テラを巡る旅(不本意) 作:イグノーブルガス
1096年 12月23日 チェルノボーグ 実験室
「飢えに直面した80億人は、この温暖な惑星を見てなんの行動も起こさない訳が無い。そうだろう?」
「つまり……戦争を起こすと?」
「侵略という事実にはどんな
「それに君は地球人であって、テラ人ではないだろう。なぜ彼らを気に掛ける必要がある?」
「日本に居たときも、戦乱とアストロファージ・テロが続く中東に常に気を配っていたのか?いいや、そうではあるまい――む?」
『君は地球人であって、テラ人ではないだろう。なぜ彼らを気に掛ける必要がある?』
その一言が脳に届いた瞬間、僕は激しい頭痛に膝をつく。
マッド・サイエンティストが意表を突かれ、やや心配げな顔をするというなかなかレアなシーンが目の前にあるが、そんなものを気にしていられないほどの頭痛――いや、大量の記憶が襲いかかってくる。
それはまるで本を一冊抜き取ろうとしたら、本棚が丸ごと倒れてきたようなもので――
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1093年 9月 ウルサス某所 レユニオン避難所のはずれ
あれは、転移から丸々1年が経った頃だった。
「イポニーツ、なにか用があると聞いたが」
「おお、龍神様。本日も非常に麗しい……どうか下賤な民の戯言を聞き届けてくだされ」
「だから私は神仙の類ではない!」
いつものように、龍神様は元気のいい声で僕の発言を否定した。
「ただのタルラでいい。いや、本当に勘弁してくれ。最近は新しく入ってきた者も多いんだ」
「お前があまりにも熱心にそう呼ぶせいで、私を本当に神仙の類だと勘違いするやつが出てきたら――私はどうしたらいいと思う?」
「俗世から身を隠すとか……いてっ!」
回答がお気に召さなかったらしい。僕の足の脛に、思い切り尻尾がぶつかってきた。
別に初めてのことではないので、転びはしない。転びはしないが、防寒具の上からでも
まったく、地球人は貧弱なんだぞ!
「それで、なんの用だったんだ?」
「マッド・サイエンティストの装置が直ったんで、地球――おっと、故郷に帰ります」
「そうか、故郷に帰るのか……」
「帰るだと!?」
肩がガッチリと掴まれて、前後に猛烈に揺らされ?。
その勢いはジェットコースターさながらで、僕の脳みそがバターになるんじゃないかと思うほど強かった。
まったく、地球人は貧弱なん……
「いいい一体いきなりどうしたんだ、ついに私のことが嫌になったのか!?」
「嫌う!? 龍神様のことを嫌うなんてことありませんが??」
どうやら
「お前は、その……大金持ちになるチャンスを放り捨てて、私の気を引くためだけに『源石に耐性のある稲』をレユニオンに差し出した底が抜けた世間知らず。レユニオンの半分以上の仲間がそう思ってる」
「嘘でしょう!?」
かぐや姫に出てくる貴族かよ。
言われてみれば『源石に負けない稲を持って参れ』とか、いかにも無理難題にありそうだな。
頼まれる前から持ってくるやつまでは、居なかった気がするが。
「あの稲は
あー…なんか夢に出てきた喋る招き猫が、そんなこと言ってた気がする。
「でも曽祖父の遺言は、『龍神様に渡してくれ』だったし」
「その話だがな、イポニーツ。正直な話……お前はそろそろ、私が神仙の類でないことを理解してくれたんじゃないか?」
「うーん、イエス。でもほら、今さら呼び方を変えれないというか」
「……そうか」
「それなら、もっと早く気づいてほしかった!」
背中に尻尾がびしびしと当たる。
ううっ、いくら僕が彼女らの角とか尻尾に興味があるからって、そんなにしなくてもいいのに!
これは皮肉だ。
彼女は、やはり龍神様ではないのだろう。
曽祖父の手記には、「龍神様は不機嫌になると尻尾で叩いてくる」とは書いてなかった。
手記によると、龍神様は何かを強く主張する際はただニコリと笑うらしい。それだけで、村の長老や龍神様の姉妹は震え上がったとのこと。上位種って怖いなぁ。
「はぁ……それでイポニーツ。お前の帰る故郷っていうのはどこなんだ?」
「往復にどれくらいかかる?」
僕はしばらく黙っていた。
別に黒暗森林理論を警戒したわけではない。
テラから見た地球の位置がわからない以上、本当になにも言えないのだ。
「非常に遠い。もしかすると同じ宇宙ですらないかもしれない」
「”宇宙”?なんだそれは」
「説明には非常に長い時間が必要になる。明日の日の出をここで見てもいいなら、じっくり時間を掛けて解説できるけど」
「……それほど長く離れていると、遊撃隊の面々に相当な苦言を言われるだろうな」
「なにか事情があるのか、それとも本当に私達の常識の外の領域から来たのか。それを問いはしない」
「お前には帰るところがあって、そこは安全なんだな?」
――20年後はウルサスより寒くなって、食料を奪い合う黙示録になってるかもしれない。
マッド・サイエンティストは、そうアヴドーチャさんに話していた。
でも僕は不思議とそうは思わず、頷いた。
彼女はそれを見て、「そうか」としばらく黙り込む。
「なあイポニーツ」
最後にひとつ聞いていいか、と龍神様は
「感染者と非感染者、それを飛び越えてウルサス、ヴィクトリア、リターニア……国、種族、出身地。
「できるでしょ」
僕のあっさりとした回答に、彼女は目を何度か開けたり閉じたりした。
「できるのか?」
「できることはあきらか!」
だってほら、
それがどれだけ続いたのかは、覚えていない。
突然のことに、僕はただ口を池の鯉のようにパクパクとしていたので。
だが、今になって思えば――
もしかしたら。ただ彼女は誰かに、それを肯定してほしかっただけなのかもしれない。
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そう、今の僕のように。
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1096年 12月23日 チェルノボーグ最下層 研究室
「(ロシア語)――ほう。
「(ロシア語)その上で、特定の思考パターンに踏み込んだ際にはテラでの記憶、いやエピソードだけを一気に思い出させる、と」
「(ロシア語)ハハッ、随分と面白い手を使うじゃないか。彼をテラ人にしてしまうには有効な一手だろう――だが、私に”も”非常に好都合だ」
マッド・サイエンティストが歩きながらブツブツと何かを言っている。
ロシア語はさっぱりなので何を言っているのかまるでわからないが、どうせろくなことではあるまい。
人類は一致団結すれば素晴らしいことができるのだ。テラと地球という2つの集団が共同できたら、なお素晴らしい結果が出ることだろう。
しかし、マッド・サイエンティストの計画では、この2つの集団は最悪の出会いをすることになる。
博士は確定事項のように、2惑星間の戦争が起きることを実に楽しそうに語っている。
その想像は極めて不愉快だ。
「いや、その計画には賛同しません」
自分でも驚くくらい、すらすらと反論が口から出てきた。
僕は身体を起こす。
「人類が最後にやり遂げた最後のショーは『なぜ?』を問うための宇宙船の建造だ。決して、他の惑星への侵略と支配ではない」
「人類という種族は原始より持つ知的好奇心、その発露としての冒険を同じく原始から持つ闘争心より優先した」
「僕はそれでいい、いや
「ハハッ、君がそれほどロマンチストだとは思わなかった」
振り返った博士は眉を上げ、口角をさらに吊り上げる。
それほど驚きはない。このマッド・サイエンティストが人の善意を冷笑するのが趣味であることは、よーく知っている。
「しかし私はリアリストなのでね。何より、すでにスポンサーから出資を受けた以上、私には成果を出す義務がある」
「そうだろう?『リーダー』」
マッド・サイエンティストは僕ではない誰かに話しかけた。
「出資?お前がまだそう捉えているとは驚きだ。私はてっきり、貸し倒れを覚悟していたが」
「それで。私もシャワーを浴びたほうがいいのか?『白衣』」
気絶している間に入ってきたらしい、黒いローブを被った女性が口を開く。
それと同時に。外套と仮面、その下にあった防護マスクが放り捨てられ、床にぶつかって甲高い音を立てた。
ワオ。
非常に見覚えのある角と尻尾をもつ女性が、僕を品定めするかのように見下ろしている。
この状況もカメラで見ているであろう、タルラになにか言い訳をしようと思ったが。
脳の奥がチカチカと瞬く。
次から次へと蘇る記憶を処理するのに邪魔な外的刺激を排除すべく、僕の本能は目を再び閉じるよう命じた。