the origin 異能力者の起源 – 3.72%の少女外伝 作:六位漱石斎正重
その後セルダンと生活を共にするにつれ、ようやく心の平安を取り戻したかのように見えたパトリシアだったが、過去の凄惨な経験の反動からか、今度は養父であるはずのセルダンに想いを寄せていく。日々、養父セルダンへの思いが募るばかりのある日、ついに自分の気持ちを抑えきれなくなったパトリシアがある行動に出る。パトリシアの取った行動とは……。
ベッカーがトランターを去ってから2年の月日が経過した。パトリシアはこの年17歳になっていた。8歳のパトリシアがセルダン家の養女となってから3年ほどは基本的な一般教養と生活のマナーを身につけることに費やされた。
そしてそのあとのここ6年の彼女の日課は、午前中には主に自宅で、あるいはたまに<大学>でセルダンの講義を受けることだった。そして午後には『財団』で能力開発トレーニングと、クレアに脳科学の講義を受けることが基本スケジュールとなっていた。
セルダンの講義科目は数学、化学、物理、文法、心理学、哲学、特殊基礎心理歴史学および一般心理歴史学まで多岐にわたった。パトリシアは8歳までまともに教育を受けていなかったせいか、ひどく知識に飢えていた。 セルダンは一般の学生たちに講義をするようにパトリシアに教育を施したが、彼女の集中力と知識の吸収速度はセルダンの予想をはるかに超えていた。
もともと数学の才能があったのだろうか、四則演算に代表される基本的な算術は学習初日にマスターした。勉強を始めてから1年もたつころには、既にカオス理論の基本までをも習得するほどになっていた。
パトリシアは乾いたスポンジのように貪欲に知識を吸収していった。そしてここ最近の一週間にいたっては、セルダンはついに講義する内容に思わず詰まることが出てくるほどだった。セルダンは一旦講義を中止し、ベッカーとしたように対話形式の探求活動に切り替えた。
「……そして、エヴァリスト・ガロアは決闘を申し込まれて命を落とした。彼が20歳のことだった。天才的な頭脳を持った数学者が自分の意思によらず死ぬはめになるとはな、残念なことだ」
それを聞いたパトリシアはしばらく黙って考え込んでいたが、その内ゆっくりと口を開いた。
「ふーん……でも、そのガロアって人は少なくとも一人の女性の名誉は守ったんでしょ? 彼の才能に見合わない無意味な死だって、思った人が多かったかもしれないけど……かっこいい男の人だなって思うな、私……」
「では、もし私が……ある女性の名誉のために決闘を引き受け、命を落としたらどうするね?」
セルダンはパトリシアにそう問いかけてニヤっと笑った。パトリシアの感情を揺さぶるのが目的ではない。周りの出来事に対して、常に俯瞰で見るという客観的な視点を身につけさせるためだった。ところが彼の予想に反して、パトリシアは激しい反応を見せた。
「やだっ、死んじゃイヤだっ、パパ死なないでっ! ……もし、パパがその女のせいで死ぬことになったら……私はその女を必ず殺すっ!」
そう言ってパトリシアは椅子から立ち上がると、セルダンの腕にしがみついて泣き出してしまった。
「いや、パット、これは例え話だよ、実際の話じゃない」
セルダンは、パトリシアのその様子にいささか狼狽した。セルダンは、パトリシアの感情が理性の壁を破ってむき出しになる場面を度々目にしてきた。17歳にして大学の院生を上回るほどの知識を身につけながらも、パトリシアは精神的には17歳のそれには程遠い状態で、彼女を引き取った8歳のころとそれほど変わっていないようにセルダンには思えた。彼は小さなため息を一つつくと、パトリシアに優しく話しかけた。
「大丈夫だ、私はそう簡単には死なない。お前を残して私が死ぬわけがないじゃないか」
「……本当?」
セルダンの目を見つめるパトリシアの目にあふれた涙を、セルダンは優しくぬぐってやった。
「ああ、もちろんだ。さあ、そろそろ昼だ。飯を食ったら『財団』に行きなさい。クレアが待ってる」
セルダンはパトリシアと昼食をともにしながら、何気なく彼女に尋ねてみた。
「なあ、パット、<大学>や『財団』に誰かお前の気になるような男性はいないのか? お前ももう17歳だ。ボーイフレンドができてもおかしくない年齢だ。お前が好きな男と結婚して、さらにお前の産んだ子の姿を見るまでは、私は死ねないぞ」
セルダンはそう言って笑ったが、パトリシアは手にしていたスプーンを置いて食器を見つめると黙ってしまった。長い沈黙に気まずくなったセルダンが口を開こうとした瞬間、パトリシアが口を開いた。
「私、好きな人がいるの。9年前からずっと好きな人が……でも、その人は一度も私に振り向いてくれないの……どうすればいいのかな? 私」
そう言うとパトリシアは再び口を閉じてうつむいた
「へぇー、それは幸運な男がいたものだ。こんな美人の心を射止めたなんて。いったい誰だ? 同じくらいの年の子か? 今度私にも紹介しなさい。ぜひ会ってみたい」
セルダンが柔らかな笑みを浮かべながらそう言うと、パトリシアは小さなため息を一つついて、食器を見つめたままそれに答えた。
「パパは自分のことになると、いつも鈍くなるのね……」
「……」
パトリシアはセルダンに顔を向けると、真剣な目で彼を見つめた。
「私の好きな人っていうのは……パパのことなのに……それとも、わかっててとぼけてるの?」
セルダンは自分を真剣な面持ちで見つめるパトリシアの視線から思わず目をそらした。
「さて、そろそろ時間だな。私は先に<大学>に行くよ。これからなんやかやと色々と準備が……」
セルダンはそう言って椅子から立ち上がろうとしたとき、彼の手をパトリシアが強く握りしめた。
「待って! パパは私のこと……嫌い?」
そう言って、パトリシアは目に涙を浮かべ始めた。セルダンは慌ててパトリシアに顔を向け、椅子に座ると再び口を開いた。
「そ、そんなわけないじゃないか。私はお前を嫌ったことはただの一度もないよ?」
「じゃあ、私のこと……愛してる?」
「ああ、もちろん愛しているとも」
セルダンはそう言ったが、気まずい思いを抱いた彼はパトリシアから視線をそらした。
二人はそのまま黙り込んでしまい、永遠ともいえる時間が過ぎていくようにセルダンは感じたが、その内、彼は再びパトリシアに声をかけた。
「パット、私はそろそろ行かないと……」
パトリシアはセルダンの手を強く握りしめながら、目に強い意志を宿してセルダンを見つめた。
「私……パパのことを一人の男性として愛しているの……」
それを聞いたセルダンはひどく驚いてパトリシアを見つめた。
「と、突然、何を言い出すんだパット?」
「パパ、私じゃダメなの? ……それとも私の身体が
そう言ってパトリシアは小さく嗚咽を漏らしたが、それを聞いたセルダンは勢い込んでそれを否定した。
「それは違うっ! お前の身体は汚れてなんかいない! もう忌まわしい記憶は忘れるんだっ。忘れなきゃ先へは進めない」
「……」
「パット、お前はどんな女性よりも美しいよ。私は本気でそう思っている」
それを聞いたパトリシアは幾分表情を明るくしてセルダンに尋ねた。
「本当? ……だったら、私を一人の女性として愛してくれる? パパ」
「それはできない。私とお前は父親と娘だ。言わなくてもわかっているだろ? 妙な冗談はやめて早く出かける支度をしなさい。私は先に出る」
「冗談なんかじゃないわっ! どうしてなの? 私がパパのことを好きになることはそんなに変?」
パトリシアはそう言って泣き出してしまった。
「パット……お前の気持ちはうれしいが、父親と娘は結婚できないんだよ。もう私を困らせるのはやめてくれ」
しばらく沈黙の時間が過ぎた後、セルダンは再び口を開き、パトリシアを諭した。
「もう本当に行かないと……な? パット、そろそろ私の手を放してくれ」
パトリシアはしばらく黙ったまま、セルダンの手を握りしめていたが、その内、すっかりあきらめた様子ですねたようにセルダンを見上げたが、彼女は彼の手を離さなかった。
「わかった……じゃあ最後に……」
「……」
「……
パトリシアがそう言うと、セルダンは驚いた表情を見せたが、すぐに表情を改めひとつ咳ばらいをすると、パトリシアを冷徹な視線で見つめて言った。
「キスはしない……パット、いい加減にしなさい」
セルダンの声色が厳しいものに変わったが、パトリシアはセルダンの手を固く握りしめたまま離さなかった。
「やだやだっ! ちゅーして、ちゅーしてっ! ちゅーしてくれなきゃパパの手は離さない」
パトリシアは駄々っ子のように必死にセルダンの手に強くしがみついた。パトリシアは今年で17歳になり、ようやく大人としての精神構造が構築され始めたもののまだまだ不安定で、ふとしたことで精神が高揚すると、子供のままの精神状態が頻繁に頭をもたげることがあった。
もうすでに身体は大人の女になっていながら、まるで小さな子供のようにふるまうパトリシアを見て、セルダンは小さくため息をついた。
「わかったよ、じゃあキスするから手を放してくれ、パット」
それを聞いたパトリシアの表情はぱっと明るくなり、セルダンの手を離した。
「目をつむってパット……」
パトリシアの心臓は破裂するかと思われるほど早鐘を打ち、彼女はキスされるのを今か今かと待ち受けた。
しばらくして、パトリシアは自分の額にセルダンの唇が軽く触れるのを感じて目を開けた。
「はい、もうおしまい」
セルダンは柔らかな表情を浮かべながらそう言った。パトリシアは慌ててセルダンの手を再びつかもうとしたが、彼は素早く手をひっこめた。
「やーだっ!
「私はもう行くよ。お前も出かける準備をしなさい。あとで落ち合おう」
セルダンは笑いながらそう言うと、玄関から出ていった。パトリシアはチェッと軽く舌打ちしたが、もう暗い表情はすっかり消え去っていた。
その日の午後、パトリシアのスケジュールは完全に空いてしまった。クレアは<大学>に来なかったし、『財団』で能力開発をするメンバーも集まらなかったからだ。パトリシアはやむを得ず、護衛を連れてトランター展望台中央広場へ行き、テレパシストの素養のある人間を探索していた。
無論、護衛とは軍隊を退役した例の長身の男で、その粗野な振る舞いからパトリシアに敵意を持たせないように、脳に『刻印』を刻まれた男のことだ。その男が口を開いた。
「お前とペアを組んで2年になるが、その筋の素質のある人間は結局一人しか見つからなかった。一週間に一度か二度ここに来るだけだが、それでも2年間でたった一人だぞ? それに対して、俺が追っ払った人間がいることはほぼ毎回だ。なんだこれは? お前と俺の労働バランスが全く取れていないじゃないかっ!」
男はパトリシアにそう不平をぶつけると、パトリシアは腹を立てた。
「私に言わないでよっ! 私だって遊んでいるわけじゃないわ。毎回体力の消耗が半端ないんだから……そんなに文句ぶーぶー言うなら、勝手に一人で帰ればいいでしょっ?」
それを聞いた男は小さく舌打ちをして口を閉じ、パトリシアはムスっとした表情でそっぽを向いた。二人はそのまま黙り込んだ。彼らの周囲を様々な人々が通り過ぎていったが、誰も彼らに関心を向ける者はいなかった。
しばらくすると気まずさを感じたのか、男が口を開いた。彼の命運をにぎっているのが少女だという事もある。
「まあ、お前はある種の突然変異みたいなもんだ。いくら探したってお前みたいな驚異的な能力を持つ人間が他に見つかるとは俺には思えない。俺たちは全く無意味な時間を過ごしているんじゃないのか?」
いつものように、広場の中央に植樹された天然樹の周りに設置された弧を描いたデザインの長椅子に座っていたパトリシアはしばらく黙ったが、そのうち彼女の傍に立っていた男を見上げて口を開いた。
「あなたの言う前半部分は私も正しいと思う。別にうぬぼれているわけじゃないけど、私の能力に匹敵する人間はたぶん見つからない。でも、後半部分は全く間違っているわ」
「……」
「私のような異能力者がまれだっていうなら、全くのド素人から訓練するのは無意味だってことになるじゃない。だったらより素質のある人間を探し出して訓練した方が幾分マシってことになるでしょ?」
「それはそうかもしれんが……」
「とにかく、あなたは
男はそれを聞いて小さく舌打ちをした後、黙りこんだ。
しばらく二人の間に沈黙が続いた後、今度はパトリシアが男に声をかけた。
「ねぇ……」
「……何だ」男は面倒くさそうにそう言った。
「男の人から見て……私ってどんな感じに見えるのかな?」
「どういう意味だ?」男は少女の方へ顔を向けて怪訝そうな表情でそう尋ねた。
パトリシアは少し黙った後、意を決して再び口を開いた。
「私……ずっと前から好きな人がいるの。でも、その人は一度も私に振り向いてくれない。いろいろとモーションかけてるつもりなんだけど、何の効果もない。どうすればいのか、もうわかんないよ、私……」
そう言って少女は顔を両手で覆った。そんな少女の姿を見て男はかすかに驚いた。彼らはチームを組んでもう2年になるが、少女からプライベートなことを聞かされたのは今回が初めてだったからだ。男も少女に悪感情を持っていたので、彼女に彼自身のことは何一つ話さなかった。
しばらくすると男はニヤニヤしながらそれに答えた。
「なんだお前、その男にファ〇クされたいのか?」
少女はそれを聞いた瞬間、恐ろし気な表情をして男を睨みつけると、男は慌てて後ずさりしながら叫んだ。
「ま、待てっ、じょ、冗談だよ!」
本当にこの軍隊上がりの男は下品だ、とパトリシアは思った。特に下士官以下の兵士にはそういう傾向が強い。周りは典型的な男社会な上、対外的に言動に気を回す必要もない事がそれに輪をかけている。
しばらくすると男は再び口を開いた。
「関係ねーよ、お前は自分の好きなように行動すればいい」
それを聞いた少女は驚いて男を見上げた。
「好きなように行動するって言ったって……」
「さっき、お前が俺に言っていただろ、難しい事を考える必要はないって。それはお前自身にも当てはまると思うぜ、俺は」
「……」
「ごちゃごちゃ考えてないで、抱いて、って言えばすべて解決さ。悩む必要なんて全くないね」
それを聞いたパトリシアは思わずカッとなった。
「それができるんならとっくにそうしてるってばっ!」
少女がイライラしながらそう吐き捨てるように言った言葉に、男はひるんだ様子もなく、静かな口調で話を続けた。
「お前がそうやってモジモジしてる間に……」
「?」
「そいつが他の女に取られたらどうするんだ?」
少女はそれを聞いた瞬間、血相を変えて叫んだ。
「そんなのはイヤっ、絶対にイヤだっ!」
パトリシアはそう言いながら泣き出してしまった。
男は、人目もはばからず泣いている少女を見て軽く舌打ちをした。この俺がガキの子守とは、と内心では思ったが、そのことは口にせず。別のことを言葉にした。
「じゃあ、決まりだ。今夜決行しろ」
「……」
「お前がそうやっていつまでもグズグズしてたら、今度は俺がお前をファ〇クして……あ、いや抱いちまうぞ」
少女は男を軽く睨んだが、目に浮かんだ涙を拭いたあと、口を開いた。
「それって……私を慰めてるつもり?」
「まあ、そんなところだ。お前みたいなショ〇ベン臭いガキに、いつまでも辛気臭いツラを浮かべられてちゃこっちの気分も滅入ってくるんだよ。いくら探したってどうせ見つからないんだ。今日は超能力者探しは終わりにしようぜ。ほら、もう行けよ」
それを聞いた少女はしばらく長椅子に座ったままじっとしていたが、その内何かを決心したのか、スッと立ち上がると、歩き出した。そして、2、3歩行ったところでほんのわずかに立ち止まると、まっすぐ前を向いたまま小さな声で「ありがと……」とささやいて、その場を立ち去った。
男は少女からそんな言葉が出てくるとは想像の範囲外だったらしく、しばらく呆然とした表情を浮かべていたが、その内我に返った。
「チッ、俺らしくもねーな。あのガキに関わってからというもの、俺もついに焼きが回ったか……」
男はそうつぶやいた。