Metalnova   作:アグナ

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ACT-28 狂える情愛

 ……いったいどれ程の時が経ったのだろうか。

 夜明けの黎明。

 茜色に染まり出した空を呆然と見送りながらランサー、ディルムッド・オディナは主の敗走した戦場に立ち尽くしていた。

 

 自らの仇である敵は既に戦場を撤退して久しく、辺りに蠢いていた獣の軍勢は日の光を嫌ってかいつの間にやら居なくなっている。

 もはやディルムッドがこの場にいる意味などない。いいや寧ろ、彼にはこのように立ち尽くしている暇などない。

 

 何故ならば彼が現界するための主たる魔力提供を行っていた主はもうこの世にはいないのだ。彼の婚約者であるソラウとの共有魔力の回路は生きているため、消失の危険性こそないものの、契約の証たる令呪を持つ主との繋がりが切れたことはサーヴァントとしては痛手である。

 

 基本的に霊体であるサーヴァントらが現界する上でマスターと繋がるのは、何も魔力提供だけが目的ではない。

 使い魔は主あってこその使い魔である。令呪による主との契約はサーヴァントを現実に確固とした存在として保証するための要石の役割もある。

 そう言った意味で余剰魔力があれど、主という保証がない状態の英霊はとてもではないが万全とは言い難い。

 

 戦術・戦略的な意味でも霊格的な意味合いでも今彼がするべきことは新たなマスターの獲得に動くこと。幸いなことに彼にはまだソラウという協力者がいるのだ。

 彼女と再契約を結べばディルムッドの聖杯戦争は終わらない。

 騎士なれば、主の仇を取ることを願うならば、未だ聖杯を求め続けるならば、彼のするべきことは今すぐにでも自身を万全に押し上げ、戦い抜くこと。この一点に絞られる。

 

 ……だというのにディルムッドは、ただ立ち尽くしている。

 もう、どうしていいかわからないが故に。

 

「……──結局、俺は死して尚また道を間違えたのか」

 

 かつて、『輝く顔』と讃えられ、フィアナ騎士団随一の騎士とまで謳われた彼。その彼は忠義と愛の狭間で揺れ惑い、苦悩の果てに愛を取った結果として主の不信を買って、朽ち果てた。

 偉大なる騎士団長フィン・マックールは心底では忠義に背を向けたディルムッドを信じてなどいなかった。一度芽吹いた不信の種はもう二度と消しようがなかったのだ。

 

 だからこそ、その未練を。聖杯戦争という古今東西の英傑集う極限の戦場で見事勝ち抜き、主に栄誉を授けることで晴らそうと。そう願い、そう参じた。

 聖杯などいらない。ただ主に尽くしたという行為の果てにこそディルムッドの彼岸は存在したのだから。

 

 しかしその結末がこれだ。

 盤石の信頼関係を以て巧みな連携でこちらを圧倒する敵に何もできず敗走し、むざむざと主を殺され、挙句、その主に裏切り者と罵られ、最後まで信を獲得できずに終わった。

 何も変わらない。何も変わっていない。

 生前の失敗から、何一つとして教訓を得られていない。

 忠義を取ったディルムッド・オディナはこの体たらくだ。

 

 そんな男が、婚約者を失い悲嘆に暮れるだろう女性を戦場に引きずり出す?

 

 笑止千万。厚顔無恥も甚だしい。

 度し難い我が身を見下ろし、手に持つ紅の魔槍を視界に収める。

 

「ああ、いっそ──」

 

 この世の魔的な存在を刺し絶つ『破魔の紅薔薇(ゲイ・ジャルグ)』。例え英霊の宝具であってもそれが魔力によって成立する代物ならば破壊可能なディルムッド・オディナが誇る最強の一角。

 不治の呪いは帯びていないが、英霊とて魔力の被造物。

 この槍で貫かれれば一撃でその繋がりを断ち切ることが可能だろう。

 

 良からぬ思考に傾くディルムッド。身体より先に戦意の方がもはや致命的だった。既に戦場の栄誉など望むべくも無く、心底から欲した信頼を得られる機会など無い。

 終ぞ忠義を示すことが出来なかった無能の騎士、ディルムッドには誰にも看取られず、何も成せぬまま野垂れ死ぬことが相応しい──。

 

「嗚呼──申し訳ございません。我が()よ」

 

 果たして()とは、誰なのか。

 他ならぬ今生の主が不信を抱いた根源を口にしながら、ディルムッドは皮肉気に笑って自らの魔槍を自らの胸に向ける。

 その時だった。

 

 

「──まだ懺悔には速かろう、騎士よ。何故ならば……確かに君は忠義を失ったが、君にはまだ応えるべき愛が残されているのだから」

 

 

 なに、と聞きなれぬ第三者の声にディルムッドは顔を上げる、同時に。

 

 

「……ランサー!」

 

 

 顔を上げた先、今一番見たくない人物の姿が彼の視界に収まった。

 

 

×  ×  ×

 

 

 砕けた石の階段。山寺の中腹に出来た不自然な破壊の痕跡。

 爆撃でも起きたかの破壊の後こそ、壮絶な戦場跡の証明だった。

 

 聖堂教会の監督役を名乗る男との契約を結んだソラウは万が一に逸る心を抑えつけながら、心配先である相手を探し──その相手はすぐに視界に収まった。

 

「……ランサー!」

 

 麗しの面貌、鍛え上げられた偉丈夫の騎士。

 ソラウの愛する男は多少の手傷あれど健在であった。

 その事実にソラウはまず喜ぶ。

 

 彼女の後に続く神父のことなどすっかり忘れてパッと表情を輝かせるとソラウはすぐに男の傍にまで駆け寄った。

 

「ああ、良かった無事だったのねランサー……!」

 

「ソラウ……殿……私は──」

 

「あのキャスターの陣営と交戦していると聞いて、本当に気が気じゃなかったわ……! もちろん貴方の事を信頼していないけじゃないのよ? でもキャスターの陣営と言えば、あのアニムスフィアに雇われた傭兵で、有力候補のアーチャー陣営を脱落させた相手ですもの。万が一を考えてしまって私は本当に心配で──」

 

「まことに……申し訳ございません! ソラウ殿……ッ!!」

 

「……ランサー?」

 

「私はッ……主を守ると誓った騎士でありながら主を守れず、その上主に……ッ!!」

 

 再会を喜ぶソラウとは対照的に、血を吐くように言葉を紡ぐランサーにソラウは困惑するように首を傾げる。次いでランサーが視線を送る先を追って、彼女はすぐに気づいた。

 

 ケイネス・エルメロイ・アーチボルト。

 

 自身の婚約者であり、時計塔が誇る至宝の才能。

 それが上下半身を分かたれるという凄絶な死に様で事切れている。

 ──ランサーの(・・・・・)マスター(・・・・)が、死んでいる。

 

「謝罪で済む話でないことなど重々承知! 主が愛した相手を独り身の孤独に置くなど騎士として在ってはならぬ体たらく……怒りも、憎しみも、悲しみも、如何なる沙汰であれ受け入れましょう。それが、もはやそれだけが俺のような無能な騎士に出来る唯一の」

 

「そう──つまり貴方に今、マスターはいないのね?」

 

「…………はっ?」

 

 ランサーが呆然として顔を上げる。

 罵倒されると思っていた、涙ながらに憎悪を叫ばれても文句は言えぬと、そう考えていた。だというのに顔を上げるとそこには、誰かによく似た、艶やかに微笑む女性の姿が──。

 

「ねえ、神父さん?」

 

「何かね、お嬢さん」

 

 困惑するランサーを傍目にソラウは笑みを浮かべたまま、ようやくここまで従事した神父の方へと顔を向けた。

 神父もまたソラウと同じく笑っている。薄く、何を問われるのかなど既に承知しているというように。茶番を愉しむようにして。

 

「不戦地帯たる聖堂教会を無法にも踏み荒らしたキャスターたちを討つ、と契約を結びましたが、こうしてマスターを欠いてしまった以上、契約は果たせなくなってしまったわね」

 

「確かに。サーヴァントも無しにサーヴァントに挑むなど自殺行為に他ならない。ましてや、戦場とは無縁の淑女が身のまま敵に挑むなど悲劇の幕切れにしか至らぬでしょうな。……いやはや誰かの援けが無ければとてもとても」

 

「そう、そうよね。私はまだ(・・)マスターじゃないのだもの。参加資格すら持たない以上、ランサー陣営は此処で敗退ね」

 

「ですな。いや実に残念だ。こうなれば聖堂教会が頼みに出来るのはセイバーか、ライダーの陣営に限られてしまう。だが、独立独歩のアインツベルンが協力的とは考えにくく、動向不明のライダー陣営はまず交渉の話を持ち込むことすら困難だ。これは困ってしまったな」

 

「ソラウ殿、何を──」

 

 それは会話というにはあまりにも空虚だった。悲観的な展望を語る様でありながら、どこか芝居の台本を読み上げる様な、決められた台詞を口ずさむだけの演劇。

 不穏な空気を察してランサーは声を上げるが会話は止まらない。

 

「だが、幸いなことにこうしてランサーは無事だ。彼が新たなマスターと契約を交わし、まだ戦うというのであれば、そちらと契約を結ぶことも可能でしょう。誰を選ぶにせよ、私はランサーのマスターたるその人を全面的に支援することになりましょう」

 

「全面的に、支援してくれるのね?」

 

「ええ、しますとも。公正中立が聖堂教会の立場ですが、先に盟約を破って踏み込んできたのは魔術協会の傭兵だ。となれば協力者に制裁を代行して頂く……その程度の越権行為には目を瞑って頂けるかと」

 

「そう……ふ、ふふふ、ふふふふふふふふふ……」

 

「はは、ははは、はははははははははは……」

 

 女は満足するように嫣然と笑い、神父は言祝ぐようにして笑みを浮かべる。

 そう──ランサーは死んでいない。

 彼の聖杯戦争はまだ終わってなどいない。

 

 例え──ケイネス・エルメロイ・アーチボルトというマスターが失われようとも、その代替たる女がまだ、こうして残っているのだから。

 忠義と愛。かつて選ばされた二者択一。既に前者が失われた以上、残された道は一つだけ。

 

 ……否、そもそもかの騎士は愛に生きた騎士である。であれば記録をなぞる英霊には祖の道こそが相応しい。

 

「……ランサー。沙汰を──罰をと言いましたね。ですが、私にその権利はありません。ケイネスの事は確かに哀しいですけれど、元より命がけの戦場です。彼とて死する運命は敗北の屈辱と共に覚悟していたでしょう」

 

 哀悼の意を向けるように、ケイネスの骸を一瞥するソラウ。哀しみと口にした割にはその頬に涙は伝わず、瞳には哀切よりも憐憫の色が色が濃い。

 

「ですのでもし、私に出来ることが……貴方に伝えられることがあるとすれば一つだけ。戦場で無念の中散った夫の無念を晴らすこと、その屈辱を代わりとなって晴らすことだけ」

 

「……お待ちを……いえ、待ってください。ソラウ殿。貴女はまさか……」

 

「サーヴァント・ランサー──いいえ、英雄ディルムッド・オディナ。夫の無念を晴らすためにも、どうか私と戦って、私を護って、私を支えて。私と共に聖杯を獲って! 私の、私の騎士になってください!」

 

 敵討ちのために自らもまた戦場に身を投げ出す──そう切に切に告げる淑女の姿は正に悲劇的だったが、感情と共に高まるその情動は果たして悲しみであったろうか。

 まるでプロポーズを告げるかのように緊張した声音。恥じ入る乙女のように仄かに赤らんだ表情。さながら逃避行の前夜が如く、情動に身を任せる様。

 

 幻視が過る。かつて、ディルムッド・オディナは全く同じ状況に置かれた。その既視感が背筋を悪寒のように撫でる。

 主の婚約者に、誰かの顔が重なった。

 

「ッ……!」

 

「え、ランサー?」

 

 力なく丁寧に。ソラウが差し出した手はランサーの手に払いのけられる。

 傷つけないように、それでいながら何処までもハッキリと頑なに。

 拒絶の意志が示される。

 

「──ソラウ殿、申し訳ございませんが……貴女の願いには応えられない」

 

「そんな……どうしてランサー! 私では、私では貴方に不足だと言うのっ!?」

 

「違う、違います。魔術師として組むのであれば貴女に不足などありません」

 

「ならどうして……!」

 

「ですが貴女は今、魔術師として俺と結ぶつもりではないでしょう?」

 

「っ……!?」

 

 ランサーの指摘にソラウが動揺して顔色を変える。

 それがどうしようもなく、真実を告げていることを詳らかにした。

 

「……俺の呪いに、貴女が当てられていたことなど承知していました。自分のことは自分がよく知っている。その上で、今生に俺が成すべきことは俺を召喚してくださった主と共に戦場を駆け抜け、今度こそ騎士として忠義を果たすこと……願いは叶いませんでしたが、だからといって捨てるつもりは毛頭ありません」

 

 ケイネスに裏切り者と罵られ、絶望したのは事実だ。自分は忠義を尽くし続けたのに、応えてもらえなかったのはひたすらに無念である。

 だが……だからといってそれでランサーはケイネスを恨んでなどいない。自責の念はただひたすらに己の身にだけ向けられるもの。

 主に信じられる自分足り得なかった、騎士としての未熟に対してである。決してランサーはケイネスに恨みなどないのだ。故にこそ。

 

「俺を召喚したのはケイネス殿だ。ならば騎士として……例え主亡くしてもその心は変わらない。敵討ちを選ぶにしても……俺は新たな主を頂くつもりはありません。我が忠義はケイネス殿と共に。最後まで、それは一切変わらない、変えるつもりはない」

 

 騎士の誓いは何処までも頑なだった。

 例えそれがケイネスが生きていたところで叶えられなかったと悟った今ですら、ディルムッドの忠義に色あせる様子は無い。いいや、寧ろなればこそ今度はより完璧にと言わんばかりの曇りなさは正に英傑。

 ディルムッド・オディナは終始一貫して騎士足らんとしている。

 

 嗚呼、だからこそ──彼は何度でも選択を誤り続けるのだ。

 

「どうしても……どうしてもダメなの?」

 

 前髪に顔を伏しながら沈んだ声でソラウは言う。

 

「はい」

 

 騎士の応えはやはり変わらなかった。

 

「願っても、懇願しても、貴方の意志は変わらないの?」

 

「……貴女が真実、ケイネス殿のために戦うならば。一時の盟を結ぶことは出来ましょう」

 

「ケイネスのため……じゃあ、私の騎士には、なってくれないの?」

 

「俺は、ケイネス殿の騎士ですから」

 

「…………そう、そうなのね」

 

 ぽすん、と力なく膝を負って座り込むソラウ。ランサーは申し訳そうに彼女から視線を逸らし、瞑目したまま立ち尽くす。

 罵倒も悪罵も非難されることも受け入れよう。彼女に罪は無く、罪業たるは己自身が持つ異性を蠱惑する呪いそのもの。

 感情の宛先になる程度のこと、それで彼女の気が晴れるならば喜んで受け入れようと、受け身に回る騎士は隙だらけであった。

 

 だから、バサリと唐突に神父へと洋皮紙投げつけたソラウに対して、完全にディルムッドは一歩反応が遅れてしまった。

 

「ほう、これは──」

 

 手に取った洋皮紙を興味深そうに検める神父。

 自己強制証明(セルフギアス・スクロール)。それは魔術師間で扱われる、絶対契約の証明である。

 

 これを用いるということはつまり、契約に撤回はないというこの上ない宣誓。ソラウの瞳に狂的な情愛が宿る。

 

「──神父、貴方と改めて契約を交わします。履行するために……今、私に協力なさい」

 

「ソラウ殿!?」

 

「ふ、ふふふ──いいだろう。受け賜った」

 

 そう言って神父はソラウに近寄ると、彼女の差し出した手に重ねるようにして手を翳す。一瞬の光源。赤い光が晴れたその後には三画の令呪が宿っていた。

 

「神父、貴様は……!」

 

「これは魔術師殿から提示された正式な契約に基づく行為だ。非難される謂れは無いよ。ランサー。そして、これで正式に彼女は聖杯を求めるマスターだと名実ともに認められたわけだ。さて……ではどうするかね。ソラウ・ヌァザレ・ソフィアリ」

 

 睨むランサーに肩を竦めながら薄ら笑いを浮かべたままの神父は一歩引いた。そして彼と入れ替わるようにして令呪を得たソラウはランサーへと一歩身を乗り出して問う。

 

「これで、私はマスターとなりましたランサー。そして言う間でもなく、ケイネスと共同で貴方に魔力を提供していた私は、貴方と仮初の契約が残ったまま。なら、形はどうあれこれはもう正式な契約と言って差し支えありません。そうではなくってランサー?」

 

「いけません、ソラウ殿! 私はあくまでケイネス殿のサーヴァントだと」

 

「令呪を以て命じます──ランサー、私を愛して(・・・・・)!」

 

「なっ……!? ッッッ──!?」

 

 魔力の繋がりを通して強引に捻じ込まれる絶対命令権。

 正式な契約を結ばぬまま行使される令呪は十二分に効果を発揮したとは言えないが、それでも令呪は令呪。時として魔法紛いの現象まで発動させ得る大魔術式だ。

 

 ランサーの視界で幻視と現実の境界がブレる。

 目の前の令嬢の顔に在らぬ筈の影を見た。

 

「くっ……グラニア(・・・・)……違う、違う! ソラウ殿、貴女は……ッ!」

 

 かつて選んだ許されざる愛。フィアナ騎士団団長、フィン・マックールが愛妻たる人。その貌が、その声が、その匂いが、その記憶が、その時抱いた感情が、強制的にランサーの精神を揺さぶり、心の方向を強制する。

 

 だが、それでも尚と忠義をランサーは選ぶ。選び続ける。今度こそはその愛には応えられないのだと渾身の力で抗う。

 幸いしたのは仮契約の繋がりと三騎士としての魔力抵抗。第二の生におけるディルムッド・オディナの根幹に位置する精神的な主柱を揺るがすには一角の命令では足りなかった。だからこランサーはソラウの命令行使に抗い、そして──。

 

「重ねて令呪を以て命じます──ランサー、私の騎士(もの)になって!」

 

“我が愛と引き換えに、貴男は聖誓を負うのです。愛しき人よ、どうかこの忌まわしい婚姻を破棄させて。私を連れて……お逃げください……地の果ての、その彼方まで!”

 

「おお……! おおおおおおおッッ!!」

 

 重ねられた絶対命令権がさらに強引に精神を侵す。

 哀切の命令に重なるはかつて犯した罪の具現。

 俺は彼女を守らなければ──否、今度こそは忠義の道を!──愛するものの願いに応えずして何が騎士か──否! 否! 彼女こそは我が敬愛すべき騎士団長に妃であり──聖なる誓約こそが最も重んずるべき名誉の道、それに変わるものなど他になく──。

 

「重ねて令呪を──きゃあ!?」

 

「おおおおおおおおおおお!!」

 

 止めと言わんばかりに発動しかけた最後の令呪。

 それを嫌がるようにして、ランサーはソラウを突き飛ばして払いのける。今度は淑女への配慮をする余裕はない。

 本気で、心の底からの拒否を身を以て突きつける。

 

グラニア(・・・・)! 俺はその愛には応えられない! 愛ではなく今度こそは忠義に生きると誓ったのだッ! 今生における俺の主はケイネス・エルメロイ・アーチボルトを置いて他にない! それ以外にはあり得ない! なおも情愛で以て俺を翻弄するというならば、例え貴女であろうとも……!!」

 

「いやはや淑女に手を上げる、それこそ騎士に有るまじき様ではないかな。ディルムッド・オディナ」

 

 尻餅を付いて狂騒するランサーに怯えた表情を浮かべるソラウを庇うように、神父が一歩前に出る。

 そもこの一幕の元凶。力無き淑女に力を与えて見せた背徳者に、ランサーは殺意の眼差しで以て睨みつける。

 

「貴様の謀略だな神父! 如何な身分かは知らぬが、彼女を利用して我が心を玩弄せんとするつもりならば容赦はせんぞ! 聖杯戦争に関わらず、我が敵として我が槍は貴様を殺す!」

 

「酷い勘違いだ。私は彼女の協力者。ひいては君の味方だよ、ランサー。とはいえ、その様子から察するに、どうやら君は自分に素直にはなれぬらしいな」

 

「なんだと……!?」

 

「主への忠誠と愛すべき者の哀願──二者択一の選択で後者を選んだのは他ならぬ君ではないか、愛に生きた騎士よ。君にとっての重きは、忠誠ではなく愛に応えることのはずだ」

 

「否! それこそが我が大罪、我が許されざる罪の証! 愛に惑い、忠義を忘れたからこそ俺は何もかもを失ったのだ! もう二度と、それを繰り返さないために、真実証明するために聖杯戦争に参じたのだ! それを──偽りなどとは呼ばせはせん!!」

 

「ならば──試してみるかね、君の真実とやらを」

 

 含み笑い、神父は両手を広げてランサーの前に立ちはだかる。

 

 ……もはや目的も正体もどうでもいい。

 この男は、どうしようもなくランサーにとって敵なのだと認識する。

 魔槍を構える。一足で、この元凶を殺し切る。

 

 その上でソラウを説き伏せ……なおも令呪を重ねようと試みるならばそれよりも早く自らの手で自らを終わらせる。

 決死の誓いを胸に刻み、ランサーは魔槍を神父に突き立てんと迫る。

 

 

「では懺悔の時だ。ランサーよ。なに、これでも敬虔なる神の僕だ。(キズ)を暴くのは得意でね」

 

 

 神父の直前。そこまでが決死の覚悟を宿したランサーに出来る最後の反抗だった。

 身体が止まる。ランサーの意志に反して進撃を停止させる。

 足元には墨汁をぶちまけたかのような暗黒。夜明けもすぐだというのに、光を悉く塗り潰すかの如き、純黒が一帯を支配した。

 

「なんだ……これは……馬鹿な……貴様は……!?」

 

 全身を襲う想像を絶する圧力(プレッシャー)。足元からこみ上げる令呪とは異なる魂を侵し、正気を奪う呪いの合唱。

 その最中でランサーは戦慄した。先ほどまでただの人間だと思い込んでいた神父の姿。そこに在り得ざる神格(・・)の気配を捉える。

 

 英霊を上回る極大の霊格──まるで複数の神霊を重ねているような、桁違いの霊威とあり得ざる膨大な魔力の渦。

 最中に、美しい杯に汲まれた悪意の水を幻視する。

 この気配、この感覚は正しく我らが求めた願望の果て──。

 

「何故、貴様が聖杯の気配を握って……!?」

 

「緊急処置というやつでね。乞われたからには応えねばなるまい? 私はどうやら脚本の修正のために呼ばれたようなのでね。ならば、決戦の地にはよりふさわしい場所があるだろう。この国風にいうのであれば遷座というやつだよ」

 

 意味の分からない、その台詞が正気のランサーが最期に聞いた言葉だった。

 もう遅い、もう逃げられない。

 何故ならば、宝具は既に発動している。

 

 

「ではその生誕を祝福しよう。さようなら、そして初めまして愛に殉ずる情愛の騎士よ。心のままに振舞うがいい──『 零れ氾く暗黒心臓(ザジガーニエ・アンリマユ)』」

 

 

 斯くして、ランサーは闇の中に飲まれて沈んだ。

 深く、深く、深淵の底に墜落し、その正気が二度と浮上することは無い。




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