テラを巡る旅(不本意) 作:イグノーブルガス
1092年 1月13日 ウルサス
「”イポニーツ”、もうここで十分じゃ。降ろしてくれんかの」
「でもお爺さん、こんなところに何があるんです?」
朝早く。一晩泊まった村から出て、研究所に戻ろうとしたところ。
この老人――常連のお婆さんと同居しているおじいさんだ――に呼び止められ「もし東の方に行くなら乗せていってくれ」と頼まれてしまい、当然の善意として後部座席に座ってもらったのだが。
おじいさんは村が見える最後の丘の頂上あたりになると、早く降ろせとばかりに、肩をぺしぺしと叩きはじめた。
「誰にも教えてない、秘密のベリーの採集地があるんじゃ。吹き溜まりの丘をいくつか超えたところにの。それを集めて氷砂糖と安酒を入れて放置するとじゃな……」
「はいはい……分かりましたよ」
僕は仕方なくスノーモービルのエンジンを止め、後部座席に乗せていた老人が降りるのを少しハラハラしながら見守った。
おじいさんは椅子から降りるときも「イテテ」と足をかばいながらゆっくりと動かす。
その上。背負っていたバッグの紐を締め直した途端、庇っていた足が雪に沈み込み、ひどく顔を顰めている。
「ほんとにいいんですか、こんなところで降ろして?」
「いいんじゃ!ここで降ろしたことも、くれぐれも誰にも言わんといてくれ!」
うーん……まあそこまで言うなら仕方ない。
「遭難だけはしないでくださいよ!」
「――”イポニーツ”!」
スロットルを開けようとした途端、おじいさんは晴れた空を飛び越え、衛星軌道に届きそうなくらい明瞭で大きな声を出した。
「おじいさん、そんな大声だしたら秘密が台無しじゃないですか?」
「ああ、いや、そうじゃな……でもどうしても聞いておきたいんじゃ」
「イポニーツ、お主は感染者をどう思う?」
「もし、お主の愛するものが感染者であったら、あるいはそうなったらどうする?」
「――うーん、想像したことないですけれど。それを理由に別れたりするやつはクズじゃないですか?」
「そうですね、結論としてはどこか人里離れたところに小屋を立てて暮らす、とか」
言ってから「あ、別にそんなことしなくてもいいや。
お爺さんは暫し黙り込んで足を擦ったあと、口を開く。
「イポニーツ、あんたはいい人だ。滅多にないくらい。どうか、どうか婆さんとあの娘を。末永く頼まれてくれんかの」
「遺言みたいなこと言わないでくださいよ、縁起でもない。それに龍神様とはそういう関係ではないですし……」
「大丈夫じゃ。大昔の婆さんもここらの村の男なんぞ眼中になくて、いずれ貴族が迎えに来てくれると思いこんどった。いずれあの娘も、あんたを見る日が来るんじゃよ」
「ではさらばじゃ、イポニーツ。それと、その道はこの間、裂獣*1が出たんじゃ。遠回りになるが、一旦村に戻って、西周りでいくんじゃぞ!」
お爺さんはそう言い残すと、吹き溜まりの丘の斜面を登り始めた。
腰に刺した枝払いに使う小刀と採集道具が揺れてぶつかり、カラカラと目立つ音を立てる。
秘密を守るという意味ではマイナスすぎるように思うが、熊よけみたいなものだろうか?
「……お爺さんも十分気をつけて!」
喋る気力が歩く労力に食われてるらしく、おじいさんは返事こそしないものの手をしきりに降って見送ってくれたのだった。
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「つまり、貴様が報告のあった、あの村の感染者なのか?」
「そうじゃ!さあひと思いにやっておくれ」
「そうか。協力に感謝するぞ、爺さん」
監視隊の隊長は慎重にマチェットを見窄らしい老人の左胸に突き刺す。
そして老人の身体が力を失い、崩れ落ちるのを利用してそれを引き抜いた。
感染者の始末とは簡単なようで、危険な仕事だ。
迂闊なところを刺して返り血を浴びれば、自らも感染してしまうかもしれないのだから。
今回は老人が模範的態度を取ってくれたからいいものの、これが逃げ回ったり自棄を起こして襲いかかってくると、難易度は格段に高くなる。
実際はどうあれ、彼はそう信じていた。
それ故に
「隊長。あの老人の足跡を辿ったところ、やはりモービルの痕からでした。村から送迎されてきたようです」
「これで名目は立ったな。その送迎した運転手も、
「感染者であれば鉱山に。そうでなければ……検査キットの経費分くらいは負担してもらう義務があるだろう」
話だと、移動都市から来た裕福そうな青年が村の娘の気を引こうと、品物を持ってきているそうじゃないか。と隊長は部下に語りかけ、血のついたマチェットを念入りに雪に突き刺し、それから柄にしまった。
「まあしかし、爺さんの模範的態度を鑑みて。その青年が大人しく従うなら、村の方は勘弁してやるとしよう」
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「この村から一人、感染者が出た」
「聡明なことに、自ら申告したので、これ以上の追求は行わないでおいてやろう」
「が、しかし」
「スノーモービルで感染者の老人を送迎したやつが来ているはずだ。出てこい」
眼鏡のないガスマスク*2を装着し、厚手の灰色のコートを着た大集団、感染者監視隊。
彼らは「匿うのなら感染者隠匿とみなし、一家丸ごと鉱山に一緒に行ってもらう」などと物騒なことを言い始めたので、僕は仕方なく煎れたばかりのコーヒーを放置し、扉を開けて出ていった。
「お前か?確かにいい服を着ているようだな」
「よし、服を脱いで手を上に上げろ」
このクソ寒い中で?
零下何度とか言うレベルだぞ?
検診車とか持ってないのか、この組織は?
文句が除夜の鐘ほど出てきそう*3だが、流石にそれを口にしない分別は僕にもある。
防寒着をスノーモービルの座面に立てかけて、言われた通りに手を上に上げる。
これがどれくらいひどい仕打ちかというと、全身の毛穴に、冷凍庫で冷やした爪楊枝をツンツンと刺されているのを想像してほしい。さっさと済ましてほしいが……
「おい、シャツとズボンもだ」
冗談だろ?
「ふむ……体表面に石はないようだ」
「初期段階かもしれないからな。念のため検査キットを使うとしよう」
彼らはデジタルサイネージの付いた輪のようなものを手首に巻きつけ、スイッチを入れる。
ちらっと見た感じ、フィルム基盤と小型のレンズらしき物があった。パルスオキシメータのような装置だろうか。(おい、それで済むならなんで裸にする必要があるんだ?)
特に痛みはなく、しばらくにデジタルサイネージには数値が出てきた。
「どれどれ―ー0.00u/Lのままだぞ?どういうことだ」
「おい、もういいぞ。こいつは非感染者だ」
「(小声)どうせ使用期限を年単位で超過したキットだ。正確な値が出るわけねえ」
「さて、感染者でないことはわかった。幸運な奴め。さあ検査費用を払ってもらおうか」
検査費用……PCR検査って確か3000円くらいだっけ。だとすると、銅貨何枚だ?
残念なことにウルサスにはマクドナルドがないので、ビックマック指数が使えない。
しかし、牛肉400gは日本のスーパーでだいたい4000円くらいであったはず。
同じ量の肉を都市の店で買うと、銅貨5枚前後といったところだが……。
「お前、バカにしているのか!?」
「それっぽっちで検査費用が賄えるわけがないだろう!」
「うグッ!」
ヒュン!という鋭い音とともに、背中に猛烈な痛みが走る。それも何度も。
耐えきれずに崩れ落ちてから、今のが鞭打つというやつか、とやたら他人事めいて状況を理解した。
そうか!
日本は健康保険制度で窓口負担は3割だから、相場で言えば3倍出さないといけなかったのか。
慌てて銅貨を追加で10個取り出そうとしたところ。
「ああもう!変なところでケチなことをするんじゃないよ!」
突然、お婆さんが扉から出てきて、財布をひったくる。
そして、中にあった大型の銀貨を全部取り出し、監視隊の隊員に手渡してしまった。
「――ふん、まあこんなものだろう」
「思ったより少なかったな」という雰囲気で、彼らは皮のポーチにそれをすべてしまい込んだ。
マジか。アヴドーチャさんから預かったやつを全部持っていきやがった。
タイプライターを買ってくるつもりの代金で、庶民月給で2ヶ月分とか聞いたのだが。
「隊長。こいつの荷物ですが、リュックの中身は源石回路や配管、継手だらけです。ソリの方も缶詰とか衣服とか……」
「ちっ、換金できそうにもないじゃないか。もういい」
服を着ていいぞ。と言われたので急いでズボンを履き、シャツをすっ飛ばして防寒具を羽織る。
背中は傷になっているのか、いつもは心強い化学繊維がチクチクと刺すような痛みを生み出している。最悪だ。
彼らは撤収ムードになるが、どうしても気になることがある
「その、お爺さんは感染者ってやつだったのですか?」
「ああ?俺達の判断を疑ってるのか?」
「体表面に石が浮いてるやつが、感染者じゃないワケがないだろう」
「なるほど。それで、お爺さんはどこの病院に連れて行かれたのですか?」
「――感染者を受け入れる病院?そんな場所があるはずがないだろう。薬の1錠も、包帯の一切れであっても感染者に使うなど、陛下への裏切りだ」
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進むたびにポロポロと雪の欠片が斜面を転がり落ちていく。
これほど長い斜面なら、麓に着く頃にはあの欠片も雪だるまの頭くらいにはなるのだろうか――とくだらないことを考えていると。
「……ここのようだな」
タルラ様とアリーナさんは、短く一言だけ告げて足を止める。
僕も覚悟をしてその横から覗いたが、その光景は衝撃的だった。
お爺さんの身体から、煙が立ち上っている。
おじいさんの身体はまるで熱せられたプレートの上で、ハンバーグを包んだアルミホイルのように奇妙に膨らんでいる。そしてフォークの穴から水蒸気が立ち上る代わりに、服の隙間からキラキラとした粉塵が空に立ち上っていく。
「イポニーツ。これが感染者の最後だ」
「君はこれを見てどう思……何をやってるんだ!?」
何って、粉塵を瓶に詰めているだけだが?
僕は手袋の内側に雪を詰め、接触しないようにしながら煌めく粉塵をかき集め、瓶に入れる。
そして蓋をガチガチに締めてから、蝋を垂らして密封した。
「僕の文化圏では、遺灰を箱に詰めて、仏壇っていう家具に収めて、故人と暮らすんだよ」
「せめて……せめてこんな形であっても。お爺さんとお婆さんは一緒に暮らしてほしいんだ」
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1096年 12月23日 チェルノボーグ地下
そうだ。感染者はいずれ死に、その死体は煌めく粉塵になって大地に帰る。
そして粉塵を万一吸い込めば、感染者になってしまう。
だから、感染者は孤独に死ななければならない。
そして集団が排斥するほど、自らもそうはなりたくないと思い、さらに遠ざける。
「”感染者をどう思うか”――」
「僕は、『君に近くにいてほしい』と思う。いいかな?」
僕は手を差し出した。
……これで握手されなかったら相当ダサいな
と一瞬思ったが。
「――いいのか?
えっ、そうなの?
でも今更引っ込められないしな……
「覚えてないってことは、「許していい」とイコールなんじゃないですかね」
返事をした瞬間。
暖かくて細く、そのくせ握力はめちゃくちゃある白い手が僕の右手をがっちりと握った。
正直めちゃくちゃ痛い。うーん、フィストバンプにしておけばよかったな。