変化は唐突に。
地の底から這い上がってきたモノが、盤面を覆す。
──カエレ
「ッ────!」
脳裏に過ぎるその呪詛は、幾つもの死線を乗り越えて来たカルキをして、今まで感じたことも無いほどの底の無い殺意に塗れている。電撃のように背筋に走る悪寒、警鐘を鳴らす第六感。カルキはランサーを屠るはずだった剣閃を中断し、そのまま全力で飛び退いた。
窮地を脱する全力の回避行動。
刹那──その判断の正しさを証明するように。
『獣』がその姿を現した。
『ケヒャ──ッ』
獣の鳴き声を人語で発したような、奇怪な叫び。
同時に飛び退いたカルキの影を追って乱入者が爪を立てる。
「何事だッ!」
怒声と共にカルキは爪を刃で払いのけ、その姿を視認する。
『獣』──それは一見して犬のような姿をしていた。
全身を黒い炎のように揺らめかせる四足獣めいた
腰を曲げた前傾姿勢のまま両足で立つ姿は民話に語られる人狼のような立ち姿だ。
昏い姿で獲物を睨む紅い両眼は怨嗟と呪詛に満ちており、真っ当な出自からは生まれ出ないほどの憎悪と悪意に塗れている。例えるならば汚らわしいと社会から討ち捨てられてきた残骸の山。或いは蟲毒の中で誰に知られることも無い毒牙の純度を高め続けた蟲のように。
積もり積もった呪いの一滴──断じて在ってはならない『獣』。
そしてそれは──癌細胞のように増殖していく。
──来ルナ──来ルナ──来ルナ──来ルナ──。
──帰レ──帰レ──帰レ──帰レ──。
「────…………」
虫の輪唱のように聞こえる拒否反応。
瞬間、カルキの目の色が変わった。
彼はこの時、訳も無く理解したのだ。
己は
運命に定められたような使命感を自覚した。
「な、なんだこいつらは……!?」
「お下がりください! 主よ……何かは判りませんがこれは……これは危険です!」
夜闇に紛れて何処からともなく溢れ続ける残骸たちを前に一命を拾ったケイネスとランサーの動揺する声が聞こえてくる。溢れかえる『獣』たちはカルキとランサーを分断し、その姿を辛うじて捉えられる程度にまで増殖している。石造りの階段は『獣』で埋め尽くされ、四方は既に包囲されている。
逃げ場のない死地である。
殺意の殆どはカルキに強く向けられているが、対象は別に選んでいない。『獣』たちはカルキを憎み、ケイネスを憎み、ランサーとキャスターを憎んでいる。
生ある者──仮初の生を持つ者を憎んでいる。
つまりは、
「見境なしか、これは殲滅する他あるまい」
「同感です。がしかし──些か数が多すぎる」
カルキの言葉にいつの間にか傍に寄っていたキャスターが答える。カルキは自らの背を守るようにして立つ従者に対して、敵を視界に捉えたまま手短に見解を問うた。
「……キャスター、
「呪いと、そう評する他ありません。詳細は不明ですが、感じ取れる気配からして在り方は英霊──サーヴァントに近い」
「サーヴァントだと? これが?」
「えぇ……ですが、見ての通り真っ当な在り方をしていない、いうなれば地に焼き付いた霊障、呪い──シャドウサーヴァントとでもいうべきものでしょうか」
「成程、成り損ないの残留霊基というわけか」
改めて『獣』の姿を睥睨しながらカルキは従者の見解に納得を示すように頷いた。
原因はともかくとして、この場に存在する全てを屠るためにこいつらは現れたと見て間違いないだろう。つまるところはカルキにとって倒すべき敵である。
その事実さえ、分かったのならばやるべきことは変わらない。
カルキは剣を構えた。
「戦うのですか?」
「どの道、切り抜けなければ命は無い。背中は任せる」
「それは構いませんが……大丈夫なのですか? マスターは本調子ではないのでしょう」
「泣き言は言っていられん」
キャスターの懸念を一蹴するカルキ──だが実際、キャスターの言う通り今のカルキに余裕はない。
『
カルキの使う切り札。『
が、今の彼にそれは使えない。
何故ならば体内生成されるナノマシンを過剰に燃焼させることで無限に等しい魔力供給を可能にする光速突破はその性質上、体内のナノマシンを一度に大量消費する。
生成される魔力は無限でも、その供給源には限りがある。
無論、消費した分の『
つまるところ解除後には相応のインターバルが発生するのだ。
ランサー陣営との遭遇戦が無ければ偵察に止めていたカルキの行動方針もそれが理由だ。今のカルキに、人を超越した行動は出来ない。その上で。
「……これだけの数だ。放置して人里に降りてきたら目も当てられん。それに山門の先には就寝した修行僧たちもいるだろう。聖杯戦争に無関係な人間にも害を及ぼしかねないこいつらは放置できない」
「確かに──ではご無理はなさらずに。数は私が削りましょう。マスターは撃ち漏らしたモノたちを」
「良いだろう。では──害獣の駆除を、開始するとしよう」
『ハ──ガ──ヒヒャッ!』
殺意に殺意で返した刹那、残骸の群れがカルキらに躍りかかる。
驟雨のように降りかかる悪意を殲滅する五大属性の魔力と研ぎ澄まされた錬鉄の剣戟。
正体不明の敵を前に、窮地を自覚しながらも恐れることなく二人は『獣』の群れに立ち向かう──。
× × ×
「
迫る黒い津波目掛けて礼装に怒号する。主の命を受けて瞬時に応対する水銀の刃。
それはあっという間に『獣』を分割し、絶命に至らしめる。
圧倒。圧勝。
誇るべき戦果を前にしかしケイネスの表情は苦渋を浮かべたままだ。
それは一体倒したところで敵が底なく湧いてくる状況に歯噛みしているからでもなければ、この際限なく敵に襲われ続ける状況に絶望しているからでもない。
ケイネスの苦悩、その源泉とは即ち、
「何故……! この私がこんなことを……!」
──あまりにも不本意すぎるこの戦場、そのものにであった。
ケイネス・エルメロイ・アーチボルト。
彼の人生は栄光と共に在ったと言っても過言ではない。
『時計塔』にて九代と続く名門、アーチボルト家の正式後継者として生を受けた彼はその身に流れる貴種を証明するように、すぐにその生まれながらの才能を開花させた。
十代にして『典位』に到達──これは時計塔における階級制度の第三位階。つまり気が遠くなるほどの代の積み重ねと才能の累積を以てようやく到達できる位階にケイネスは十代で到達したということだ。
個人の評価する制度に当然ながら家門の権力は関係ない。
必然、時計塔そのものが認めたその才能を前に誰もが驚愕と礼賛を送った。
アーチボルトには神童が生まれた、と。
そしてそれからの歩みは正に破竹の勢いだ。ロード・エルメロイという地位を指す言葉は彼を表す言葉となり、若年ながら時計塔の一級講師という
正に順風満帆。絵に描いたような理想の王道。
彼の人生に瑕疵というモノは何ら存在しなかったと言っていい。
だからこそ──だろうか。
若さゆえの衝動、というべきか身に有り余る向上心のぶつける先を欲しがったのは。
そしてその対象に、ケイネスは自らの武名を求めた。
無論、本来学問的な探究を至上とする魔道に武門というものは必要ない。いいや寧ろ、そのような野蛮な振る舞いは貴族社会が蔓延る時計党内においては嫌悪される価値観である。
だが
例えばエルメロイの属する貴族派の対抗馬である民主主義派のマグダネル・トランベリオ・エルロッドなどは他に追随を許さぬ圧倒的な燃焼魔術で以て時計党内を畏怖させたし、エルメロイにとって盟主とも言える貴族派の筆頭であるバルトメロイの娘などは『狩り』の分野でも圧倒的な成績を有している。それこそ、条件を揃えれば下手なサーヴァントとも真正面から殴り合えることだろう。
若年とはいえそんな伏魔殿にケイネスは片足を突っ込んだのだ。自らもその領域での無謬性を求めたがるのは当然であったといえよう。
聖杯戦争に参戦したのはそれを求めての事。
自らもまた学問、武門のどちらにおいても他の追随を許さぬ王者であることを証明するためにこそ、彼は聖杯戦争に参加したのだ。
だが、今のところ彼の願いは叶っていない。
否、聖杯戦争は彼の思うような環境ではなかったのだ。
まず参加表明をした段階で自らの教え子に召喚予定の英霊の聖遺物を盗まれるという痛恨の事態に見舞われ、その障害を乗り越えて代替手段として呼んだ英霊は「聖杯を求めない」などと胡乱なことを唱えた挙句、あろうことか婚約者であるソラウを自らの魅力に拐かした。
そしてようやく挑んだ初陣では何の戦果も挙げられず、気づけば戦場は自らの預かり知れない場所で推移して、今や参加者の半数はなんと
ならば、補足したその走狗に挑んでみれば、魔術使い風情のその走狗によってあわや敗走の事態に追い詰められ──今、この状況。
訳も分からない呪い染みた雑魚相手に、物量という暴力で轢殺されようとしている。
最悪だ。最低だ。こんなものはケイネスが求めた
「くっ、蛆虫のように湧きおって……! この魔力量、まさか霊脈に癒着しているのか? でなくばこの供給量には説明がつかない!」
苛立ち、冷静さを欠き、悪罵を付きながらも、その才は確かなのだろう。ケイネスの慧眼は不明瞭ながらも『獣』正体に手を掛けていた。
敵の最たる脅威はまずその数だ。際限がない、限界がない、つまるところ無限である。しかし魔道を嗜む者としてまず思うのはその無限が何処から溢れ出したかというものだ。
聖杯戦争の主題である聖杯ならともかく、無限の魔力などというものは基本的におとぎ話だ。無限に魔力が溢れ出る間欠泉など存在しない。そんなものがあるならば神秘はこれほどまでに衰退しなかった。
人であれ、魔であれ、神であれ、膨大な魔力にはその源。論理的に説明可能な資源の算出場所がある。
そしてこういった場合、先ず思考に過ぎるのは霊脈そのものだろう。惑星の有する魔力の奔り。ここから直接魔力を組み上げるならば成程、現象として無限に等しい光景が広がるのは必然だろう。
目の前の彼らがそういったモノであるならば、つまりこれは土地そのものに焼き付いた
では何故そういったことが起きたのかと考えればやはり聖杯戦争、この儀式が何らかの形で関わっていたことに疑いはない。……呼び出されたサーヴァントそのものか、それともサーヴァントの遺した宝具か。
大方、この影の正体はその残響というべきものなのだろう。
カルキとパラケルスス、聖杯戦争を知る者たちから知識を組み上げて到達した結論に、単独で辿り着いたケイネスの頭脳はやはり並では断じてなかった。
「チッ、やはり源泉を絶たねば切りがないか……!」
となれば戦闘は都市制圧戦だ。
黒い影は柳洞寺から沸き上がった。であればこの霊地そのものが起点だと考えられる。だとすればやるべきことは目の前の敵を一掃することではなく、土地そのものの攻略だ。
「寺そのものには霊地としての起点は無かった。だとすれば何処かに地下に通じる路が……」
攻略に勤しむケイネスの頭脳。だが、平時であれば喝采されるその明晰な思考は戦場においては致命的だった。
『ハ──!』
下卑た叫び。
「主よ!」
次いで必死な声。
ハッとなって顔を上げればそこには黒い獣の姿と、彼方に見える悲愴な貌に歪んだ自らのサーヴァントの姿。いつの間に死線の距離にまでケイネスは敵に寄りつかれていたのだ。
馬鹿なと自動防御の機能を有する礼装を見る。このような雑魚に水銀の防御網を突破されるはずはないと。
──結論としてその考えは傲慢だった。
押し寄せる黒い津波は水銀の許容量を突破している。確かに彼の礼装は百を超える『獣』を討ち果たしたが、言ったように敵は無限、黒い津波。
水銀の守りなど押し流される家屋が如し、ケイネスの視界に映った水銀は百数の『獣』を貫いた状態から、その手に余る千数の『獣』に押しつぶされる様であった。
「────」
咄嗟の状況に思考が白ける。平時であれば他にも
振りかざされる獣の爪。それを前にケイネスは絶命する──寸前。
「──全く、世話の焼ける」
嘆息、次いで轟音。傍らから迸った圧倒的な光がモーセが如く、黒い津波を真っ二つに克ち割った。絶望的な光景を前に謳いあげる不撓不屈。英霊たちにも比肩する雄々しい振る舞い。
下手人が誰かなど考察するまでもない。だから不明瞭なのは一つだけ。
「なっ! 貴様、どういうつもりだ……ッ!」
敵を助けるなどどういうともりかとケイネスは救いの主たるカルキに向けて、感謝ではなく非難で刺した。
「別にどうというつもりではない。知っての通り、今の俺をこの立場に置いているのは
「抜かせ狗めが! 政敵の……それも聖杯戦争の敵対者だ! それとも貴様、魔術使いの分際で正々堂々を弁えているとでも言うつもりか!?」
「それこそまさか。正々堂々など時代遅れな振る舞いに拘るのなら、そもそも俺は半数の敵を落としていない。言ったろう、余裕があればと。それとももっと直接的に言わなければ伝わらないか? お前が相手ならば、英霊だけを落としても十分だと」
「んなっ……!?」
それはケイネスにとって最低最悪の侮辱だった。
英霊だけで倒すだけ十分──それはつまり聖杯戦争における王道戦術。厄介な英霊を倒す手段としてマスターを狙うという振舞をせずとも十分だと。ケイネスを──競争相手を競争相手として見做していないということで。
「……俺の目的は聖杯戦争の早期解決。故に御三家はともかく、お前の相手は必至ではないからな」
言いながら、その最中にもカルキは視界に映る影をさらに掃討する。切り札が使えなくとも彼の魔力出力はセイバーの振るう『魔力放出』と相違ない。こと殲滅速度に関して言うのであればケイネスの礼装を遥かに上回っている。
「ああ、さらに動機付けするならロードの命を救えれば時計塔に貸しを作れるだろうと……これで答えは満足か」
三度と振るわれる剣閃。それでケイネスに寄りついていた有象無象は消滅する。一帯に出来る空白地帯、飲まれたはずの
正に鎧袖一触。ケイネスがあわや飲まれたそれを彼は単騎で払いのける。
「さて──これだけ消せば後の道は付けられよう。撤退するなら今だぞ、ロード・エルメロイ」
「ッ──!」
──この時、カルキの振る舞いはあくまで善意であった。
自己申告の通り、彼の目的は終始一貫して聖杯戦争の早期解決。それが意味するところは、つまり自分自身が最終的な勝利者である必要性は皆無であるということである。
無論、戦いの本質が殺し合いである以上、自らの生存を目的に勝ち上がることを前提とはしているものの、利害の一致さえ叶うならば聖杯そのものは特に問題など無いようなら別の者に譲っても構わないと思っている。
その点、ケイネスはカルキ視点からして最良だ。自身の雇い主と同じ時計塔の
なので命を競うほどにケイネスとの敵対は求めていない──カルキとしてはその程度の言葉だった。
故に、もし彼に瑕疵を指摘するならば、その辺りの
政敵、ケイネス自身よりも戦闘に長けた、魔術使い──。
なまじ、マリスビリー・アニムスフィアという時計塔の偏見から遠い人物を
「忝い、キャスターのマスターよ……!」
「礼は不要。手を貸せるのはこちらが間に合っている場合だけだ。自らと主は自分で守れ、サーヴァント」
「無論だ。言われるまでもない!」
遅れて寄ってきたランサーがカルキに感謝を述べる。
立場を忘れて爽やかな笑顔で純粋な思いを口にする辺り、生粋の騎士なのだろう。
些か
その、敵対状態でも状況盛大である種の共通認識で通じる戦士たちのやり取り。それが生粋の魔術師であるケイネスに理解できるはずも無く、彼の癇気はそこで一線を越えた。
赤く、紅く──令呪が奔る。
「……──ッ!? マスタ──」
魔力に聡いキャスターが気づくが一歩遅い。
ケイネスは──その貌を憤怒と嘲笑に歪ませながら──。
「令呪を以て命ずる。キャスターのマスターを殺せ、ランサー!」
「なっ──!?」
「は──?」
その行動はケイネスを除き誰しもにとって完全なる望外。
この、絶え間なく『獣』が押し寄せる死線で、ケイネス自身も命の危機にある場所で、本来一時の共同戦線を結べる関係性で、少なくとも利害関係においては完全に一致している状況下で──
故にその不意打ちは完璧に決まりきった。
ランサーの宝具──不治を齎す『
呆然とする下手人とその被害者。
肉を貫く音と、虚空に溢れ飛散する鮮血。
鼓動を止める命の証明。
以て──カルキは、死んだ。