東堂葵をキヴォトスにひとつまみ   作:むめい。

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1話 運命...?

 

 空気が重かった。

 

 湿り気を帯びた呪いが、目に見えない膜となって街の一角を覆っている。人の往来はすでになく、ただ壊れかけの建物と歪んだ路地だけが残されていた。

 

 東堂葵は、その中心に立っていた。正面には呪霊がいる。

 形は曖昧で、輪郭が定まらない。巨大だが、ただ大きいだけの存在ではない。呪力の密度が高く、周囲の空気を押し潰すような圧がある。

 

 ──強い。

 少なくとも、短期決戦で仕留められる相手ではなかった。

 

 東堂は一歩、距離を取る。

 呪霊の動きは鈍いが、攻撃範囲が広い。まともに付き合えば削られる。決定打を入れるには、位置を崩す必要がある。

 

 ──ならば。

 

 東堂の判断は早かった。ここで時間をかける意味はない。

 

 術式を使う。

 

 東堂葵の術式、不義遊戯。

 拍手によって、呪力を持つ対象同士の位置を入れ替える。

 条件は単純だが、成立した瞬間に戦況はひっくり返る。

 

 呪霊が動く。

 呪力の塊がこちらへ迫る。

 

 東堂は一歩踏み込み、掌を合わせた。

 

「──不義遊戯」

 

 パンッ、と乾いた音が鳴った。

 その瞬間、世界が薄くなる。

 空気の抵抗が消え、身体の輪郭が曖昧になる。

 本来なら、ここで呪霊と位置が入れ替わるはずだった。──だが。

 

 次の瞬間、東堂の身体は“前”ではなく、“上”へ引かれた。

 腹の奥が強く持ち上げられる。

 

「……むっ?!」

 

 足元の感触が消えた。

 踏み込むはずの地面がなく、身体が宙に放り出される。

 

 視界が反転し、光が差し込む。呪霊の気配は、ない。

 

 入れ替わった感触も、途中で途切れている。

 代わりに広がったのは、異様なほど澄んだ青空だった。

 

 東堂葵は、空中にいた。

 

 高い。

 

 直感で分かる高さだ。雲よりは低いが、建物の屋上よりは遥かに高い。およそ五十メートル前後。

 

 普通なら、思考が止まる。だが東堂の頭は止まらない。

 

 ──術式の暴走。

 ───先の呪霊の干渉ではない。

 ────他に干渉してきた“何か”がある。

 

「……わからんな」

 

 口から出たのは、それだけだった。

 理解できないことと、対処できないことは別だ。

 

 東堂は即座に落下を“現象”として捉え直す。

 重力が身体を引く。

 

 風が頬を叩き、耳の奥で血が鳴る。落下は始まっている。

 

 だが、制御不能ではない。

 東堂は空中で身体をひねり、姿勢を整えた。

 腕を広げることはしない。重心を落とし、衝撃を一点に集める準備をする。

 

 視線を下へ。街が広がっていた。整然とした建物の配置。直線的な道路。ガラス張りの高層建築と、規則的に並ぶ標識。

 

 呪術師が知る街の風景ではない。

 呪いの匂いが、ほとんど感じられない。代わりに鼻を刺すのは、金属と油の匂い。そして──火薬。

 

 銃声が聞こえた。乾いた連射音、遠くで弾ける爆発音。

 だが、その音に対して、街は騒がない。人影は動いているが、逃げ惑う様子はない。

 

 ──生活音、か。常識が違う。

 そう理解したところで、地面が近づく。

 

「むんっ!!」

 

 腹圧を高め、背筋と脚の筋肉を一気に締め上げる。両脚を揃え、着地の一点に全てを集める。余計な力は抜く。

 

 力みは衝撃を逃がさない。

 最後の瞬間、膝をわずかに緩めた。

 

 ドンッ!!

 

 鈍い衝撃音が街に響く。

 コンクリートが砕け、ひびが走り、粉塵が舞い上がった。

 

 だが、東堂の身体は沈まない。

 沈んだのは、地面の方だった。

 

 東堂は膝を曲げた姿勢のまま、数拍その場に留まった。

 視線よりも先に、音と気配で周囲を探る。

 

 悲鳴はない。驚愕の空気も薄い。視線は集まっているが、敵意はない。

 

 好奇心と警戒が混じった、軽い温度。

 東堂はゆっくりと立ち上がり、首を鳴らした。

 

 呪霊はいない。

 呪力の濁りもない。

 

 周囲を行き交うのは、制服姿の少女たち。年齢は十代後半。そして全員が、当たり前のように銃を携えている。これは恐らく異常ではない。

 持っていない方が、むしろ異常だと身体が感じ取る。

 

 そして、東堂は気づく。

 彼女たちの頭上に、淡く光る“輪”のようなものが浮かんでいることに。

 

 一人だけではない。

 見える限り、ほぼ全員だ。形は違う。細いもの、厚いもの、装飾めいたもの。

 

 だが、例外がない。

 東堂は、そこで初めて自分を意識した。

 ──自分の頭上には、何もない。

 東堂葵はこの世界の異分子。それが理解できた。

 

 視界の端を、奇妙な影が横切る。

 二足で歩く犬。

 同じく二足歩行の喋りながら歩く猫。

 機械のような外見の存在も、街に溶け込んでいる。

 

 誰も、それを異常とは思っていない。東堂は、胸の奥で静かに結論を落とした。

 ここは、自分の知る世界ではない。戦場だ。

 至る所に引き金があり、人がいて、意志がある。

 

 ならば、やることは一つだ。

 東堂葵は、粉塵の中を歩き出した。

 まずは、この街の“普通”を知るために。

 

 そのために必要なのは、理屈でも情報でもない。──相棒だ。

 

 遠くで、また銃声が鳴った。

 東堂はその音に視線を向け、わずかに口角を上げた。

 

「ようやく、俺にも青春が訪れたらしい」

 

 東堂葵の目には、ジェニファーローレンス顔負けの女子高生たちしか目に入ってなかった。

 

 乾いた銃声が、もう一度、街のどこかで弾けた。

 反響の仕方からして、近い。建物に囲まれた一角だろう。

 東堂葵は、その音の方向へ歩き出した。

 走らない。

 急がない。

 今は速さよりも、街の空気を掴むことが重要だった。

 通りを進むにつれて、周囲の視線が増えていく。

 好奇心、警戒、値踏み。だが、恐怖は少ない。

 銃を携えた少女たちは、東堂を「危険」ではなく「変わり者」として見ている。

 

 銃を持たない。

 

 頭上に輪がない。

 

 それでいて、さっきの着地で地面を砕いた。

 ──強さの方向が違う。

 

 彼女らはそう判断していた。

 

 路地に入る。

 表通りよりも少し暗く、人通りが減る。

 だが、完全に人気がないわけではない。遠くで誰かが笑い、金属音が響く。

 

 その時だった。

 背後で、足音が増えた。

 一人ではない。

 

 複数。

 

 距離を保ちつつ、東堂の歩調に合わせている。

 ──つけてきている。東堂は振り返らない。

 振り返る必要がない。

 

 角を曲がった先で、通りが少しだけ広くなる。

 建物の影が濃く、視界が狭まる。

 

 そこで、前方に人影が現れた。

 少女が三人。

 制服を着崩し、腰や太腿に銃を提げている。

 表情は軽い。だが、目は笑っていない。

 後ろの足音が止まる。

 包囲された。

 

 東堂は、ようやく足を止めた。

 

「おい」

 

 前に出てきた少女が、顎をしゃくる。

 

「そこのアンタ。さっき、派手に落ちてきたよな」

 

 東堂は黙っている。

 

「銃、持ってない。それに……」

 

 少女の視線が、東堂の頭上をなぞる。

 

「ヘイローもない」

 

 その言い方に、断定が混じった。

 

 "ヘイローを持つ者"この街では、それが“条件”なのだ。

 後ろから、別の声がかかる。

 

「迷子?それとも観光?」

 

 くすくすと笑い声が漏れる。

 だが、その笑いは軽いだけで、無邪気ではない。

 東堂はゆっくりと振り返り、後方の少女たちにも視線を配った。

 

 五人。

 全員が銃を携えている。

 構えは雑だが、撃つことへの躊躇は薄い。

 

 ──金品目当て。

 ──だが、殺しは想定していない。

 

 そう判断する。

 

「ここら辺さ」

 

 最初の少女が、軽い調子で続ける。

 

「変なやつが一人で歩くと、いろいろ持ってかれるんだよね」

 

 銃口が、わずかに上がる。

 脅しだ。

 だが、引き金に指はかかっている。

 

 東堂は、ようやく口を開いた。

 

「用件はそれだけか」

 

 低い声だった。

 怒りも威圧もない。

 ただ、平坦だ。

 少女たちが一瞬、間を取る。

 

「……は?」

「ちょっと余裕じゃない?」

 

 後ろの一人が、面白がるように言う。

 

「これ、見えてる?それとも、見えないフリ?」

 

 東堂は答えない。

 代わりに、ゆっくりと一歩、前に出た。

 距離が縮まる。

 銃口が揃う。

 

「動くな」

 

 声が強まる。

 東堂は止まらなかった。

 ──ここだ。

 

 東堂は、その場で腰を落とした。

 戦う姿勢ではない。

 踏み込める姿勢だ。

 

 少女たちの空気が、わずかに変わる。

 冗談の温度が下がり、緊張が混じる。

 東堂は静かに、問いを投げた。

 

「お前たちは」

 

 一瞬、間。

 

「何を思って、引き金を引く」

 

 路地が静まり返る。

 少女たちの表情が揺れた。

 笑いが止まり、視線が散る。

 

「……なにそれ」

「意味わかんない」

 

 誰かが強がって言う。

 だが、全員ではない。

 一人、言葉を失っている少女がいた。

 銃を持つ手が、わずかに震えている。

 

 ──測れる。

 目的は浅い。

 覚悟も薄い。

 だが、恐怖に押されれば引き金は引ける。

 東堂は、視線をその少女に向けた。

 

「金か」

 

 答えはない。

 

「それとも、暇つぶしか」

 

 少女の呼吸が早くなる。

 後ろから、焦れた声が飛ぶ。

 

「もういいでしょ!さっさと──」

 

 その言葉が終わる前に、銃声が鳴った。

 引き金を引いたのは、震えていた少女だった。

 

 反射。

 

 恐怖に押され、思考より先に指が動いた。

 弾丸が、東堂へ向かって一直線に飛ぶ。

 

 ──遅い。

 その瞬間、東堂はすでに動いていた。

 

 弾丸が空気を裂く音が、東堂の耳をかすめた。

 

 銃口が跳ね上がる。

 反動処理が甘い。

 

 狙いは胸──だが、引き金を引いた瞬間、すでに照準はずれている。

 

 東堂は一歩、踏み込んだ。

 弾丸が肩の横を抜ける。

 

 風圧だけが皮膚を撫で、コンクリートに火花が散った。

 

 少女たちの顔色が変わる。

 

「避け──」

 

 誰かが叫びかけた、その声が終わる前に、東堂の足が地面を蹴っていた。

 近い。

 銃の間合いは「距離」だ。

 だが距離が潰れた瞬間、銃はただの重りになる。

 東堂は撃った少女の懐へ、一気に入った。

 

 肘。

 叩きつけるのではない。押し込む。

 肋骨の隙間に衝撃が潜り込み、呼吸を奪う。

 

「──っ!」

 

 少女の身体がくの字に折れ、そのまま後ろへ吹き飛ぶ。

 

 だが、地面に倒れる前に、別の銃声が鳴った。

 

 後方。

 二発。

 連射。

 

 東堂は振り返らない。

 身体を低く沈め、前転するように滑り込む。

 弾丸が頭上を通り、壁を削る。

 

 東堂は転がりながら、落ちていた空き缶を踏み潰した。

 乾いた金属音が響く。

 

 その音に反応して、三人目の少女が引き金を引く。

 ──音に釣られた。

 

 東堂は前転の終わりに、足を突き出した。

 低い回し蹴り。

 脛を打たれ、少女の体勢が崩れる。

 銃が手から離れ、路地の奥へ滑っていった。

 

「くそっ!」

 

 叫びと同時に、残りの二人が距離を取る。

 銃口が揃い、躊躇が消える。

 

 ──学習は早い。

 ──だが、遅い。

 東堂は一瞬だけ、動きを止めた。

 止まったのではない。

 

 “見せた”のだ。

 

 撃てば当たる、と思わせる距離。

 だが、その距離は、東堂が最も得意とする距離でもある。

 

「撃つなら──」

 

 低く、通る声。

 

「覚悟を決めろ」

 

 一瞬の静寂。

 そして、四発。

 今度は散弾のように広がる。

 

 狙いはバラけているが、逃げ場を潰す意図はある。

 東堂は、正面へ踏み出した。

 弾丸が腕を掠める。

 皮膚が裂け、血が滲む。

 だが、止まらない。

 

 踏み込み、肩を当て、体重を預ける。

 銃を構えていた少女が吹き飛び、壁に叩きつけられる。

 

 コンクリートが鳴り、少女は崩れ落ちた。

 残る一人。

 

 最初に撃った少女だ。

 

 銃はまだ握っている。

 だが、指が動かない。

 

 東堂は、ゆっくりと近づいた。

 一歩。

 また一歩。

 少女の呼吸が荒くなる。

 

「……来るな」

 

 声が震えている。

 東堂は止まらない。

 

「……来るなって言ってるでしょ!」

 

 引き金に力が入る。

 だが、引けない。

 東堂は、少女の正面で足を止めた。

 距離、一メートル。

 

「答えは出たな」

 

 少女が、唇を噛む。

 

「……なにが」

「お前は、撃ちたくない」

 

 東堂の声は、淡々としていた。

 責めるでも、諭すでもない。

 

「金のためでも、暇つぶしでもない。ただ……周りが撃つから、撃った」

 

 少女の目から、力が抜けた。

 

「……うるさい」

 

 銃が、地面に落ちる。

 乾いた音。

 東堂は、それを拾わなかった。

 振り返り、倒れている他の少女たちを見る。

 

 全員、生きている。

 骨折はあるだろうが、致命傷はない。

 東堂は、首を鳴らした。

 

「今日は運が良かったな」

 

 少女たちが、何も言えずに東堂を見る。

 

「引き金を引く理由が、まだ軽い」

 

 それだけ言って、背を向けた。

 路地の出口へ向かって歩き出す。

 背後で、誰かが呟いた。

 

「……なんなの、あいつ……」

 

 東堂は答えない。

 答える必要がない。

 遠くで、また銃声が鳴った。

 今度は、先ほどよりも多い。

 

 東堂の歩みが、わずかに速くなる。

 ──次は、もう少し“覚悟のある奴ら”か。

 口角が、わずかに上がった。

 

 東堂葵は、銃声の方へ向かっていった。

 その背中には、銃も、輪もない。

 だが、路地に残された少女たちは、確かに感じていた。

 

 あれは、あっち側の類の人間だと。

相棒(ブラザー) 作者はホシノ推し

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