テラを巡る旅(不本意)   作:イグノーブルガス

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第一三話

1096年 12月23日 深夜 チェルノボーグ司令塔

 

「はい、どうぞ」

「ああ、本当に楽しみにしていた。ありがとう!」

 

常温常圧の白いコータスはブランケットを纏い、ロドスのオペレーターからマグカップを受け取った。

事情を知らないオペレーターは「たかがホットチョコレートで、大げさだなぁ」と思っているだろうが、彼女にとっては大げさでもなんでもない。

 

フロストノヴァ――エレーナは久方ぶりに復活した味覚で、中に注がれたホットチョコレートをちびちびと飲みながら、ビスケットを時折それに浸し、一口一口噛み締める。

 

 

 

 

 

 

彼女の人生で、”甘さ”を初めて感じたのは数年前のことだ。

 

感染する前は、鉱山で味のない冷え切った粥を食べていた。

感染したあとは、止めようのないアーツのせいで舌は感覚を失ってしまった。

 

その日まで、彼女にとって口に入れて”愉しい”ものといえば――煮えたぎる湯か、例のアメ。そして味がわからなくとも、アルコールでいい気分になれるクヴァス*1だけだったのだ。

 

ある日。イポニーツの輸血を受けた彼女はアーツが停止し、その状態で差し出された穴の空いた固形のレーション――カロリーメイトとかいう名前だった(永遠に覚えているだろう)――を何気なく口に入れて。

 

口の中に”甘さ”が溢れた。

 

彼女は、断言していいと思っている。

この世で最も幸せなのは、”甘さ”を感じることだ、と。

 

だからこそ、彼女には訳が分らない。

イポニーツは、機能する味覚があるというのに――なぜ、わざわざ苦くて黒い液体を好んで飲むのだろう?(そのくせに、辛い飴は嫌がる。ますますわからない)

 

 

「……!?ああ、しまった」

 

カツン、とビスケットがマグカップの底に当たる音がした。

見ると、黒い液体が想像より早く減っていて、ビスケットをふやかすのに不十分な量しか残っていない。

 

――折角の機会なのに、あの生意気なやつの顔を浮かべて、チョコレートから意識をそらしてしまうとは!

 

彼女は暫く後悔してから、丁寧にゆっくりとホットチョコレートを飲み干して顔を上げる。

すると、司令塔中の視線が彼女に注がれていた。

 

彼女は、なんとなく恥ずかしくなった。コレも全部、あの生意気なイポニーツのせいだ。

 

彼女の頭には、再び同じ顔の人間が浮かんでくる。

長距離無線機のコンソールの前に立ったドラコの横で、立っているべき人物の顔が。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「――フェン、どうだ?」

「エルバ……電波は出ている。波形も異常なし。ただ――応じてくれるかは向こう次第だよ」

 

行動予備隊A1の隊長は、フードを被ったレユニオンの一人に、長距離無線機の修理を終えたことを伝達した。

トカロントより状況は遥かに良かった――ここは風雨を凌げる司令塔の屋内で、無線機も正規の職員が避難する際に慌てて電源を落としたことによる、軽微な損害しかなかったのだから。

 

 

「――!龍門の信号を捉えた。会話に応じる意志はあるみたいだ」

 

タルラはそれを聞いて身だしなみを今一度確認し、戦塵をはたき落としてカメラとスクリーンに相対した。

 

程なくして、龍がその画面に映し出された。

彼は黄金の屏風絵の前に座り、パイプ煙草の煙を吐き出す。

その横には、記憶より随分と成長した青髪の龍も――緊張した面持ちで直立している。

 

『……感染者の反乱組織、いやレユニオンの指導者よ。我々にどのような要件があるというのだ?』

 

「それはもう、総督夫妻とその横にいらっしゃる龍門近衛局の職員には要件が山程ありますが。とりあえず総督個人に一件だけ。*龍門スラング*と言える日を心待ちにしていました」

『――意外だな、コシチェイはそのような冗談は好まなかった。誰の影響を受けた?』

 

タルラはなんとも言えない顔を一瞬だけしながらも、コンソールを操作して識別コードを停止した。

 

「……総督。今のチェルノボーグはウルサスのものではありません。()()()()()()()()()、空にはサルカズの飛行する戦艦が浮かび、街は摂政王の兵士たちに埋め尽くされつつあるのです」

「これから暫くし、天災から抜け出した途端――再び熾烈な戦闘が始まるでしょう。どうか、龍門に支援を要請したい」

 

『……レユニオンの指導者。君がチェルノボーグの全権を手にしたことは認めよう。だが、我々がそれに関与しなければならない理由はなんだ?』

「ありません。ですが要件はもう一つあるのです」

 

『もう一つ、とは?』

 

「なに、そこに龍門近衛局の職員がいるようだから、自首をしようと思ってな」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

『なんだと!?』

 

「捕まえに来たほうがいいんじゃないか、近衛局の局長殿。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()難儀するかもしれないが――」

 

『……いいだろう。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。お前はその場を離れずに待っていろよ』

 

タルラはチェンがスクリーンから消え去るのを目で追う。朧気ながら、あの部屋で過ごした記憶をたどると――そっちは扉ではなく、窓であったような気がする。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー1096年 12月23日 ペテルヘイム高校

 

源石の微細な粉末が含まれる雨の中。

ウルサス人の生徒会長は、庇に守られた玄関に歩み出た。彼女は体育館で使われていた、大型のカートを校庭に繋がるスロープに進ませ、校庭に突き放す。

かつて、マットレスやボールが入れられていたカートの中には――ロープで縛り付けたリーベリとフィディアの少年が入っている。

 

程なくして雨の向こうから人影が現れ、校庭に溜まった薄い雨水が急激に赤色に染まっていく。

 

「――なるほど。あなたがたはレユニオンを捕らえ、私に差し出すつもりなのですね?」

「え、ええ」

「彼らはあなたがたを戦乱から遠ざけ、理性的な部隊で警護していたというのに?」

「最後のウェンディゴが司令塔を守るために去った途端、これですか?」

 

雨の向こうから現れた、貴族然としたサルカズの男は興味を持たぬ目で詰問する。

ウルサス人の生徒会長はそれに対して表情を崩さぬよう、顔の筋肉を必死に制御した。

 

「ど、どうか、これで勘弁していただけないかしら?」

 

「ほう、貴方がたは私が――源石を多量に含む感染者の血液を好むと思っているのですか?」

 

そんな事はありません、と貴族然とした男は言葉を続ける。

 

「私からすれば。どちらも大差ありません。むしろ、ウルサスは獣臭くて鼻が曲がります」

「ああその点で言えば――リーベリであるこの少年の方を好む、というのは間違いではありませんね。私は確かに、リーベリが好きですよ。若ければ若い方がいいのも、合っています」

 

ロンディニウムでも、一匹飼っていましてね。

そう言って少し表情を緩めたサルカズの男を見て、ウルサス人の生徒会長は安堵の息を零した。

それが最低の行為であると、彼女はわかっていたのだが。

 

「であれば、見逃されると思いましたか?いいえ、むしろ逆です」

「ウルサスは獣臭いからこそ――異種族にぶち撒ける血液としては最適ですよ。浪費しても心は傷みませんので」

 

「貴方がたを()()()()いるのは、戦闘前に鮮度を保つため以外の理由などありません。勘違いのないように」

 

 

血に染まった校庭から、血の造物が溢れ出す。

それらは、教訓を与えるためかリーベリとフィディアの少年の手前で二手に分かれ、慌てて校舎に逃げ込もうとした生徒会長のもとに波のように押し寄せ――

 

 

 

 

 

 

 

「私もリーベリは大好きよ。サルカズ」

「それが歌を歌い上げることができなくてもね。いえ、そうだからこそ「私」は気に入ってるのかもしれないけれど」

 

ギュイン、とこの場に似つかわしくない音が波にぶつかる。

 

極限状態ですべてがスローモーションに見えていたウルサス人の生徒会長は、その人物は修道女のような服を着ていること、手にした武器が丸鋸であること、レムビリトンのマークが書いてあることまでを読み取って――その修道女の血に塗れた手が、自身の白い制服に致命的な汚れを残しながら彼女を片手で持ち上げ、優しく玄関の中に放り込まるのを他人事のように見ていた。

 

 

 

「ロンディニウムにそれほど長く滞在して、映画を観なかったなんて。勿体ないことね」

「映画?この状況と、どんな関係が?」

 

大君は丸鋸で血の造物を一掃したエーギル人を見て、無意識に一筋の汗を垂らした。

彼は苛立たしげに、それを血で隠す。

 

「あの”獰猛な鱗獣”が次々と人を喰らうランクウッドの傑作映画のことよ。海面に血を垂らすと、それに寄ってきた”獰猛な鱗獣”に海に引きずり込まれ――貪られてしまうのがお約束でしょう?」

 

こんなにたくさん垂らしたのだから、”獰猛な鱗獣”が匂いにつられてやってくるのは当然よ、とエーギル人は微笑んだ。その手で握る丸鋸からは豪快に血が撒き散らされ、その足取りはダンスのステップのように速く、優雅なものだ。

 

「……ここは海面ではありませんよ、エーギル」

「あら、最近のシリーズでは”獰猛な鱗獣”は地面に潜ったり、空を飛んだりするのよ」

 

「それは……イポニーツが持ってきた”サメ映画”限定じゃないかなぁ」

 

思わずツッコミを入れたリーベリの白髪の少年の眼の前で。

大君は、大剣を持った別のエーギル人に文字通り”吹き飛ばされた”

*1
酸味の強いビールのようなもの

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