テラを巡る旅(不本意) 作:イグノーブルガス
1092年 11月 ウルサス‐炎国 国境付近
交代の時間だ。
僕は背の高いオフロード車になんとか乗り込む。
そして運転手の特権として、暖房を全開にしようとする。
すると、横から伸びてきた白くて冷たい指先が無情にもつまみを戻した。
「……寒いんですが」
「航続距離が減るぞ」
僕はぐうの音も出なかった。
その様子を見たフロストノヴァ*1は「ほう」と面白そうに口角を上げた。
寒さとは何か。
寒さとは、宇宙がこう言ってくる現象だ。
「あなたは恵まれた体温をお持ちですから、貧しい外気にお配りください」
そう、彼女の名は熱力学第二法則。かなり強火の共産主義者だ。私有財産を認めない。
ちょっと待ってくれ。これは俺の37℃だ。苦労して維持してるんだよ、と訴えても無駄だ。
「あら、そこの白兎さんは体温が零度に近いじゃありませんか。なんて可哀想な」
「さあ外気さん、彼女に熱をあげてください。そしてあなたは外気の後方支援をしてくださいな?」
そんなことはさせるものか、と僕はジッパーを彼女に聞こえるように大きく音を立ててギリギリまで上に上げる。
僕の同盟国は、石油を糸にした化学繊維とその間にある空気層だ。コミーの侵略から僕を守ってくれる頼れる存在なんですよ?
そんな事を考えていたら、フロストノヴァは僕の顔を見て何がおかしいのかクスクス笑い始めた。
「えっ、なにか面白い所ありました?」
「いや、聞いていたよりは俗人なのだな」
「もし龍神様と比べられているなら、ごめんなさい。体温が3000度ある方と36度ちょっとしかない僕では我慢の限界が」
「あいつはそこまで人外だったのか……?」
それはともかく。
僕とフロストノヴァはウルサスからの車両脱出、ではなくオフロード車で国境を超えている。
後部の荷物入れには例の稲とタルラ様の書いた手紙がいくつか、そして膨大な数の購入希望リストが入っている。
「そろそろだな」
僕たちの乗る車は、国境(らしい)荒野に差し掛かる。共和党支持者が見たら発狂しそうなほど粗雑な国境管理だが、それでいいのだ。
彼らが気にするのは移動都市の中に不埒者と感染者を入れないことであって、荒野に定住したいという訳ありか変わり者などは放っておくので。
そしてラジオもエアコンもない、助手席に開けっ放しの冷蔵庫を載せた快適なドライブを数時間すると、ようやく目印が見えてきた。
惑星は丸い。だからまず見えるのは、最も高い物体。つまり移動都市にそびえ立つ摩天楼、その天頂部だ。
やがてその上層階のガラスがミラーのように太陽を照り返しているのが見え、その中層部に差し掛かる辺りで都市を守る防壁と防衛施設が視線を遮る。
つい、言葉が溢れた。
「いつか、入ってみたいなぁ」
「――君は”まだ”入れるだろう」
「だが、私たちと運命を共にするなら。いずれ感染し、本当に入れなくなる」
「野営地は放棄された源石廃坑か、天災で無人になった村落。食べるものは多かれ少なかれ源石を含んだ動植物。そして武器は源石兵器。感染しないほうが奇跡だ」
「私は物心がつく頃には既に感染した身だ。だから平気な顔をして生きていられるが」
「青年期を超えて感染した人間にとってこれがどんなに厳しいかは、私も想像しかできない」
「イポニーツ。君は覚悟ができているのか?」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
1092年 12月25日 とある野営地
結論から言うと、できてなかった。
「こ、これは……」
僕はいつも通り、コーヒーを啜っていた。だが妙に味が土臭い。
だが、それだけの理由でカップを雪原にぶち撒けるには、豆が勿体ない。
ジーという遠国の炎国の商人は妙に好意的なレートで品物を買い取ってくれ、継続して付き合いがあるものの。ボリバルから運ぶコーヒー豆の価格についてはシビアだ。
僕はしぶしぶ、熱々の土味のコーヒーを飲んだ。そして、カップが半分ほど減ったとき。
中にあったのは、
カップの中にある源石――間違い無くアツアツの活性状態のもの――を見つめながら、僕は自分の心臓が激しく跳ねるのを感じた。
「――どうしたの?」
アリーナさんが不安そうに近づいてくる。
僕は何か言おうとしたが、舌が回らない。震える手で揺らされたカップの中で、源石がカタカタと音を立てる。まるで、源石が僕の代わりに状況を伝えようとしているみたいだ。
彼女は瞬時に目を見開き、その目線はカップへと向けられる。彼女の顔は蒼白になり、声が随分と低くなった。
「これって──」
「源石だ」
タルラ様の低く冷たい声が耳に届く。彼女は怒りを抑えきれない様子で歩み寄り、カップを奪い取って地面に叩きつけた。
「この集落の感染者の誰かが──君の“非感染”を妬んでやったんだろう」