中川の家に全裸で侵入した室井は、中川に友達になってくれるように願った。しかし中川に断られると気まずそうに立ち去る。翌日、係決めで社会係になった中川は、室井が不敵な笑みを浮かべていることに気づき、恐怖する。
「…。」
室井の不気味な笑みに背筋が凍る中川。
「お、中川。良かったじゃん、藤原回避できて。…大崎、絶対負けねーからなッ。」
「…うんッ。」
高橋と大崎はジャンケンをする。
「最初はグー!ジャンケンポン!…しゃあああああああッ!!」
「うわああ!」
高橋が勝利し、大崎は国語係送りになった。大崎は少し涙目になって中川を見る。
「中川…。どうしよう…。」
「…ド、ドンマイ…頑張って。」
中川は慰める。大崎は西村と共に国語係となった。
「中川君、高橋君が社会係だね。」
室井は黒板の写真を撮りながら言った。
「はい。俺と中川です。」
「地理は私で、歴史は中島先生、公民は阪本先生です。よろしく。」
微笑む室井。
「ああ、よろしくお願いしまーす。」
「オネガイシマス…。」
中川は緊張で声がかすれる。
係決めが終わり、給食の時間となった。生徒たちは班ごとに机をくっつけて、賑やかに食事をしている。室井も教卓にて、教室内を眺めながら牛乳を啜る。中川と大崎は、班は異なるが目線が合う位置に座っていた。
「私、去年は室井先生のクラスだったんだよね~。」
「へえ~!いいなァ。どんな感じだった?」
「普通にいい先生よ。なんか、話も長くないし、体育祭でもアイス奢ってくれたり。怒ってもそんな怒鳴らないし。」
中川のいる班では室井の話題で盛り上がっていた。
「めっちゃいい先生じゃん!藤原とは雲泥の差よ。」
「そんなにヤバいの?私、国語は谷本先生だったから、藤原先生と接点ないんだよね。」
「ヤバいに決まってるだろォ。普通に高圧的だし、すぐ怒るし、話長いし、禿げてるし。」
藤原をディスる高橋。
「禿げはいいでしょ別にw。」
中川はツッコむ。
「そういえば私たちって、室井先生の授業受けたことないよね。」
「ああ、そうね。1年生の授業持ってなかったらしいから。」
「さっき、今年の地理は室井やるって言ってたよな。」
高橋は中川に確認する。
「…うん、そうだね。」
「だよなァ。普通に楽しみだわ~。」
ガラッ…タッ
室井、突然立ち上がる。中川はビクッとする。
「今日は私用のため帰りのホームルームは無しにさせてもらいます。何か連絡がある人はいますか?」
「よっしゃああああ!」
「早く帰ろうよ!今日は!」
喜ぶ生徒たち。中川は大崎にアイコンタクトを送る。大崎もうなずき応える。
6時間目が終わり、教室では皆が帰りの準備を始めている。藤原や室井はまだ来ない。逃亡の瞬間を前にして、2人は鼓動を高ぶらせていた。大崎は廊下側の窓の隙間から何度も覗いて確認する。
「誰も来てないよな…。」
「…うん。」
「行くぞ!」
2人は教室を飛び出す。そして、足音が響かぬように細かやかな足取りで階段を目指す。
「いつものルートだと職員室の近くを通っちゃうからなッ。」
「うんッ。西から行こうッ。」
いつもと異なる西側の階段から降り、1階へと向かう。
「…!」
しかし突然、中川は立ち止まる。
「ん?どうした?」
2人は、1階の薄暗い廊下の先に目を凝らす。玄関の前に身長190cm近い男が立ち塞がっている。室井だ。
「…え、何で?」
大崎は戸惑う。室井の鋭い視線が中川たちを突き刺す。
「僕らの動き、読まれていたんだ…。」
「マジかよッ!」
室井は不気味な笑みを浮かべながら、ゆっくりと歩いてくる。
「やばいやばいやばいやばい!」
2人は急いで階段を駆け上る。そして2階に着くとそのまま東に走り、東階段の隅に隠れて様子を伺った。室井は西階段から2階に上ってきたが、中川たちに気づかず、2年1組の教室に入っていく。
「よしッ今だ!」
大崎は階段を降りようとする。
「おい。」
「ぎゃああああああああ!」
中川と大崎は叫ぶ。
「な、なんだよいきなり!」
2人の悲鳴に驚く西村。
「心臓に悪いよ、もお…。」
「…死ぬかと思った…。」
中川と大崎は胸を撫でおろす。
「…よくわからねーけど、お前ら藤原先生に呼ばれてたぞ、補修とかなんとかで。ほら。」
西村は名簿を見せる。
「ってか、大崎君…だっけ?お前も国語係だろ。」
ドキッとする大崎。
「ご、ごめん!俺、用事があってッ!」
「僕も!」
「お、おい!」
西村を振り払い、東階段を駆け下る2人、そのまま猛スピードで玄関へと駆け行く。そして靴を履き替え、校門から飛び出す。
「やったあああああああ!脱出成功ッ!はあ、はあ、はあ、はあ…。」
息を切らしながら勝利宣言する大崎。
「はあ、はあ、はあ…。」
中川は校舎の方を振り返るが、誰も追ってきていない。
住宅街の中を歩く2人は、先ほどの猛ダッシュのせいで少し汗ばんでいる。
「はあ…危なかったわあ。」
「本当だよ、もう。」
「まさか玄関にまで来てるとは思わなかったわァ。」
大崎は眼鏡についた汚れを学ランの裾で拭く。
「きっと、僕らを待ち構えるために帰りの会を無しにしたんだよ…。」
昨日の室井の奇行を思い出しながら、中川は震える。
「そういうことォ!?どんだけ補修受けさせたいんだよあの人。」
住宅の隙間の細い階段を下りていく2人。日はだいぶ陰り、階段の先は建物の陰で薄暗くなっていた。
「ったく、塾も忙しいのに、補修になんか行ってられるかって話だよな。」
「確かにねェ。」
タッタッタッタッ…
すると、下の方から足音が聞こえてくる。
「ん…?」
「…!?」
センター分けのクールな顔と真っ赤なネクタイとが、薄闇の中から浮かび上がる。室井である。
「ぎゃああああああああああああ!!!!」
2人は悲鳴を上げ、急いで階段を駆け上る。
「ははははははははははははは!!」
室井は笑いながら2人を追いかけてくる。
「ぎゃあああああああ!」
「ど、どういうことだよ!なんでこんなところまで!」
「知らないよおゥッ!」
住宅街の細道を全速力で逃げる中川と大崎。室井もスピードを緩めず追跡してくる。
「はははははははははははははは!!」
閑静な住宅街に室井の高笑いが響く。2人はもがくように走る。
ドタッ!
しかし、大崎が転倒してしまう。
「いってェッ!」
「大崎君!」
「はははははははははははは!」
ゆっくりと接近してくる室井。
「…お、大崎くゥんッ!」
中川は叫ぶ。
「ああッ待って…!」
大崎は立ち上がろうとするも、室井に肩を掴まれてしまう。
「捕まえた。」
「…!」
中川は恐怖でその場に固まる。
「あれ?中川君。逃げないのかい?」
大崎を掴み上げながら笑う室井。
「さあ、逃げるがいい。友達なんか見捨てて、いざ自由への逃避行を完遂せんか。」
「…。」
「どうした?逃げたいんだろ!何を立ち止まっている?さあ!」
室井の奇天烈な行動・言動の数々に、段々と怒りが沸いてくる中川。
「…な、何言ってるんですか…!いい加減にしてくださいよ!!」
遂に中川はブチギレる。大崎は目を丸くした。
「…ふふふふ。」
室井は大崎を放し、地面に座り込む。
「まあ、茶番はこれくらいにして、ゆっくりしようじゃないか。」
「…?」
「私は君らを叱りたいわけじゃない。」
拍子抜けする大崎。室井は鞄から水筒と、プラスチック製のコップ3つを取り出す。そして水筒から温かいお茶をコップに注ぎ、2人に振るまう。中川は警戒の眼差しを室井に向けている。
「大丈夫、ルイボスティーだからノンカフェインさ。アレルギーとかはない?お茶にアレルギーがあるのかは知らないけど。あ、塾とかあるなら帰ってもいいぞ。まあ無くても帰ってもらってかまわないが。」
2人は室井の突飛な行動に困惑しつつも、逃げる勇気はなかった。室井と同様にアスファルトの上に座り、お茶を受け取る。中川は室井のヤバさを知っていたが、大崎は訳がわからず、笑いそうになってしまう。
「何を笑っているんだ、大崎君。」
「え?い、いや…わ、笑ってないですけどォ…。」
室井は一口お茶を飲む。
「君たち、藤原先生の補習から逃げたそうじゃないか。」
「…はい。」
「…すみません…。」
謝る2人。
「いいんだよ。どんどん逃げなさい。」
「…え?」
室井の意外な発言に驚く大崎。
「教師は学校という社会内のルールで生徒を支配しようと試みる。生徒は必要に応じて従いつつ、嫌なら全力で拒否する。それが健康的な教育現場だと思わないか?」
「…。」
「…。」
顔を見合わせる中川と大崎。
「私は、教師が100%正しいと言うつもりはない。言い換えるならば、社会が100%正しいと言うつもりはない。学校というのは、多種多様なキャンバスに、決まった色の絵の具を塗るが如く、子供たちの精神に社会性を植え付ける施設さ。これは理解できるね。」
「…まあ、はいィ…。」
中川はなんとなく返事をする。室井はまたお茶を一口飲み、得意げに、かつ真剣に話を続けた。
「私は、教師であるのと同時に、教師であること、つまりは社会の案内役、悪く言えば調教師であることに抗いたいと思っている。社会という名の、美徳と狂気が紙一重のラビリンスから、少しでも明るくてクリアな方へ魂を煌めかせていたいのでね。」
「…フフ…ど、どういうことですかァ?」
大崎は少し笑いながら質問する。そこに、近所のおばあさんが通りかかる。
「あんたたちそこで何やってるの?」
「ああ、こんにちは。ちょっと駄話をしてただけです。すみません、邪魔でしたね。」
室井は立ち上がり、側溝の上に座りなおす。
「いや、別にいいけどォ。変わってるねぇ。」
おばあさんは不思議そうに室井たちを見ながら去った。中川は顔を赤くする。
「…せ、先生、恥ずかしいですよォッ。もうやめましょうよォ。」
「ふふふふ。そうかい?私は、もし今からここで全裸になるとしても、一切恥ずかしいなんて思わないけどね。」
室井はニヤっとする。
「…。」
「恥やプライド、協調や我慢などの諸々の社会的感情は、社会の潤滑剤であるのと同時に、人間を抑圧する。そして、それは時に暴走し、取り返しのつかない悲惨な事態を引き起こすことさえあるんだよ。」
室井の表情が一瞬曇る。
「…まあ、要するに、偉そうな奴に腹が立ったら、そいつに真っ裸タコ踊りを披露してやりゃいいってことさ。寒くなってきたし、今日はこれくらいにしておこう。お茶、おかわりはいるかい?」
「…。」
「い、いや。大丈夫です…。」
結局、一口も飲まずにお茶を返却する中川と大崎。
「じゃ、私が頂こうか。」
室井は2人のお茶を飲み干し、水筒とコップを鞄に仕舞い、立ち上がる。
「今日はありがとう。気をつけて帰るんだよ。」
そう言うと、室井は学校の方へ戻ろうとする。
「せ、先生!」
中川は咄嗟に叫んだ。
「ん?どうした?」
「…あ、あのォ…。」
言葉が出てこない。
「…あの、藤原先生の補習って…?」
大崎が訊く。
「ああ。教師としての私は行けと言う。しかし、人間としての私は、行きたかったら行けばいいし、行きたくなかったら行かなくていいと言う。じゃあ。」
室井はスタスタと立ち去る。それを呆然と見送る中川と大崎。
室井と別れた後、2人はしばらく歩く。すると、ずっと笑いをこらえていた大崎が噴き出す。
「はッははッはははは!」
「…。」
「室井、めっちゃヤバいやつじゃん!」
「…うん。」
「ええ!?あんな面白い先生だったんだッ!マジか~。」
テンションマックスな大崎。
「…どういうことなんだろう…。結局、補修は行かなくていいのかな?」
中川は、室井の言わんとしていたことを理解しようと、考え込む。
「まあ、いいでしょ!藤原に怒られたら、室井に行かなくていいって言われたって言い訳すりゃいいし!室井先生ありがとォう!」
「そういう意味で言ったんじゃないと思うけど…。」
「いや~俺ら室井クラスで大当たりだったなァ!」
「…。」
大崎が舞い上がる一方、中川は、室井の奇行と独特な思想に心が揺らぐのを感じていた。
その夜、中川は自室にて、椅子に座りながらぼんやりスマホを眺めていた。昨日今日の室井とのドタバタで、微かに疲労がたまってきている。
トン!
「!?」
ベランダの戸に何かが当たった。
「…。」
中川は恐る恐るカーテンを開ける。すると、吸盤式のおもちゃの矢がくっついているのを見つけた。
ガラガラガラ…
戸を開けて矢を取る中川。矢には畳んだノートの切れ端が結びつけてある。中川はそれを開く。
~
中川亮介君、昨日はいきなりあんな姿で家に現れてしまい申し訳なかった。さぞ怖い思いをさせてしまったことだろう。これからはもう、君の家に押しかけたり君の家族に迷惑を掛けたりするような真似はしないよ。約束する。そして、感謝申し上げたい。君に全裸舞踊を見られたあの瞬間、私は気づいたんだ。私は今まで、この思想およびそれらに付随する体系的奇行を他者に明かすことはしなかった。めっぽう自分の健康維持やストレス発散のために用いてきたからなぁ。でも、それは単なる自己満足に過ぎなかった。この醜くも輝かしい私の生き様をもっと多くの人に見てもらいたい、そう思ったんだ。君の目撃がなければ殻を破ることはできなかった。これから私は堂々と奇行を披露することになるだろう。社会の狂気に刃向かい、純粋な生命の尊さを主張するために必要なことだからさ。これは緩やかな教育でもあり、大いなる表現でもある。中川君、ありがとう。君が私に勇気をくれた。
2年1組担任 室井実章
~
それは室井からの手紙だった。中川は何度か読んだ後、グチャッとまるめてゴミ箱に捨てた。
「…。」
しかし、再びゴミ箱から取り出し、きれいに伸ばした後、机の引き出しに仕舞う。
「…室井先生…。」
中川はそのまま部屋の電気を消し、布団に潜り入眠する。