the origin 異能力者の起源 – 3.72%の少女外伝 作:六位漱石斎正重
だが、セルダンはベッカーの発言に驚いた様子もなく、特に問題はないと彼に告げる。この頑迷な初老の男に対しては情で訴えかけても無意味だと悟ったベッカーは、別確度のアプローチでセルダンの本心を探ろうと試みる。ベッカーが取った方法とは……。
ベッカーは思った。よく考えてみればセルダン博士は自分が研究生のころからそうだった。彼は絶対に
彼は、学生相手はともかく研究生たちに対しては、他の教授にありがちな『講義』は行わない。やっているのは
疑問に対する答えを教えるのは教育でもなんでもない。貧しい者に一時的に少額の金を恵んでも彼の将来は決して明るくはならないのと同様だ。大事なのは彼に
よーし、博士がしらばっくれるつもりなら、動かしようのない確かな証拠を見せつけて、自分から考えを言わずにおれない状況に追い込むだけだ。ベッカーはそう考えると顔に挑戦的な表情を浮かべながら、セルダンに話しかけた。
「博士、ご面倒をおかけしますが3Dギャラクシーマップの年代を今から221銀河標準年だけ経過させていただけますか」
「ああ、もちろんいいとも。221銀河標準年後だな?」セルダンはそう言うと、黒い立方体の一部に触れて数値を入力し始めた。
黒い立方体の内部で輝く無数の光点。その一つ一つが数十億人を擁する恒星系を模しているのだった。年月の時間経過とともに、ある部分は広く輝く集団を作ったかと思うとすぐに輝きをなくし、漆黒の中に消えていった。
またある部分は小さな暗い光点を維持していたが、それも長くは続かずやはり暗闇の中に消えていく。あるいはそれとは逆に何もない漆黒の空間からも新しい光点が次々と湧き出しては消える、それが繰り返されていく。そういった時間経過による銀河の趨勢を二人は無言のまま眺めていた。
しばらくすると黒い立方体内部の光点の生成と消滅は止まり、立方体内部の変化は完全に停止した。
「博士、この部分を見てください」とベッカーが話しかけると、セルダンは、どれどれと立方体の中を覗き込んだ。
「このセクター(扇形区)です。ここがどういうところかご存じですか? 博士」
セルダンは軽く首を傾げた後、記憶の底を掘り返したものを話し出した。
「ここは典型的な赤色巨星の一つであるウォルフ359を擁するセクターだな。この時点での銀河マップを見る限りでは、周りのいくつかの恒星系を既に支配下に置いて小規模な豪族集団を形成しているようだ。まだ揺らぎの大きな発展期で、この後版図を拡大するか、それとも近隣の豪族集団に飲み込まれて消えていくか……微妙なところだな」
セルダンは黒い立方体の中のある光点の集合体を見つめながらそうつぶやいた。
それを聞いたベッカーは「博士のご指摘の通りです。でも、このセクターのこちら側を見てください」と言った。
「よくあるサルガッソー(航行不能領域)が広がっているようだが?」
「そう、その通りです。つまりこのセクターの小豪族は『背後』からの奇襲を全く気にせず、前方だけに目を向けていればいい」
セルダンはしばらく黙った後、訝しげな表情を浮かべながらベッカーを見つめた。
「……だから?」
「はっきり言うと、こんなのはチート(いんちき)ですよ。このセクターだけが恵まれすぎている。ここだけ『銀河霊』の寵愛を受けているといってもいい」
憤懣やるかたない表情を浮かべたベッカーをなだめるようにセルダンは話しかけた。
「まあ、しかし長い銀河史の中にはこういう『地の利』を得たセクターが出ても不思議では……」
そうセルダンが言いかけたところにベッカーは割って入った。セルダンは自分の発言中に割り込まれたことについて、少々思うところがないわけではなかったが、若者とは総じてせっかちなものだ。自由に発言する機会を与えることは指導者の器量だと思い、ベッカーの発言の勢いに任せることにした。
「そうですね、確かに博士のおっしゃるとおりかもしれません。でもそこで先ほどの定積分の方程式が関わってくるのです。あの方程式は今からちょうど221銀河標準年経過後に、このあたりのセクターに最も強い影響を及ぼすんです」
研究室内はしばらく静けさに包まれたが、その沈黙をベッカーが破った。
「博士は先ほどの定積分の上端の数値をお読みになりましたね? 0.083と。今はどう思いますか? ちなみに一応博士の注意を喚起しておきますと、このセクターの2つ隣のセクターに『テルミナス』があります。このころテルミナスは『我々の計画』では、貿易帝国のシード(種)になりかけている頃です。現帝国から受け継いだハイテクノロジーの遺産を受け継いでいるとはいえ、近隣のちょっとした小豪族星系に簡単に併呑される危機を依然抱えたままの状態です」
ベッカーは一呼吸おいたが、セルダンが口を開こうとしないため、続きを話し出した。
「万が一この時にこのセクターから攻撃を加えられればテルミナスは必ず敗北し、略奪を受けた後には周辺星系に対して、テルミナスの唯一のアドバンテージだったハイテクノロジーの大部分が失われることになります……残念ながらテルミナスは第2帝国になる本来の目的を果たせず歴史の影に埋もれていくことになるでしょう」
セルダンはしばらくの間、そのセクターを構成する光点の集合体を見つめたまま黙っていたが、そのうちにやや険しい顔で独り言のようにつぶやいた。
「危険だな……つまり、このセクターは『天の時』をも得る可能性がある、というわけか……残るは『人の和』だが、有能な人材を得られればもしや、ということもあるかもしれんな」
それを聞いたベッカーは満面の笑みを浮かべて勢い込んでそのあとを続けた。
「そうでしょう? このセクターがしばらく……まあ、4、50年といったところですか、降ってわいたような銀河霊の恩寵を受け続け、大きな内乱もなく経済も順調に発展していった場合、このセクターが持っているテクノロジーの高さから考えて、ここが第2帝国のシード(種)になる可能性があります」
しばらくベッカーは笑みを浮かべていたが、彼が本来主張したい事項を思い出し、直前までの明るい表情は消え失せて沈痛な面持ちとなった。
「でも、このセクターは実際には第2帝国のシードにはなれない……なぜならテルミナス以外のセクターが成長していく芽が自然につぶれていくように、我々が心理歴史学を用いて『計画』を立てたから……」そうつぶやくとベッカーはそのセクターを悲しげな眼で見つめた。
「そうだな、問題はこの第2帝国になりかけのセクターがどこまで版図を広げるか、ということだ」
それを聞いたベッカーはまたしても意気込んでセルダンの後に続いた。
「その通りです! まさにそこが最も肝心な部分で、ここはもともと第2帝国のシードになる可能性を秘めている強力なセクターです。その版図も銀河系全体と比較してもかなりの大きさになるはずです。でもこのセクターは第2帝国になるためのいくつかの必須条件を欠いている」
「……」
「……まあ、我々がそう計ったからなんですが。とにかくいずれは崩壊せざるを得ない。そうすれば当然このセクターの崩壊時にはかなりの混乱があるはずで、銀河系を取り巻くカオスの揺らぎが我々の想定を超え、心理歴史学的特異点に達してしまうかもしれない。そうなったら我々の心理歴史学ではもう制御不能です。銀河系の未来がどうなるか誰にも予測できず、我々の努力の全ては水泡に帰すでしょう」
それを聞いたセルダンはしばらく無言を貫いたが、ベッカーが再び口を開く前に話し出した。
「わかったわかった、
ベッカーは思わず顔を上げセルダンを見つめた。やはり、セルダン博士はこのことを予見していた。博士がこんな重大事項を見落としているはずがないんだ! ベッカーはそう得心すると、プライム・レィディアント(基本輻射体)によって宙に浮かんだ画面の中にある、例の不定積分の方程式に軽く触れた。そこからは新しい画面が空中にポップアップして、方程式の検算過程のログを表示していった。
検算過程が次々と表示されるのを眺めながらセルダンは尋ねた。
「この検算過程の信頼度はどのくらいかね?」
「30人の学生に5回ずつそれぞれ別の時期・時間帯を選んで試行させました。検算過程は完全100%の一致です」
「ふむ……では君の結論を聞こう。221銀河標準年後にカオスが心理歴史学的特異点に達する確率はいくらかね?」
ベッカーは一つ深呼吸をすると、「2.37±0.016%」とはっきりと告げた。
「ほう……初手でポーカーのフルハウス(3カードと1ペアの組み合わせ。成立する確率は2.6%前後)が成立する確率よりも低いのか。思ったほどでもないな」
それを聞いたベッカーはひどく驚いた様子でセルダンに尋ねた。
「本気でそうお考えですか、博士? 私はポーカーをするときにしばしばフルハウスを見かけますよ?もちろん自分の手役でそろったことも何度もあります」
「私は
「それはそうかもしれませんが、我々の銀河系が取り返しのつかない状態に陥る確率が、フルハウス成立の確率をわずかに下回る程度だと聞かされては、私はとても平静な態度ではいられません」
それを聞いたセルダンは一瞬無言になったあと、すっかり表情を引き締め冷徹な声で次のように言った。
「物事を印象で判断するのは、科学者の姿としてあまり感心できるものではないな」
「そうですね、すみません。博士のおっしゃる通りかもしれません。でも、2.37±0.016%という確率は心理歴史学と我々の銀河系全体にとっては、とるに足らないものだと博士はお考えなのですか?」
「いいや、危険極まりない。とても看過できない」とセルダンは即答した。
二人はそのまましばらく黙ったが、ベッカーが再び口を開いた。
「ところで博士はこのセクターがカオスの発散に与える影響に当然気づいていたわけですよね?」
「まあね……」
それを聞いたベッカーは明らかにほっとした様子でそのあとに続いた。
「やっぱり! 僕が気づくくらいなんだ、博士が気づかないはずがない。でもよかった。このことに気づいていたからにはもう打つ手も考えてありますよねっ、博士?」ベッカーは何もかも吹っ切れた明るい様子でそう言った。
自分の計算結果がある程度確信の持てる結果だとわかり、銀河の未来が取り返しのつかない想定不能の状態になる可能性に結びついていると知った時から、彼はまともに睡眠も食事もとれず憔悴しきっていたからだ。
自分の背負っていた重荷を全てセルダンに背負わせるのは、科学者として少し気恥しいものの、はっきり言ってこれはとても自分の手に負える話じゃない。博士ならきっと何とかしてくれるだろう。自分の任務は終わったのだ、彼はそう思った。
セルダン博士はこの危機に気づいていた。当然打つ手も考えているのだろう。セルダン博士はそういう人だ。彼は不明瞭な状態を放置する科学者じゃない。ベッカーは心の底からの安寧を得たが、そのあと当のセルダンからは驚くべき返答が返ってきた。
「それでこの危機に対する心理歴史学的な修正手段だが……」
「はい……」そう言ってベッカーは生つばを飲み込んだ。
「手立ては……ない」
「えっ!? でも、えっ! じょ、冗談ですよね? セルダン博士!」
「むろん、冗談ではないさ。こと心理歴史学に関してだけは、私は同僚にも友人にも研究生たちにすら、一度たりとも冗談を言ったことはない……」
「……」
「もう一度言う。このセクターが版図を広げて崩壊し、カオスを激しく乱した場合、現在の我々には心理歴史学的対抗手段がない」
「そ、そんな……」
ベッカーは絶句したまま沈黙し、しばらくの間研究室内は暗い沈黙の陰に包まれた。