先ほど鼻血を出した女性がそのまま部屋へ案内してくれた。鼻血拭けよ……
壁の中は中空構造になっていて、そこに兵士や従業員、旅に必要な道具を売る店などが入っている。広さはそれほどでもないが、なんとなく駅ナカ商店街を連想させた。
その一角に、とりわけ堅牢な造りの部屋があった。どのくらい堅牢かというと、扉は鋼鉄製で、窓もないくらいだ。広さは六畳程度だろうか、ベッドと机があり、机の上にはボロボロの本が置いてあった。
体裁こそ整えているが、留置所みたいだった。
「あ、ここ、留置所でもあるんですよ」
留置所なんかい。
まあ、屋根がないよりいい、というより、怪しさ大バーゲン中の俺を置いてくれる時点で文句など無い。
「脱出防止のため硬く作られていますけど、お客様が入られるときには外から鍵をかけませんし、緊急時には退避先にもなるんです。要人を守るにもうってつけなんですよ」
聞かれてもいないことをベラベラ喋り出す彼女。先に疑念を潰すことで心置きなくくつろいでもらおうという心算かな?
「あの……ここでは駄目でしょうか」
「不足なし」
仮の宿にするには全く問題ない。少しトラブルはあったものの、かなり良好な一日目の夜を迎えられそうだ。
「よかった! では、お食事を持って来させますね。あまり良いものはお出しできないかもしれませんけど、何か食べられないものはありますか?」
「否、よしなに」
彼女は一礼して退出した。俺はベッドに腰を下ろして待つことにした。布団の手入れはそこそこのようだが、埃とかび臭さが強い。部屋の通気性はやはり悪いようだ。
さて、目下のことを考えよう。
最終目的や、達成後──つまり、元の世界に戻る方法は今考えても仕方が無いからな。
まず、こっそり心配していた、言語の違い。これは、発音が少し分かりづらいという程度の、少しの誤差の範囲で済みそうだ。
シャルシャックの語学力を引き継いでいるが、シャルシャック自体が古い人間だから、ラテン語のようにメジャーから外れてる可能性もあった。また、時代が変われば、日本語のように発音も変わっていたかもしれない。千年も前の日本語は、現代人が聞いても分からないらしいのだ。
まあ、言葉は通じるからよかったけど、元々のシャルシャックの言葉遣いが致命的なので、ここは頑張って修正したい。
次に、仕事だ。
労働基準法みたいなものがあるかは分からないけど、期待しない方がいいか。
狙いとしては使用人としての評価を得て、雇い主と仲良くなって図書館に遊びに行く権利をもらう、ってものだけど、場合によっては、行く暇も無い程に忙しい毎日になったり、はたまた、雇い主がクズ過ぎて、図書館どころか太陽すら拝めなくなることもあり得る。
そうなれば、プランBだ。あるんだな、これが。
BはBreakのB。チートを駆使して、力技で手がかりを漁るというものだ。
もちろんこれはやりたくない。やってしまえば人に凄い迷惑がかかる。でも、元の世界に帰るという大目的は、ぶっちゃけ、この世界がどうなってもいいくらいには重要だ。いざとなれば……やだけど……
ちょっと風呂敷広がったので次の問題。
おじさま曰く、魔力が俺から拡散しているとのこと。
いや、言われたところで知識にあったことが分かったとだけど、そもそもまだ魔力を関知できていない。
なにもしていない状態なら抑えきれるまでになるにはすぐらしいからそれほど心配していないものの、今の俺を見たときのリアクションの結構がこのせいだと考えると、今のうちにでも覚えておいた方がいいっぽい。
体臭で例えるなら超凄いワキガを散布しているということに等しいんじゃないか。もうマジ無理。デオドラントしよ……
と考え事をしていると、なんか知らないおじさんがノックもせずに入ってきて、電光石火の速さで机の上に食べ物置いて退出していった。
この世界ではこういうのが礼儀なのかな?
っていうか、礼儀作法のことを忘れてた! シャルシャックの辞書に礼儀はなさそうだし、あってもカビが生えてるかもしれない。これはアカンですよ……
と、とりあえず食べてみるか。
食べ物は、小さい根菜がゴロゴロ入った半透明なスープの煮込みと、固そうな丸い黒パン。
食べてみた。土のフレーバー凄いですね。
***
入ってそうそう、ひ、という声が聞こえた。
私の声だった。先に聞かされていたのに、驚くだなんて。
メイドの都合の話の後で人事の要件も追加された際、彼女のことを詳しく聞かされた。
想像も付かない程の魔力を持っていて、その言動は王のようだと。
私は魔力が乏しいから魔力に中てられることはないだろう、と楽観していたのに、確かに感じたことが無い程に濃密だった。
彼女はベッドに腰掛けながら待っていて、私の悲鳴にわずかに眉を動かしながらも、立ち上がり挨拶をした。
聞いたことのない訛りで、今時誰も使わないような、古めかしくも威厳ある語り口。
王のようだという話は、魔力以上に彼女のあり方がそうさせるのだろう。
彼女は、シャルと呼んで欲しいと言った。
衛兵にはシャルシャック・ユーリッジだなどと──神代の英雄と同名だ──のたまったらしく、シャルというその名も本当かは分からない。
立ち上がった彼女の胸は普段の行動すら阻害しそうなほどに大きい。高い身長のせいか不思議と下品には思えないものの、細かい仕事ができるようにも見えない。
「どうする、吾輩を試すか」
普通は、さしあたって必要となる家事全般の技量について先に確認するものだが、組合に入れることを前提にしている話になっているため、それは必要ない。
「いえ、必要はありません──」
口では否定したものの──首を横に振ることができなかった。
こちらのセオリーを知っているかのような問いかけは、単純にそれを期待している風でも、こちらの反応を意地悪く試しているようでもあった。
判断に困ったこともあり、また、能力の有無は今回問われていない。それに、個人的な話だが、彼女が下女のような振る舞いをしているのを、見たくないと思ったからだ。
口が動いたのはほぼ反射。本来ならそう言おうとしていたからなのだが、言って後悔した。
隣に控えていた衛兵が露骨に身じろぎする。彼女の穏やかであった気配に、わずかな刺が混ざっていた。
私たちのうろたえに気づいた彼女はくつくつと笑うが、実際には愉快ではないようで、瞳は強く私を射ていた。
「力は示さねばならぬし、責は果たさねばならぬ」
その言葉にはっとした。
私は決して高い役職ではないが、仮にも新人を雇い入れる役割を今持っている。
ある意味、今の私はギルドの顔である。そんな私に、彼女はふさわしい振る舞いをしろと咎めたのだ。
使用人ギルドは巨大なギルドであるが、反面、巨大でなければならなかったという背景がある。
仕える者である使用人のうち特に平民は、一時期奴隷のような扱いを受けていたという。馬車馬のように働かされることは普通だったし、難癖をつけて報酬すら支払われなかったり、使い捨てのように取り替えられたり、欲望のはけ口になったりという扱いが常態化していたらしい。
当時の彼らと一部の有志はその状況に憤り、クーデター同然の反乱を起こした。
もちろん、単体の力は雇い主に遠く及ばなかったが、とにかく数を揃え、また、血族を巻き込んでまでの決死の働きにより、法律として身分を確約させることができたのだという。
そんな先人たちあって、今、私たちはある。彼らを礎に生きている私たちは、次の世代に繋ぐ義務がある。
……だというのに、私はそんな誇りを忘れて、その場の流れに任せるままにしてしまった。やってみたい、はいそうですか、が通るようなギルドではないのに。聡明な彼女はそれを咎めた、その言葉の短くも何と力強いことか。
「──申し訳ございません。やはり、あなたの手腕を試させていただきます。衛兵様、こちらの部屋を使用しても構いませんか?」
「それは構わんだろうが、彼女に試験は」
「望外である。して、期日は」
「明日のこの時間まででお願いします。その際、掃除に使用した道具や経費はお控え下さい」
この部屋はかび臭く、調度品も拭いきれない汚れがある。
熟練の使用人でも手をこまねくものだろうが、
「完璧に仕上げる必要はございません。私は元々あなたのサポートに参ったので、困ったことがありましたら、遠慮なくお申し出下さい。思いついたものから取りかかってくださって結構です」
そう、元々完璧さを求める物ではない。基本的な考え方や適性を見るものであるし──彼女なら、やってくれるものと思う。
シャルとサルってにてる(粉ミカン