the origin 異能力者の起源 – 3.72%の少女外伝 作:六位漱石斎正重
セルダンは彼の後をついていく少女の歩くペースを考えながら、少女と一緒に歩いていた。彼は少女に話しかけた。
「今さらだけど、私の名前はハリ・セルダンという。君の名前は?」
「名前?」
「ああ、いつも『君』と呼ぶんじゃ、何かと不都合だからね」
少女は困惑した表情をすると、恐る恐る口を開いた。
「私……名前はないの……いつも、『おい』とか、『お前』って呼ばれてたから……」
「でも、あの男は君の父親なんだろ? 名前がないってことは……」
「たぶん……私の本当のお父さんじゃない……と思う」
それを聞いたセルダンは険しい表情でしばらく黙り込んだ。
二人が歩く靴音だけが道路に小さく響いていた。しばらくしてセルダンは足を止め、穏やかな表情で優しく少女に話しかけた。少女も立ち止まってセルダンの顔を見上げた。
「では、今から君の名前は『パトリシア』だ。今日から君は『パトリシア・セルダン』になる」
「パトリシア? ……パトリシア・セルダン……」
少女はうつむきながら、その名前の音の響きを確かめていた。
「『パトリシア』という言葉はずいぶん古い言葉でね。元々『貴族』という意味があったらしいんだ」
それを聞いた少女はひどく驚いてセルダンを見つめると、訝しげな様子で彼に尋ねた。
「貴族? 物乞いの私が?」
「君は今まで、人に話したくないような多くのつらい経験をしてきた。だから、君は人の心の痛みを誰よりもよく理解できる子だと思う。本来の貴族とは、いたずらに金を集めて富貴を楽しむ人間を意味する存在ではないんだ。心はあくまでも気高く、他人を貴び、他人からも貴ばれる人になってほしい。そう考えて私は君の名前を考えた」
「……」
「気に入らない……かな?」
セルダンは心配そうに少女の目を見つめてそう尋ねた。少女もセルダンの顔をずっと見つめたままだったが、その内、少女の目からは涙があふれだした。
「いいえ……いいえ、私、とってもうれしい! パトリシア・セルダン……私、おじさんの、いいえ、『パパ』の娘になったのね」
「そうだ、君は、パトリシアは……私の娘だ」
涙を流し続けるパトリシアの肩に、セルダンはそっと触れた。パトリシアは一瞬ビクっと身体を緊張させたものの、肩を震わせたまま次々と涙をあふれさせた。それは悲しみの涙ではなく歓喜のそれだった。
ベッカーは、いくつかの事実には驚き、またあるいくつの事については感心しながら、セルダンの一連の話を聞いていた。ベッカーが口を開く。
「でも、そのパトリシアと言う女の子は精神干渉能力を持っていたんですよね? 8歳の時点で。だったらその父親の感情を都合のいいように変えてしまえたはずじゃないですか。何だか僕には少々腑に落ちませんが……」
それを聞いたセルダンは、特に驚いた様子も見せず、ベッカーに尋ねた。
「……それは当事者じゃないから言えることなんだよ、ベッカー君。君は子供のころ他人にいじめられたことはなかったかね?」
「まあ、いじめっていうほどのことかわかりませんが、多少はやったりやられたりはしましたかね」
「じゃあ、君はいじめたやつに仕返しをしてやりたいとは思わなかったのか?」
「いやいや、そういうことが思いつかないほど嫌がらせをされていたからこそ、いじめが解決されなかったわけ……で……」
ベッカーはそう言いかけるとハッと我に返ってセルダンを見つめた。セルダンがそのあとを続ける。
「彼女だって同じさ。彼女は人の記憶を消し去ることができるくらい強力な能力を持っていた。冷静に考えてみれば、暴力をふるう父親の感情そのものを変えることができると、普通は気づくはずなんだ。でも、激しい虐待で精神的に追い詰められていて、恐怖に縛られた彼女には逆襲してやろうという発想ができなくなっていた。彼女にアドバイスできるような、俯瞰で物事を見ることのできる人物が周りにいれば、彼女はもっと早くに救われていたんだがな……」
ベッカーはそれを聞いてしばらく黙り込んだ。
コーヒーカップに口をつけた後、ベッカーは再び口を開いた。
「まあとにかく、最終的にはその精神干渉能力者の少女を博士の養女として迎え入れることができたというわけですね」
そう言ったベッカーに対して、セルダンは少し慌てながら彼に身を寄せると、声を落としベッカーに話しかけた。
「このことを知っているのは、私とパトリシアと君の3人だけだ。パトリシアが私の養女だということは内密にしておいてもらいたい。みんな、あの子を私の本当の娘だと思ってる。自分の地位を利用するようで気が引けるが、私の娘ということにしておけば、誰もあの子のことを詮索しないし、あの子も何かと動きやすくなる。それにあの子は優しい子だ。セルダン家の娘だということで、自身の便宜を一心に図るようなことをする子じゃない」
「ええ、わかりました」
しばらくしてベッカーは表情を改めると、ある疑問を口にした。
「ところで、その女の子を『財団』に迎えることで、我々一般の人間に精神干渉能力を付与する研究は進んだのですか? そこが一番の重要ポイントだと思いますが」
「そうだな、自分の娘を研究材料にするようで少し気が咎めるが、あの子を迎えたのはそれが目的だ。あの子の身体に悪い影響が出ない、無理のない範囲で研究を進めていければいいと私は思っている。その程度の期間くらい時間をケチらなくてもいいだろう」
少し間があいてからセルダンは再び口を開いた。
「パトリシアを迎えてから7年が過ぎた。あの子の能力は飛躍的に伸びていって、その能力の効果がおおよそ判明した。だが、それと同時に一般の人間に精神干渉能力を付与するのは極めて難しいということもわかってきたんだ」
「それは困りましたね。精神干渉能力者が一人という状態は危険すぎます。もし、今の時点でその子が死んだりしたら、それこそゲームオーバーですからね」
「そうだな。今現在の研究内容は、薬物投与によるものと精神分析によるもの、そして他の人間の脳に対する、あの子の直接的な精神干渉による刺激。その3本の柱で研究を続けているそうだが、まあ、割と悪くない結果が出ているようだ。興味があるなら『財団』の研究員たちに聞いてみてくれ」
「結果が出ている
「正直、もう私はそっち方面については他のみんなに任せて、結果だけ報告してもらっている。私には精神科学の知見があまりないし、私が研究に参加したところで足手まといになるだけで何の役にも立たない。だから、彼らには隠密を保ってもらって研究に打ち込んでもらい、私は彼らが気に病む問題が発生しないように裏方で露払いや、他人との交渉とかをやらなきゃならないんだよ」
「……」
「呼んでもいないのに、いつもいつも『財団』にやってきては、どんな研究をしているんだ? 非合法な研究をしているんじゃないか? とか、興味本位で尋ねてくるハエのような連中を追い払う仕事や、資金集めなどの仕事は、私にしかできない」
「なるほど……」
ベッカーのそのつぶやきを合図に、2日の長きにわたったセルダンとベッカーの会談は、ようやく終わりを告げた。
会話を終えたベッカーとセルダンは、そのまま椅子に座って目を休めたり、3D銀河マップを見たりしながらしばらくはぼんやりと時を過ごしていた。
すると突然、部屋の扉がばたんと大きな音を立てて開き、一人の人物が無遠慮に部屋の中に入ってきた。ベッカーとセルダンは暗い部屋にずっといたために光量の調節ができず、部屋の外からの光に目がくらんだ。
突然部屋に入ってきたその人物はセルダンのもとに駆け寄り、彼の腕にしがみついて叫んだ。
「パパっ!」
「パット?」
セルダンは驚いてその人物に声をかけた。パットはパトリシアの愛称である。
二人のいる部屋に突然乱入してきた人物は15歳くらいの少女だった。やや暗めのサルファーイエローの髪をショートボブにまとめ、アイボリーブラックのフリルブラウスの上にクリームホワイトのニットカーディガンをまとっている。
下半身にはピンクの下地にチェックのプリーツミニスカート、足には黒いニーソックスで、小さな赤いリボンのついたチャコールグレーのショートブーツをはいている。
少女のつけている香水だろうか、セルダンの腕にしがみついた少女の身体から、かすかにジャスミンに似た香りが部屋の中に漂ってくる。
「ここにいたのね、パパっ! 家にいないからどこに行ったのかな、ってずっと探してたの、私」
「パット、前から言っているが部屋に入るときはノックしてから、とあれほど……」
そう言いかけたセルダンは、ベッカーが口をあんぐり開けて固まっているのに気づき、一つ軽い咳払いをして少女に話しかけた。
「ほら、パット、お客さんにごあいさつしなさい」
パットと呼ばれた少女は、そこで初めてセルダン以外の人間の存在に気づき、ビクっと身体を緊張させ、黙ったままベッカーをじっと見つめた。
「あ、初めまして。メルヴィン・ベッカーと言います。僕は博士の元教え子で……」
ベッカーはそう言いかけたが、少女が緊張した表情で彼を睨みつけるようにじっと見つめていたので、そのまま黙ってしまった。
ベッカーはそんな少女の目を見て、どこかで見たことのある目つきだと思った。そしてその記憶にすぐに思い当たった。そうだ、野良猫の目だ。人間を決して信用しない目。相手が自分に危害を加えるかどうかを慎重に観察している目……。
それと同時に、ベッカーは自分をきつい目つきで睨みつける少女の目を見て、その瞳を素直に美しいと感じた。ターコイズブルーを背景色にして、アンティックゴールドとマンダリンオレンジの色が複雑に散らばっている神秘的な瞳。まるで一つの惑星を瞳の中に閉じ込めたみたいだ。こういう瞳を何と言っただろうか……だが、ベッカーは結局思い出せなかった。
「ほら、パット?」セルダンは優しく少女に話しかけた。
少女はベッカーを睨みつけたまましばらく黙っていたが、ようやく口を開き小さくつぶやいた。
「こんにちは……」
少女は一言だけそう言うと、再びしがみついたセルダンの腕に自分の顔をうずめた。
あまりのことにしばらく黙り込んでいたベッカーだったが、その内ようやく我に返って、セルダンの意思を探るかのように慎重に声をかけた。
「博士、まさかこの子が……」
「ああ、この子がパトリシア・セルダン、つまりさっき話した私の娘だ」
「この子が!?」そう言って、ベッカーは驚きの声を上げた。
「パット……」
「何? パパ」
「ちょっと
セルダンがそう言うと、パトリシアはセルダンの腕にしがみついたまま、ふくれっ面をして不平を言った。
「えー、別に近くないモン……」
「とにかく、お客さんもいるんだ。いいから早く座りなさい」
セルダンはパトリシアにそう話しかけると、少女はしぶしぶ「はーい……」と返事をしたが、ベッカーはそのあとの少女の行動にひどく驚き目を丸くした。
「パット……」
「何? パパ」
「座る場所はそこじゃない……」セルダンはあきれた表情でそう言った。
あろうことか、パトリシアはセルダンの膝の上に座っていた。パトリシアは自分のヒップをセルダンの膝にぐいぐいと押し付けながら、彼に背中を預けていた。
チェックのプリーツスカートから、まぶしいほどに白い太ももがのぞいている。それを見たベッカーは気まずくなり、小さな咳払いをした。
セルダンは厳しい表情でパトリシアを窘めた。
「パット、いい加減にしなさい!
セルダンが静かな声でそう言うと、パトリシアは一瞬ビクっとして体を緊張させたが、その内すっかりあきらめたかのようにセルダンの膝の上から降りた。そして、ベッカーから片時も目を離さないように警戒しながら椅子に座った。それはベッカーの正面に位置する席でセルダンの左横の位置だった。
パトリシアは自分の椅子をセルダンの方に寄せると、再び彼の左腕にしがみついた。
ベッカーは自分が見ている光景に強い違和感を感じていた。セルダンの話によるとこの少女は、今年15歳になるという。普通15歳の女の子と言えば、父親はある種の敵のように扱われるものだ。女の子によっては自分の下着を一緒に洗濯されるのを嫌がる子もいれば、父親の入った後の風呂に入るのを拒否する子もいるという。
だが、それは別に不自然な行為でもなんでもなく、ヒトという生物がさらなる遺伝子の多様性を求める本能からの呼びかけなのだ。もっとも、父親にとっては昨日までの優しい娘が突然、自分に対して嫌悪感を表すのだから心平静ではいられない、というのが偽らざる気持ちというところでもあるのだが……
無論、彼らは血のつながった実の父娘ではないから、一般の生物的な常識は当てはまらないかもしれない。だが……なんというか、これは父親と娘の距離感じゃない、そう彼は思った。
もっともセルダンに限って、二人の間に
だが、少女の方はどうだ? まるで自分の男を見る目そのものじゃないか。ベッカーは複雑な思いを心中に抱いた。