the origin 異能力者の起源 – 3.72%の少女外伝   作:六位漱石斎正重

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 セルダンに別れを告げ、ベッカーはトランターを後にした。医学の知識を備えたクレアから、若年性アルツハイマーの兆候がすでに表れているベッカーが、今後どのような未来をたどるかを聞かされ、セルダンは涙する。
 その夜、セルダン宅で食事を共にしたクレアは彼に、彼とパトリシアの距離感は不自然だと指摘する。また、いくらセルダンが養父とはいえ、パトリシアが抱えている男性恐怖症がなぜ彼にだけ発症しないのか、クレアはその理由をセルダンに尋ねるのだが……。


第23話 トラウマ

 セルダンとクレアはテーブルにはす向かいに座った。コーヒーと茶菓子がクレアとセルダンの前に置かれている。クレアは本題に入る前に部屋の周囲を見渡しながら、なんとはなしに雑談を始めた。

「ここは二人で済むには広すぎるわね。5部屋あっても意味ないでしょ?」

「ああ、だから私は『財団』の連中にも言ったんだ。『財団』設立時、パトリシアがいなかったというのもあって、私は一人暮らしだから書斎とリビングルームの2部屋あれば十分だってね」

「ええ」

「でも『財団』の顔が貧相なアパートに住んでいるというのは対外的によくないという事で、無理やりこんなところに住まわされているのさ」

「ふーん。まあでもいいじゃないの、これでお客さんがいつ来ても部屋が用意できるしね」

「いや、そうもいかん」

「?」

「残りの3部屋はほぼ物置になってる」

 それを聞いたクレアはかすかにセルダンを睨んでしばらく黙った後、口を開いた。

「まさか、物が雑然と置かれた部屋に私を泊めるつもりじゃないでしょうね?」

「あ、いやマシな部屋を用意するさ。心配しないでいい」

「まあ、それならいいけど……」

 

 しばらく間が開いた後、クレアが再び口を開いた。

「それで、パットの男性恐怖症のことなんだけど……」

「ああ、わかってる。だが、なんでそんなことを今更君が気にするんだ?」

「今、私はパットの精神感応能力開発訓練の専任バディ(訓練パートナー)になってるの。訓練中のあの子は堅固な精神防御シールドを張っているけど、完璧なものじゃなくてそこから水がちょろちょろ漏れ出すように、あの子の感情が見え隠れしてるのよ」

「……」

「別に興味本位で知りたいわけじゃないの。ただ、あの子は間違いなく心の中に大きな闇を抱え込んでいる。それがなんなのかわかれば、私たちの能力開発に何らかの進展が生じるかもしれない……ただそれだけよ」

 セルダンはしばらく考え込んだ後、ゆっくりと口を開いた。

「わかった……だが、この話はこの場限りにしてくれ。あの子もようやく忘れかけてる。もう、あの子に眠れない夜を過ごさせたくない」

「ええ、もちろんよ」

「……その兆候が感じられたのは、パトリシアをこの家に迎えた最初の夜のことだ。まだその時、あの子はわずか8歳だったかな……」そう言うとセルダンは過去の記憶を紐解いていった。

 

 パトリシアは、自分にあてがわれた部屋に入ると、大きなセミダブルのベッドを見て目を丸くしながらつぶやいた。

「わぁ、大きなお部屋。それにふかふかのベッド……ここ私が使ってもいいんですか?」

「ああ、もちろんだ。今日からここがパトリシアの部屋だ、好きに使うといい。風呂に入ったらもう寝なさい。明日からは缶の中に金を集める必要もないし、起きる時間を気にする必要もない。ただし……私と一つだけ約束してほしいことがある」

「……約束?」

「ああ……君が私の脳に作用して、私の感情を変えるようなことは絶対にしないでほしい。その一点だけだ。約束できるかね?」

「はい……もちろん約束します」

 パトリシアは両手に小さく握りこぶしを胸の前で作りながら、真剣な表情でセルダンを見上げると、そう言った。だが、それを見たセルダンは表情を少し曇らせ、少女に話しかけた。

「パトリシア……私たちはもう父親と娘になったんだ。父親に対して敬語を使うのはおかしいな……そうだろ?」

「はい……いえ、わ……わかったわ」

「よし、それでこそ私の娘だ」

 セルダンが優しいまなざしで笑みを浮かべながらそう言うと、パトリシアは体を震わせながら涙をあふれさせた。震える少女の肩にセルダンが触れると、少女は緊張でビクッと体を硬直させた。

 いくら小さいとはいえ、年頃の女の子だ、他人の男に気安く肩に触れられれば緊張するのも無理はない。今後は気軽に少女の肩などに触れるのはよそうと彼は思った。

 

 2時過ぎの真夜中だっただろうか。私は用を足すついでにパトリシアのことが気になって、彼女の部屋にそっと入って、彼女の様子を確かめた。

 だが、パトリシアはベッドの中にはいなかった。不思議に思った私は暗い部屋の中を見渡すと、ようやく彼女の姿を発見した。パトリシアは、ベッドと壁の間の小さな隙間に膝を抱え込んで座り込んでいた。

 私は小さな声で「パトリシア?」と彼女に声をかけたが、返事はなかった。私は暗い部屋の中で座り込んでいるパトリシアに慎重に近づいていった。そしてあることに気づいて私はギョっとした。彼女は目を半分開けてこっちを見つめていたんだ。

 でも、私が近づいても彼女の視線は動かなかった。つまり眠っていたんだ、半分目をあけながらね。癇が強いとでもいうのかな、そういう子はまれにいるらしいという事を知ったのは、ずいぶん後からだった。

 

 それからもう一つ気になることがある。パトリシアは私と初めて会った時から、身体から腐臭というか異臭を放っていた。それは数日風呂に入っていないというレベルじゃない、恐らく数週間、いやもしかすると2、3カ月の間風呂に入っていないだろうと感じさせる臭気だった。

 物乞いをやっていたのだから無理もないこととは思ったが、いくら貧しかったとはいえ、何週間も風呂に入らないという事は考えにくい。ましてや女の子だ。それに一緒に住んでいたあの育ての父親だって嫌がるだろう。

 だが、それにもまして不可解なのは、あの暴虐な父親から解放されて自由にふるまうことができる事を知った日に、私が風呂に入ってから寝るように指示したのにもかかわらず、あの子は自分の体を洗った形跡がまるでないという事だ。

 長い間風呂に入って体を洗う習慣が身についていなかったのか、何か他に理由があるのか、その時の私には皆目見当がつかなかったが、とにかく私はパトリシアを起こさないようにそっと彼女の寝室から出た。

 

「……で、後日、あなたは私にパトリシアを紹介して、女性のことをいろいろと教えてくれって頼んだのよね……」

「ああ、すまなかったな。女の子のことはまるで分らないものでね。君には感謝している」

「私は、まずは身体を清潔にすることから教えた。一緒にお風呂に入って体の洗い方を一から説明して実践させた」

「女の子の下着や洋服もそろえなきゃならなかったしな。君には二度と頭が上がらんな」

 

 

【挿絵表示】

 

 

「そうよ? いつか必ずこの借りを返してもらうからね、忘れちゃいやよ?」

 そう言ってクレアはセルダンをからかったが、彼は大まじめにそれに答えた。

「ああ、わかってる……」

 クレアは内心で、ジョークがわからない男の相手は疲れるわねと思い、小さくため息をついて話を続けた。

 

 とにかく、すさまじい汚れとしか表現しようがなかった。いったいどれほど体を洗わなければこんなに体にアカがたまるのか、それはクレアの想像の範囲を超えていた。パトリシアの身体から落ちたアカやフケが浴槽を真っ黒に染め上げた。

 それに少女の身体のあちこちについたひどい痣の数々……この子に継続的に暴力をふるっていた人物がいる、クレアはそう考え、厳しい表情を浮かべた。

 浴槽の中の湯を全部入れ替えて、新しく入れなおした湯にパトリシアをつからせている間に、クレアは少女用の下着と洋服一式をネット端末で注文した。少女の身につけていた下着はもう使い物にならないくらい汚れ切っていたからだった。

 

 お湯につかったパトリシアがつぶやいた。

「体中がピリピリする……」

 長い間、身体がアカにまみれていて外界に皮膚が露出していなかったせいだろう。湯から発せられる熱に皮膚が刺激されるのが原因だった。

「大丈夫よ。気にしないでゆっくりとお湯につかりなさい」

 クレアは手早く自分の体をふいて衣服を身につけた。

 

 その内に、少女用の下着や服の一式が届いた。下着や洋服は全てフリーサイズだ。下着や服が、着ている人間の体の大きさや凹凸に合わせて自動で変形する。その上、わずかではあるが自己修復機能が備わっていて、少し破けた程度の傷なら容易に復元する。この下着や洋服を作った会社の売り文句は、『まるで何も身につけていないかのように』だった。

 

 胸元に小さな赤いリボンがついているピンク色がかったパープル系のワンピース。その下からは小さなかわいらしい膝小僧がのぞいている。新しい下着や服を身につけてセルダンの前に現れたパトリシアの姿を見て、セルダンは思わず感嘆の声を上げた。

「おお! なんて可愛らしいお姫様だろう……」

 パトリシアは初めて人に褒められたせいか、ほほを真っ赤に染め上げてうつむいた。そんな少女の姿をやさしいまなざしで見つめながらセルダンは少女に声をかけた。

「パトリシア、ちょっとくるっと回ってみてくれないか?」

 パトリシアは慣れない様子でくるっと体を回転させた。体の動きに合わせて彼女のワンピースの裾がふわっと浮き上がっては落ちていく。その様子を見てセルダンは、うんうんとうなずいた。

「うん、かわいい! さすがは私の娘」

 クレアはそれを聞いて「本当にあなたの娘なの? この子」と訝しげな表情で問いかけると、セルダンは少し腹を立てた様子でそれに答えた。

「何を言う! 私の娘に決まっている。だが、この美貌だ。この子が大きくなって、将来何人もの男に言い寄られる未来を想像すると、私は気が滅入って来るよ」

 クレアは「そんなの十年以上先のことでしょ?」と言ってあきれながらクスクスと笑った。パトリシアもそれにつられて笑うと、三人ともお互いに顔を見合わせてひとしきり笑った。三人にとって最も幸せな日だった。

 

 だが、パトリシアは容易に新しい環境には適応しなかった。数日たつとパトリシアの身体は再び汚れはじめ、悪臭を放つようになった。

 ある日のこと、セルダンは思い切ってパトリシアに尋ねた。

「なあ、パトリシア。嫌なことを尋ねるかもしれないが許してくれ。お前はどうして風呂で体を洗って、自分の身体を清潔にしようとはしないんだ?」

「……」

「あ、いや、その……どうしても言いたくないのならかまわないが、お前は女の子だ。身だしなみを整えないと損をするよ? せっかくの美人が台無しだ」

 セルダンはそう優しく少女に問いかけたが、少女は黙ったままだった。そのまま永遠に沈黙が続くと思われたころ、パトリシアが静かに口を開いた。少女が話そうとした気配を察知して、セルダンは彼女を見つめた。

「体を……」

「?」

「体を汚くしておけば……触られずに……すむから……」

 そう言うとパトリシアは再び黙った。

「何っ? 誰だ、誰がお前の体に触るというんだ!」

 そう勢い込んで尋ねるセルダンだったが、少女はおびえたように体を震わせ始めた。それを見たセルダンは声の調子を落として、話を続けた。

「いや、すまない。言いたくないなら言わなくていい。そんなに思い出すのが嫌なことなら忘れてしまったほうがいいよ」

 セルダンはそう言ったが、パトリシアは内心の葛藤と闘いながらゆっくりと話し始めた。

 

「去年の冬くらいだった……私は自分の小さなベッドで眠っていたの。でもその内なんだか足がすーすーして、私は目を覚ましたの」

「……」

「誰かが私の身体を触ってる。その手がだんだん私の身体の上の方に上がってきて、そして……私の大事なところを……」

「まさか!」

「私の……お父さんだった……」

「あのクズ野郎めっ、なんてことを!」

 セルダンは怒りに燃えた目で小さく叫んだが、パトリシアの衝撃的な告白に思わず絶句し、彼はそれ以上声が出せなかった。

「ごつごつした手……それが私の身体のあちこちを触って……それが毎晩、毎晩……私、嫌だった。とっても、とっても嫌だった……う……うぇっ……えっ……えっ……」

 パトリシアの口から発せられる声はもう言葉にならなかった。震えながら嗚咽を漏らす少女の姿を見て、セルダンは思わず彼女を抱きしめた。少女は一瞬ビクっと身体を震わせたが、そのまま泣き続けた。

 セルダンは少女の髪をやさしくなでながら言った。

「大丈夫、もう二度とアイツはお前の前に姿を現さない。この家にいる限り、お前の身体に触る人間は誰もいない……あ、いや私が今お前を触っているな、すまん」

 そう言ってセルダンは慌ててパトリシアの身体から離れようとしたが、パトリシアはセルダンに抱きついたまま離れなかった。

「大丈夫なの……なんでかはわからないけど、『パパ』は大丈夫なの。お願い、もう少しこのまま……」

 そう言ってパトリシアは震えながらセルダンの身体にしがみついて、ひたすら涙を流し続けた。

 

 パトリシアはひとしきり泣いた後、彼の身体から離れた。そしてほほを赤くして恥ずかしそうに口を開いた。

「パパのシャツを涙で濡らしちゃった……ごめんなさい」

「いいさ、すぐに乾く。そんなことより、ずいぶんつらい目にあったな。でも、もうそんなことは二度と起こらない。私が絶対にそんなことを許さない。だから安心しなさい」

 パトリシアは無理に笑顔を浮かべようとしたが失敗し、再び顔をくしゃくしゃにして涙を流した。

 

 セルダンのその一連の話を聞いてクレアも思わず涙ぐんでいた。

「そうだったの……それにしても最低の父親ね」

「そうだな」とセルダン

「……って、あれ? あなた確かパトリシアは私の娘だって……」

「いかにも、パトリシアは私の娘だ」

「えっ? じゃあ、今のその父親っていうのは……あなた……じゃないわよね?」

 それを聞いたセルダンはクレアを睨みつけた。

「当たり前だろ! 君は人の話を聞いていたのか? 私がそんなことをするはずがないだろうがっ!」

「でも……」

 そう言ってセルダンは腹を立てたが、すぐに目元に優しげな表情を浮かべながら、そのあとを続けた。

「あの子は確かに……私の()なんだ」

 クレアはもう何も言わなかった。

 

 セルダンとクレアは、しばらく黙ったままテーブルの表面を見つめ続けた。時計の針はすでに夜中の2時を回っていた。

 

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