ。お前この後塾?」
「いいや。」
「うわァ、いいなァ~。俺この後3時間くらいあるからさァ。」
「ああ、さっき宿題見てたもんね。」
「…あ、そうだ!塾のプリント机に忘れてきちゃった!ちょっと待ってて!」
そう言うと大崎は、プリントを取りに校舎へ駆けていった。
「何だよもォウ…。」
中川は呆れつつも、校門の横で大崎を待ってやることにした。校庭の桜はピークを過ぎ、所々葉桜となっている。中川はぼーっと遠くを眺める。
「…ん?」
ふと、校庭の隅に赤いものがあることに気づく。
「何だろう?」
中川は謎の赤い物体の元まで歩いていく。それは校庭隣の林の茂みの前に落ちていた。
「…これは…。」
ネクタイだ。赤く透き通った生地に白い砂がついて、鈍く輝いている。その時、中川の足下をサッカーボールが通り過ぎていった。
「うわぁ!」
ボールはそのまま茂みの中に転がり込んでいく。中川はボールを取ってあげようと茂みに入る。そこに、サッカー部員たちがやってきた。
「あぁ、ごめんね~!」
「予備のボールあるから大丈夫っすよォ!…あれ?何だこのネクタイ?」
部員の1人が例のネクタイを拾う。一方で中川は、部員たちからの声掛けに気づかず、奥へと進んでいく。しかし鬱蒼と茂る草むらの中、ボールを見失ってしまった。
「あれ?おかしいな…。…うわあ!」
中川は足を滑らせ、坂からずり落ちてしまう。
「いててて…」
校庭の横の林は3mほどくぼんだ土地になっており、地面は厚い草に覆われている。校舎側や隣の道路側からは、林の中は全く見えないようになっていた。中川は腰をさすりながら立ち上がる。
「くまさんりすさんうさぎさん〜」
「ん?」
奇妙な歌声が草むらの向こうから聞こえてくる。
「お友達み~んな集まって…」
「…。」
中川は声の聞こえる方を見る。厚い茂みの向こうからは日の光が差しており、少し開けた場所になっているようだ。音を立てぬよう注意を払いながら、恐る恐る草むらをかき分け、中川は向こうを覗く。
「みんなで仲良く踊りましょう~♪」
目に飛び込んできたのは、大柄な男性の筋肉質な尻だった。そして、思わず中川はその大男の顔を見上げた。
「仲良しサンバ♪お友達サンバ♪」
なんと、室井であった。全裸の室井であった。珍妙なダンスをしながら無邪気に歌っている。担任のとんでもない姿に、目を丸くする中川。
「お日様の下両手を広げて、お尻フリフリ、腰をくねくね、皆んなで楽しく踊りましょ〜♪」
「…。」
おどけた腰つきで踊る室井。中川はただ呆然と、目の前の衝撃的な絵面を眺めていた。
「…ん?」
室井は、何者かに見られていることに勘づき、中川の方を振り向く。中川は咄嗟に草陰に隠れた。室井は草をかき分け、ゆっくりと中川の方に近づいてくる。
「…。」
中川は恐怖に震えながら必死に気配を殺す。
「おーい、中川!おーい!」
するとその時、大崎が林の前までやってきた。
「おかしいな…。帰っちゃったのか?」
大崎はキョロキョロと辺りを見回す。室井は中川から数十センチ程度の場所まで接近している。必死に身を縮めて隠れようとするも、すぐ隣には室井の毛深い脚が見えている。
「…ぎゃああああああああああああああああああああああ!!!」
中川は咄嗟に叫ぶ。
「…中川!?」
大崎は草むらをかき分け、悲鳴の聞こえた方へ向かう。すると、眼下の草陰でうずくまる中川を発見した。
「中川!」
「お、大崎くん…!」
中川は安堵する。
「何やってんだそんなところで?」
「い、いや、あの…あれ?」
中川は周囲を見渡すが、室井の姿はない。
「…な、何でもないよ!」
「…は?」
「か、帰ろ帰ろ!」
「何でもなくないだろw!どうしたんだよ!」
中川は笑いながらごまかし、草をかき分けて大崎のいる所まで行く。
「本当に大丈夫か?さっきの悲鳴、ガチでヤバそうだったけど…。」
大崎は怪訝そうな表情をする。
「…だ、大丈夫だってばァ!…それよりさ、塾の宿題って何やっているの?」
「宿題ィ?なんか、連立方程式のやつと…」
中川は、あの担任の奇行を大崎に打ち明ける勇気はなかった。そして、もしこの話を広めたら、室井から何らかの復讐をされるのではないかという不安もあった。2人はそのまま、他愛のない話をしながら帰路に就いた。