the origin 異能力者の起源 – 3.72%の少女外伝 作:六位漱石斎正重
長い会談を中断し、いったん二人で食事をすることにしたセルダンとベッカーは、<大学>内のカフェテリアに赴き、メニューから注文を行うと席に着いた。もうそろそろ真夜中だというのに、カフェテリア内には数人の人々がまばらに席について食事をとっていた。それらの人々の多くは、研究のためなら時間の経過を無視することができる人々だった。それは研究者になくてはならない資質だった。
二人は食事を楽しんだ後、食後のコーヒーを飲みつつ、再び会話を始めた。まずはベッカーが口を開いた。
「ここは僕がいたころとあまり変わりませんね。この店は僕みたいな貧乏研究生たちのご用達で、金銭的にずいぶん助けられました。それにこのボリューム、もう若いころのような健啖さはなくなりましたが、遠い昔に胃が破裂するかと思うほど、たくさん食べた記憶が今でも思い出されます」
「ある意味、我々は銀河の趨勢についての研究を行っている実戦部隊だ。そしてこれらのカフェテリアは我々に食事を提供してくれる、いわば補給部隊。その意味では、この店も未来の銀河系を救う一翼を担う重要な存在ともいえるな」
「ええ。願わくばいつまでもこの店が健在であることを願います。でも僕は研究生のころからこの店の事が心配だったんです。本当に採算が取れているのだろうかと……」
「そりゃ、この店だってボランティアでやってるわけじゃない。採算はきちんととれているさ。ただ、一人当たりの利益は微々たるものだろうから、そこは数でカバーしているんだろうな。我々が探していた例の能力者と同じさ。一人だけじゃ何の力も発揮できない。数をそろえないと……」
それを聞いたベッカーはハッとした様子で、セルダンを見つめると声量を少し落としてセルダンに尋ねた。
「ここじゃあまり詳しい話はできないでしょうが、僕は例の能力者を在野から発見するのは至難の業だと考えています。でもそれにもまして気がかりだった事は、運よく能力者を発見できたとしても、一人の能力者に銀河系の行く末をゆだねるのはあまりに危険すぎるという点です」
「うん、まあその程度の話題ならここでも構わないよ、続けて」とセルダン。
「我々は仮説の上に仮説を積み重ねた危うい土台の上で、多くの難問を乗り越えやっとのことで例の能力者を見つけることができました。しかもこちらの期待以上の能力です……そういうことでいいんですよね? 博士」
「ああ」
「でも、実際にその能力者をあてにするとして、その人が不慮の事故や何かで死んだらどうなるんです? あるいはそいつがこちらの命令に不服従な人間だとしたら? そう考えると、そんな巨大な力を持った能力者が一人しかいないというのは、いかにも不安です
セルダンは黙ってしばらく考え込んだ後、顎のあたりをもみながら口を開いた。
「確かにな……でも、私は最初から一人の能力者に重責を担わせる考えはなかったよ? 少し前にも言ったが、私はその能力者を
「それでは……」と、不安な表情のベッカー。
「だから……その人物が何らかの原因で死んだとしたら……」
「……」
「お手上げさ」
そう言ってセルダンはすっかりあきらめた表情で両腕を広げた。ベッカーはそれを聞いてがっかりした様子で天井を見上げると、そのあとを続けた。
「つまり、今の段階では我々の未来は運命にゆだねるしかない、ということですか……」
「そういうことになるな。だからそういった状況を解消するために早いところ生徒を育成しなければならんが、一から育成する時間的余裕がない。現在、私はその能力者に素質のある人間を探させているところだ」
「……」
「そのことはまあいい。いったん私の研究室に戻ろう。まだ例の染料の話をしてないしね」
そう言ってセルダンが立ち上がると、ベッカーも立ち上がり彼の後についていった。
研究室の最奥の私室に戻ったセルダンとベッカーは一休みする間もなく、再び話始めた。まずセルダンが口を開く。
「それで、例の偏光ガラスを通して確認できる染料のことだが……」
「はい」そう言ってベッカーは前のめりになって、セルダンの言葉を待ち構えた。
「まず結論から言うと、特殊染料の発明者に資金提供してから1年後、彼は染料の改良に成功した」
「それはいいニュースですね」
「ああ。それでその染料の現在のスペックだが……」
ベッカーは生つばを飲み込んでセルダンの顔を見つめた。
「風雨、紫外線に暴露されている都市型自然環境下で2週間程度の耐久性。その期間が過ぎれば染料はきれいさっぱりなくなってしまう。さらに引火性や毒性など人体に影響がほとんどないこと、つまりこちらの要求を完全に満たすものが出来上がったんだ」
「そうでしたか、それはよかったです。もっとも、その染料を使ったとして、どうやって精神干渉能力者を見つけだすのか、僕には皆目見当もつきませんが……」
そう言ってベッカーは困惑気な表情を浮かべた。
「私はまずその特殊染料の発見者に成功報酬を払った。その上で、さらに追加報酬を渡した」
「えっ? またまたずいぶんな太っ腹ですね。でも染料改良の成功で感激のあまり、彼に追加報酬を渡したんじゃないでしょ? 博士」
ベッカーはそう言ってセルダンをからかった。
「当然だろ? 私は慈善家じゃない。私はその男に一つ頼みごとがあったんだ。それをかなえてもらうために払う報酬だ」
「頼み事?」
「ああ。それは私が目的を、つまり精神干渉能力者を発見するということだが、それを達成するまでは論文発表したり、この特殊染料を販売しないでほしいというお願いだ」
「はぁ……」
「この条件が満たされないと、精神干渉能力者の探索に悪影響が出かねない」
「うーん……増々わからなくなってきましたよ、僕は」
「まあ、何度も言うが最後まで聞いてから判断してくれ」
「ええ……」
「次に私は工学部にいる知り合いの教授に、この染料を噴霧するためのスプレー缶の開発を依頼した。あまり広範囲に広がらず、指向性の高いスプレー缶だ。まあ市販品でもよかったんだがな。だが、なんといっても未知の液体だ。何が起こるかわからんし、その辺も含めてのスプレー缶開発依頼だ。で……完成したのがこれだ」
セルダンはそう言うと、椅子から立ち上がり棚から1本の小さなスプレー缶とプラスチック製の透明な板を取り出してベッカーに手渡した。
「ベッカー君、そのスプレー缶でこの板にシュッと一噴きしてみてくれ」
セルダンはそう言うと、ベッカーの机の上に一枚の板を置いた。ベッカーはスプレー缶を板の上にかざし、スプレーを噴霧した。それを見たセルダンはサングラスを2つ取り出し、1つをベッカーに手渡した。
「さあ、板を見てみたまえ」
ベッカーがサングラスをかけると、板の左下から右上にかけてカーマインレッドの鮮やかな赤いラインが浮き上がっているのが見えた。
「きれいで鮮やかな赤色ですね。この染料開発者の論文の写真の通りです。いや、生で見てる分、こっちのほうがきれいに見えますね」
「そうだな。さて、これですべての準備が整った。これまで多くの時間と資金を費やしてきたが、いよいよその成果を見る時だ。私はそのスプレーとサングラスを持って、スラム内をくまなく歩きまわった」
「いよいよですね」そう言ってベッカーは期待に胸を膨らませた。
「私は
「……」
「私は初日に関しては、自分が気になった場所にはほぼスプレーした。なんといっても実験初日だ。理論上では成功する見込みだったとしても、実地では大失敗だったということは、研究ではよくあることだ。このスプレーだって、次の日にはきれいさっぱり染料が消えてしまうという可能性もある。人が踏んだり、床に置いた荷物でこすれて染料がはげたりすることだって考えられるからね」
「なるほど……で、結局スプレーの効き目はどうだったんですか?」
「想定通りでホッとしたよ。スラム内のあちこちの部分に私がスプレーした赤い目印がくっきりと映っていた。私は念のためそのあと2日ほどスラム内を歩き回るのはやめた」
「なぜですか? その2日間に染料が消えてしまうか確かめないのですか?」とベッカー。
「確かに2日間の間に染料が消えてしまわないか私は不安だった。だが、私はそれよりもスプレー残量の方が気がかりだった。私が受け取ったスプレー缶は君が持っているものと合わせてたった2本だけだ」
「……」
「得てしてプロトタイプというものは採算度外視で作成されるものだ。このスプレーだって目玉が飛び出るくらい高くついているんだ。2週間毎日スラム中のあちこちにスプレーしてたら、このスプレー缶が何本も必要になる。それに私は、自身の隠密性を優先したかったんだ」
「?」
「スラムというのは、暗黒街ほど情報の流通が過密ではないが、それでも比較的自分の周りにいる人々の間では、コミュニケーション網がある程度確立されている。特に彼らは自分たちのテリトリーに見知らぬ人物が入り込むのを快く思わない」
「なるほど、それは怖いですね。博士は、彼らに絡まれたり脅されたりしなかったのですか?」
「まあ……2、3回くらいはね」
「えっ? まさか博士は身ぐるみはがされたんじゃ」そう言ってベッカーは苦笑した。
「私はこう見えても『ツイスト』のブラックベルト保持者でね、自分一人の身を守るくらいどうとでもなる」
『ツイスト』とは無手あるいは杖、剣などを使う近接格闘術を指す。その神髄は相手の力や勢いを利用して相手の重心を崩し、技をかけるところにある。相手をむやみに殺傷するのではなく、抑え込み、投げ、固めに極意がある。
セルダンは再び口を開いた。
「スプレーをしてから3日目。スラム内のあちこちに、鮮やかなカーマインレッドの明るい赤色が確認できた。つまりスプレーの効果は有効だったということだ」
「まずは幸先のいい出だしですね、博士」
「ああ。それから私は、1日はスラム内をスプレーし、2日ほど放置してまた再度スプレーするというローテーションを繰り返した」
「はい……」
「……そして12日経過した時点での結果がこれだ」
セルダンはそう言って椅子から立ち上がると、近くにある電子ボードのそばに行き、ボタンを押した。電子ボードにはトランターのスラム街のマップが映し出されており、そのあちこちに赤い点が書かれていた。
「これは!?」
ベッカーはあっけにとられた表情でそうつぶやいた。マップのほとんどが赤い点で埋め尽くされていたからだった。
「これは私がスラム内でスプレーを使ってマーキングを行った場所のマップだよ。染料の有効期間は約2週間程度ということだから、3日ローテーションで4回の繰り返し、このあたりが限界だろう」
「ずいぶんとたくさんありますね」
「まあとにかく疲れたよ。スラム中のあらゆる場所をくまなく回ったからね。
「よし、ここからが本題だ。電子ボードの表示が現在は『1回目』になっているはずだ」
「はい、そのようですね……」
「では、ベッカー君、その表示部分のメモリを『2回目』に変更してくれ」
ベッカーはメモリを『2回目』に変更すると、マップ上の赤い点は約半分になった。
「半分くらいになりました。ずいぶん減りましたね」
「ああ、私は再度スラム内を歩き周り、一回目よりは少ない数だけスプレーした。それが今我々が見ているマップだ」
「なるほど、こうやって博士の印象に残った場所を徐々に狭めていってるわけですね?」
「そうだ。さらに『3回目』にメモリを合わせてくれたまえ、ベッカー君」
「はい」
そう言ってベッカーは『3回目』にメモリを合わせた。すると、マップ上の赤い点は直前の6分の1まで数を減らした。それでもまだ12か所くらいの点が存在する。
「まだ結構ありますね……」とベッカー。
「そうだな、じゃあさらに『4回目』にメモリを合わせてくれ」
ベッカーが『4回目』にメモリを合わせると、マップ上の赤い点はようやく5か所にその数を減らした。それを見たベッカーは次のように言った。
「おっ、だいぶ数を減らしました。ここまで減らせば、あとは一つ一つしらみつぶしに……」
そう言いかけたベッカーだったが、セルダンは彼が言い終わる前に口をはさんだ。
「いや、この時点で私にははっきりわかったんだ」
「えっ? でも、この赤い点が5か所に減ったからと言って、その中に精神干渉能力者がいる保証は……」
そう訝るベッカーだったが、セルダンは彼の意見を即座に否定した。
「いや、この5か所の内の1か所に、間違いなく精神干渉能力者がいる。私にはそう確信できるはっきりとした理由があるんだ」
セルダンの言わんとすることに見当のつかないベッカーが不思議そうに彼を見つめたが、セルダンはスラムのマップ上に輝く5か所の赤い点を眺めながら、柔らかな笑みを浮かべるだけだった。
結局、セルダンはその日はもう何も話さず、長くなったベッカーとの会談をいったん中断して、ベッカーが宿泊しているホテルにいったん彼を返した。そして、次の日の会談は13時からと定めた。