The Rite of Depth 関連小説集 作:白銀 小虎
「オルファン……、おはよう」
目が覚める。まだ夢の縁に指先が引っかかっているような感覚のまま、縮こまった体を伸ばすと、背後から低く落ち着いた声が降ってきた。
「師匠、おはよう……」
そう口にした瞬間だった。
「やめてくれ、その呼び方はもう――――」
言いかけて、言葉が途切れる。すぐ後ろにあった気配が、少しだけ近づいたのがわかる。
……近い。背中に、温もり。大きな腕が、迷いなく肩から回される。逃げ道を塞ぐように、しかし力は強くない。ただ、包むような―――守るような。頭に顔を埋められる。
「……無理に、変えなくていい」
耳元で、低く囁く声。
「お前が楽な方でいい。……呼びたいように呼べ」
ぎゅ、と。言葉の代わりに、抱き寄せられる。オルファンは、反射的に尻尾をばたつかせてしまった。
(……ち、近い……!)
嬉しい。嬉しいのは、間違いない。胸の奥で、言葉にならないものが込み上げる。
ただ、以前よりも遥かに距離感が近い。それを否定するわけではないが…。それにしたって、恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。
オルファンは知っている。今の父が、どのような状態なのかを。自分を失い、その喪失感のまま歩み続けた歴史を、一部だけ持ってしまっている事に。
だからこそ、今の父の中では、自分は「弟子」でも「子供」でもなくなっている。
喪失の先で、もう二度と取り戻せないはずだったものが、奇跡のように、もう一度ここに在る。そんな状態となるならば、必然的にこうなることは予想ができたはずなのだが。
(……だからって、こんな……)
抱きしめ方が、以前と違う。頭を撫でる手は必要以上に丁寧で。
背中に回る腕は、まるで離せば消えてしまう雪を抱くように。そして、朝の挨拶ひとつにも確かめるような温度が籠もっている。
(守る、っていうより……)
―――
視線を向けられるたび、触れられるたび、「ここにいる」「消えていない」と何度も確かめられている気がして。それは…まさしく昔欲しかった、そういう愛情の方向だ。
嬉しい。幸せだ。でも―――
(……恥ずかしい……)
心臓が、もたない。もう少し小さいころなら、素直に甘えられただろう。
でも今は、色々と経緯を知っている。だからこそ、とても恥ずかしい。そして、どんな反応を求められているかも、わかっている。意を決して、口を開く。
「……パパ……」
零した声は、思っていたよりも掠れていた。
一瞬、空気が止まった。それから―――腕に込められる力が、ほんの少しだけ強くなった。
「……ああ」
震えを含んだ、短い返事。オルファンは、もう耐えきれずに顔を布団に埋めた。
(だめだ……これ……)
嬉しいのに。幸せなのに。胸がいっぱいで、熱くて、どうしていいかわからない。
(……若気の至りとか、そういう問題じゃない……)
これは―――まさしく溺愛、というやつだ。
オルファンは、こっそり深呼吸をして、 赤くなった顔を見られないように、声を絞り出した。
「……あの……」
「ん?」
「……あんまり、その…」
言葉を探して、探して。
「……照れる……」
一瞬の沈黙。それから、くぐもった笑い声が聞こえた。
「……そうか」
腕が、ほんの少しだけ緩む。でも、離れはしない。
「……悪いな。」
そう言いながら、それでも指先は、オルファンの頭をそっと撫でていた。
(……ずるい)
オルファンは、内心でそう思いながら、結局そのまま、身を預けてしまうのだった。
―――朝は、まだ少しだけ、続きそうだった。
☆ ★ ☆
「…で、こっちの俺はそのまま幸せにお布団で眠っている、と。」
「あの、なんで勝手に顕現できてるんです?」
「いやさ、このまえ『標準位相』ってスキルを獲得したんだけど―――」
天文室には、やや困惑したサフィラスと、細身ながらもしっかりとした体つきの赤い虎―――つまり青年のオルファンが居た。
「勝手に宇宙を爆散することもできないですし…困りましたね…。」
「えっ?怖いって!そういうことサラっと言わないでくれる!?」
「だって明らかに因果律とかそこらへんグチャグチャになるじゃないですか!再演するだけなら『違う宇宙』だからいいものの…。私が貴方に『あまり勝手に出歩かないように』って言ってるの、そういう負債を私が調整してるからなんですよ!?」
まったく…とサフィラスはため息を付く。
このオルファンは、本来死ぬ定めの運命を無理矢理違う存在に紐づけたために、あり得ない『イフ』を歩んだオルファンだ。そのため、入れ替わることは良いとしても、当人と同じ時空上に存在すると、その因果が絡み合い―――色々と面倒なことになるのだ。
「正直、こっちの父さんがまさか本当の意味で『神様』になる道を選ぶなんて思っても居なかったな。」
「……本当にそう思ってます?だってアナタ、15歳ころの自分への溺愛具合を考えればこうなるのは目に見えてますよね?」
「やめてくれよ、そのあたりの話は…。」
青年のオルファンは、己の過去を振り返って苦々しい表情を浮かべる。
―――そう、実のところ、自分が反抗期真っ盛りのタイミングで自分の気持ちを思わず吐き出してしまい、それからというもの『こっちの父親』の距離感で未だに溺愛され続けているのだ。正直、うれしいがあまりにも恥ずかしく、堪ったものではない。
「自業自得ですよ。反抗期に本当の気持ちなんか吐き出すからそんなことになるんです。」
「そもそもサフィラスが俺の存在を生まなければこんなことにならなかっただろ~?俺のせいにしないでほしいな。」
苦笑いしながらお互いに談笑する。ひとしきり話し合った後、ふう、と一息。
「まあ…、こっちの俺は見ててあまりにもかわいそうだったから。まさか自分の気持ちを素直に吐き出すとは思ってなかったな。でも、こうなった事に後悔はない、と思ってる。」
「まぁ、こちらでもあそこまで偏愛気味になるとは思ってませんでしたが…まあ、結果オーライというやつですね。」
「んじゃ、そろそろ父さんもうるさくなるから引き上げるよ。」
「ええ、そのまま勝手に出てくることが無いように祈ってますよ。」
じゃっと手を上げ、そのまま歪むようにして姿がかき消えた。サフィラスはため息を付く。
「これ、今後も気づいたら勝手に顕現してくるんですかね…。」
自動保全機構を組んでおかなければ、と、何度目かわからないため息を、深く深くつくのであった…。
スキル『標準位相』を獲得しました!(パッシブ効果:自身が偏在する空間を局所的に『標準空間』とし、その存在証明が不要になります! アクティブ効果:自身を任意の位相にずらすことが可能となります!)