狭間の雪   作:しろたく

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クロノス

 「左だ!」

 フィリスは鋭く叫んだ。ウィリアムはとっさにハンドルを左に切った。

 スラムバギーは時に過剰に反応しすぎる。駆動シャフトはほぼ即座に90度曲がり、フィリスとウィリアムは右側に強く押しつけられた。

 ウィリアムがバランスウエイトを素早く左に移動させた。バギーは横転することなく車輪を戻す。ウィリアムにこれをやらせたら天下一品だ。全速力でバギーは再滑走を始める。

 直後、〔クロノス〕の脚がバックモニター上に忽然と現れた。可視光による視界が30m以下のベータ上においては、赤外線モニターが頼みの綱だ。だが今日に限っては、可視光モニターにも脚の輪郭が明確に映る。直径7m、5本のかぎ爪が付いた円筒形の脚は、たった今バギーが左折した場所の真上にまっすぐ落ちてきた。

 脚が着地した瞬間、バギーは少なくともそこから250mは離れていた。バックモニター上で、大量の雪埃とともに衝撃波が四方に放たれたのがハッキリと見えた。1秒後にはバギーも衝撃波に呑み込まれた。ケイ素を多く含んだベータの雪埃が一斉射撃のように襲いかかってくる。

 アースの2倍の密度の大気では、衝撃波の威力は5倍にもなる。かつて経験したことがない強烈な縦揺れにバギーは包まれた。耳が押しつぶされたような低周波の轟音が、ヘッドガード越しに頭を激しく揺さぶった。ヘッドガードをしていなかったら一瞬で鼓膜が破裂していただろう。

 極めて迅速に直進ルートに戻っていたことが功を奏した。衝撃波の殆どはバギーの躯体そのものにより受け流され、威力を和らげてくれた。激しい揺れに見舞われつつも、バギーはそのまま針路を確保した。

 ウィリアムがほんの僅かに逆噴射をかけた。衝撃波に逆抵抗を与える形で、その力を相殺する。振動が目に見えて減る。その運転技術の高さに、改めてフィリスは感嘆を覚えた。

 バックモニターでは、クロノスの脚がもう視界から消えつつあった。クロノスは我々の軌道とちょうど正反対の方向に移動を始めていた。

 ウィリアムとフィリスは初めて顔を見合わせた。お互いの顔が汗でびっしょりになっているのが、ヘッドガード越しにも解る。ウィリアムがいつもの、やや険のあるような口調で話す。

 「マーサ支部長にホットライン」

 「ああ。ボイスで行く」

 フィリスは通信端末をオンにした。のんびりハングアウトメッセージを送っている場合ではない。今朝のルートメイキングの時点で、クロノスの周回軌道情報は影も形もなかった。そもそも今日のルートそのものが、クロノスの推定居住区域からかなり外れている。

 マーサ支部長の顔が、正面側面の3Dモニター上に投影される。

 「フィリス、緊急モニターデータを今確認しました」

 「はい。そういうことです」

 「軀体の大きさからすると、クロノス10Rね。本来の軌道から14km以上離れている」

 「直前まで、赤外線モニターでも全く検知できなかったんです。恐らくは2時間以上、滞空していたとしか考えられません」

 「その通りね。だけど…」

 「はい。クロノスがそんなに長時間滞空していた事例は、聞いたことがないですね」

 「いずれにしても、予定通り戻ってこられるのね?報告を待ちます」

 「了解」フィリスは通信を切った。

 

 クロノス。

 惑星ベータの原生生物の一種類であるが、その生態はまだ殆ど解っていない。分かっているのは、オーパス・シティ周辺で確認されているおよそ200の個体が、ベータの日周期に沿って正確な軌道上で周回を繰り返していること。四足歩行動物で、脚の長さは推定でも150mある。その脚の上にどのような軀体があるのかは、未だ観測されたことがない。

 ベータにおいて地上から500m以上の上空層は常に帯電しており、通常の可視光や赤外線などの電磁輻射は拡散してしまい、一定距離以上ではレーダー等がほぼ役に立たない。さらには飛行手段が極めて限られるベータにおいて、500m以上の上空に達する手段は殆どなく、故にクロノスの躯体が観測されたこともない。

 人類に対して、クロノス達は今まで何の反応も示してこなかった。もちろん人類側も遠くからその存在を確認し、彼らの周回運動を縄張りであると理解して、そこに立ち入ることはなかった。

 何があったのだ?

 それ以上考えるのを止めたフィリスは、ウィリアムから運転を引き取った。二人は帰着まで無言だった。

 

 バギーは〔オーパス・シティ〕のゲートに到着した。2名の生体IDが探知され、入出庫口がゆっくりとせり上がる。入出庫口は緩やかな弧を描いた形状となっており、住民はこれを「クジラの口」と呼んでいる。

 バギーがゲート内に完全に入ると気圧保持扉が閉じられ、内部空気が換気された。搬入出エレベーターは300mの高低差を12秒で下り、内部扉の入り口に到達した。扉が開き、シティがその姿を昂然と現す。

 

 フィリスがオーパス・シティに来てから3BY(ベータイヤー)になる。いい加減見慣れたつもりではあったが、外出から帰還した際のオーパス・シティの荘厳さには、毎回目を見張ってしまう。

 〔オーパス・シティ〕が建造された地下空洞は高さ250m、広さはまだ完全に調査されていないが、一説には2,000平方キロメートルに及ぶらしい。〔オーパス〕の人間達が居住用に使っているのはそのうちたったの100平方キロメートルだ。本来暗闇のはずの地下空洞は、アンモニウムの結晶が発する自然発光で、ごくうっすらと光っている。

 そして、至る所にそびえる鍾乳柱。天井部分から円錐を二つ継ぎ合わせた美しいカーブを保ったまま、まるで屋根を支えているかのように地面部分まで伸びている。可視光を当てた時の色合いは紫がかった乳白色で、いくつもの光彩がきらめき、この上もなく魅力的だ。いくつかの鍾乳柱には照明用内部電源が取り付けられ、人工照明として昼夜を分かたず稼働している。

 鍾乳柱はおおよそ200m程度の間隔で空洞内にかなり規則正しくそびえており、その間を縫うように居住区・商用区・行政区の各ユニットが立ち並ぶ。最深部には〔シティ〕の全エネルギーを賄う小型核融合炉が据え付けられている。

 地表温度マイナス30℃が最高気温のベータにおいて、原則として人類は地上で生きていくことは出来ない。ベータの地下に無数にあるこのような地下空洞を活用することで、シティは成り立っている。地下空洞のさらに下の層には広大な氷の層が存在する。アースと同じ、純度の高い水だ。この豊富な水の存在こそ、人類が播種においてベータを選んだ大きな理由だった。酸素の生成も食料品の栽培も、この水を元に全て賄うことが出来る。

 フィリスとウィリアムは、オーパス・セントラルユニットに直行した。リニア駆動ユニットに乗せられたバギーは、5kmの道のりを2分で踏破し、支部棟が目の前に現われた。

 

 スラムバギーS10の緊急信号を受信した時、マーサはデヴィッドとのハイパーアクティブ通話の真っ最中だった。

 今回の[合]は25分あった。いつもはせいぜい10分~15分、それも殆どの場合はスコットの愚痴話に阻まれ、デヴィッドと話せるのは5分もなかった。明日はデヴィッドの15歳の誕生日、マーサは本当にデヴィッドとの話を楽しみにしていた。

 だが、通話は結局7分で強制終了となってしまった。マーサが慌ただしく通話を終えるときに、デヴィッドが見せた半ば諦めのような表情が彼女の頭にこびりついていた。

 ベータに赴任して4年。デヴィッドと離れてからはもう8年だ。7歳だったデヴィッド、当時から驚くほど大人びた子だった。ハイパーアクティブ通話以外に実質上の連絡手段が断たれてから、マーサとデヴィッドとの会話は徐々に事務的になっていった。最初はスコットが色々と吹き込んでいるのではないか…と邪推したが、すぐにそんなことはないと思い直した。

 スコットは過干渉だし女々しい所も多い男だが、悪意を持って母親から自分の息子を遠ざけるようなことはしない。スコットは必要以上に合理的な男だ。自らXジェンダーであることをカミングアウトしてきた時もそうだった。彼は全く感情的にならず、自らの状況と結婚生活を維持できないことを淡々と告げてきた。こちらが怒ったり泣いたりする余地を全く与えない感じだった。それは彼なりの優しさだったのだと思う。

 …こんなことをクドクド考えている場合ではないのは解っている。それでもマーサは、バギーが帰還してくるまでのおよそ2BH(ベータアワー)の間、デヴィッドとの最後の会話をずっと反芻していた。

 フィリスとウィリアムの2名は、BT(ベータタイム)1500きっかりに帰還した。司令室ですぐさまブリーフィングが始まった。

 「結局、クロノスはそのまま元の周回軌道に戻った、ということですか」

 「そう。軌道分析をすると、遭遇時のクロノスの秒速は12mだった。つまり、普段の2倍ね」

 「単純に、急いでいたという事なんでしょうか。我々を敵視したわけではないと?」

 「全く分からない。それ以外のクロノス個体には、今のところ目立って異常な動きはない。現時点で、これ以上の原因追及は無理ね。ネオジムは格納庫に収納したの?」

 「はい、それはもちろん」

 二人のそもそもの目的は、オーパス・シティから50km南西にあるネオジム採掘場から精製原料を持ち帰ることだった。採掘と精製そのものは自律AIロボット群により完全に自動化されているが、エネルギー補給・メンテナンス・そして何より精製物の運搬は人間がやらなければならない。ネオジムはベータにおいても稀少だが、何より目前に迫ったトレーディングの必須品だ。ミスをするわけにはいかなかった。

 「とにかく、貴方たちが無事で良かった。出立は明後日、BD(ベータデイ)14、0630ね?」

 「はい。それまで休息に専念します」ここまで殆ど喋っていなかったウィリアムが、珍しくハッキリと発言した。

 会合は30分ほどで終了した。とにかく休んでおかないと身が保たない。トレーディングのストレスは毎回想像を超えていた。それでも、フィリスは自室に戻る前にデータバンクに立ち寄り、今日のクロノス14Rの軌道を確認せずにはいられなかった。

 データバンクには、バギーが遭遇する僅か5分前にクロノスが時速70kmの速度で北東に加速していたことがハッキリと記されていた。先ほどマーサの話にもあったとおり、通常の移動速度の倍以上だ。おまけに楕円形の周回軌道からほぼ直角方向に外れている。そして俺たちの真後ろに脚を落としてから、また時速70kmで元の軌道に戻っていた。その間の所要時間、合計11分。

 バギーを威嚇・牽制に来た、としか見えなかった。

 フィリスは身じろぎもせずたっぷり5分以上記録を眺めてから、データバンクを落とした。クロノスは威嚇してきたにせよ、自分たちを追ってこなかった。むしろ大急ぎで元の軌道に戻っている。

 もう寝よう。

 

 ウィリアムは、スーザンのいるメガICUに向かった。

 スーザンを見るのはほぼ7BDぶりだ。毎回任務に出る度に、これが最期かもしれないという思いが頭から離れない。そして、帰ってきたら帰ってきたで、スーザンの顔を見る度にウィリアムの胸に浮かぶのは、安心感ではなく寂寥感だった。

 完全治療溶液であるデンモビウム溶剤のプールの中に、いつも通りスーザンはかすかな微笑みを浮かべて横たわっていた。身につけている浸透スキンを通して、小柄な彼女の体の線が隅々まで浮かび上がっている。

 医療技師であるフレッドに毎回説明を受け、容体が全く変わらないことを確認した上でなお、ウィリアムは各種モニターを凝視せずにはいられない。殆ど変化のない脳波計、規則正しく打たれている脈拍、デンモビウム溶剤を通して供給されている血中酸素濃度、全て2週間前と同じだ。そして2ヶ月前とも、1年6ヶ月前とも。

 プールの強化ガラス越しに、ウィリアムはもう一度スーザンの寝顔をじっと見つめた。見つめ続ければ目を開けるかもしれない。もう何千回も頭の中をよぎった妄想だ。

 10分後、彼は病室を後にした。

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