狭間の雪   作:しろたく

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幕間その2~ベータとバーナダム

 “雲海”の境界が輝度を増してきた。重なり合っていたはずの位相が、明らかにベクトル分割を起こしつつある。

 マスターは独りごちた。

 『まだ浅いが、ここからの後戻りはあるまい』

 『メーガスも動き出したようですね』これはラオだった。

 『“彼ら”の動きはどうだ?』

 『事態を正確に理解するまでには至っていないようです』

 ラオの答えにマスターはしばし沈思黙考し、言葉を継いだ。

 『アルとリュウを呼んでくれたまえ』

 

 アルとリュウは、黙ってマスターの言葉を聞いた。

 『“選択”を促した方が良い。ただし今ではない。我らが来たるべき“除却”を行なった後にだ。直接赴いて選択を提示してほしい』

 『彼らは、選ぶでしょうか?』

 『それを決めるのは我々ではない』

 アルにとっては、予想した展開だった。早すぎる気もしたが、ものごとにおいて早すぎることはない。アルはリュウを伴い、境界の調整に入った。

 

 

 

 マーサは通信ログを保存し、ウィリアムとフィリスの輸送隊の進捗を確認しようとした。その刹那、警報が目に入った。

 輸送隊は規定のルートを大きく逸脱している。数分で座標が30km近く移動しているところを見ると、ダミーのGPS信号が送られていたに違いない。

 どこでそんな仕様変更が行なわれていた?いや、それはどうでもいい。フィリスとウィリアムが、他の輸送隊員も巻き込んで最短経路を取ったことは明白だった。

マーサは手袋を外し、拳で卓を思い切り叩きつけた。司令室の外に音が響いたかもしれない。痺れる拳をそのまま卓の上に置き、マーサは血がにじむほど唇を噛みしめた。

 「あの子達…」

 激高は暫くして収まり、冷静さが戻ってきた。当たり前というか、予想されてしかるべき事態だった。自分は、ウィリアムにスーザンを見殺しにしろと命令したも同然だ。本来は彼以外を行かせるべきだった。短縮経路を取らないのなら、余計そうすべきだった。

 今から打てる手はない。こうなっては静観するしかない。

 大きくため息をつき、マーサはハイパーアクティブ回路を開いた。カルカトラ人と用いている帯域をセッティングする。ホログラム上にフォンビンの姿が現れた。背景はバーナダムの司令区画だが、細部は潰れている。

 「大変でしたね。そちらの状況はいかがですか」とマーサ。

 「クザーン艦隊は我々の補給線部隊が滞在していた空域を占拠し続けています.我々のホール捕捉船を拿捕したところで、完全にシャットダウンされていますから活用は出来ないはずなのですが、油断は出来ません」

 フォンビンは戦域図を操作しながら、幾つかの可能性を説明した。ひとしきりの説明が終わった後に、フォンビンは逆に問いかけた。

 「それよりも、そちらも大変なのでは?」

 「ええ、必須の不足物資提供をクロード・シティに要請しました」

 「クロード・シティに?それはうまく行くのですか?」

 「上手く行って欲しいです」

 お互いの歴史を語り合う以前の会話の中で、マーサは【シティ】同士の対立について説明したことがあった。およそ90年前、播種移民船がアースを次々に飛び立っていた頃、その主体は完全に人種国家だった。アースは大きな人種単位で4つの勢力に分かれ、しのぎを削っていた。オーパスは白人主体だが、クロードは黄色人種主体のシティだ。

 【ベータ】での植民テリトリー区分は大きなトラブルなく決まったが、カルカトラとの交易問題が深刻な衝突を招いた。カルカトラに対しかなり高圧的な条件を提示したクロードに対し、より穏健な交渉を行なったオーパスは交渉権を獲得したが、必然的にクロードとは没交渉となった。今やクロードは徹底した自給自足の道を歩みつつある。それ故、シティとしての発展はかなり遅い。

 話は自然と雑談へと移っていった。司令官同士、周りは皆部下という立場だ。気の置けない話し相手という点で、この2人は意気投合していた。

 「そう言えば、通信途絶の際はデヴィットのお話をしていたのでしたね」

 「はい。最近はなかなか長く話せる機会もなくて…(とりとめもない会話)そう言えば、デヴィッドはまだアース年で15歳なんだけど、量子力学に興味があるみたいなんです。局所実在性とか量子もつれの非対称とか、よく分からないけど一生懸命分かろうとしている」

 「なるほど。量子というのは、いつ聞いても面白いネーミングだね。我々は貴方たちが言う“雲”に近い言葉を充てている」

 マーサはカレッジで学んだ量子力学を思い出していた。アインシュタイン、ボーア、ハイゼンベルク、シュレディンガー、ベル、ツァイリンガー、中西、ボールスマン、ケイト…もう400年も前から伝わり続けている偉人達の名前だ。

 カルカトラ文明は、アース文明よりおよそ(我々の暦で)120年前には、量子力学とその応用に辿り着いていた。ホールの技術やハイパーアクティブ通信はその成果だ。アース文明が亜光速航行技術を発明していたからこそ、今の関係があると言える。でなければ、カルカトラは我々に見向きもしなかっただろう。

 「…そう言えば、あのパイロットはおそらくテレポーテーションを行なったんだ」フォンビンが語り続ける。

 「その問題をずっと考え続けている。なぜ生体に損傷なくあれを行えたのか。敵機のスキャンでは明らかに生体反応があった。完全AIによるコントロールではない」

 「そう言えば、デヴィッドも似たようなことを言ってました。量子の状態重ね合わせ・観測した段階で特性が決まることそのものが、生き物にテレポーテーションを使えない理由なのか?とか。だったら機械に意識だけを持たせるとか、そんなことが出来ないのか、とか」

 「不連続な空間遷移を使うと、あるいは可能なのかもしれないが…いや」

ホログラム越しでも、フォンビンの動作が完全に止まったことがハッキリと分かった。何やら深々と考え込んでいる。

 暫くしてから、彼は投影されていた戦域図を消し、代わりに数式表示を呼び出した。像は乱れていたが、意図は伝わる。

 「量子テレポーテーションにおいては、移動そのものは観測されない。ある状態が消失し、別の場所で同一の状態が成立する。もちろん観測されて初めて確定する状況ではあるが、移動距離は意味を持たない。あなた方が言う量子もつれとは、そもそもそういうことだ。

 問題は、生体でこれを行なうと不確定性原理の障壁に阻まれて、情報が元のものからランダムに変化することだ。生体の神経系はほぼこれに耐えられない。少なくとも我々の技術では、障壁を越えられていない」

 マーサが突如目を見開いた。

 「突拍子もない仮説だけど…もし生体と演算系が完全に統合され、観測そのものを脳内で内部処理できる存在がいるなら、可能なのじゃないかしら。我々の脳細胞のようなシナプスを通じて情報をやりとりする方式ではなく、量子テレポーテーションを情報伝達の基礎に置いたような、そのような存在がいるとしたら」

 「そうなんですが、知的種族がそれをどこまで受け入れるか。知性を持った生命体にとって、脳神経系を機械に委ねることは耐えがたいでしょう。自らのアイデンティティ放棄に等しい…」フォンビンは途中で言葉を切った。マーサが引き取る。

 「22世紀初頭、あなた方の暦で言うと40Y程前に、我々人類も似たようなテクノロジーを開発しています。脳神経系をAIを中心としたニューラルネットワークに置き換える試みを。だけど、アース人類の多くがこれに反対した。まさにあなたが言ったとおり、自分たちの存在がAIに乗っ取られる不安を理由にね。

 ただし、クザーンはそれを承知でやっているかもしれない」

 「彼らならやりかねんな」フォンビンは急に立ち上がった。

 「司令官マーサ。艦隊が動きを見せない理由の仮説が立った気がします。量子テレポーテーションで移動してくる存在が、その演算子を埋め込んだような連中なのだとしたら、おそらくそれはいわゆる使役階級、あるいは奴隷のような存在でしょう。あの誇り高きクリエール王家や貴族階級の連中が、自分にそんな措置を施すはずがない。

 と言うことは、支配階層はあの前線には出てこられない。相当後方に陣取っている可能性が高い」

 「突破口が見えてきましたね」マーサも興奮気味に返した。フォンビンはいても立ってもいられない様子だ。

 「状況進展次第、連絡します。お互いの問題に集中しよう」

 「了解しました」

 マーサは短く答え、通信を切断した。

 室内に静寂が戻る。装置の低い駆動音だけが残った。マーサは端末に残された数式を見つめ、その後消去した。彼女は立ち上がり、通信コンソールを離れた。

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