The Rite of Depth 関連小説集 作:白銀 小虎
グランツとローレンスが廊下を歩いていると、階段の手すりに腰を掛け、足をぶらぶらとしている小さな影が見える。
「ん?あれは…」
グランツが足を止めると、赤い体毛の小さな虎獣人が、外を眺めていた。
「オルファン」
グランツが声をかけると、オルファンはびくりと肩を震わせ、慌てて振り返った。
「グ、グランツ!うわっ…!?」
驚いた拍子に、バランスを崩す。ローレンスはすっと駆け、反射的にオルファンをつかんで支える。
一方で、グランツは彼の反応に少し眉をひそめ、やや悪い顔をして言った。
「どうした?何か悪い事でもしたのか?」
「べ、別になんもしてないし!」
オルファンは慌てて否定したが、その顔は少し赤い。
それは落ちそうになったところを見られたからなのか、図星だったのかは果たして。
「オルファン殿。こんなところで何をしているのだ?」
「…なんとなく」
ローレンスはオルファンが手を離したのを確認し、己も一歩下がってからそう、問いかける。
オルファンは視線を逸らし、再び窓の外を見た。
グランツは階段を上がり、オルファンの隣に腰を下ろす。大きな身体が、小さなオルファンの隣に座ると、その体格差がより際立つ。
―――彼は年齢の割に小柄ではあるが、ヒト基準であってもかなり小柄だろうからして、まるで巨人と小人のようだ。グランツが殊更大きいというのもあるだろうが。
「お前はいつも、この時間は槍の訓練をしているイメージだが。ヴィルデンはまだ寝ているのか?」
「パ…、師匠は、まだ寝てる。」
オルファンの声が、わずかに沈んだ。グランツとローレンスは僅かに顔を見合わせた。
「そうか。起きてくるのでも待っているのか?」
「別に待ってなんか…!」
オルファンは語気を強めたが、すぐに口をつぐんだ。
しばらくの沈黙。オルファンは手すりを握りしめ、小さな声で呟いた。
「…最近、師匠、よく寝てる」
「ああ、そうだな」
グランツは穏やかに答えた。
「気になるのか?」
「…そんなこと」
オルファンはそっぽを向いた。
しかし、手すりに巻きつけられたその尻尾は、僅かながらも落ち着きなく動いている。
「心配なら、心配だと。心細いと言えばいいじゃないか」
ローレンスが言うと、オルファンは顔を上げた。
「心配なんかしてないっ…。師匠は強いから、体調がちょっとくらい悪くたって別に…!それに…、リーガルだって居るし。」
「そうか」
グランツは否定せず、ただ頷いた。
オルファンは再び視線を落とした。
「…でも」
小さな声。
「…でも、なんか、前と違う」
「どう違うんだ?」
グランツの問いに、オルファンは少し考えた。
「前は、朝起きたら、もう師匠は起きてて、朝ごはんを用意しててくれてたり、おはようって声をかけてくれたりしたけど…」
オルファンの声が、少しずつ大きくなる。
「でも、最近はおいらが起きても、まだ起きてなくて。それで、おいらが朝ごはん作って、師匠を起こしに行くんだ」
「ふむ」
「それで、師匠を起こすとね…」
オルファンの頬が、わずかに赤くなる。
「…すっごく、眠そうな顔して、名前を呼んで、抱きしめてくるんだ」
「ほう」
ローレンスが興味深そうに言った。わずかにグランツを見て、少し細めながら。
「それは…嬉しい事なのではないか?」
「嬉しくなんか…ない、とかそういうんじゃなくて…!」
オルファンは顔を真っ赤にして否定したが、その声には力がない。
「…でも、ちょっとだけ…ちょっとだけなら…」
小さな声で呟く。
「…嬉しい、かも」
グランツは優しく微笑んだ。
「そうか」
「だって!」
オルファンは急に声を上げた。
「だって、前は、師匠、おいらとあんまり関わってくれなかったから!いつも、『訓練しろ』とか『強くなれ』とか、そんなことばっかり言って…」
オルファンの声が震える。
「本当は、おいらの事は嫌いなんじゃないかって。」
その言葉に、グランツは少し困ったように頭をかく。
ヴィルデンが、オルファンに対して厳しく接していた事は知っている。
それは、彼なりの愛情表現である事も、彼が付き合い方にかなり難儀していた事も。
愛情としては、かなり迂遠であったのだろうが…
「でも最近は、朝起きたら、師匠がよく抱きしめてくれて、『よく眠れたか?』とか、『今日も頑張ろうな』とか、優しく言ってくれて」
オルファンの目が、わずかに潤んでいた。
「それが…それが、すっごく嬉しいんだ。だから、おいらは…」
オルファンは拳を握りしめ、震える声で続けた。
「…師匠が、たくさん寝てくれてもいいって、思っちゃうんだ」
「…オルファン」
「だって、そうしたら、おいらは毎朝、師匠に声をかけてもらえるし、師匠に抱きしめてくれてもらえて、ずっと一緒にいられるから」
オルファンの声が、涙声になる。
「でも…でも、それって、おかしいよね。調子が悪いのに、それが嬉しいなんて…おいら、最低だ…」
グランツは大きな手を伸ばし、オルファンの頭に置いた。
「最低なんかではないさ」
「でも…!」
「そんな事はないんだ。」
グランツは繰り返した。
「オルファン。私は、ヴィルデンから今までの身の上は聞いているし、その辛さや悩みは格別に大きかったであろう事をわかっているつもりだ。だからこそ、ただ少しばかり、今の温もりを離したくなくて、つい
オルファンは顔を上げた。わずかに涙で濡れた若草色の瞳が、グランツを見上げる。
「でも…師匠は、病気なのかな」
「わからない。だが、私は今それを確認しているところだったんだ。」
グランツはオルファンの頭を優しく撫でた。
「お前は、
「…そんなの、言わなくたって…、当たり前、だし…。」
オルファンは小さく呟いた。
「師匠は…パパは、大好きな
「それならば、オルファンにしか出来ない事があるだろう?」
グランツは穏やかに言った。
「父親と、一緒にいてあげる事だ。朝、抱きしめてもらう事も、ヴィルデンにとっては幸せな事かもしれない」
「…本当に?」
「ああ。お前は、あいつの宝物…本当に、本当に大事に思われているのだから。」
オルファンの目から、また涙が溢れた。しかし今度は、少し笑っていた。
「…グランツは、なんか、まるでパパの事をわかってるみたいに言うんだな」
「ふふ、そうか?」
グランツは凭れた壁から離れ、オルファンに手を差し伸べた。
「さあ、行くぞ。父上が起きたら、一緒に朝食を食べよう」
オルファンはグランツの手を取り、手すりからトンっと軽い音を立てて降り立つ。
そして、小さな声で言った。
「…ありがとう」
「礼には及ばない、さ。」
三人が階段を降りようとした時、オルファンがふと振り返った。
「ねえ、グランツ」
「ん?」
「おいら…パパと、ずっと一緒にいられるかな」
その問いに、グランツは少しだけ表情を曇らせた。しかし、すぐに微笑んで答えた。
「ああ。きっと、ずっと一緒にいられるさ」
その言葉が、どこまで真実なのか。ただの欺瞞となってしまうのかは、グランツ自身にもわからなかった。