東堂葵をキヴォトスにひとつまみ   作:むめい。

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2話 シャーレ、そして先生

 

 シャーレの執務室は、相変わらず静かだった。

 静かすぎる、と言ってもいい。銃声や爆発音が日常のこの街において、ここだけが現実から切り取られたように落ち着いている。

 

 デスクに座る男──先生は、書類から視線を上げた。

 眼鏡の奥の瞳には、慢性的な疲労が滲んでいる。

 

 目の下には隈。

 手入れの行き届いていない髪は少し跳ねているが、不思議と不潔には見えない。

 清潔感と、生活感と、責任感が同時にそこにあった。

 

「"……入って"」

 

 ノックの音に応じると、端末を抱えたオペレーターの生徒が入室する。

 

 彼女の表情は、少しだけ硬かった。

 

「先生。市街地から、少し……変わった報告が上がっています」

 

 “変わった”。

 

 その一言で、先生の思考が切り替わる。

 

「"被害は?"」

 

「今のところ、重傷者はいません。ただ……不良グループ五名が制圧されています」

 

 先生は頷いた。

 

 制圧、という言葉の裏にあるものを、彼はよく知っている。

 

 生徒が傷ついたかどうか、それがすべてだ。

 

「"制圧したのは、どこの学園?"」

 

「……それが」

 

 生徒は一瞬、言葉を選んだ。

 

「該当する学園データがありません」

 

 先生の指が、デスクの端で止まる。

 

「"学園外?"」

「はい。ですが、“外部組織”とも違います」

 

 端末の画面が、先生の前に差し出された。

 簡易的な映像。

 粉塵の残る路地。倒れている生徒たち。

 そして──

 

「"……銃を持っていない?"」

 

 先生の声は驚きを隠せない。つい数週間前に外の世界から来た彼も、常識に染まりつつある。

 

「はい。目撃証言によれば、武装なし。それでいて、銃撃を回避し、近接で制圧したと」

 

 先生は画面を見つめる。

 生徒たちの倒れ方。

 無駄のない動きの痕跡。

 

 ──殺していない。

 ──だが、手加減もしすぎていない。

 

 そのバランスに、先生は違和感ではなく、意志を感じ取った。

 

「"名前は?"」

「不明です。ただ……」

 

 生徒は次の情報を表示する。

 

「現場に居合わせた生徒の証言です。“銃も輪も持っていないのに、異様な圧があった”“撃てなくなった”“目を合わせるだけで、心を読まれているみたいだった”」

 

 先生は、ゆっくりと息を吐いた。

 

 ──危険人物。

 ──だが、即排除すべき存在ではない。

 

 何より。

 

「"……その不良たちは、生きているんだね"」

「はい。骨折や打撲はありますが、軽い怪我で命に別状はありません。それと他に...」

 

 先生は、そこで初めて小さく笑った。

 

「"そっか"」

 

 それだけで十分だった。

 先生にとって、生徒を故意に傷つけない選択をした存在は、

 少なくとも“敵”ではない。

 

「"っとごめん、遮っちゃったね。他に?"」

「はい。目撃証言の中に、少し……特徴的な発言があります」

「"発言?"」

「制圧の直前、その人物が不良たちに問いかけたそうです」

 

 生徒は、端末のログを読み上げた。

 

「『お前たちは、何を思って引き金を引く』と」

 

 先生の表情が、わずかに変わる。

 問いだ。

 脅しでも、命令でもない。

 生徒に“選ばせる”問い。

 

 それは、先生自身が、何度も自分に向けてきた問いでもあった。

 

「"……なるほど"」

 

 先生は椅子に深く座り直した。

 この街では、銃を持つことは当たり前だ。

 引き金を引く理由は、軽くなりがちだ。

 だからこそ、その問いは重い。

 

「"現在地は?"」

「最後の目撃情報では、ゲヘナ学園の方向へ向かったと」

 

 先生は目を閉じ、ほんの一瞬だけ考える。

 

 ──接触すべきか。

 ──情報を集めるべきか。

 

 答えは、もう出ていた。

 

「"……私が行くよ"」

 

 生徒が目を見開く。

 

「先生?」

「"生徒を守るのが、私の役目だ。そのために、大人が前に出る必要があるなら、出るよ"」

 

 自身の身体、胸の方に、先生の視線が落ちる。

 そこには、“切り札”がある。

 奇跡を起こせるが、

 人生や時間を対価として支払う、大人のカード。

 

 ──まだだ。

 ──これは、生徒のための最後の手段。

 

「"まずは話をしよう。諸々はその後だ"」

 

 先生は立ち上がり、コートを羽織る。

 優しい表情のまま。

 だが、その背中には、はっきりとした覚悟があった。

 

「"生徒に手を出さない相手なら……こちらも、大人として向き合う"」

 

 シャーレの扉が、静かに閉まる。

 その頃、街のどこかで。

 銃声の向こうへ歩く男がいることを、先生はまだ知らない。

 

 だが、確信していた。

 ──いずれ、会う。

 そしてその時、

 

 引き金よりも先に、言葉を交わすことになるだろうと。

 

 ***

 

 街を歩いているだけで、絡まれる。

 それが、この街の流儀らしかった。

 

 東堂葵は路地を抜けながら、同じことを何度目か考えていた。

 

 ──おかしい。

 

 先のの一戦。

 拳を入れた瞬間、確かな手応えがあった。

 一般的な女性なら、確実に気絶する威力。骨に響かせ、脳を揺らすつもりで打った。

 

 だが。

 

 倒れはした。

 だが意識を失っていない。恐怖や痛みはあっても、身体は平然としていた。

 

 ──耐えた?

 

 東堂は、その違和感を捨てていなかった。

 

 だから次に絡んできた生徒に対して、東堂は少しだけ力を調整した。

 それでも、結果は同じだった。

 

 効く。

 だが、意識は沈まない。

 

「おい」

 

 路地の中央で、東堂は倒れた生徒を見下ろした。

 

 三人。

 全員、生きている。

 呼吸も正常だ。

 

 東堂は、しゃがみ込んで一人の胸倉を掴み、無理やり視線を合わせた。

 

「1つ質問だ」

 

 低い声。

 

「……な、なんだよ……」

「さっきの一撃」

 

 東堂は、自分の拳を一度だけ見た。

 

「普通の人間なら、重症だぞ」

 

 生徒の目が揺れる。

 

「……だからなんだよ」

 

 東堂の視線が、逃がさない。

 

「なぜだ」

 

 一瞬の沈黙。

 

「……それ、今さら?」

 

 生徒は困惑したように、息を整えながら答えた。

 

「だって……生徒だし」

 

 東堂の眉が、わずかに動いた。

 

「生徒?」

「そ。あたしたち、生徒」

 

 生徒は、頭上を指さした。

 

「これ、あるでしょ」

 

 淡く光る輪。

 

「これがある限り、そう簡単には死なない」

 

 東堂は、無言で聞いている。

 

「身体も、普通の人より頑丈なんだよ。だから……その」

 

 生徒は、視線を逸らす。

 

「……あんたの拳、普通じゃないけど」

 

 東堂は、そこでようやく理解した。

 

 ──普通の人間とは違う。

 ──身体の構造は同じでも、呪力と似た"なにか"で体を守っている。

 

 だから、この街では銃が日常になる。

 だから、引き金が軽くなる。

 

「……なるほど」

 

 東堂は、胸倉を離し、立ち上がった。

 

「なら聞き直す」

 

 生徒が、びくりとする。

 

「その身体で」

 

 東堂は一歩、踏み出す。

 

「なぜ、拳で戦わない」

 

 答えは、すぐには出なかった。

 

「…は?」

「....逆に聞くけど、なんで銃があるのに拳で戦わなきゃいけないんだよ」

「キヴォトスのトップ連中ならまだしも、私らが拳で戦っても、たかが知れてるし...」

 

 どれも、薄い。

 

 東堂は、それ以上聞かなかった。

 

 拳を振るう代わりに、肩を一度だけ叩いた。

 

 強くはない。

 だが、逃げられない重さ。

 

「覚えておけ」

「喧嘩は素手でするもんさ」

 

 生徒は、何も言えなかった。

 

 東堂は背を向け、歩き出す。

 

 ──この街では。

 人は簡単には死なない。

 だが、だからこそ、心が先に死んでしまう。

 

 そう考えた、その時。

 

「"……噂は本当みたいだね"」

 

 路地の入口から、静かな声が届いた。

 

 東堂が顔を上げる。

 

 男が立っていた。

 眼鏡。

 疲れた表情。

 だが、目は穏やかで、敵意もない。

 

 倒れている生徒たちを見て、

 それから、東堂を見る。

 

 そして、まず生徒たちに声をかけた。

 

「“大丈夫?立てそうなら、ゆっくりでいいよ”」

 

 その声に、場の空気が変わる。

 

 命令でも、叱責でもない。

 だが、誰も逆らわない。

 

 東堂は、そこで理解した。

 

 ──こいつは、武力では無く言葉で場を制す。

 

 東堂は、低く言った。

 

「…問おう」

 

「どんな女がタイプだ!?」

 

 あまりにも唐突で、あまりにも真剣な声だった。

 

 倒れていた生徒たちが、一斉に瞬きをする。

 痛みで顔を歪めていた者すら、動きを止めた。

 

「……は?」

「なに、今の」

「この状況でそれ聞く?」

 

 小声が重なる。

 だが東堂は一切気にしない。

 

 彼は、目の前の男だけを見ていた。

 

 先生は、ほんの一瞬だけ言葉を探した。

 困ったように眉を下げ、それから、いつものように穏やかに笑う。

 

「“いきなりだね……”」

 

 場の空気が、わずかに緩んだ。

 

 先生は、東堂から視線を逸らさない。

 ふざけているのではない。

 これは、この男なりの“測り方”なのだと、直感で理解していた。

 

「“でも……そうだな”」

 

 少し考えてから、ゆっくりと答える。

 

「“一生懸命な子、かな”」

 

 生徒たちがざわつく。

 

「え、それだけ?」

「普通すぎない?」

「もっとこう……ないの?」

 

 先生は苦笑する。

 

「“うん。普通でいいんだ”」

 

 東堂は、腕を組んだ。

 

 答えは軽い、軽薄。だが東堂は諦めない。

 

「……ほう」

 

 東堂は、一歩だけ前に出た。

 

「胸は?」

 

 一瞬、空気が凍る。

 

「ちょっ……!」

「先生!?」

 

 だが先生は、慌てなかった。

 

「”……大きさじゃないよ”」

 

 即答だった。

 

「“大事なのは、その人が自分をどう大切にしているか、だから”」

 

 東堂は、眉をひそめる。

 

 東堂葵は、そこで初めて、ゆっくりと息を吐いた。

 

「……つまらん答えだ」

 

 そう言いながらも、声には怒りがこもっていた。

 

 東堂葵は先生を真っ直ぐに見据え、睨んだ。

 

「お前が術師なら半殺しにしていたところだ」

 

 その言葉に、生徒たちが息を呑む。

 

 東堂は、そこで話題を切り替えた。

 

「が、見るに一般人...呪力もさほど無い」

 

 東堂の言葉は、刃のように鋭かった。

 敵意ではない。値踏みだ。

 

 先生は、その視線を真正面から受け止める。

 逃げない。逸らさない。だが、力で返そうともしない。

 

「“術師...?よく分からないけど、私は戦えないよ”」

 

 あっさりとした肯定だった。

 

 その場にいた生徒たちが、思わずざわめく。

 

 東堂の眉が、わずかに上がる。

 

「……ほう」

 

 意外そうでもあり、納得したようでもある声。

 

「ならば聞こう」

 

 東堂は一歩、踏み込んだ。

 距離が縮まる。威圧が増す。

 

「この街で、どうやって生き残っている」

 

 先生は少し考え、それから静かに答えた。

 

「“生徒に、守ってもらってる”」

 

 一瞬、空気が止まった。

 

 生徒たちが息を呑む。

 その答えは、あまりにも率直で、あまりにも無防備だった。

 

 東堂は、すぐには返さなかった。

 

 ──強さを誇らない。

 ──弱さを隠さない。

 

 その態度に、東堂は違和感と同時に、わずかな興味を覚える。

 

「……立場を理解しているな」

 

「“うん、だからこそ必要な時は前に立つ”」

 

 東堂の口元が、わずかに歪んだ。

 

「守られる側が、前に立つか」

 

「“必要ならね”」

 

 先生は、倒れている生徒たちを一瞥する。

 

「“誰かが代わりに殴られるなら、それが大人の仕事だと思ってる”」

 

 東堂は、鼻で息を吐いた。

 

「……甘い」

 

 だが、その声には、完全な否定は含まれていなかった。

 

「甘いが……嫌いではない」

 

 生徒たちが、驚いたように東堂を見る。

 

 先生は、少しだけ微笑んだ。

 

「“ありがとう。でも、君のやり方も否定しないよ”」

 

 東堂の目が、鋭く光る。

 

「俺のやり方は、殴るぞ」

 

「“知ってる”」

 

 即答だった。

 

「“でも、君は殺さない”」

 

 その一言で、東堂の動きが止まった。

 

 ──見抜かれている。

 ──観察されている。

 

 東堂は、しばらく先生を見つめ、それから低く笑った。

 

「……面白い」

 

 拳の男は、ようやく名乗る気になった。

 

「俺は東堂葵だ」

 

 先生は、ゆっくりと頷く。

 

「“私は先生。この街で、生徒を預かっている”」

 

 二人の間に、奇妙な沈黙が落ちる。

 

 殴り合いは起きない。

 だが、理解もまだ遠い。

 

 それでも。

 

 この街で初めて、東堂葵は思った。

 

 ──こいつは、殴る価値のない男だ。

 

 先生は、静かに言った。

 

「“よかったら、シャーレに来ない?話したいことがたくさんある”」

 

 東堂は、少しだけ考えた。

 

 そして、肩をすくめる。

 

「ふっ……暇つぶしにはなりそうだな」

 

 路地に、再び銃声が響く。

 だが、二人はもう振り返らなかった。

 

 拳と、言葉。

 違う武器を持つ者同士が、

 同じ方向を向き始めていた。

 

相棒(ブラザー) 作者はホシノ推し

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