the origin 異能力者の起源 – 3.72%の少女外伝   作:六位漱石斎正重

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 パトリシアに引き続き、またしてもノックもなしにセルダンの部屋に入り込んできた人物がいた。この人物こそ、セルダンとの心理歴史学の共同研究者でもあるクレア・デュランダルだった。彼女は清楚で美しい見かけに似合わず、男っぽいふるまいをしてベッカーを驚かせる。
 そして、221銀河標準年後の銀河系の危機に対する落としどころを見出したベッカーは、いよいよトランターを去ることになった。だが、貴重な精神干渉能力者の資質がベッカーにあるかもしれない、と考えたセルダンは、パトリシアに彼の意識を喪失させ、彼の脳の調査及び評価をさせる。パトリシアの出した結論は……。



第22話 メルヴィン・ベッカーとの別れ

 薄暗い部屋の中で意識を失わされて呆然と立ち尽くすベッカーを、セルダンはゆっくりと椅子に座らせた。そのベッカーを取り囲むようにしてセルダン、パトリシア、クレアが見守る。パトリシアはきつく目を閉じて何やら考え込んでいるようにも見えた。

「どうだ? パット」

「ちょっと待って、パパ」

「ベッカー君っていくつだっけ?」とクレア

「確か30歳を少し超えたくらいじゃなかっただろうか」

「そう……ギリギリね……」クレアはそうつぶやいてベッカーを見つめた。

「ただでさえ希少価値の高い精神干渉能力者だ。どんな機会も無駄にしたくない。彼に素養があればいいのだが……」

「そうね……パットほどの能力は望むべくもないけど、なんらかの能力の片鱗でもあればいいわね」

 クレアがそう言ったのを最後に、そのあとは誰も口を開かず、部屋は沈黙に包まれた。

 

 しばらくするとパトリシアは目を開き、セルダンに向かって話しかけたが、顔はベッカーに向けたままだった。他の人間には見えない何かを見ているようにも感じられる。

「スキャンが終わったから結果を説明するわね? パパ」

「ああ、頼む、パット」

「まず、神経の反射速度だけど、まあ……普通ね。で、思考波の感受性については……」

「ああ」

「見込みがある……って程度のことしか今は言えない」

「そうか」

 そう言ったセルダンは明るい表情になり、クレアを見つめた。クレアもかすかに笑みを浮かべた。パトリシアが再び口を開く。

「それから、精神干渉能力の有無についてだけど……」

「……」

「なんともいえないわ……今の時点ではわからないという意味だけど。また、ほかの人よりも素養があるかどうかもわからない。訓練すれば能力が発現するかもしれないし、しないかもしれない……」

「つまり、やってみなければわからん、ということだな? パット」

「そうね……でも、この人の年齢が30過ぎということを考えると、決してコストパフォーマンスがいいとは言えないわ。まあ、最終的にどうするのか決めるのはクレアちゃんだけど……」

()()()()()()……ね」とセルダンはつぶやき、片方の眉を吊り上げるとクレアの顔を見た。

 クレアちゃん、と呼ばれた当人はまんざらでもない表情をしてかすかに胸をそらしてセルダンを見つめると、ニヤリと笑った。

 

 パトリシアはしばらく黙った後、再び口を開いた

「でも……」

「でも?」とセルダン。

「灰白質(かいはくしつ。神経細胞の細胞体が集まっている場所)に、β-アミロイドの沈着が見え始めてる。まだそれほどはっきりしたものには見えないけど、いずれ老人斑として出てくることは間違いないわ」

 それを聞いたセルダンは少し困惑した表情でパトリシアに尋ねた。

「つまりは……どういうことなんだね? パット。私は脳科学に関する知識は多くないんだ」

 そのあとを医学を修めたクレアが引き継いだ。

「老人斑というのは老人性プラークとも言うんだけど、加齢に伴って出てくる沈着物のことよ。その原因物質になるのが、β-アミロイドという物質ってわけ」

 それを聞いたセルダンは、ますますわからんといった感じで首を傾げた。

「ようするに彼の脳内で何が起こっているのかね? 素人にもわかるようにもっと優しい言葉で説明してもらいたい」

クレアは両腕を小さく開き、やれやれといった風な仕草をした後、説明を始めた。

 

「老人斑は凝集して神経毒を生じる原因になる」

「……」

「つまり、簡単に言うと脳細胞がゆっくり死んでいくっていう事よ」

 それを聞いたセルダンはひどく驚いてクレアを見つめた

「脳細胞が? ……彼はまだ30をちょっとすぎたばかりだぞ?」

「そうね……つまり、彼は若年性アルツハイマーにかかりつつある、という事になるわ。早い人だと18歳くらいからかかる人もいるみたいだから、それほどレアケースっていうわけでもないのよ、残念だけどね。いずれにせよ、詳しい検査をしてみないとはっきりしたことはわからないけど……」

「ベッカーはこの後どうなるんだ? 治療方法はないのか?」

「残念ながら確実な治療方法は見つかっていないわ。特に早発性だと、いったん発病してしまえば、数か月単位で見当識(けんとうしき。自分の置かれている状況や、自分と周囲の関係を結び付けて考える機能)が失われていき、数年のうちに廃人になってしまう。今は発病をなるべく遅らせるか、症状の進行速度を低下させることくらいしか……」

 セルダンはそれを聞いて明らかにがっかりした表情を浮かべた。

「そうか、若いのに……むごいことだな。学者として知性が失われていくのを知覚するのは、死ぬよりつらいことだろう」

 

 しばらくして、パトリシアが声をかけた。

「で、どうするの? パパ。このおじさんの記憶を消すの?」

「いや、やめておこう。彼の能力開発には見込みがなさそうだし、彼はテルミナスにも行かない。辺境でひっそりと独自に研究を続けていくつもりのようだ。精神干渉能力者の存在を彼が知っていても、方程式上に何の影響も及ぼさないだろう。それに……」

「……」

「先が長くないんだ……彼の好きなようにさせてやろう」

「わかった……」とパトリシア。

「ただ、ここへ来た理由を少しでいいからぼかしておいてくれ。できるか? パット」

「やってみる……」

「くれぐれも彼の思考能力や推理能力に影響がでないようにな、頼むぞ」

「わかってる……」

 

 しばらくして目を覚ましたベッカーは小さい声で叫んだ。

「あれっ? いつのまに……うっかり眠り込んでしまったようです。すみません、博士」

「いいさ、まだ長旅で疲れが残ったままなんだろう。トランターに来たばかりなんだ。もう2、3日トランターでゆっくりしていったらどうかね?」

 それを聞いたベッカーはひどく驚いてセルダンを見つめた。

「トランターにもう2、3日いる? うーん……」

 そういって首をかしげるベッカーを見て、パトリシアの精神干渉作用が彼の脳に悪影響を与えたのかとセルダンは不安になり、パトリシアを睨んだ。少女は唇をゆがませて右上の天井を見つめて知らん顔をした。

「いえ、やっぱり自分の研究室に帰ります。いろいろとお話を聞けて参考になりました、セルダン博士」

 そう言ってベッカーはセルダンに握手を求めた。セルダンはややぎこちない様子で彼と握手をした。

 

 ベッカーを空港へ送るエアタクシーが彼らのもとに到着したとき、セルダンはおずおずとベッカーに声をかけた。

「ベッカー君……体に……気をつけてな」

 それを聞いたベッカーはあふれんばかりの笑顔でそれに応えた。

「何を言ってるんです、私はまだ32歳ですよ? 博士の方こそ体に気を付けてくださいね。わからないところがあったら、またいつものようにいきなりここに来ますので、その時はよろしくお願いします」

 セルダンは、ああ、と一言だけ返事をするのが精いっぱいだった。

 

 ベッカーを乗せたエアタクシーが彼らの視界から完全に消え去った時、ベッカーの将来の悲惨な姿を想像したセルダンの目からは涙があふれだした。彼は思わず、パトリシアとクレアから顔を背けると、涙をぬぐって心を静めた後、明るい声で彼女らに話しかけた。

「今日は店の予約はキャンセルして、家で飯を食おう。クレアも来るといい」

「ええ、じゃあご一緒させていただくわ」

 3人はそろって歩き出した。セルダンとクレアの間に挟まれるようにしてパトリシアが一緒に歩いている。その姿は、はたから見ると両親と娘のようにも見えた。

 

 その後、ベッカーがトランターを訪れることは二度となかった。ベッカーがトランターを去って6年が過ぎたころ……セルダンは彼の訃報を受け取った。

 

 家で食事を済ませたセルダンとクレアは、居間で雑談がてらにパトリシアについて話していた。パトリシアは満腹になって眠くなったのか、既に寝室に戻っていた。

「それで、最近の能力開発の進捗状況はどんな感じかね?」と、セルダン。

「ええ、まあ悪くはないってところかしらね。特にこの数週間は、相手の脳波をキャッチする感受性を高める方法が発見されて、著しく研究が進んだわ」

「そうか……ところで、人から聞いた話なんだが一つ尋ねてもいいかね?」

 セルダンがそう尋ねると、クレアはコーヒーカップに口をつけて「どうぞ」と促した。

 

「君らは、最近自分たち自身に、何やら危険な薬品を投与しているという噂が立っている……本当かね?」

「それは……危険、という言葉の定義にもよるわね」

 それを聞いたセルダンはクレアを睨みつけながら再び口を開いた。

「言葉尻をとらえてごまかすのはよせっ! 私は君も含めて、パットにもほかの研究員たちにも危険な実験を許可した覚えはないぞ!」

「パットも私もある程度の危険は承知しているわ。でも、この研究分野には先人の研究成果がないし、何でも試してみて、臨床データを集める以外の方法が何か他にあるの?」

 そう言ってクレアは厳しい表情でセルダンを見つめると、彼はわずかに目をそらした。

「それはそうかもしれんが、しかし……」

「安心して、とは言えないけど、無茶をするのはごく短期間にしてるわ。私はともかく、絶対にパットを死なせるわけにはいかない。そのことくらいはちゃんとわきまえているのよ? とにかく、早い段階で一般の人間に能力付与の方法を確立させないと、臨床データがいつまでたっても集まらない。私とパットの二人だけじゃ、この先の発展がないのよ」

「わかった。『研究室』を作ってから、私は基本的に口を出さないと約束した。だから君たちに任せる。だが、周りから噂が立つという事は、君が考えている以上に深刻な状態になっているという事だけは忘れないでもらいたい」

「……」

「それに……パットのことだけ心配しているわけじゃないぞ。私は君のことも案じていることを知っておいてくれ」

「ええ、わかってる……どうせパットの()()()でしょうけどね……」

 それを聞いたセルダンはわずかにあきれた表情を浮かべ、クレアに声をかけた。

「……なんだっていつもそういう、ひねくれたものの言い方をするんだ?」

「……バカ」

「ん? 何か言ったかね?」

「なんでもなーいっ」

 クレアが不貞腐れたようにそう言うと、そのまま二人はしばらく黙った。

 

 まもなくクレアは再び口を開いた。

「パットはずいぶんあなたになついているけど、もう男性恐怖症は克服したのかな? あの子」

「どうだろうな……だが、あの子が私に触れたり、私があの子の肩に触れても、以前のようにあの子の身体がビクッと硬直することがなくなったのは確かだ」

 クレアは少し表情を改めると、そのあとに続いた。

「どうでもいいけど、パットはちょっとあなたにベタベタしすぎなんじゃないの?」

「そうかね? まあでも年頃の娘によくあるスキンシップだろ? その内飽きてきてもっと関心のあるものに気が向き始めたら、私のことなんてすぐに相手にしなくなるだろうさ」

 それを聞いたクレアはテーブルの表面を見つめたまま、言葉をつないだ。

「父親と娘の距離感じゃない、って言っているの……」

 そう言うと、クレアは真剣そのものの表情を浮かべ、セルダンを見つめた。それを聞いたセルダンはかすかに驚いた表情をしてそのあとに続いた。

「なんだ、君もベッカーみたいなことを言うんだな。君たちは結託してるのか?」

 そう言ってセルダンは笑いながらクレアのことをからかったが、彼女はセルダンを睨みつけた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「ふざけないでっ! 私は真剣に話をして……」

 そう大声を出したクレアをセルダンは慌てて窘めた。

「声が大きいよ、クレア。もう真夜中だぞ。パットももう寝てる。それに私とパットの距離感が近いと君は言うが、あの子はまだ15歳だぞ? まだほんの子供だ。私にもパットにも父娘以上の感情はない。当たり前じゃないか」

 クレアはセルダンのその話を聞いて、大きなため息を一つついた。

「ハリ、あなたはわかってない……あなたは本当に()というものをわかっていないわ」

「……」

「女っていうのはね……小さいころから()なのよ、年齢は関係ないわ」

「どういう意味だね? それは」

 そう言って心底不思議そうな表情をセルダンは浮かべたが、それを見たクレアは、ああだめだ、この人はこういう事には全くの無頓着で、死ぬまで根気よく説明しても絶対に理解できないに違いない、と思った。

 

 クレアは小さなため息を一つつくと、話題を変えた。

「ところで、あの子の男性恐怖症の原因ってなんなのか、あなたは知ってるの?」

「ああ、知ってる。昔、あの子から聞いた。だが、その話はまた今度にしよう。今夜はもう遅い……」

「私は別に構わないわよ? 明日の講義は午後からだし、全く問題ないわ」

「えっ? まだいるのか?」

 それを聞いたクレアはセルダンを睨んだ。

「何よっ、私がここにいたら迷惑だっていうの? 女一人、こんな夜中に帰らせる気?」

 セルダンは気まずくなって「いや、そういうわけじゃないが……」と、語尾を濁した。

「じゃあ、決まりねっ。私今夜はここに泊まるわ。コーヒー淹れるわね。あなたはお茶菓子でも用意して」

 クレアはそう言って椅子から立ち上がると、コーヒーを入れる準備を始めた。まるで自分の家にいるかのような振る舞いだった。

 それを見たセルダンはわずかの間あっけにとられていたが、クレアのきびきびとした動きを視界にとらえながら、彼は苦笑するのだった。

 

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