the origin 異能力者の起源 – 3.72%の少女外伝 作:六位漱石斎正重
ベッカーは初めて見る精神干渉能力者に緊張するが、その少女の行動を見て彼は大きな違和感を抱くのだった。このパトリシアという少女は一体……。
ベッカーは、セルダンの腕にしがみついて顔をうずめる少女を見ながら彼女に尋ねた。
「君は博士のことが好きなんだね」
ベッカーがそう言うと、少女はしばらくはにかんだような表情を見せ黙っていたが、しばらくするとベッカーのその言葉を否定した。
「違うもん……好きじゃなくて……大好き……なんだから」
セルダンはあきれた表情で少女を見つめた。
「パット、さっきも言ったが、ちょっと離れてくれないか?」
それを聞いた少女は、あからさまにがっかりした表情を浮かべて抗議した。
「えー、いいでしょー、別にー……それともパパは私のことが嫌いなの?」
そう言って少女は暗い顔をした。
「そうじゃないよ。でも、そうやってしがみつかれると、気が散って話づらいんだ」
「パパ……冷たい……」
少女はそうと言うと、しばらく黙り込んでセルダンの腕にしがみついていたが、やがて小さなため息をついてしぶしぶ彼の腕を離すと、すねたように上目遣いで彼をじっと見つめた。
「とにかく、私から離れておとなしく話を聞いているか、家に帰るか好きな方を選びなさい」
少女はしぶしぶ「ここにいたい……」とつぶやいた。
唐突な闖入者に驚いたセルダンとベッカーだったが、もう221銀河標準年後の危機について語り合うことは何もなく、かといって少女の目の前で彼女のことについてあれこれ質問するのも、ベッカーにとってはきまりが悪い。彼は居心地の悪さを感じながら、しばらくはセルダンととるに足らない雑談をしていた。
パトリシアは小さな子供のように椅子の上で足を交互にパタパタ前後に振りながら、最初こそおとなしく黙って二人の話を聞いていたものの、その内すっかり飽きてしまったのか部屋の奥に歩いていき、そこの椅子に座ると自分で持ってきた端末を何やら操作しはじめた。
自分達から離れて端末をいじっている少女の姿を見ながらベッカーが尋ねた。
「博士、あの子の見た目はとても愛らしく、身体も女性らしく健康に成長してるように見えます。でも、15歳という割には社会性が少々乏しいように見受けられますね」
「ああ、世間一般の女の子と比べれば、そうとらえられるかもしれないな」
「……」
「だが、あの子は8歳まで教育らしい教育を受けてこなかったし、虐待されていて、本来は幼少のころに必須な親とのコミュニケーションを得られずに成長してきたんだ。私があの子を引き取ってもう7年にもなるが、やはり社会性の成長の度合いは当時とあまり変わっていないように感じる」
「小さなころに必ず摂取しなければならない栄養素が存在するように、親とのコミュニケーションが社会性の成長には必須なんですね」
「ああ。だが私はそれも個性のうちの一つと考えるようにしている。今は少々引っ込み思案なところがあるかもしれないが、多くの人々との関わり合いで、ほんのわずかずつでも改善されていくんじゃないか、と私は期待しているんだ」
「まあ、確かにそうですね。無理やり他の子と楽しく遊びなさいと言っても、本人は困惑するだけでしょうしね……でも博士にはずいぶんなついているようですね」
ベッカーが笑いながらそう言うと、セルダンは困った表情をかすかに浮かべながらそれに答えた。
「あの子は、今まで渇望していても得られなかった親とのコミュニケーションを、今必死に取得しようとしている。まるで食べきれないほどの料理を無理やり口の中に詰め込むかのように……でも、あれから7年もたつというのに、あの子の心の飢えは今だに満たされていないみたいだ。だが大事な一人娘だ、気長に育てるさ」
セルダンはそう言ったが、ベッカーには異なる考えがあるようだった。
「娘……ですか。博士はそう考えているかもしれませんが、あの子はどうなんですかね……」
「どういう意味だね?」
「あ、いや、博士は彼女のことを大事な娘だと思っていることはわかります。でも、あの子は博士を単なる父親だとは見ていないようですよ? まるで自分の好きな男性を見るような目で……」
思いもかけない事聞いたセルダンは、驚いてそれを否定した。
「馬鹿なことを! そんな事あるはずがないじゃないか。いや、もし仮にそう見えたとしたらそれは、女性として年齢相応の自然な振る舞いに過ぎないよ。あの子はちょうど思春期のさなかにいる。身近に接する男性が私しかいないから、将来に備えた練習がてら本能的にそうふるまっているだけのことで、あの子はそんなことは考えていない」
「そうでしょうか……」
ベッカーがそうつぶやくと、セルダンも口を閉じた。しばらくの間無言の時間が経過していった。
しばらくすると、再び部屋の扉がばたんと大きな音を立てて開き、また一人の人物が無遠慮に部屋の中に入ってきた。ベッカーとセルダンは驚いて目を丸くした。
「やっぱりここね……パット、いきなりいなくなったら心配するじゃないの!」
そう言ってずかずかとセルダンの部屋の中に入ってきた人物は、すらっとしたスタイルの女性だった。年齢は40歳を少し超えたくらいだろうか。
身長は172cm程度、女性にしてはやや長身だ。胸元に小さな結び目のあるウォーターブルーのブラウス。下半身はひざ下まで覆うランプブラックのタイトスカートを履いている。センスのあるデザインの銀縁の眼鏡をかけていて、いかにもやり手な印象を与える。
女性が身につけているものだろうか、ローズをベースとしたオードパルファムの甘い香りがあたりに漂う。
女性はそのまま部屋の奥に座っているパトリシアの方へ向かって、スタスタと歩いて行こうとしたが、彼女がセルダンのそばを通り過ぎる時、彼は不平がましくその女性に声をかけた。
「クレア、君も子供じゃないんだから、私の部屋に入るときはノックを……」
クレアと呼ばれたその女性は、セルダンが話し終わる前に割り込んだ。
「いいのいいのっ、勝手知ったるなんとやらよ!」
そう言ってセルダンの横を通り抜けて2、3歩歩いたところで、彼女はベッカーの存在に気づいた。
「おろっ? 君は、確かどこかで……」
その場で考え込むように立ち止まった女性にベッカーは話しかけた。
「ご無沙汰しております、クレア・デュランダル博士。ベッカーです。メルヴィン・ベッカー。院生時代に僕は博士の講義をいくつも受けたことがありますよ」
女性はそれを聞いて驚いたが、すぐに笑顔になってベッカーに握手を求めた。
「そうそう! ベッカー君だ。君は確かどこかの二重連星のセクターで研究室を開いたんじゃなかったっけ? どうしてここに? ハリに会いに来たの?」
そうやってずけずけと質問する彼女の勢いに気押されながら、ベッカーは答えた。
「ええ、ま、まあそんなところです」
ベッカーはクレアと握手しながら、この人も変わらないなと思った。
整った目鼻立ち、首の下あたりが少し見えるくらいの、ゆるくカールのかかったグレージュのナチュラルボブ。鮮烈な印象を与える鮮やかなアイスブルーの瞳、いわゆるスタイリッシュ美人と言えばいいのか。男性に対してずけずけと握手を求めるのもクレア先生らしい、ベッカーはそう思って苦笑した。
ベッカーはクレアと握手を終えると、やや不安げな表情を浮かべてセルダンを見つめた。ベッカーの視線に気づいたセルダンは、穏やかな笑みを浮かべて口を開いた。
「心配ないよ、ベッカー君。この部屋の中にいる
「そうですか……」そう言ってベッカーは小さく息を吐き出した。
部屋の奥で、しばらくの間パトリシアとクレアは何やら話し込んでいたが、そのうち二人は立ち上がると、クレアはセルダンに声をかけた。
「ねえ、私たちはもう引き上げるけど、あなたはどうするの?」
「私か? 私はもう少しベッカー君と話そうと思う。そうだ! 今日は4人で食事をしよう。クレアとパットは店を予約しておいてくれ。後ほど合流しよう。ベッカー君、君も一緒に来なさい」
そう誘われたベッカーだったが、もう彼にはセルダンに尋ねたいことはなかった。今回の危機に対して自分がいかに無力であるかという事が改めて判明したし、その危機に対する対策は将来創設される精神干渉能力者の部隊によって対処するつもりのようだ。彼の出番は全くなかった。
「お誘いありがとうございます。でもせっかくですが、僕は今夜トランターを立って自分の研究室に戻ろうと思います。」
「そうか……」
「また、何かわからないことがあったら、ここを訪ねます。博士もそれまでお元気で」
そう言ってベッカーは立ち上がるとセルダンに握手を求めた。セルダンも立ち上がり、ベッカーと握手をすると静かに口を開いた。
「とにかく会えてうれしかったよ、ベッカー君……だが、帰る前にひとつ私の提案を考慮してみてくれないか?」
もうこれ以上ないくらい散々話し合ったのに、この期に及んでまだ何か話すことがあるのだろうか、とベッカーは訝しんだ。
「はい、なんでしょうか?」
「君は私の生徒たちの中でも飛び切り優秀だった。このまま……ここトランターに残って研究を続ける気はないかね?」
セルダンはそう言うと真剣な表情でベッカーを見つめた。ベッカーはそれを聞いてかすかに驚いたものの、その申し出を断った。
「ありがとうございます博士。そこまで僕を買ってくださるとは光栄です。でも、自分の研究室を放置するわけにはいきません。トランターに来る前に研究室のことは研究生たちに全部任せてあるのですが、そのままにしては研究生たちも困るでしょう」
セルダンは何も言わずにベッカーの話の続きを待った。
「それに、僕は昔から人の下で何かをやるようなタイプの人間じゃありません。あ、いや誤解しないでくださいね。僕は何も博士の下で研究をするのが嫌だって言ってるわけじゃないんです。ただ、なんというか……人の下で働くということに窮屈さを感じると言えばいいんでしょうか。辺境のセクターに研究室を構えたのはそれが理由の一つでもあるんです。ようするに僕は変わり者なんですよ」
そういってベッカーはひどく済まなそうな表情を浮かべ、セルダンを上目遣いに見上げた。セルダンはベッカーの話を真剣な表情で黙って聞いていたものの、その表情はすぐに柔らかいものに変わり、ベッカーの話の後に続いた。
「そんなに申し訳なさそうな顔をしなくてもいいよ、ベッカー君。君はもう学生じゃないんだ、私は君の意思を尊重するよ。では元気でな、いつでもここを訪ねるといい」
「はい」とベッカーは小さく返事をし、小さく笑みを浮かべた。
セルダンはベッカーに背を向け、少女の方へ顔を向けると「パット……頼む」とつぶやいた。パトリシアはセルダンの声の質が変わったのを敏感に察知して、小さく「はい……」と答えた。
ベッカーは自分が退室するときに、なぜセルダンが突然、彼の娘であるパトリシアに声をかけたのか訝しんだ。
「おじさん?」
そのパトリシアから声をかけられ、ベッカーは彼女の方へ顔を向けた。少女の目を視野にとらえたベッカーは、彼女の目がかすかに淡く光るのを目にし、彼はそのまま意識を失った。