迷宮の最深部で竜王の巨体が崩れ落ちた。
霊体と化した残滓を、デュランダルに宿した「エクスカリバー」で両断した瞬間、俺は本当に終わったと思った。
デュランダルが黄金の光を放ち、輝く一撃が竜王のMPの残りを切り裂いた。
あの光は、勇者スキルの最深部でようやく生まれた技だった。
息が上がる。膝が震える。デュランダルが重い。
ベスタは盾を突き立てたまま、肩で息をしている。大怪我はないが、竜人族の彼女ですらこれほど疲弊している。
セリーは壁に叩きつけられた衝撃で、まだ立ち上がれない。
意識はあるが、足が動かないらしい。
ミリアは最後まで走り回り、影分身を駆使して攪乱してくれた。
あの小さな体で、よくここまでやってくれた。
ルティナは……失禁しながら、床に座り込んでいる。
エルフの誇り高い彼女が、恐怖と疲労で完全に力を失っている。
そしてロクサーヌ――
彼女は鬼神だった。
竜王の攻撃を紙一重でかわし、隙を見て一撃を叩き込み続け、HPを削り切った。
俺がエクスカリバーでとどめを刺すまで、彼女は一度も後退しなかった。
俺たちは勝った。
最深部のボス、竜王を倒した。
これで迷宮は攻略されたはずだ。
だが、次の瞬間、床が震えた。
最初は余震かと思った。
だが違う。
魔物の咆哮が、遠くから、近づいてくる。
無数だ。
迷宮の壁や床、天井から、次々と魔物が生み出されていく。
ホーンラビット、ニードルウッド、グリーンスライム、パックピッグ、ビヒモス、ケツァルコアトル……これまで出てきた全ての魔物が、異常な速度で増殖している。
「……これは」
俺はすぐに理解した。
迷宮暴走。
過去に記録された、街を一瞬で飲み込み、国を押しつぶした、あの現象。
ボスを倒した直後に、迷宮の制御が完全に失われ、魔物の生成が暴走する最悪のケース。
歴史書に残るほど稀な、だが確実に起こり得る、最悪の結末。
「ミチオさま!」
ロクサーヌが俺の前に立ちはだかった。
彼女の背中が、汗と血で濡れている。
それでも、両手に持った短剣を構え、俺を守ろうとしている。
魔物の波が押し寄せる。
ウインドで飛ばす。
ファイアボールで焼き払う。
アイスストームで凍らせる。
だが、焼いた分だけ、凍らせた分だけ、次の瞬間には新しい魔物が生まれる。
まるで意味がない。
時間の問題だ。
ミリアが足場を失い、魔物の群れに飲まれていく。
「ご主人さまぁ!」
小さな悲鳴が、すぐに掻き消される。
セリーはまだ動けない。
ベスタは盾を構え直すが、魔物の数が多すぎて、すぐに押し込まれる。
ルティナは座り込んだまま、震えるばかりだ。
ロクサーヌだけが、必死に俺の前で戦い続けている。
だが、彼女の動きにも、明らかに限界が来ている。
呼吸が荒い。
剣を振るう手が、わずかに遅れている。
被弾するロクサーヌを初めて見た。
俺は必死にスキルウインドの中を検索する。
何かあるはずだ。
この状況を打開できるスキルが。
これまで使ったことのない、隠されたスキルが。
そして、気づいた。
【ガンマ線バースト】
以前、スキルリストを隅から隅まで検証した時に見つけたスキル。
発動条件が不明で、一度も使えなかったやつだ。
あの時、俺は考察した。
このスキルは、絶体絶命の状態が発動条件で、効果は広範囲の完全殲滅。
だが、同時に自爆スキルだろう事も予測できた。
使用者自身も、仲間も、すべてを焼き尽くす。
つまり、これを使えば、迷宮暴走は止まる。
魔物は全滅する。
だが、俺たちも死ぬ。
ロクサーヌの背中が、俺の胸に触れた。
彼女はもう、魔物の攻撃を防げなくなっている。
肩に噛みつかれ、血が滴る。
それでも、彼女は俺を守ろうとしている。
「ロクサーヌ……」
頭の中に、彼女たちの姿が次々と浮かぶ。
ロクサーヌと初めて出会った奴隷商人の店。
初めて宿で体を重ねた夜。
あの時、震えながら俺を見つめた瞳。
彼女が「ミチオさま」と呼んでくれた、あの甘い声。
セリーが加わった時の、恥ずかしそうな顔。
ドワーフ族の彼女が、風呂で体を洗ってくれる時の、熱心さ。
ミリアが仲間になった時の、魚を前にした嬉しそうな表情。
影分身を覚えて、得意げに俺に見せに来た日。
ベスタが「ご主人様」と呼んでくれた、静かな夜。
ルティナが、ようやく心を開いてくれた、あの朝。
みんな、みんな、俺の大事な――
でも、これを使わなければ、間もなくこの国は滅ぶ。
街が、村が、人々が、すべて魔物に食い殺される。
無辜の民が、数え切れないほど死ぬ。
俺は、彼女たちを自分の手で殺すことになる。
愛する彼女たちを、俺が殺す。
ロクサーヌの動きが、ついに止まった。
魔物の爪が、彼女の腹を裂く。
血が噴き出す。
それでも彼女は、魔物を切り払い俺を振り返った。
「ミチオさま、私の命が尽きても、お守りいたします!」
満面の微笑みだった。
汗と血にまみれた顔で、彼女は俺を見ている。
まるで、いつもの朝、俺が起きた時に見せる、あの笑顔と同じだ。
もう、時間がない。
ガンマ線バーストを使わなくても、間もなく全員が死ぬ。
それでも――
俺は、彼女を抱き寄せた。
ロクサーヌの体が、俺の腕の中に収まる。
彼女は驚いたように目を見開き、それから、優しく目を細めた。
「ミチオさま……」
もう、何も言えなかった。
魔物の咆哮が、すぐそばまで迫っている。
ベスタの盾が、砕ける音がした。
俺は、ロクサーヌの額に、そっと唇を寄せた。
ごめん。
本当に、ごめん。
俺は、ただ、みんなと一緒に、穏やかに暮らしたかっただけなのに。