Metalnova   作:アグナ

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ACT-2 参戦

「──ただいま、士郎」

 

 その日は珍しくお父さんの帰りは早かった。

 普段は一家を支えるため勤労に励み、小学生の士郎が眠る頃になってようやく帰ってくる父なのだが、仕事の都合で早く帰ることが出来たのだという。

 まだ腕白な少年である士郎に詳しい事情は分からなかったが、ともかく父が早く帰ってきたという幸運を無邪気に喜び、疲れているだろう父の内心など気にも止めず、無邪気にその腕を引いて居間に引っ張り出す。

 

 時刻は午後七時。いわゆるテレビ番組のゴールデンタイムという奴だ。

 各局が流す番組は何れも人目を集める人気番組。その中でも士郎が好んだのは、子供向けのヒーローものの番組であった。

 正義が悪を倒すという構図は子供心にも分かりやすく、何より格好良い衣装に身を包んだ正義の味方が人々を困らせる悪をやっつける姿は少年の心に憧れを煽る。

 別段、士郎が特別正義に執心しているというわけではない。単に子どもであるなら、少年であるなら誰もが幼心に覚えるヒーロー願望。

 実直な性格をしている士郎はその例に洩れないというだけの話だ。

 

 だから日曜朝から始まる戦隊シリーズも当然見ているし、仮面をつけたヒーローが活躍する番組だって当然見ている。

 とどのつまり、思い入れなんてその程度。

 何年後かにはそんな時期もあったな、なんて懐かしむ程度の話である。

 

 お父さんを困らせないの、という台所の母の諫言を返事だけの了解で返し、士郎はテーブルからテレビのリモコンをひったくり、困り顔の父を居間に座らせ、その上に士郎も座る。

 時間通りに始まる番組。すぐに夢中になる士郎。

 子供向け番組に然したる興味のない父側の意見としては母の作る夕飯まで気を休めたいというのが本音だろうが、何だかんだ我が子は可愛いのか、その我が儘に律儀に付き合う。

 

 テレビ局都合の約三十分。夢中になれば極めて短く感じる時間の中で物語が進む。

 悪い奴が陰謀し、正義がそれを見付け、手こずりつつも最後は倒す。

 いつも通りの起承転結。

 だが様式美(テンプレート)の流れの中で、その日の“悪”は印象的な言葉を遺した。

 

『──正義が常に悪を倒すとは限らない』

 

 ヒーローの必殺技を受けて燃え尽きる寸前。

 にんまりと不吉な嘲りと共に消失する怪人。

 ……いつも通りの爽快感は、士郎にはなかった。

 

 思わず表情にまで出る不満顔。その様子に気づいた父がどうしたんだいと尋ねてくる。間髪入れず士郎は答えた。

 

「悪い奴に正義の味方が負けるわけないじゃん」

 

 それは無垢な子供として当たり前に過ぎない世界の仕組み。

 正しいことは正しいのだ。

 これは疑うことすら烏滸がましい、子どもにとっての道理。

 

 だってそうだろう? みんなが悪に困っている。みんなが悪を疎んでいる。だからそれをやっつける正義の味方は常に貴ばれるし、応援される。

 正義の味方は一人じゃない。その背中にはみんながいるのだ。

 たからたった一人の独尊で悪を為す悪い奴が敵うわけがない。

 

 何よりも──正しくないから悪なのだ。

 正しくもないのに悪が勝つなんてありえない。

 

 そう語る士郎に父はそうだねと優しく頷く。

 しかしそれは肯定ではなかった。

 そうなら良いと士郎に同感しつつも、父は諭すような口調で続けた。

 

「正義は悪に勝つ。僕もそうであって欲しいと思うよ。でもね士郎、これだけは覚えておいて。確かに、『正義の味方』には(・・)みんながいるけど──『正義の味方』()少ないんだ。“悪”に比べればとてもね。だから、“正義”が届かないこともあるんだ。悲しいことにね」

 

 士郎にはまだ難しいことかもしれないけれどね──そう付け加えて父は士郎の頭をそっと撫でた。

 

 

 

 ──夕食時。

 

 今晩のメニューは士郎が大好きなハンバーグである。

 それだけで先ほどまでのテレビ番組に対する不満なんてあっさりと忘却した士郎は喜んで席につき、大好物の食事を頬張る。

 今度は食事に夢中となる士郎を傍目に父はテレビの番組を切り替え、適当なバラエティ番組にチャンネルを合わせ、それをBGM代わりにのんびりと食事をする。

 母の方は食事よりも一息つきたかったようで軽く夕飯を摘まんだ後、お茶を口にしつつ一服している。

 

 家族団欒としたさして珍しくもない食事時。時間は淡々と過ぎ、家族が食事を終えたころにはテレビはニュース番組になって、本日を総括するような出来事が流れだす。

 それを契機に母は皿を下げて片づけを始め、父は湯舟を沸かすため風呂掃除へと今を離れる。その間士郎はぼーっと今で流れるニュース番組を適当に見ていた。

 

『──次のニュースです』

 

 ぴんぽーん、と今に響き渡るチャイム。

 来客を告げるインターホンの音。

 何となくテレビを見ている士郎の後ろで母が反応する。

 

 その間も、士郎はテレビを見ていた。

 

『──連続する冬木での殺人事件ですが、警察は未だ犯人の足取りは掴めておらず、事件は予断を許さない状況が続いております』

 

 来客に応対しつつも、母は何処か訝し気な様子だ。

 だがその反応も当然だろう。

 

 玄関を映すモニターには宅配業者の衣服に身を包む軽薄な若者。笑顔でお届け者ですと告げているが、ここ最近何かを注文した覚えはない。

 何より時刻は既に午後九時を回る。宅配業者が循環するには些か遅い時間帯だ。

 しかしモニターに見る若者に然したる邪気は無く、衣服も全国区で活動している有名業者のそれ。そして彼の手元には確かに段ボールの荷物がある。

 

 警戒心は発生したが、その程度。

 追い返す理由も特に見当たらない。

 だから──お父さん(アナタ)、宅急便よ。

 そう、玄関に近い父に母は告げてしまった。

 

『警察の調べでは、既に発生した三件の事件の何れにおいても魔法陣のようなものが血で描かれていることから、同一犯による儀式殺人を動機とした殺人であると考えられ──』

 

 ちょうど風呂掃除を終えたらしい父は母の呼びかけを特に疑うことなく玄関に向かい、そして何の警戒もなくして家を守るその扉を開ける。

 

 

「チーッス、雨生龍之介っス──死を届けに来ましたー、なんてね」

 

 

 ザク。

 ──家という守りを開いた代償は命だった。

 

 呆然と父は自らの胸元を振り返る。

 悲鳴も、絶叫も挙げる暇などない。

 一撃で心臓を射抜く、完璧な致命傷。

 

「ふふーん。完璧」

 

 ナイフを引き抜く。崩れ落ちる士郎の父。

 唐突に崩れ去る平和。

 家族にとってのいつも通りはこの瞬間、通りすがりの殺人鬼によって終わりを告げた。

 

 ……悲鳴は無い。絶叫もない。

 ならば、その異常に気付く道理など無く。

 先ほどまで宅配業者だった雨生龍之介という殺人鬼はお邪魔しまーすという軽快な声と共に血だまりを踏みつぶしながら当たり前のように家の中へと踏み入った。

 

『──また殺人が夜間の住宅街で連続していることから警察は夜間での不審な来客や不審な人物に警戒するよう注意を促しております』

 

「ウッス。そうそう、夜にはこわーい殺人鬼がうろついているかもしれないからね。迂闊にしていると……ほら、こんな目にあっちゃうよ」

 

 そう──気づいた時には手遅れだった。

 垂れ流されるニュース映像を肯定するようにのそりと今に現れる殺人鬼。

 ……人は驚いた時、咄嗟には声は出ない。

 この時がまさにその時だった。

 

 ニュースを見ていた士郎も、台所から顔を出した母も呆然としていて声が出ない。

 龍之介の手元には血に濡れた凶器。

 玄関から返ってこない父と、龍之介という侵入者。

 

 異常は三つも目の当たりにしているというのに反応できない。

 だから、此処でも殺人鬼が先取する。

 

 ヒュン──風切るナイフ。

 

 ブシャア──切られた頸動脈から噴き出す血飛沫。

 

 龍之介という侵入者に一番近い間合いに居た士郎の母はそこであっけなくこと切れた。

 

「っと、ちゃー。やっちまった。悲鳴を上げられると面倒だけど、それはそれとしてもっとスマートに決めないと。こんなに無駄に血を流しちゃ、描けなくなっちまう」

 

 ボリボリと後頭部を掻きながら龍之介は台所の手ぬぐいを掴み取り、士郎の母だったものの首元に巻き付ける。自らが殺しておいて、自らが医療行為のような行動を起こす。

 

 その一連の奇行。士郎はまるで遠い惑星の出来事の様に見送っていた。

 

 

「これで良し。後は……ねぇ? 坊や。君、悪魔に会った事ってある?」

 

 

 士郎の両親をこの上なく無慈悲に、無邪気に、理不尽に殺し終わった殺人鬼はそういって士郎の顔を覗き込み──次の瞬間、強烈な打撃が士郎の腹部に直撃し、士郎の意識は闇の中に沈んでいった。

 

 

 

×  ×  ×

 

 

 

 ──結論として雨生龍之介は根っからの殺人鬼である。

 いや、より正確にいうならば死の芸術家であった。

 

 生来彼は“人の死”というものに並々ならぬ関心があった。

 動脈から噴き出す鮮やかな朱色。

 腹腔の奥にある内臓の手触り。

 犠牲者が死に至るまでの過程と、末期の絶叫。

 

 スプラッター映画やホラー映画に見る紛い物ではない。より真に迫った、死の過程、死の結果、虚構ではない本物だからこそ味わえる壮絶なる死。

 それに切実なまでの好奇心を持っていた。

 だから殺人などというのはその手段に過ぎない。

 

 法令国家では殺人という行為でしか人の死を味わい尽くすことができないから、だから仕方がなく殺人鬼とやらをやっているだけである。

 仮にもう少し虚構の娯楽が真に迫っていたらならば、わざわざ龍之介も殺人などという行為に手を染めていなかったかもしれない。

 彼が見たいのは死の本質なのだから。殺しそのものに快楽を覚える鬼ではなく、死の学徒たる彼からすればそれはそれで満足だっただろうに。

 

 まあそんな愚痴は仕方がない。

 後ろ向きよりも前向きに。

 何事もポジティブに考えられるのが己の良い所なのだから。

 

 今だってそうだ。最近は一通りの殺し方も死にざまも見てきたせいでマンネリ化しつつあった己の“探求”に新たな刺激を求めるための儀式殺人。

 実家の蔵に放り投げられていた古文書の『悪魔召喚の儀式』を真似るマイブームは新たな刺激として申し分ない。

 

「でも、最近の一家皆殺しは流石に調子に乗りすぎたかなー。一人分じゃ血が足りないから数を求めたのは仕方ないとして、ちょっと此処に拘り過ぎた」

 

 とはいえ、刺激的だからと言えど我ながら調子に乗り過ぎた。

 此処で既に四件目。

 普段ならば行方不明扱いにされるよう入念に工作する龍之介の“探求”だが、儀式殺人という都合、どうしても現場から痕跡を辿られやすく、一家皆殺しという凄絶な結果は警察が本気になるのには十分過ぎた。

 

 『悪魔召喚の儀式の場』として冬木が良いと古文書には書かれていたため、この地での殺人に拘ったが、そろそろ潮時と言えよう。

 別に警察に捕まること自体はなんてことないが、“探求”が出来なくなるのは困るのだ。

 

「取りあえず此処に拘るのは止めて、このやり方も三回に一回ぐらいに抑えるか。この演出は気に入ってるし、今後も続けていきたいんだよねぇ。っと──んじゃ始めるか。みったせーみたせー、みたしてみたせー、ふんふんふーん」

 

 今に並べた二つの死体──士郎の両親から抜き取った血液をバケツに集め、龍之介は足をバケツに付けてからさっさと平和だった居間に魔法陣を描いていく。

 それは古文書曰く、龍之介の先祖が呼ぼうとした悪魔を呼ぶための魔法陣、召喚のための儀式である。

 

 ……その内容は龍之介にとってあまりにも胡乱に過ぎたが、真似る事それ自体が目的なので内容や真贋についてはどうでもいい。

 ただそれはそれとして、“悪魔”とやらが本当にいるならそれはそれで面白いだろう。よく龍之介を殺人鬼と評するマスコミや警察は流れで悪魔という言葉を使う。

 

 だがもし本当に“悪魔”がいるとしたら、それは失礼なのではないかと龍之介は思う。だって龍之介が殺してきたのは精々が三十人前後。

 仮にダイナマイト一つでも使えば容易に追いつける程度の殺人だ。

 “悪魔”というものはもっとこう……非常識で奇天烈な者だろう。

 果たしてダイナマイト一つとどっこいどっこいに過ぎない龍之介が「ウッス、雨生龍之介は悪魔であります!」なんて言っていいものかどうか。

 

 律儀な龍之介はその辺を気にしていた。

 だから、もし仮に“悪魔”というものがいるというなら見てみたい。

 

「ん──」

 

「おっ、目ぇ覚めた?」

 

 と、龍之介がひとしきり魔法陣を書き終えた頃、呻き声が彼の耳に届く。

 目を向けると魔法陣の手前に簀巻きにして転がした少年──口元をガムテープで封じられた士郎の意識が覚める場面だった。

 

 子どもは良い。龍之介は子供が大好きだ。

 なにせ死の探求者である龍之介にとって、良い大人が怯え泣き叫ぶ姿は時折酷く無様で醜く映るが、その点子供はただ愛らしい。怯えるのも泣くのも、恐怖が行き過ぎて失禁するのも龍之介は笑って許せる。

 

 だから──この惨状を見て果たしてどんな反応をするのか。

 怯えるのか泣きわめくのか逃げようと抵抗するのか、絶望するのか。

 その反応を楽しみに龍之介は少年を見るが──少年の反応は珍しく可愛げのないものだった。

 

 キッと龍之介を睨みつける両眼。

 怯えるでも泣くでもない、ましてや絶望などでもない。

 ──非難する、正義の瞳。

 

「……へぇ」

 

 これは面白い、と豹のように舌を舐めずる。

 同時に内心の傍らで何が面白くないと不愉快を示す。

 

 龍之介は叫び散らかされるリスクを考慮しながらも敢えて少年の口を塞ぐガムテープを雑に取り払った。

 

「これからさぁ、坊やには悪魔の贄になってもらおうと思うんだ。いや悪魔ってのが本当に要るかは分かんないけど、いたらどんなのか興味あるだろ。だから君にはちょっといるかもしれない悪魔サンの食べ物になって貰おうと思ってるんだけど──」

 

 脅すように、怖がらせるように。

 顔を寄せて告げる。

 

「君、何か言いたいことある?」

 

 絶望的な結末。絶体絶命の状況。

 生と死の境にあって──それでも少年は睨みつけている。

 龍之介を、睨みつけている。

 

「お前なんか──」

 

「うん?」

 

「お前なんて悪い奴、正義の味方が許さないぞ……!」

 

「……セイギノミカタ?」

 

 セイギノミカタ、正義の味方?

 告げられた言葉が理解できず、脳内で咀嚼すること数瞬。

 次の瞬間、龍之介は思わず腹を抱えて爆笑した。

 

「ふ、ふひ……ひひ……アッハハハハハハハハハハ正義の味方! 正義の味方かァ! ヒヒヒハハハハハハハハ、そいつは良い! 中々COOLじゃないか!!」

 

 成程成程、確かにこの状況はお誂え向きすぎる!

 目の前には両親を惨殺した殺人鬼がいて、悪魔の儀式を行っている。

 か弱い少年は絶体絶命の大ピンチ。

 ヒーローものならここいらで格好良く現れて龍之介を成敗することだろう。

 

「そういえば“悪魔”も見たこと無いけれど──本物は見たことないよね“正義の味方”って奴をさァ!!」

 

「ご──フッ!」

 

 上機嫌に声を上げながら龍之介は力いっぱい、士郎の腹を蹴っ飛ばした。

 碌に身動きの取れない状態で、本気の大人の蹴り。

 子どもにはそれだけで致命傷になりかねない一撃だった。

 

「ふふふ、そっかー。坊やは正義の味方を信じているわけだ。なら、そっちも試してみようよ! 果たして正義の味方って奴がホントにいるかどうか!」

 

「グ、お、……ぇ……!」

 

「いたらきっと俺なんてやっつけられちゃうんだろうねぇ! 居るんならどんなものか早く見てみたいよね正義の味方! ほら、坊やも呼んでみてよ正義の味方! 助けてーってさあ! 様式美って奴だよ!」

 

「ごぼ……! が、ァァ……い、ぎ……!」

 

「ほらほらほらほら、早くしないと死んじゃうぞー、間に合わなくなるぞー。正義の味方、正義の味方かぁ……それが君にとっての希望って奴なのか」

 

「ぎぃ……あが……!」

 

 蹴る、蹴る、蹴る、蹴る。

 容赦なく呵責なく、蹴り続ける。

 言葉は刃物のように、痛みは毒のように。

 

 死の探求者として人の心の壊し方は知っている。

 龍之介は無垢な少年の希望をへし折る様に現実を叩きつける。

 

「来ないねえ正義の味方。ほら? 早くしないと君死んじゃうのにね」

 

「…………」

 

「でもさぁ、本当にいるのかな正義の味方って。俺も長い事こういうことやってるけどさあ。警察とかマスコミ見たいな自称・正義の番人! みたいなのは知ってるけど、正義の味方って奴は見たことないな」

 

「…………」

 

「こうやってサ。世間で言う所の悪いこと? って奴をいっぱいしても天罰も、正義の味方にやっつけられた経験も俺はないわけ」

 

「……──」

 

「そんでもってこうして坊やが死にそうになってるってのに……正義の味方が顕れる気配何てこれっぽっちもない!」

 

「────」

 

「──ねえ坊や、キミ本当に正義の味方なんていると思う?」

 

 それは正しく悪魔の囁きだった。

 少年の心を壊すための殺人鬼の殺し技。

 

 

『──『正義の味方』()少ないんだ。“悪”に比べればとてもね。だから、“正義”が届かないこともあるんだ。悲しいことにね』

 

 

 もう遠い昔の出来事のように、先刻の父の言葉を思い出す。

 憎まれっ子世に憚る。

 ──正義よりも多く世に蔓延る“悪”。

 だから“正義”が届かない場面なんて幾らでも発生する。

 

 正しさだけがまかり通るほど世界は甘くない。

 間違ったことが当然のように通る理不尽さだってありえるのだ。

 不条理な理も罷りなるのが世の真理。

 

 ならば果たして、そんな世界に正義の味方などいるモノか──。

 

「……んだ…………」

 

「んー、何か言ったかい? 坊や?」

 

「……いる、いるんだ。正義の味方はきっと……!」

 

「……ッチ、キミ、結構判らずやだね」

 

 心は折れない。その瞳は剣のように鋭く。

 その精神は鉄のように頑なだ。

 陽気な態度を貫いていた龍之介に初めて苛立ちが宿る。

 

 存外つまらない──もう殺すか。

 龍之介はそのように判断して少年に手を伸ばす。

 

 正に絶体絶命。もはや助かる余地など微塵もない。

 それでも、士郎に絶望など欠片もない。

 何故ならば──。

 

「みんなが望んでいた、みんなが願っていた」

 

 人々は謳う──悪を討て、正義よ在れと。

 時に諦め、絶望しながらも──居ないと冷笑しながらも。

 誰もが一度は想う──正しきの実在。

 

 辛い時。苦しい時。悲しい時。

 ──何処からともなく顕れて、みんなを救う正義の味方。

 

 そんな者があって欲しいとみんなが願っている。

 ……だったらいる、きっといる。

 信じる誰かがいる限り、必ず、必ず。

 応える誰かがいるハズなのだ。

 

 だから──だから──叫ぶ。

 

「助けて──!」

 

 祈りは此処に。願いは此処に。

 ──不条理(あく)は此処に。

 

 以て──全てのお膳立て(条件)は成立した。

 

 

「────そこまでだ」

 

 

 漆黒に落ちる居間の窓ガラスが突如として爆ぜる。

 外部から吹き荒れる疾風に巻かれて舞うカーテン。

 降り注ぐ月光を浴びながら、その背中は士郎と殺人鬼に割って入る。

 

「────」

 

 ──視界に映るその背中を士郎はきっと生涯忘れないだろう。

 痛み、嘆き、そして絶望。

 それら負の情念を鎧袖一触にするかの如き佇まい。

 鋼の様な眼光は“悪”を射抜き、許さじと万の言葉よりも雄弁に告げていた。

 

 両手に握るは二本の軍刀。刀身に宿る凄絶な“光”は正しく正義の代行者。悪の前に立って正義を担う守護の化身。

 

 そう、ゆえにこれにて悲劇は閉幕した。

 希望の熱に嘆きは消えて、恐怖も痛みも蒸発する。

 湧き上がるのは震えるほどの頼もしさ。

 

 これでもう大丈夫だと、本能が、魂が、先に悟る。

 

「如何な経緯で貴様が聖杯戦争に辿り着いたかは知らんが、貴様の背景などもはやどうでもいい──ただ死ね。魔術の秘匿などという大義などいらん。貴様の様な害獣が人の世界に関わるな」

 

「──あ」

 

 殺人鬼が何かを口にしようとする。

 だが、それよりも早く。

 

「Ether acceleration drive──起動。天昇せよ、我が宿星。我が身に星の理を」

 

 如何なる意味がある言葉なのか、士郎には判別がつかない。

 男が言葉を唱えると同時、その気配が横溢する。

 虚空に奔る紫電、軍刀と同じく光を宿す男の肉体。

 

 まるでそれ自体が一つの星であるかのように煌めく。

 その、刹那に──奔る剣閃、“悪”を一刀両断にする流星。

 

 斬痕からは光が溢れ、どういう訳か次の瞬間には殺人鬼の上半身は跡形もなく消し飛んでいた。

 崩れ落ちる“悪”だったモノの下半身。骨の芯まで焼かれた斬痕からは血の一滴すら垂れてこない。まるで死の学徒が愛したモノの一切を許さないと言わんばかりに。

 

「…………」

 

 それを見送って男は厳しい表情のまま死体を睨みつけながらチンと刃を収める。

 そうして振り返り、士郎の下まで歩み寄ると。

 

「すまない。君の両親を助けることが出来なくて。だが──もう大丈夫だ」

 

「あ──」

 

 その言葉が限界だった。

 絶体絶命の緊張を絆され、士郎の意識が闇に落ちる。

 だがもはや不安などありはしない。

 

 何故ならば──正義の味方は実在したのだから。

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