テラを巡る旅(不本意)   作:イグノーブルガス

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トン、トン、トン


幕間2

1091年 12月1日(転移初日)

 

トン、トン、トン——

 

聞き覚えのある三拍子かもしれないが、礼儀正しくノックをされているのではない。

これは僕の近くの壁に、クロスボウの矢が3つ刺さった音なので。

 

『ふむ。実に礼儀正しい相手と遭遇したようだな』

首からぶら下げた無線機から、我らがマッド・サイエンティストの皮肉げな声が流れ出した。

 

『なにせ、いきなり頭を撃たれることはなかったのだから』

「まあ――それはたしかに幸運だったかも」

 

僕はクロスボウを突きつけている女性――桃色の髪の毛と狼の耳と尻尾を持つ――に両手を挙げてみせた。

服装は暖かく高級そうな毛織物の上に、なぜだかぼろ切れのようなもの(もしかすると、ハイコンテクストなハイブランドの外套かもしれない)を羽織っている。

 

 

「【未知の言語】」

「――あー……ええと」

 

彼女は眉をひそめ、何かを叫んだ。だがその言葉は――ロシア語に似ているかもしれない。

「もしもし博士?どうも扉の外にいたのは、ロシア人コスプレイヤーのようですが。通訳を頼めますよね」

『いや、明らかにロシア語ではない。単語の音節にこそ、やや馴染みはあるが。文法が滅茶苦茶だ』

 

僕は博士と英語で会話している。英語は善良なイギリス人が、バベルの塔に分断された諸国民のために広めてくれた言語だ。

だからロシア人のマッドサイエンティストとも意思疎通できる。

 

「あなた達、まさかヴィクトリア語しか喋れませんの?」

 

もちろん、異世界にいる獣耳の美女とも会話できる。さあ、君も駅前にある英語教室に月謝を払おう!

 

オーケイ、たしかに便利だ。

 

「白旗の意味が間逆なせいでファーストコンタクトした異星人と全面戦争になる」、「異星人がクジラの音みたいな声を出すせいで理解できない」といったショート・ショートよりは、「なぜだか知らんが英語は通じる」と言う状況は歓迎すべきことに違いない。

 

そんな事を考えていると研究所の方から、キュルキュルという音が聞こえてきた。

なんだろう、と思って振り返ると、鋼鉄製の扉についたハンドルが回っている。

 

待てよ、ハンドルが回る?

 

「――博士。なんで今、ドアの気密ハンドルをそこまで厳重に締めているんです?」

『4日分の缶詰やら水は置かせてもらったよ。それに原子炉の二次冷却水の外部放出バルブを少し開いたから、その開けっ放しの玄関でも多少は温かいはずだ』

『あとは君が、無闇にこのドアを開けない理性と思いやりを持ち合わせていることを願おう』

 

ああ、とぼくは納得した。

 

「オーケイ、レヴィ・”マッド”・クリチコ博士。僕は実験動物ということですか」

「この狼女に何かの病気を移されて、研究室のラットみたいに死んでも気しないって?」

 

『では聞くが。私と君が揃って何らかの感染症に罹ったとして――どうやって地球に帰るつもりなのかね?』

 

ううっ。

 

『勿論、君は共著者だ。ストックホルムのステージに上る前に、死なないほうがいいだろうな』

『ノーベル賞は御存知の通り、死者には渡らないのでね』

 

「……ありがとう、博士(Thank you guys!)

僕はできるだけハリウッドを真似て、記憶にある限り一番皮肉げな口調の英語で言い返した。

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「それで、お名前は?」

 

「……アヴドーチャと申しますわ」

くだんの狼美女、もといアヴドーチャと名乗った人物(狼物?)は長い沈黙のあと名前だけを名乗った。

 

「あなたの名前は――イポニーツ、でよろしいんですの?」

……うん?それは日本人という単語のロシア語読みだったような気がするが。

 

そんな雑な名乗りをしただろうか、と顎の下に手をやると、肘にガムテープが当たった。

 

ああ、なるほど。

 

僕の胸に貼られたガムテープには、キリル文字でなにかが書いてある。

つまりマッドサイエンティストの部下たち――レヴィ博士の雇った傭兵が、僕を識別するか何かするために「日本人」と書いて胸に貼り付けておいたのだろう。

そして、彼女はそれを読んだのだ。

 

『好都合だな。とりあえず、そう名乗っておいたほうがいいだろう』

「はい。僕はイポニーツです」

……まあ、嘘は言ってない。

 

さて、メイド・イン・ジャパンの脳みそくん、助言してくれ。

きみは初対面の狼美女に対して、名乗ったあと何をすべきだと考える?

 

 

 

 

 

 

――そろそろお腹が空いた。

 

ふーむ、有益な提案をありがとう!

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まず宣言しておくと、僕が作るのは厳密なフランス料理のコンソメではない。

あれは澄ませるためにミンチ肉と卵白で清澄したりして、もはや料理というより宗教儀式だ。

 

僕は冷凍野菜を雑に切って入れた鍋に、傭兵たちの持ち込んでいた「AJI-NO-MOTO」と書かれた白い粉と茶色いキューブを目分量でどぼどぼ入れた。

 

ゆけ、合成調味料たちよ!

気取った自然派をその圧倒的な旨みで陥落させるのだ!

 

「さて」

 

味見をする。スプーンでひと口掬って、アルミニウムの小皿にとって飲む。

熱い。うまい。ちゃんと、うまい。(そこ、グルタミン酸ナトリウムのおかげとか言わず、黙って”美味しい”と言うように)

 

僕の貧乏舌は貧弱な感想を叩き出した。

文句は鍋の下にいる噬星体に言ってくれ。彼は地球を冷やして食糧危機を起こし、世界各地の食文化をレーションに変えるという大仕事を成し遂げつつあるので。

 

これは皮肉だ。

 

 

ともあれ僕はIRライトを消して噬星体を沈黙させ*1、鍋の下から取り除く。

そしてぐつぐつと煮立つ鍋から、彼女の分と僕の分を椀によそった。

 

なんとなくコンソメ味の、薄く茶色に染まったスープにはジャガイモ、ニンジン、玉ねぎ、ベーコン、そして単体で食べると実に微妙なソ連時代のソーセージがそれなりに入っている。

 

アヴドーチャと名乗ったピンク色の髪の毛をした狼女は、随分と疑わしげにスープを見つめ続けた。

彼女は慎重に足で転がっていた木箱を椅子に寄せ、その上にクロスボウを置く。柄の部分は彼女の効き手の方に向けられていて、すぐに持てるよう手の届く範囲に置かれている。

 

『ハハッ、君より慎重だな。見習ったほうがいい』

余計なお世話だ。

 

しばし無言で手の中で湯気が上がる様を彼女は見つめていたが、ついにちびちびとスープをすすりはじめた。

僕は彼女が食べるのをじっと見ている。(理由?人間は他人が食べている姿を見たがるものなのだ。わかってくれるかな?)

 

そしてある時点で彼女はしきい値を超えたのか、火傷を恐れない速度でスープを飲み、具材を頬ばった。

 

それからあっという間に空になった椀を暫し見つめ、手をこちらに出そうかどうか迷っている。

お代わりだな?

 

僕は喜んで鍋から彼女の椀にスープを注いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「そろそろ起きてくださらないかしら?」

 

なんだか美しい声がする。目を開けると、桃色の髪がぼやけた視界を埋め尽くしていた。彼女の細い指が僕の肩を揺すっている。

 

「あなたは非情な人間ですわ。飢餓状態のループスの前に缶詰をずらりと並べて、しかも約束の時間をとうに過ぎても起きてこないんですもの!」

 

時計を見ると、きっちり6時間45分経過している。

待てよ、6時間?

 

僕は彼女に、「時差ボケがひどいから、3時間くらい寝させてくれ」と頼んだ気がする。

 

 

「あー……」

 

ありえませんわ、と彼女が抗議するのも当然だろう。

 

もしもの話だが。異世界があったと公表する会見に証人として彼女に出てもらったとして――彼女は「イポニーツ(日本人)は怠惰でいい加減な人間だった」だと言い出すかもしれない。

 

うーん、これは我が国に対する深刻なイメ損をしてしまったかもしれないな。

 

もちろん、国民性が個々人にすべて当てはまることなどない。

はい。ぼくは日本人らしくないことに、勤勉と正直を兼ね備えていない、怠惰でいい加減な人間です。

*1
この忌々しい黒粒どもも、数光年旅をしてきてやっとのことで太陽にたどり着いたのに、その最後がコンロ代わりにされるとは思わなかっただろう

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