the origin 異能力者の起源 – 3.72%の少女外伝   作:六位漱石斎正重

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 200人ほどを収容できる広い講堂で一人の初老の男が講義を続ける。講義の名前は特殊心理歴史学基礎概論。極めて限定された条件において星系規模の人々の集団の挙動を数式化し、その未来を予測する学問である。
 講義を聞いている学生たちはほかの大学でもよくあるように、各自思い思いの勝手な時間を過ごしていて、一見まともに講義に耳を傾けている者は一人もいないように思えた。だがそんな中、講義をする初老の男の姿を冷徹に見つめるある男の姿があった。この男の正体とは……。



第1話 教え子の来訪

 男は内心激しく腹を立てていた。一体この中の何人が、帝国の未来について真剣に危機感を抱いているであろうか。彼は憤懣やるかたない気持ちで、自分の座っている椅子の右側に目を向けた。視線の先には一人の青年が机に突っ伏して軽い寝息を立てている。

 彼はしばらく青年を心底あきれた表情で見つめた後、今度は左側に顔を向けた。そこには太ももの付け根まであらわにしている派手な化粧をした若い女が、隣の男の方にしなだれかかっている。

 彼はそのままその女を眺めていたが、女に寄りかかられていた男とふいに目が合い、彼は慌てて前方に視線を向け、やれやれと心の中で嘆息した。

 

 ここは<帝立トランター大学>の大講義室。講義室の前方に向けられた彼の視線の先には、一人の初老の男が立ったまま講義をしている。

 頭髪のボリュームがだいぶさみしくなったその小柄な男は、老眼がだいぶ出ているのか黒縁の眼鏡をしばしば上方にずらして、手元のテキストを凝視しながら大した熱もない様子で淡々と抗議を続けていた。

 まるで、彼の話を聞く者が誰もいなくてもちっとも構わないというような、ある意味開き直っているようにも見える。 

 

 電子黒板に板書を取るために学生たちに背を向けたその初老の男の後姿を眺めながら、彼は思った。私も同じ気持ちです教授……【我々】が求めている人材は数学的センスに富み、今ある帝国の現状に大きな危機感を感じている熱意ある若者です。でも、恐らくこの中にいる学生たちは、誰ひとり物の役には立たないでしょう。

 彼は小さなため息をつき、周りの怠惰な学生たちの存在など最初から存在していなかったかのように講義に耳を傾けた、

 

「……つまり社会を構成する比較的均一な市民の集団を、気体の分子の集合体と見立てることによって近似的に数学的手法を適用することが可能となる。その数学的手法の内、もっとも単純化されたものの内の一つが熱力学のファン・デル・ワールス状態方程式だ。ただし、その集団の規模はファン・デル・ワールス限界の10の16乗を下回ることはない」

 

 初老の男はそう話すと、教壇の上に置いてあるコップを手に取り、一口水を飲むと再び口を開いた。

 

「諸君らの知っている通り、この状態方程式は気体分子の体積や気体分子間の相互作用を考慮に入れた方程式で、いわゆる統計力学における理想気体分子の挙動を表したものとはいくつかの点で差異がある。したがって現在の帝国の状態をマクロの視点で観察した場合……」

 

 そこまで初老の男が話すと、ある一人の学生が音もなく立ち上がり、その初老の男に声をかけた。

 

「セルダン教授、質問をさせていただいても?」

「ああ、もちろん……何かね?」セルダン教授と呼ばれたその初老の男はそう答えた。

 質問をした学生は少々困った表情を浮かべながらセルダン教授に質問を投げかけた。

「あ、えっと、その……教授の説明はわかりました……あ、いやわかったと思います。個人的にですが……」

 

 セルダンは何も口を挟まず、学生の話の続きをしぐさで促した。

 

「帝国の構成人民の集団を近似的に気体分子の集合体と見立てて、数学的手法を適用するというご意見はよくわかりました。ですが、今の帝国は現在も版図を広げている最中ではあるものの、社会の一部には停滞感が蔓延し、帝国の版図拡大の限界点を意識し始めているような兆しも見受けられるように感じます」

 

 セルダンは黙ったままその学生を見つめた。セルダンが黙ったままだったので、学生は再び話を続けた。

 

「帝国内部では人民の集団にすでに無視できない偏りが出始めており、現在の帝国の人民は、教授の説明されている()()()()()()()()とは言い難いのではないか、と私は考えています」

「なるほど、続けて」

「そしてそれは時間経過に伴って集団全体としてはカオス的に発散するのが明らかなわけで、私たちが現在受講している【特殊心理歴史学基礎概論】の適用対象から大きく外れるのではないか、と考えます」

 

 件の学生はそう一息で言い放つと席に座った。その学生の言い草は、言ってやったぜといった感じではなく、単純に若者らしく思った疑問をストレートにぶつけたものだった。

 学生の発言に耳を傾けていた男は、ほう……とかすかに声を漏らし、その学生のストレートな質問に少々興味をひかれ、セルダン教授がその質問にどのように返すのかを見守ることにした。

 

「ああ、君の言うとおりだ。確かに現在の帝国は停滞期に入っている。そしてそれはまもなく衰退期に入ることが確実視されている。多くの恒星が衰退して、白色矮星か超新星爆発する未来が待っているように、我々の帝国もいずれは衰退し、滅亡することになるだろう。本講座では帝国が受ける滅亡後の影響をなるべく小さくするような手段を模索することに主眼を置いている」

 

 そこまで聞くとその学生は色をなして激しい口調でセルダンを問い詰めた。

 

「この()()()()()が滅びるというのですか? 皇帝陛下がこの場におられないとはいえ、それはあまりに不敬な物言いではありませんか!?」

 

 男は思った。この学生もダメだな。敬愛する対象に飲み込まれて冷徹な判断力がかすんでいる。右翼的思考にかぶれている若者によくありがちな思考体系だ。

 セルダンはその学生の口上を聞いてもかすかな驚きを示すこともなく、次のように言った。

 

「むろん、この帝国だって滅びるよ? それは間違いない。過去滅びなかった国家など一つも存在しない。一応誤解の無いように話しておくが、私は皇帝陛下を親愛する一帝都市民であり、帝国の永遠の発展を願う者だ」

 

 そこまで話すと、セルダンは口を閉じ、真剣な表情で講義室の左奥に掲揚されている、宇宙船に太陽の紋章が描かれている国旗に向かって深々と頭を下げた。

 この紋章はまだトランターが一惑星に支配権がとどまっていた頃に使用していた紋章で、数多の星系を傘下に置いた現帝国でも、引き続きこの紋章を使用し続けているのだった。

 

 再びセルダンは口を開いた。

 

「しかしながら私はそれと同時に、純粋に学問を追求し真理を探求する者だ。そのことに関して、私はいついかなる場でも真実を言うことをモットーとしている。それがたとえ皇帝陛下の御前だとしてもね」

 

 件の学生は黙ったままその続きを待った。

 

「外科医学の分野には『鬼手仏心』という言葉がある。外科医は時に残酷なほど容赦なく手術を行うが、それは患者を癒そうとする優しい心構えによるものである、という意味だ。私はこの帝国を心の底から愛している。帝国の多くの人民を塗炭の苦しみから開放するためなら、私はどんな手段をも用いるよ?」

 

 学生は自分が納得のいく回答が得られず少々不満に思ったものの、授業もいよいよ終わりに近づいたのを感じて最後の質問を行った。

 

「まあ、それは置くとしても教授のおっしゃる通り、銀河系の未来はカオス的に発散してその姿が予測不能になる将来が明らかです。いったい、心理歴史学でそのカオスをどのように制御なさるのでしょうか?」

 

 学生の質問が終わった瞬間、講義の時間の終了を告げるチャイムの音が講義室内に響きわたった。セルダンは少し黙り込んだ後、自身の腕時計を見て時間を確認しながら学生たちに告げた。

 

「そうだな、そのあたりの難しい事は今後の研究課題でもあるな……では、時間も来たので本日の講義はこれで終了とする。解散してよろしい」

 

 学生たちは中途半端な状態で講義が終わったことに対して一言の不満ももらさず、各自バラバラに散っていった。

 セルダンにとっては今日の講義はこれで終わりだが、学生たちには次の講義があるのだ。すでに済んだ講義についてあれこれ考えを巡らせる者は一人もいなかった。それは先ほど質問した学生も例外ではない。その学生にとっても()()()()()()()なのだ。

 

 セルダンは教壇の上の筆記用具や教材を片付けながら何気なく顔を上げると、ほとんど学生がいなくなったがらんとした広い講堂の中で、一人の男が気難しい表情を浮かべながら椅子に座ったまま彼をじっと見つめているのに気が付いた。

 学生にしては歳嵩に見えるその男の姿を見つめながら、セルダンはその男にしばらく顔を向けていたが、その内に彼の正体に思い当ったらしく、訝しげな表情を顔に浮かべその男に声をかけた。

 

「ベッカー? ……メルヴィン・ベッカー君かね?」

 

 セルダンに声をかけられたその男の顔から険しさが消え、彼はかすかにはにかんだ様子でそれに答えた。

 

「はい、ご無沙汰しております、セルダン博士」

「いつからトランターへ? 来るなら迎えくらいよこしたのに……」セルダンはかすかにあきれた表情を浮かべた。

 

 ベッカーと呼ばれたその男はセルダンのそばに歩いていき、笑みを浮かべながら彼と握手をした。

 

「いえ、お気遣いは無用です。今日の未明に到着したばかりです。それに私がいつも唐突に行動するのは博士もご存じでしょう」そう答えた。

 

 しばらくベッカーは顔に柔らかな表情を浮かべていたが、それはまもなく神経質そうな不安にまみれたものに塗り替えられて、つぶやくようにセルダンに話しかけた。

 

「実はセルダン博士に折り入って相談したいことがありまして……それが、今回私がトランターを訪れた理由なんです」

 

 セルダンはベッカーと名乗ったその男の様子を見て、どうやらこの講義室で気軽に話せる内容ではないらしいと察すると彼に優しく声をかけた。

 

「ベッカー君、私の研究室に来なさい。少々散らかってはいるがね」

 

 彼はそう言って小さくウィンクをした。

 

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