“奴らのせいで俺たちの村は……!”
“どうか、どうかお助けくださいませ!”
“お兄ちゃん……みんなをたすけて──”
──今になって振り返れば青かったとしか言いようがないが。
当初の俺は弱き者たちを救っていけば地獄は無くなると安直に考えていた。
実体、概念に限らず、この世には全ての地獄の原因となる確固ある“悪”が存在しており、それを一つずつ潰していけば世界はより理想の社会に近づくのだと。全ての地獄は無くなりもう理不尽な不幸は起こらないのだと信じていた。
俺を救い出したのが高尚な医者だったというのも大きいが、無欲なる圧倒的善性と献身で我武者羅に物事に当たっていけば“悪”の根絶とまではいかなくとも、少しは優しい世界になってくれるのだと本気で信じていたのだ。
だが──その考えは誤りだと、世間で英雄と呼ばれるようになった頃、他ならぬ自らが助けた人々の様子を見て理解した。
「今までよくもやってくれたな!」
「あははは! なんて無様! でもお似合いよ!」
「どっかいけよ、きもちわるい! これでも喰らえ!」
「────」
無数の悲鳴と嗜虐の狂騒。戦士たちが群衆に飲まれ、襤褸布のように虐げられ、女子供は痛めつけられ、石を投げられ追い立てられる。
正しく俺が“悪”と定める地獄絵図だ──一点、問題があるとすれば、その地獄を見ている彼らはつい数刻前まで俺が“悪”と定めて討滅した、支配者層の集団であるという点。
そうカルキは、虐げられる民衆に乞われ、自らが信ずる正しさに準じて行動を起こし、その正道の結果として今、目の前には“地獄”が広がった。
本来であれば彼らは正常となった司法に乗っ取り、これまでの罪に応じた罰を受けるはずだった。そういう意味ではこれを罰ということも出来るのかもしれない。
しかし明らかに感情に狂騒し、嗜虐の悦に酔いしれる彼らに
必要のない搾取、必要のない暴虐、必要のない凌辱。
正しくカルキが怒り、憎む“悪”そのものだ。
だから制した。正しさが故に行動を起こした俺は正しさゆえに過剰なその反応を収めようとした。すると今度は──。
「なんだお前こいつらを庇うのか……!?」
「ふざけるな! 今まで私たちがどれだけ苦しんだと……!」
「なんで邪魔するの!? あいつらは悪い奴だよ!?」
「────」
……言葉は届かず、それどころか気づけば非難は自らにまで向いていた。先ほどまで英雄万歳と叫んでいたその口で、今度は裏切り者と彼らは叫ぶ。
感謝の言葉は憤りに代わり、不満はやがて憎悪へと転ずる。
結局──俺は暴徒と化した彼らもまた、倒した“悪”と同じように力で以て鎮圧することとなる。その経験。ただの弱者から“悪”へと転じた反転現象。
善悪の転墜は正しさの果てに理想があると信じていた当時の俺には衝撃的だった。
困惑する俺の肩を叩いて、養父は真理を説いた。
「──人間は生来、善と悪の両方を孕んで生まれ出でる。その程度、その方向性は環境と魂、培った人生によって定められるが……忘れてならないのは善性に傾いたとしても、生来の悪性が完全に消え失せるわけではないということだ」
自らの欲求に悪を成す聖者。気まぐれに善行を積む悪人。それらは別段、ことさら驚くべきことではない。矛盾を孕んで生きるのが人間という生き物だ。
故に──目の前の彼らの反応もまた、驚くべき事でない。
「復讐、逆襲、私刑──今まで抑圧されてきた分、その開放は快感だ。君は、人の理性というものを信頼していたようだが……ある意味で、アレこそが人として正しい反応だよ。自らが欲するまま獣の如く快楽を貪る彼らはこれ以上ないほどに人間的だ」
弱者という皮、善く生きよという倫理を剥がした先にあるものは度し難いほどの獣性と悪性。
人間が悪なのではない。
ただその素直さがどうしようもく醜いのだと。
矛盾を捨てた先にある本性を賢者は説いた。
まったく──青かったとしか言いようがない。
英雄などと呼ばれて、調子に乗っていたのか。
はたまた正義の味方という役割に俺は盲ていた。
正しさでは人は救えない。ただ善き道を心がけるだけでは広がる“地獄”は決してなくならない。光と闇は表裏一体なればこそ、片方を欠いたところで片方が代わりを担うだけなのだ。
どちらか一方に肩入れした瞬間、公正さという名の天秤は平衡ではなくなるのだ。
であれば──結論は明白である。
「善悪を問わず──要は、ただ平等な恐怖であればいい」
唐突に人々を襲い、平等に人々の増長を嗜める天災のように。
我はただ英雄という名の
故に──天頂の
☆
「ん……」
懐かしい記憶と共に意識が浮上する。
微睡みからの目覚めると同時、胸を差す鋭い痛み。
休眠からの覚醒としては、あまり気分が良いとは言えない目覚め方だったが、お陰で結んだ意識はすぐさま直前までの記憶を現実に一致させる。
昨夜は大聖杯を調査するため、柳洞寺へと赴き、そこで予期せぬ敵手と遭遇したのだ。サーヴァント・ランサー率いる時計塔のロード・エルメロイ。
彼らと交戦し、あわや勝勢という場面で謎の横槍を入れられ、混沌とした状況に気圧されていた所、完全に不意を打たれる形でランサーに致命傷を受けたのだ。
……心臓に手を当てる。
昨夜、己は間違いなく死んでいた。
なのに生きている──そう、確か。
「──貴方が勇者であることは知っていましたが、死の川すら乗り越えるほどのものとは。勇者は得てして死に聡いと言いますが、その中でも貴方はその中でも特にずば抜けているようだ」
「…………いや、今回に限って言うならば運だろうな。我武者羅に放った反撃の一刀が奴の宝具を破壊していなければ、あの一刀が俺に出来た最後の逆転劇だった」
医務室を開ける引き戸の音ともにやや呆れの色を帯びた声がカルキに掛かる。目を向けるとそこには予想通りの相手、キャスターがいた。
その手にはマグカップを持っており、何やら香ばしい匂いが立っている。
「眠気覚ましの珈琲……とは匂いが違うな。些か薬効臭いというべきか」
「ええ、ご察しの通り薬のようなものです。当代で例えるならば漢方……に近いのでしょうか。内部の傷は
「そういえば気絶する寸前に何か飲まされたが……そうか、アレが噂の。流石は中世最大の錬金術師。底知れぬ万能性だ」
「ただ人にも関わらず英霊と競うまでに武芸を究めた貴方の底知れなさには劣るかもしれませんがね」
「フン、英霊とて元は人だろう。まして英雄など大抵、若くして死んでいる。そう考えれば人と英霊との研鑽の総量に差は出来ないだろう。才能さえ考えなければ肉薄するのは難しくない…………思ったより苦いな」
「そう簡単な話でもないはずですが…………まあ、薬ですので」
さも常識を語るようにして非常識を語りながら、カルキは渡された眠気覚ましとやらを口に含み、すぐに顔を顰める。
限界まで抽出した
だが流石はキャスターの策とだけあって、上の空だった思考がはっきりと回り出すのを実感する。消耗の回復はともかく、眠気覚ましとしてはこれ以上ないほどに上等だ。
「感謝する、何はともあれ目は醒めた──それで? ここは新都の工房だな?」
「はい。貴方が気絶した後、私の独断で此処まで引き上げました」
「追認する。それではキャスター、あの後の状況を教えてくれ」
「分かりました」
聖杯戦争中とはいえ相変わらず、休まる暇も無く状況確認から入るカルキに、キャスターは頷くとすぐに状況説明を開始する。
如何にも忙しないが、自らのマスターが事を素早く終わらせたがる性質なのは召喚以来、ここまで幾度も見て来たのでもう戸惑いの色は無い。
キャスターは手短に現在に至るまでの状況を説明する。
「火事場のマスターが何処まで記憶しているかは分かりませんが、まず一つ、先の戦いで我々はランサーのマスターを倒すことに成功しました。これは間違いない事かと」
「ロード・エルメロイか。確かに、個人的な怒りで切り捨てた手ごたえはあるな」
「ええ。致命傷でしたし、あの状況から助かることはないかと。ですが、ランサーの消失は確認できていません。……知っての通り英霊はマスターの魔力提供が無ければその形を維持できませんが、供給が途絶えたからと言ってすぐに消失するわけではありません」
「知っている、再契約の件だろう。聖杯戦争の参加資格、令呪さえ保有している魔術師であればフリーとなった英霊と契約が可能だ。現戦争で言うならば例えばアーチャーを失った遠坂時臣。彼と再契約を結べればランサーは消失することなく現界し続けることが可能だ」
聖杯戦争においては英霊ではなく、
それは令呪──参加資格、ひいては英霊と契約を結べる証の存在である。
令呪は自らの英霊を失った時点でただの焼き印、休眠状態に移行した入れ墨に過ぎなくなるが、あくまでそれは契約先が失われたことによって閉じた状態であり、再び契約先を得ればその回路は復活する。要は再び参加者となり得るのだ。
そのため、何らかの理由でマスター不在となって英霊が、同じく英霊不在となったマスターと契約することで、聖杯戦争に敗者復活することは別段、不正でも珍しいことでもない正当な権利だ。
だからこそ、そういった敗者復活を阻止する意味で英霊を失ったとてマスターは殺し切るのが大原則。カルキが破壊し尽くした聖杯戦争監督役という立場で教会があったのは、敗走したマスターが命までは奪われないための降伏証明でもあったのだ。
「ふむ。となると悲観的な見方としては、ランサーは健在と見るべきだな。アサシン、バーサーカー、両マスターは既に死亡している。再契約の最有力候補としては例に挙げた遠坂時臣だが……」
「彼にはギアスが効いています。ご所望ならば一応、探ることは可能ですが彼が再契約をしている可能性は低いかと」
「だろうな。それに、他に有力な候補に心当たりがある」
「と、いいますと?」
「ソラウ・ヌァザレ・ソフィアリ。
そもそもロード・エルメロイが武勇を求めて聖杯戦争に参戦したのは時計塔に関わるものであれば誰もが知る周知の事実である。
そして彼が、付き人として自らの婚約者であるソラウを日本に連れてきていることも調べずとも時計党内の噂話に耳を傾けていれば自然に入ってくる情報だ。
「直接的な協力者というより、
「つまり直接的に聖杯戦争に関わっている人物ではないと?」
「ああ。だが主演が舞台を降りた以上、話は変わる。当人の聖杯戦争への関心度合いにもよるが、ランサーの代替マスターとしては、少なくとも敵対関係だった遠坂よりも適しているだろう」
「確かに。婚約者というほどなのですからランサー自身面識がある人物でしょうからね。まだ彼に戦う意思があるならば、そのソラウ嬢を新たなマスターとして迎え入れてもおかしくはありませんね」
「その通り。婚約者の仇討ちなど考えていれば共闘の意志共有も簡単だろうしな。……利害を超越して感情で動く相手は厄介だ。不穏因子は早めに対応したいところだが、居場所が分からぬ以上、こちらから対応するのは難しいだろうな。チッ、あのテロリストめ、つくづく余分なことを」
ロード・エルメロイが当初拠点と構えていた高級ホテルは渡日記録と目撃情報を漁れば簡単に特定できる。
聖杯戦争の元凶討滅が最優先であったがため、外来のマスターは全て捨て置いていたが、時計塔に融通化利くカルキであればロード・エルメロイの居場所を突き止めるのは非常に簡単であった。
何せ当人が自認している通り、彼は戦に疎い。
自らの潜伏地にこの上なく目立つ高級ホテルという場所を選んだのがその証明だ。故に、カルキとしてもその気になればいつでも彼を捕捉し、強襲することは可能であったのだ。
だが、セイバーのマスターもまたカルキと同様の理由でそれを突き止め、カルキとは異なる思惑で早期に強襲を仕掛けた。
結果としてロード・エルメロイ、並びにその婚約者であるソラウは仕留め切れず、潜伏先も行方知れずとなってしまった。
あの一件さえなければ、ソラウの居場所など探すまでも無く突き止められただろうにとカルキは歯噛みする。
「まあいい、過ぎた話を悔やんでも仕方がない。……ランサー陣営については了解した。ではそれ以外についてはどうだ? 例えば、例の横槍などは」
横槍──それは言う間でもなくロード・エルメロイとの戦の最中に乱入してきた謎の『獣』たちである。
憎悪と怨念に濡れた謎の介入者の正体は未だ以て不明。しかし魔力量と総数を考えれば自然発生したモノたちとはとても考えられず、聖杯戦争絡みであることは明白だ。或いは間桐の翁が懸念していた異常なるものの正体かもしれない。
カルキがその動向を問うとキャスターは首を振って返した。
「申し訳ございません。彼らについては未だ多くを掴めておりません。ただ気になる点として……あの後、どうやら
「引いた?」
「ええ。……マスターを連れて離脱したためこの目で確かめたわけではありませんが、我々が引いて幾ばくか経過したのち、彼らの気配もあの場所から消えている。マスターが眠っている間に使い魔にも探らせましたが、文字通り影も形も無くなっていた」
「それは……どういうことだ? あの無差別に殺意は振りまいていた連中が簡単に引き上げるなど……。周囲への被害は?」
「ありません。麓に降りて人間に危害を加えた様子も、寺の修行僧たちを殺戮した形跡もありませんでした。まるで最初から居なかったかのように、居なくなっていたのです」
「………………」
キャスターの報告にカルキは無意識に口元を手で押さえ、思考の海へと意識を沈める。
……黒い獣たち。アレはカルキを、ロード・エルメロイを、キャスターを、ランサーを。光ある正者の全てを憎むようにして現れ、そのように振舞った。
理性も無く、それこそ獲物に集る蝗害のように。そのような手合いの者たちが、眼前の獲物を欠いたからと言って大人しく引き上げるだろうか。
“それこそ無差別の殺戮を繰り広げても不思議ではない、なのに──”
現実に、彼らは何もせずに引いたという。
カルキの前に現れた時のように、唐突に現れ、唐突に消えた。
その意図するところは一体──。
「いや、奴らはそもそも何をきっかけに現れた? 考えられるものとしては何らかの召喚術を使われた可能性だがキャスターが居ながら大規模魔術の行使に何ら兆候を察知できないなどとあり得ない。アレが自然発生するはずも無し、だとすれば元々あの場に存在し、あのタイミングで浮上したとでも? いやその場合でもやはり何らかの要因が無ければ──」
様々な可能性が泡沫のように脳裏に浮かび上がり消えていく。どれも決定打となるほどのものは感じられない。現状、手元にある情報だけではアレの正体は掴めない。
一つ分かっていることがあるとすれば、それは──。
「キャスター」
「はい」
「あの影だけは放置できん。夜は明けたが──もう一度、柳洞寺へと行く。目的だった大聖杯の調査は様子見程度のつまりだったが……対英霊は一度忘れ、最優先で聖杯戦争の根幹を暴くぞ」
「……回復間もなくに行動を起こすのは制止したいところですが、止めたところで聞きそうにありませんね」
「諌言には耳を傾けたいところだが、早急の要件だ。赦せ」
「御意。……私としてもあの影は無視できない。今はマスターの方針に従いましょう」
共に悪しき予感を共有しながら方針を固めるカルキとキャスター。
……既に英霊は半数以上が落ち、残る参加者は少ない。
聖杯が、最後の勝者の下に現れるというならば、その正体がそろそろ目に見えてきても不思議ではないだろう。その価値、その真贋、数多の魔術師どもが求めし、希望の器。果たしてその中身が善きものなのか、是が非でも改めねばなるまい。
時間が惜しい。医務室のベッドから足を降ろし、カルキは礼装を着込むとキャスターを連れ立って工房を後にする。
目指す先は再びの柳洞寺。
大聖杯が眠る地に、全ての因縁が眠ると予感しカルキは直行した。
果たして──その予感は。
「────
──ついに見つけた柳洞寺の地下深く、霊脈の龍穴が穿った大空洞の中。大聖杯があるとされる何もない大空洞を呆然と眺め、考えもしなかった事態にカルキは呆然とした。