週明けの月曜日、糸山第二中学校の玄関では藤原が挨拶当番に立っていた。朝の8時前ということもあり、校門から絶え間なく生徒たちが入ってくる。
「おはよう。」
「おはようございまーす。」
「おはよう。」
「おはようございます。」
「おい、待て!」
「…?」
藤原はある生徒に目を付ける。
「靴下が青だぞ!」
「…あ、いや、これは…。」
「白か黒以外は禁止ッ!校則違反だッ!!」
「す、すみません…。」
「たるんどるぞォッ、まったく。」
腕を組む藤原。
その玄関の隣の3階のベランダから、男子生徒2人が見下ろしている。
「ふふふッやばッ」
「また後退してきてるわw。」
2人は藤原の頭に注目していた。彼の頭頂部は髪が薄く、側頭部から持ってきたわずかな毛でどうにか隠してある。
「そろそろバーコードすらきついんじゃね?」
「生徒だけじゃなくて髪からも嫌われてるのかな?」
「っぷッははッwww!」
ベランダの縁を叩きながら、2人は笑う。
「あァん?」
藤原は振り向く。
「…やべッ」
2人急いで校舎の中に逃げ込んだ。藤原はブルブルと震えながら、ベランダを見つめている。
「うわ~もう、行きたくねェわあ。今日1時間目国語じゃァん。」
「ヤバいよォ…藤原先生カンカンだよ…。」
一方その頃、中川と大崎は、足取り重く登校してた。
「絶対叱られるわァ。しかも俺国語係だし…。」
「…確かに…。」
「…あ!」
大崎はハッとする。
「でも室井に行かなくていいって言われたじゃん俺ら!」
「…ああ!そういえばそうだったね!」
2人は先週の木曜日、藤原の補修をサボって逃げたが、帰る途中で室井に捕まってしまった。しかしその時、「補修には行きたかったら行けばいいし、行きたくなかったら行かなくていい」と言われたのだ(詳しくは第3話をご参照ください)。
「良かったァ!俺ら無敵だったわッ。」
意気揚々とスキップする大崎。
「いや、そう簡単にはいかないと思うけどォ…。」
「ハゲで何が悪いッ!!!」
「!?」
突然の怒号に足を止める2人。
「…今の…藤原…!?」
「…ちょ、ちょっと待って…。」
中川は垣根に身を隠しながら、恐る恐る校門の中を覗く。
「ハゲで何が悪いんだァッ!!」
「…。」
玄関の隣で、藤原がベランダに向かって怒鳴っている。
「ハゲであることが誰かの迷惑になるかァ!?ハゲがこの世に何か悪影響をもたらすのかァ!?あああッ!?ハゲは劣っているのかって訊いとるんじゃッ!答えろッ!答えろォウ!!!」
目をひん剥き、顔を真っ赤にしながら、誰もいないベランダを睨んでいる。他の生徒たちは戸惑いつつ、藤原の隣を通り過ぎている。中川と大崎も、藤原の視界に入らぬように、そそくさと玄関に入った。
「何だ今のw!?」
「…いやw…」
下駄箱の前にて、2人はニヤニヤしながら靴を履き替える。
「…藤原、マジか…。」
「…僕らにも気づいてなかったみたいだし…。」
「ハゲで何が悪いッ!答えるんじゃァア!!答えろォ!!」
藤原の怒鳴り声が、入口のガラス扉越しにガンガン響いてくる。
「…ふふふ…!」
「ひっひっひ…。」
他の生徒たちも失笑していた。
「…なんか、生徒指導とかじゃなくて、純粋にハゲって言われたことにキレてるよな…。」
「きっとコンプレックスなんだよ…。」
憐れむ中川。
「やっべぇなァ。あれじゃ相当機嫌悪いんじゃねーの?俺ら殺されるかもw。」
「…どうしよう…。」
2年1組の教室では、室井が朝のホームルームを始める。先日の発狂もあり、生徒たちは怪訝な面持ちで彼を見ていた。
「おはようございます。皆さんどうですか、新しいクラスは。楽しんでいますか?」
「…。」
室井はしばらく間を置く。生徒たちは何も言わない。
「…まあ、そんなものだろうね。人生なんて楽しいことばかりじゃない。常に一点の曇りなく幸福に満ちた日常なんてないさ。皆、心の片隅に闇を飼っている。そいつは時折牙を剥くが、こっちはうまく機嫌を取って、折り合いつけて生きていくしかないのだよ。」
前髪を掻き上げながら、室井は朝のまぶしい日差しに目を細める。
「むしろ闇なんか無いなんて誤魔化す方が不健康だ。私は誤魔化すことが嫌いだ。闇は存在する。それは目を背ければ背ける程、頭をもたげ、我らの精神を支配しようとする。」
「…う~ん…。」
「…なんか詩的だね。」
「うん、深いわァ…。」
大多数の生徒は困惑するも、一部の女子たちは室井の言葉の意味を理解しようとしている。
「何言ってんだこいつw。」
「なんか、俺らより厨二っぽくねw?」
「それなww。」
男子たちはクスクス笑っている。
「まあ、説教はこれくらいにしようか。ふぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおう!!!!」
唐突に悲鳴を上げる室井。
「うわあああ!」
生徒たちは飛び上がる。
「…えww!?」
「何!?」
「これで目が覚めたろ。朝の会は、長話で生徒の眠気を誘うための儀式であっちゃならないからね。」
「またわけのわからないことを…。」
相変わらずの室井の奇人っぷりに、橘は呆れる。
「フッフフ…フフッ!」
大崎は必死に笑いをこらえている。
「何か連絡のある者はいますか?…あ、そうだ。先週の国語の補修に行っていない人は、この後藤原先生から話があると思いますので、よろしく。」
室井は朝の会を終えると、教室を去った。
「やべェよォ…ッ!」
「うん、絶対怒鳴られるゥッ!」
藤原の授業を前に、中川と大崎は気が気でない。
「言い訳はあれでいいよな!室井先生に行かなくていいって言われましたって!」
「うん!うん!それで許してもらうしかないよォゥッ!」
「俺らは悪くないもんな!だって室井が…」
ピロリロリラリン!ピロリロリラリン!ピロリロリラリン!
「!?」
突然、スマホのアラームが鳴り響く。
「あれ…?」
「え?」
「誰?誰?」
生徒らはキョロキョロと見回す。
「…え、俺じゃないよね!?あれ?」
大崎は自分のカバンを確認している。
「お、俺じゃねーよ!」
首を振る高橋。
「…。」
「ああ、良かった!俺じゃない!…中川、お前は?」
「………え…。」
中川は自分のカバンを触る。布越しに、何か硬いものがプルプル震えているのを感じた。恐る恐るチャックを開く中川。
ピロリロリラリン!ピロリロリラリン!
なんとスマホが入っている。中川は急いでアラームを止める。
「…え!?」
「み、見ないでよォ!」
中川は大崎を押し退ける。
「あれま。」
「ま、マジかよ中川!」
「…えぇ…。」
「…え!?…なんでw?」
皆の視線が一斉に集中する。中川は取り乱しながら弁明した。
「…ち、違うんだよォゥッ!昨日塾に行ったときに、間違えて入れっぱなしにしちゃってッ!それで…」
ふと背後に冷たい気配を感じる。
「…。」
中川は恐る恐る振り返る。
「…。」
「…。」
藤原が立っていた。ハシビロコウのような顔貌で、中川を静かに見下ろしている。
「…。」
中川は硬直する。他の生徒たちも言葉を失う。
1時間目、遂に国語の授業が始まった。しわが深く刻み込まれた藤原の顔は、干物のように筋張っている。
「大崎、斉木、武田、中川、堀口、山谷。立て。」
名前を呼ばれ、6人の生徒たちは起立する。
「こいつらは先週、宿題を忘れた上に、しかも私の補修を無断で欠席した。」
「…。」
「罰として、お前らはこれから1時間立って授業を受けろッ!」
「えwッ!?」
斉木は笑いそうになりながら驚く。
「え?じゃねェッ!!!お前らにはこれくらいの罰が当然だろうがァッ!ボケがッ!!」
藤原の怒号が教室内に響き渡る。生徒たちは皆おびえ、一言も発さずに背筋を伸ばしていた。
「そして中川アァーッ!」
「…!」
突き刺すような指名に、中川はクリッとした瞳を揺らす。
「来いッ!!」
教室の空気は一層張り詰める。中川は、震えながら藤原のいる教卓の隣まで歩いていった。
「…。」
「このボケナスアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアーッ!!!!」
滝のような暴声を浴びせる藤原。
「宿題も忘れて、補修もサボって、携帯も持ってきて!どれだけだらしないんだ貴様はッ!」
「…。」
「特に携帯を持ってくるとは何事だァッ!貴様ほどの問題児はそうおらんぞォッ!!」
「…ゥ…。」
中川は若干涙目になりながら、床を見つめている。大崎は気まずそうに、中川から目を逸らす。
「貴様のような生徒のせいでこうやって授業時間を削って叱らなきゃならんのだ。その自覚はあるのかァッ!?」
「…。」
橘は眉を顰める。
「責任感がないんじゃ貴様はァッ!生徒として学校に通うという責任がなァッ!!」
「…ううッうッ…」
生徒たちはざわつく。
「あれ?中川泣いてね?」
「…やば…。」
「……ゥう…ううッ!」
怒鳴られたショックで中川は泣いてしまう。
「なんだッ泣けば許されると思っているのか?」
「……ぁうっいっ…ひいッうぅ…!」
「甘えるなァッ!!」
「…うわうッ……うわあぁうッひぁうッ!」
泣きっ面に蜂の如く、藤原は容赦なく怒声を加える。
「や、やばくね…?」
「そんな泣くほどのことかなw?」
中川の泣きっぷりに失笑が起こる教室内。
「あ、あのォ…。」
橘は唐突に挙手する。
「ん?何だ!」
「わ、私去年国語係だったんですけど、宿題の件はちゃんと連絡してなかったかもしれません。すみませんでした…。」
「…。」
橘の予想外の発言に固まる藤原。
「…うぅッうッ…。」
「…いや、それはいい。私はちゃんとプリントで連絡していたからなッ…。」
「…。」
しばらく沈黙が流れる。教室には中川のすすり泣く声だけが響く。
「うぅ…うぅウッ…ゥ…ひィいうゥうウッ!」
「と、とにかくッお前らはまた別の補修を設けるから、必ず参加するように!もういい、座れ!戻れ!」
「ううっ…ウッ…うゥうッ…!」
橘によってペースを崩された藤原は説教を終わらせた。5人は着席し、中川は涙を拭きながら席に着き、うずくまる。
「え?友美って国語係だったっけ…?」
「まぁね。」
橘はニヤっと笑った。
「まぁねって何w?」
「ナイスだな、橘さん…。」
高橋は感心する。
国語の授業が終わった後も、中川は机に突っ伏していた。大崎と高橋は、中川を心配そうに見つめる。
「…中川…?大丈夫?」
大崎は中川の背中を軽く撫でる。
「気にすんなよ。あんなジジイの言うこと真に受けなくていいんだぜ。」
ドンッ!
中川は机を蹴り飛ばして立ち上がる。
「…チッ…。」
「…な、中川!」
「お、おい!」
ガラガラガラガラッドンッ!
涙を拭きつつドアを乱暴に開き、教室から飛び出す。そして、癇癪を起こしながら廊下の窓に寄りかかり、中川はすすり泣いた。
「ううぅッうううーッ!」
「何だ何だ!?」
「どうしたんだよww!」
周囲の生徒たちは戸惑う。
「ッチッ…ゥううッ!ひぐッ!ハゲッあのハゲが…ッハゲ!うぅ…許さない…このッハゲェ…。」
ドンッドンッドンッ!
悔しさと怒りに任せ、涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら窓枠を叩く中川。
「誰がハゲだって…?」
「…!?」
藤原が中川の隣に立っている。
「…あ!」
「…うわ、やべェなこれ。」
青ざめる大崎と高橋。藤原は仁王像のような形相だ。
「ぼげがあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぅッ!!!!!」
廊下を貫くが如く藤原の怒号がこだまする。
「ううッうぐううッうひうゥッ!」
中川はますます泣きながらうずくまる。
「ハゲって言ったな!!!今ハゲって言ったなァッ!!?」
藤原は中川の肩を掴み、激昂している。
「何だ何だ!?」
「また藤原か!」
騒ぎを聞きつけ、野次馬の生徒らが中川と藤原を取り囲んでいた。大崎と高橋、橘も近くで見守っている。
「ハゲって言ったな!私の事をハゲと言ったんだなと訊いてるんだよーォウッ!!ハゲで何が悪いッ!ハゲでッ!!!何が悪ぅううういィッ!!!!」
「いいや、あなたはハゲではない。」