東堂葵をキヴォトスにひとつまみ   作:むめい。

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6話 タンタカターン!

 

 息を吸うより先に、足が前へ出る。

 迷いはない。迷う理由もない。

 この路地にあるのは、倒れた部下と、転がる不良と、そして──目の前の異物だけだ。

 

 銃口が上がる。狙点は膝。次に指。

 当てれば終わる。終わらせればいい。

 それだけの単純さが、逆に私の呼吸を整えた。

 

 引き金。

 

 乾いた発砲音。

 弾が空気を裂く。その線を、相手は「避けた」のではなかった。

 ──消えた。

 

 パンッ。

 

 手を叩いた音。

 その瞬間、東堂葵の位置が跳ぶ。

 視界の中で、高速移動ではなく“入れ替わる”。

 

 反射で銃口を振る。

 射線を置く。次に置く。さらに置く。

 動きを追うのではない。次に出る場所へ先回りする。

 

 だが、追っても追っても、こちらの読みは半拍ずつ遅れる。

 

 ──術式。

 

 理屈が完全に組み上がる前に、身体が先に理解していく。

 「音」だ。手を叩いた、その瞬間が合図。

 合図のたびに、周囲に散った“駒”と入れ替わっている。

 

 なら、潰すべきは駒。

 置かれた瓦礫、小石、舞った破片。

 それを撃ち抜けば、入れ替えの先が減る。

 

 引き金、引き金。

 床を抉り、壁を割り、石片を砕く。

 粉塵が舞う。視界が濁る。

 それでも──東堂は出てくる。

 

 パンッ。

 

 また、跳ぶ。

 

 私の瞳が追いつく。

 腕が追いつく。

 体が勝手に射線を作る。

 ほとんど反射神経だけで追っているのに、相手はそれでも逃げる。

 

 苛立ちはない。

 苛立ちに割く余白がない。

 

 ただ、厄介だと思った。

 それだけ。

 

 東堂は、笑う。

 

 血が口元に滲んでいるのに、笑う。

 痛みを無視しているわけではない。

 痛みを“材料”にしている顔だ。

 

 ──戦いを楽しむタイプ。

 

 この街には多い。

 だが、こいつは種類が違う。

 

 パンッ。

 また位置が跳び、間合いが詰まる。

 

 拳が来る。

 

 受ける。

 肩で受け、膝で逃がし、銃床で返す。

 金属の重みが骨へ響く。

 反動で手首が痺れる。

 

 それでも、拳は止まらない。

 踏み込んでくる。

 こちらの射線を潰しに来る。

 

 ──近い。

 

 私の体が僅かに下がる。

 下がったことに、自分で気づく。

 それが嫌で、足が床を噛む。

 

 「……まだやる?」

 

 さっき投げた言葉が、薄い煙の中で蘇る。

 相手は「もちろんだ」と答えた。

 

 当然だろう。

 この男は“当然”を歪める側だ。

 

 私は短く息を吐き、視線を刺すように固定した。

 駒の残り。

 角度。

 彼の手の位置。

 拍手の予備動作。

 

 ──次で、終わらせる。

 

 引き金を引く。

 

 東堂は跳ぶ。

 パンッ。

 

 私はもう一度引く。

 跳ぶ。

 パンッ。

 

 また引く。

 跳ぶ。

 パンッ。

 

 まるで、打ち上げ花火の芯を撃っているみたいだ。

 同じ動き。

 同じ音。

 同じ逃走。

 同じ応酬。

 

 なのに──

 

 違和感が混じった。

 

 東堂が、喋った。

 

「……やられっぱなしじゃ、高田ちゃんに振られるな」

 

 ふざけた内容のはずなのに、笑いの温度が消えていた。

 冗談が“仮面”になり、仮面の奥がこちらを見た。

 

 ──空気が変わる。

 

 動きは同じだ。

 位置が跳ぶ。

 拳が出る。

 間合いを詰める。

 拍手が鳴る。

 

 それでも、何かが違う。

 

 “逃げ”が、薄くなった。

 

 いままでの跳躍は「当たらないため」だった。

 だが今の跳躍は「当てるため」に見える。

 盤面を増やすのではなく、盤面を“閉じる”ような動き。

 

 ──恐らく短期決戦に切り替えた。

 

 なら、こちらも短期で潰す。

 

 私は銃を、ほんの僅かに下げた。

 撃つためではない。

 撃ち“切る”ための角度を作る。

 

 "神秘"が、指先から銃へ流れ込む。

 熱でも冷気でもない。

 ただ、色が付く。

 

 紫。

 

 見えるはずのない色が、視界の縁に滲む。

 それは私の中だけで発光している。

 私の“神秘”が、弾丸の軌道に薄い尾を引かせた。

 

 ──レーザー。

 

 実際は高速射撃に過ぎない。

 だが、この速度と精度は、もう「線」だ。

 

 息を止める。

 心拍を落とす。

 引き金を引く。

 

 紫の線が路地を貫く。

 

 空気が割れる。

 粉塵が裂ける。

 瓦礫の輪郭が瞬間だけ白く焼ける。

 

 通常なら、これで終わる。

 跳べない。

 避けられない。

 入れ替えで逃げる前に、線が先に届く。

 

 ──届くはずだった。

 

 東堂が、動かない。

 

 拍手を、打たない。

 

 彼は真正面から──その紫の線を受けた。

 

 私は一瞬、呼吸を忘れた。

 

 紫の軌跡が、東堂の体を斜め一線になぞる。

 胴。肩。腹。胸。

 光の残滓が、布を焦がし、皮膚を裂いた。

 

 血が、遅れて飛ぶ。

 赤が空気に混じる。

 

 ──倒れる。

 

 そう思った。

 思ったのに。

 

 東堂は、倒れていない。

 

 膝は折れていない。

 視線が落ちていない。

 呼吸は荒いが、芯が折れていない。

 

 まるで、壁だ。

 

 術式を使わずに、受けた。

 受けた上で、前へ出る。

 

 その瞬間、私の中に「理解できない」という感覚が生まれた。

 ほんの一瞬。

 戦闘の現場であってはいけない空白。

 

 東堂の口が動く。

 

「……ほらな」

 

 低い。

 笑っていない。

 ただ、確信だけがある。

 

 次の瞬間。

 

 視界が、歪んだ。

 

 東堂の拳が来る。

 さっきまでの拳と同じ軌道。

 同じ踏み込み。

 同じ角度。

 

 なのに──

 

 拳の“質量”が違う。

 

 空気が圧縮され、音が遅れて追いつく。

 拳が振るわれた瞬間、路地の粉塵が一方向に吸い寄せられた。

 衝撃が来る前に、骨が鳴る予感がした。

 

 ──避ける。

 

 身体が命令する。

 だが、間に合わない。

 

「黒閃!!」

 

 拳が当たった。

 

 胸の奥が、潰れる。

 呼吸が抜ける。

 胃が浮く。

 視界が跳ねる。

 

 黒い閃光が、遅れて見えた。

 

 闇のように濃い“線”が、拳の軌跡にまとわりつく。

 一瞬。

 瞬きより短いのに、脳がその瞬間を引き伸ばして記憶した。

 

 ──黒閃。

 

 男の言葉が浮かぶ。

 理解より先に、身体が答えを出した。

 

──まずい

 

 床が近づく。

 背中が、地面に叩きつけられる。

 視界が真上を向き、粉塵が雪みたいに落ちてくる。

 

 音が遠い。

 

 ヘイローが、揺れる。

 揺れるだけで済んでいるのが、不思議なくらいだ。

 

 私は息を吸おうとして、吸えない。

 胸が痛いのではない。

 胸が“動かない”。

 

 ダウン。

 

 私は初めて、この路地で「倒された」という事実を受け取った。

 

 視界の端に、東堂が立っている。

 体に紫の焼け跡を横一線に刻んだまま。

 それでも、立っている。

 

 彼の呼吸が荒い。

 だが、目は澄んでいる。

 

 そして彼は短く、言う。

 

「フィナーレ、だな」

 

 私は歯を食いしばり、床に手を立てた。

 立ち上がるためではない。

 “立ち上がれる”ことを、相手に見せるために。

 

「……っ」

 

 声にならない息が漏れる。

 胸の奥がまだ痺れている。

 だが、意識は切れていない。

 

 粉塵の中で、視線が交差する。

 

 東堂葵は、倒れない。

 そして私は、初めて倒れた。

 

 それだけで、この戦いの温度が一段上がるのが分かった。

 

***

 

 あの黒閃の手応えが、まだ拳に残っている。骨に伝わる反動ではない。もっと奥、血管の内側を走る電流みたいな熱だ。呼吸のたびに、世界の輪郭が一段くっきりする。

 

 東堂葵は、口の端から垂れた血を舌で拭った。

 

 紫の線が身体を斜めに走った焼け跡は、痛い。普通に痛い。痛いのに、笑いが消えない。痛みが「ノイズ」ではなく「情報」になっている。痛みの位置がわかるということは、身体の状態を把握できるということだ。

 

 黒閃。

 

 たった一撃で、風景が変わった。

 

 拳を握るだけで、指先から先に空気が逃げるのがわかる。

 踏み込む前に、地面の反発が先に感じ取れる。

 視界は点で追うのをやめ、面で広がる。

 

 ──いまなら、成れる。

 

 体が、頭より先に確信している。

 

 「俺は今、術式のステージを一段上げた」

 

 ヒナは起き上がろうとしていた。床に指を立て、体を引き上げる。呼吸が乱れているのに、目は死んでいない。さっきのダウンは、終わりじゃない。むしろ、火がついた顔だ。

 

 東堂は、路地の空気を吸い込む。粉塵が肺に刺さる。苦い。だが、妙に澄んでいる。矛盾しているみたいだが、いまの東堂にはそれがわかる。

 

「……この場所は空気が澄んでいる」

 

 自分の声が、路地に落ちる。

 誰に言ったわけでもない独り言が、なぜか言葉になった。

 

「……まさに俺の心だ」

 

 術式を“広げる”ため内心を言葉にする。

 

 東堂は、両手を開いた。

 拍手のための形ではない。

 放つための形だ。

 

 呪力を、外へ。

 

 呪術廻戦の世界みたいに、空気中に濃い呪いが漂っているわけじゃない。だからこそ、逆にやりやすい。混じり気が少ない。自分の呪力を「空気に染み込ませる」抵抗が小さい。

 

 呼気と一緒に、呪力を押し出した。

 

 目に見えない膜が、路地の壁から壁へ、床から空へ、薄く広がっていく。

 粉塵の粒が、わずかに“浮き方”を変えた。

 煙が、筋を引いた。

 

 ヒナの眉が、ほんの少しだけ動く。

 

「...何をしたの」

 

 声は低い。まだ胸が痛むはずなのに、問いの芯がぶれない。

 東堂は答えず、笑う代わりに息を吐いた。

 

 呪力が空気に馴染む。

 馴染むというより、空気を“自分のもの”にする感覚。

 

 そして──至る所に、小さな溜まりが生まれる。

 

 瓦礫。石片。粉塵の渦。壁の欠け。床の裂け目。

 そこだけではない。

 何もない場所、ただの空間にも、呪力が“引っかかる”。

 

 見えない水たまりだ。

 踏めば沈み、蹴れば跳ねる。

 そういう足場が、路地のあちこちに生まれていく。

 

 東堂は、自分の術式の「対象」を理解し直した。

 

 いままでは、呪力を載せた“駒”が必要だった。

 だが、いまは違う。

 

 空気そのものが、駒になっている。

 

 東堂は指を鳴らすように、小さく手を打った。

 

 パンッ。

 

 身体が入れ替わる。

 

 瓦礫でも石でもない。

 ただの空間、呪力が溜まった“点”と位置が入れ替わる。

 

 ヒナの瞳が、ほんの一瞬だけ見開かれた。

 

「……っ」

 

 その反応だけで十分だ。

 「読めない」が一瞬でも挟まれば、勝ち筋は太る。

 

 東堂は、着地しない。

 次の入れ替えで、また場所を変える。

 

 パンッ。

 パンッ。

 

 拍手の音が、路地に反響する。

 今までの拍手は「逃げるため」だった。

 いまの拍手は「囲うため」だ。

 

 ヒナは銃を上げた。さっきの紫の線。あれがもう一度当たれば、東堂の体は本当に裂ける。しかしヒナは撃てない。

 

殺してしまうからだ。

 

 ヒナは引き金にかけた指を、わずかに緩めた。

 

 撃てば当たる。

 当たれば、終わる。

 だが終わり方が、任務の形をしていない。

 

 紫の線は「制圧」ではない。

 「処理」だ。

 

 東堂は、その一瞬の迷いを見逃さない。

 

 パンッ。

 

 空気がまた入れ替わる

 東堂の姿が、瓦礫の横から、粉塵の中、そして何もない空間へと次々に入れ替わる。

 

 ヒナは歯を噛む。

 

 撃てない。

 だが、撃たなければ追いつけない。

 

 東堂は踏み込む。

 拳が来る。

 ヒナは銃身で受け、反動で距離を作り、床を蹴って位置を変える。

 

 東堂の拳が、壁を抉る。

 粉塵が爆ぜ、視界が白む。

 

 ヒナはその中を撃ち抜く。

 銃弾が、煙を裂く。

 

 東堂は拍手を打たず、身体を捻る。

 線が肩をかすめるが傷はつかない。

 

「…効かん!」

 

 東堂は止まらない。

 止まる理由がない。

 

 拳。

 膝。

 肩。

 面で叩くような打撃。

 

 ヒナの体から鈍い音が重なる。

 

 しかし、どちらも決定打に届かない。

 だが、どちらも削られている。

 

 粉塵の中で、二人の影が絡み合う。

 東堂は空気を盤面として使い、

 ヒナは射線を線ではなく“束”で置く。

 

 互いの動きが、互いを潰しきれない。

 

 ──拮抗。

 

 東堂は息を吐きながら、笑った。

 

「お前、名はなんという」

 

 ヒナは答えない。

 その代わり、銃口をわずかに上げる。

 

 紫の光が、また宿りかける。

 

 そのときだった。

 

 東堂の腰の通信機が、短く震えた。

 

「……ちっ」

 

 直後、ヒナの耳元でも、別の通信が鳴る。

 

 東堂の方が、先に出た。

 

「何の用だ」

 

 怒気の含んだ声で通信機に話す。

 

 通信の向こうから、聞き慣れた声。

 

『"ごめん東堂、今すぐその戦闘を辞めて欲しい"』

「言わなかったか?邪魔をしたら殺す、と」

『...?聞いてないよ』

 

 東堂は舌打ちする代わりに、頭を掻いた。

 

「なら言い忘れだ、しかし!お前のせいでシラケたぞ」

『今戦ってる相手はもうやる気は無いみたいだよ?』

 

 東堂が見るとヒナも通信を取っていた。

 

「…なに、アコ」

 

 耳元の小型端末から、早口の声。

 

『ヒナ委員長!今すぐ戦闘を中止してください!連邦生徒会から指示が来てます!」

「理由は」

『ヒナ委員長が戦闘してる相手が...その、シャーレ?と言う行政組織のメンバーみたいで...とにかく!即刻帰ってきてください!」

 

 ヒナは、ほんの数秒、目を閉じた。

 

 再び開いたとき、視線は東堂に向いていた。

 

 東堂も、通信を切ったところだった。

 

「続きといこうか!」

 

 東堂の声は、まだ戦場の熱を帯びていた。

 拳を軽く鳴らし、空気に滲ませた呪力が、微かに波打つ。

 

 だが、ヒナは銃を下ろした。

 

「私は帰る。もう戦う理由が無い」

 

 短い言葉。

 だが、その中に迷いはなかった。

 

 東堂は一瞬だけ目を細める。

 

「理由なら、目の前にあるだろ」

「任務は終わった。それに……上から止められた」

 

 ヒナの視線は、東堂ではなく、路地の外の空に向いている。

 もう戦場を“場”として見ていない目だ。

 

 東堂は、舌で歯の裏をなぞった。

 

「命令に従うようには見えんがな」

「そう?」

 

 沈黙が落ちる。

 粉塵が、ゆっくりと地面に沈んでいく。

 

 東堂の周囲に漂っていた呪力の溜まりが、少しずつ薄れていく。

 空気が、彼のものではなく“ただの空気”に戻っていく。

 

「……ちっ」

 

 小さな舌打ち。

 

「いいところだったんだがな。正直、お前とはもう一度条件なしで殴り合いたい」

 

 ヒナは答えなかった。

 だが、背を向ける直前、ほんの一瞬だけ振り返る。

 

「次に会う時は、容赦はしない」

 

 それは予告でも、脅しでもなかった。

 ただの、事実の提示だった。

 

 東堂は笑う。

 

「それでいい」

 

 ヒナは眉をわずかにひそめる。

 

「…」

 

 ヒナはそれ以上、何も言わなかった。

 踵を返し、風紀委員たちのいる方へ歩き出す。

 

 足取りはまだ少し重い。

 黒閃の痕が、確実に身体に残っている。

 

 だが、背中はまっすぐだった。

 

 東堂は、その背中を見送りながら、ゆっくりと息を吐いた。

 

「…タイプを聞き忘れたな」

 

 誰に聞かせるでもなく呟く。

 

 腰の通信機が、もう一度短く鳴った。

 

「……なんだ」

『"東堂、帰ったら話したいことがある"』

「...先の、ああいうやり方は好かんとだけ言っておく」

「仕方なかった、は言い訳か...ごめんね東堂。返ったらまた」

 

そこで通信が切れる。

 

 勝敗は、つかなかった。

 だが、互いの中に、確かな「相手の輪郭」だけは刻まれた。

 

 それで十分だと、東堂は思った。

相棒(ブラザー) 作者はホシノ推し

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