the origin 異能力者の起源 – 3.72%の少女外伝 作:六位漱石斎正重
ある夜、珍しく二人で夕食をとったセルダンとパトリシアは、食後のコーヒーを飲みつつ他愛もない雑談をしていたが、話題の中心は専ら精神干渉能力者の育成プログラムについてだった。
「それで、最近の研究の進捗はどんな具合かね、パット?」
「そうね、なにぶん先人の研究成果がないから、あまりはかばかしくないわね……」
パトリシアはそう言ってコーヒーカップを見つめた。セルダンはそんなパトリシアを複雑なまなざしで見つめたが、今やセルダンとパトリシアの間には決定的な壁が築かれており、パトリシアは意識的にセルダンと目を合わせなかった。セルダンはそれを多少さびしく思ったものの、そのことについては特に触れずにいた。会話の弾まない雰囲気を変えるために、セルダンが話題を変えた。
「思えば、先人の科学者達はみな偉大だったな。今の時代のように情報通信網が整備されていなかった時代には、研究成果を発表する場は定期刊行物によるものしかなかった。情報が紙の上に記載されていたはるか昔の時代だよ。無論、検索機能もなかったわけだから、目当ての情報を入手するのは今の時代とは比較にならないほどの苦労があっただろうな。特に活版印刷の発明されていない時代に生まれなくて本当にラッキーだったよ」
そう言って、セルダンは笑った。
「そうね、膨大な書物を自ら検分して長い時間をかけても、結局その人には必要のない情報だったという事もあったでしょうね。それに比べれば今の私の研究環境は、はるかに恵まれているわ……」
それを聞いたセルダンはかすかに困った表情をしてパトリシアに答えた。
「あ、その……私は別にお前の研究には苦労がない、と言っているわけじゃないんだ。単に昔の科学者は今の時代に比べると、情報リソースのアクセス方法が限られていて大変だっただろうな、と言いたかっただけで……だが、その……私の言葉が気に障ったら謝るよ、すまん」
パトリシアはそのセルダンの言葉に対して何の印象も持たず、自分のコーヒーカップを見つめたままセルダンの方に顔を向けず、彼女はそのまま会話を続けた。
「さっきも言ったけど、確かに今の時点では精神干渉能力の開発は目立った成果を上げていないわ。でも恐らく現段階で最も期待が持てるのは、やっぱり脳科学の知識と薬物投与によるものだと思う……」
セルダンは表情を改めると、何かを確認するかのように慎重にパトリシアに話しかけた。
「その……薬物のことなんだが……あまり、無理をせんようにな」
それを聞いたパトリシアはしばらく黙っていたが、再び口を開いた。
「私とクレアちゃんは、もう片っ端からあらゆる薬物を試してる。もう他に方法はないの……パパに拾われたこの命……今使わないでいつ使うの?」
セルダンに顔を向けずにそう言ったパトリシアの言葉に、思わずカッとなったセルダンは鋭い目つきでパトリシアを睨んだが、内心の怒りを押し殺して彼は務めて平静な声になるように努力した。
「パトリシア、いいか……二度と、二度とだ、お前が私に拾われたなんて言い方をするんじゃない! お前は私の大事な一人娘だ」
それを聞いたパトリシアはかすかに驚いた表情を浮かべると、ようやくセルダンの方へ顔を向けた。そして力の抜けたような表情で無理に笑みを浮かべると、彼女はセルダンのあとに続いた。
「娘……ね……そして……重要な
パトリシアは悲しみや怒りなどが複雑に入り混じった皮肉そうな表情を浮かべてそうささやいた。その瞬間、セルダンはテーブルにこぶしを叩きつけて叫んだ。
「パトリシアっ!」
セルダンのその突然の行動にパトリシアは驚愕の表情を浮かべたが、それはパトリシアだけではなかった。セルダンもまた、なぜ自分がテーブルを叩いたのか判断に困るかのように、呆然としてパトリシアを見つめたまま黙り込んだ。
しばらく沈黙の時間が部屋に流れたが、再びセルダンが口を開いた。
「テーブルを叩いたりしてすまん。だが、私はお前を単なる心理歴史学の道具だなどと考えた事など、ただの一度もない」
「……」
「確かにお前を私の養女に迎えたのは、将来の銀河系の危機に対する備えとして、という目的があることは否定はしない。だが、9年だ、9年もの間だぞ、私たちが生活を共にしているのは。これを親子と言わずしてどんな関係だというんだ? 私はお前を能力開発の研究で失うくらいなら、『組織』をたたんでも構わないと思っている」
「パパ……」
そのささやくようなパトリシアの声を聞いたセルダンは席を立ち、パトリシアに背を向けたまま彼女に声をかけた。
「夜遅くに大声を出してすまなかったな。お前ももう休みなさい。お前は信じないかもしれないが、私は本当にお前のことを……愛しているんだ」
それを聞いたパトリシアは両目に涙を浮かべながら、セルダンの背中に向かって震える声で叫んだ。
「愛しているなんて簡単に言わないでっ!」
セルダンはパトリシアの叫び声に驚いて、思わず彼女の方を振り返った。
「私を愛しているだなんて軽々しく言わないでよっ! パパはいつも優しい目で私に残酷な言葉を投げかける。結局、どうあっても私はパパの恋人には決してなれない。こんなことなら……こんな想いをするくらいなら……あの薄汚い路地裏で物乞いをやっていたほうが……うっ……うぇっ……えっ……」
そう言ってパトリシアは目からぼろぼろと涙をこぼした。
セルダンはパトリシアのその姿に心を痛めたが、それ以上紡ぐ言葉もなく「すまん……」と一言だけ告げると、キッチンから出ていこうとしたが、その背後にパトリシアが声をかけた。
「パパっ!」
セルダンの足が止まる。そのまま二人は黙り込んだが、その内、パトリシアが再び口を開いた。
「私……子供ができたの……」
「何っ?」
セルダンは慌ててパトリシアのもとに駆け寄ると、驚愕の表情を顔に張り付かせたまま、彼女に尋ねた。
「子供が? た、確かなのか?」
「ええ……」そう言ってパトリシアは目を伏せた。
「だ、誰の子だ?」
そう尋ねられたパトリシアだったが、かすかに表情をゆがませると。それに答えた。
「ごめんなさい……それは言えない」
「そうか……」
そのまましばらく二人は黙り込んだ。
「ねえ、パパ……」
「ん?」
「私をふしだらな女だと思う?」
セルダンはそれを聞くとかすかに驚いたが、すぐさま否定した。
「まさか! お前が選んだ男だ。よくよく考えた末のことなんだろう? 私が口をはさむようなことは何もないよ」
セルダンは、パトリシアの子供の父親が誰なのか知らされなかったことを、かすかに残念に思ったものの、彼の思考はもう次の段階に向かっていた。
「よし、パット、もう今日は寝なさい。明日からお前は何もしなくていい。子供が生まれるまでは『組織』にも行くな。『組織』にはしばらく自分たちだけで何とかするように私の方から伝えておく。とにかくお前はゆっくりしなさい」
パトリシアはセルダンの物言いにあっけにとられ、かすかに含み笑いをした。
「何もしなくていい、っていったって……」
セルダンは、しばらくパトリシアの腹部を見ていたが、確認のためにパトリシアの腹部に手を乗せようとし、すぐに我に返ると慌てて自分の手をひっこめ、パトリシアから離れた。
パトリシアの腹部は注意深く見なければほとんどわからないほどの腹の張りにすぎず、パトリシアの腹の中に子供がいるという兆候をセルダンは見つけることができなかった。
少しの間が開いた後、セルダンはすっかり表情を改め、パトリシアの目を見つめながら言った。
「いいか、パット。とにかく自分の身体に負荷がかかるようなことはするな。全て私に任せろ」
「パパ……優しい……」
パトリシアはそう言って目を潤ませながらセルダンを見つめたが、セルダンはパトリシアのその言いように、かすかに腹を立てて言った。
「何を言う! 私はいつだって優しいだろうがっ」
それを聞いたパトリシアは「そうね……」と言って和らいだ表情で笑った。その夜、久しぶりに二人の間のわだかまりがほんのわずかに解けたように、二人には感じられた。
7か月後、パトリシアは女児を出産した。特に身体に障害はなく健康そのものの赤子だった。出産直後の面会は拒否されたが、後日看護師からごく短時間の会話の許可をもらったセルダンは、やわらかい産着にくるまれている赤子に優し気な視線を注いでいるパトリシアを黙って見つめていた。パトリシアが口を開く。
「女の子よ?」
「ああ、看護師からもそう聞いたよ」
「私……出産がこんなにきついものだとは思わなかった……」
「そうみたいだな。私が分娩室の外で待たされているときに、お前のひどい悪態が私にも聞こえてきたよ」
「どんな?」
「ああ、どうして私がこんな痛みをとか、クソ〇たれ、とかな」
パトリシアはそれを聞いてしばらくあっけにとられていたが、その内クスクスと含み笑いをした。
セルダンはしばらくパトリシアの顔を見つめていたが、再び口を開いた。
「もう出産はコリゴリかね?」
「うーん……この子を産むまでは最初はもう二度と子供は産まないと決めていたけど……今こうやってこの子を抱いていると、生命の神秘と言うか……うまく言えないけど、なんだか感動しちゃったというか……」
「そうか……」
「でも私、もう一人産むなら……」
「ああ……」
「パパの子が欲しいな……なんてね」
そう冗談めかして言ったパトリシアの顔から柔らかな笑みが消えると、彼女は真剣そのものの表情でセルダンの目を見つめた。彼はかすかに困った顔をして、パトリシアから視線を逸らすと、何気なく窓の景色に目をやった。
自身の左の頬にパトリシアの視線が突き刺さるのを感じたセルダンだったが、そのうちあることを思い出してパトリシアに尋ねた。
「そうだ! この子の名前は何にするんだ?」
セルダンを真剣そのものの目で見つめていたパトリシアは、セルダンの問いかけに我に返ると、彼のその問いに答えた。
「この子を産んでそろそろ2週間になるんだけど、その間ずっとこの子の名前を考えていたの」
「うん」
「『ジェシカ』……この子の名前はジェシカに決めたわ。私調べたんだけど、ジェシカと言う名前は『神の見給う』という意味があるらしいの。私は神なんて信じないし、過度な幸運をこの子に願ったりはしない……でも、小さい頃につらくて悲しい思いをするのは私だけで沢山。せめてこの子にだけには、わずかでいいから超越的な存在の恩寵が降り注ぐことを願ってる」
「……」
セルダンはしばらく黙った後、再び口を開いた。
「ジェシカ……ジェシカ・セルダンか……あ、いや違うか……なあ、この子の父親の姓はなんていうんだ?」
セルダンは少し戸惑った表情でパトリシアに尋ねたが、彼女は軽く首を振ってそれに答えた。
「いいの、この子の名前はジェシカ・セルダンで……この子はセルダン家の孫娘よ? パパ」
「そうか……」
セルダンがそうつぶやくと、その日の二人の短い会談は終わった。
ジェシカが産まれた最初の年、セルダン家は大変だった。何しろセルダンもパトリシアも子育ての経験がない。産まれて間もなくの赤子は昼夜の区別なく短い睡眠を繰り返す。起きたかと思えば
二人とも生活のリズムは完全に破壊されて、彼らは慢性的な睡眠不足だった。それでもシングルマザーよりははるかに負担が少ない。やはりもう一人頼りになる人間がいるというのは大きい。二人はつくづくそのことを実感させられた。
セルダンとパトリシアは、その後の数年間をなんとか無難に乗り越えることができた。ジェシカはしばしば発熱したものの、命にかかわるような大病はせず、無事に毎年の誕生日を迎えることができた。
セルダンはいつまでも子育てに関わっているわけにはいかず、日中はベビーシッターに任せ、本業の大学での講義と財団の運営に戻った。また、パトリシアも本来の使命を思いだしたかのように、『組織』で精神干渉能力者育成プログラムの策定に注力した。
二人ともジェシカの世話もあり、なるべく早く帰宅するように努めており、セルダンかパトリシアのどちらかが、夜は必ずジェシカの傍にいられるよう努力していた。だが、二人の生活のリズムは完全にずれていて、お互いの顔を見ることもあまりなくなってしまっていた。
そしてついに転機が訪れる。ジェシカが産まれて四年の歳月が過ぎていた……。