the origin 異能力者の起源 – 3.72%の少女外伝 作:六位漱石斎正重
気づいたからにはセルダンがこの危機を放置するはずがなく、当然この危機を回避させる手段を考案し、その修正事項を方程式内に組んでいるはずだ、そう思ったベッカーだった。だが、当のセルダンからはこの危機を回避する方法はない、と絶望的な返答を聞かされる。呆然として言葉を失うベッカーだったが……。
ベッカーはセルダンの話に衝撃を受け、驚愕の表情を顔に張り付けたまま次のように言った。
「で……でも、カオスが心理歴史学的特異点に達する確率はわずかに2.37±0.016%。ほかの確率に比べれば無視していいほどの微々たる……」
ベッカーがそこまで言うとセルダンの表情は急に険しくなり、ベッカーを睨みつけると、腹の底から響く低音で大声を出した。
「メルヴィン・ベッカー! 君は科学者ではなかったのか! 予測と期待に差異があったときに、期待にすがろうとするのは科学者としてあってはならない態度だ。私は、この銀河系に取り返しのつかない危機が訪れる確率が、2.37±0.016%なんて数字を提示されたら黙ってはいられないし、目をつむってなかったことにするなんてとてもできない。そういったときは、最初の仮定が間違っていたか、あるいは予測値を期待値に近づけられる適切な定義や実験の手法を再考案する。それが我々の仕事ではなかったのかね?」
セルダンは最初こそ激しい口調だったものの、話の後半ではベッカーを諭すような優しい口調になっていた。一方ベッカーは、セルダンの激しい口調に最初は驚いていて沈黙していたが、しばらくすると声を震わせながら口を開いた。
「博士のおっしゃる通りです。私が間違っていました……でも、セルダン博士さえ『打つ手がない』というものを、どうして私が思いつくことができるでしょうか?」
それを聞いたセルダンは幾分表情を和らげたものの、今度はかすかにうんざりした表情に塗り替わった。
「やれやれ、まるで英雄待望論だな。私はこの世のすべてのトラブルを解決する魔法の壺なんて持っていないし、千年生きる生物でもないよ? 私は英雄でも何でもない、挫折たっぷりの人生を送ってきたさえない初老の男さ。いずれみんな自分たちの力で何とかするしかなくなるんだ、否応なくな。みな
ベッカーはそれには何もコメントせず、沈黙を守った。
「着眼点としては結婚にも共通するものがあるな、ベッカー君」
セルダンの口調が柔らかく変化したのを敏感に感じ取ったベッカーは、訝しげな表情で「結婚……ですか?」と尋ねた。
「ところで、君。結婚は?」
いきなり話題が自分に関することに変わったことにベッカーはかすかに驚き、戸惑いながらもそれに答えた。
「え? 私ですか? いえ、あいにくと……残念ながら私は世の女性達にとって、タイプでない方の男性
「そうかね? 私の鑑定眼が確かな証拠は何一つないが、ひいき目に見なくても君はなかなかの好男子だと思うがな。むろん、私には到底及ばないが……いずれにせよ、世の女性たちも見る目がないね」
「ありがとうございます、博士。ついでに欲を言えば、博士が妙齢の美しい女性だったらもっと嬉しかったんですが」そう言って、ベッカーは小さく笑った。
「そうだな、こういったことはお互いが巡り合う機会も重要な要素だし、いますぐどうこうできることでもないな。まあ、今は君のことは置いておくことにしよう……えっと、確か、結婚の話だったかな?」
「ええ……」
「ああ、思いだした。英雄待望論と結婚についての共通点の話だった。つまりだな、皆が何も努力することなしに英雄をただ待ち続けるように、この人は『私に何をしてくれるだろうか?』という観点で結婚する相手を選ぶ女性は少なくない、ということだ。嘆かわしいことだが」
「え、でも女性だったら多かれ少なかれ、そう考えても不思議では……」
そうベッカーが返事をするとそれが終わる前にセルダンは口をはさんだ。
「いや違うだろ? それは結婚じゃあない。主人と使用人の関係だよ。結婚は対等な立場の者同士で行うものだ。相手が何をしてくれるか、ではなくて自分が相手に何をしてやれるだろうか? そういう前向きな気持ちを持って
「いえ、博士の言い分を聞いてみると私も博士の考え方に賛同いたします。相手の欠点を許し、自分の欠点を直していく、そういった忍耐心がないと何十年も
セルダンは顎のあたりを指でもんでしばらく考え込んだ後、ゆっくりと口を開いた。
「まあ、君の言う通り確かに話が飛躍しすぎたな……だが、
それを聞いたベッカーは一気に明るい表情となり叫んだ。
「それじゃ、博士っ!」
セルダンはすぐさまベッカーのほうに手のひらを向けて彼を制しながら次のように言った。
「まあ、待て。君もせっかちな男だな」
「……」
「まだ決定打じゃない。それどころか銀河の未来予測に危害を及ぼす可能性すらある。」
「では、あるんですね? カオスが心理歴史学的特異点に達する前に手を打てるなにがしかの手段が!」
「君がここを訪ねてくる7年前までは何もなかった……だが、今の時点では何らかの手を打てる可能性ならある。現時点ではあくまでも可能性に過ぎないがね」
それを聞いたベッカーは訝しげな表情でそのあとに続いた。
「可能性で十分です。ところでセルダン博士、まさかとは思いますが……」
「?」
「ここまで来て、その手段をご教授いただけないなんてことは……」
「いやいや、私はそんな底意地の悪い男じゃないよ? ただし、私はその手段を君にそのまま教えたりなんかしないぞ。その方法はあくまで君自身の洞察と探求によって発見するんだ。私はその手助けをするに過ぎない。まあ、とにかくこちらに来てくれ」
セルダンは椅子から立ち上がり、研究室の奥の扉へと歩いて行った。そのあとをベッカーもついていった。
そこはセルダンの研究室の一番奥にある別室だった。ベッカーは学生のころからこの部屋の存在を認識していたが、この部屋に通されたのは初めてだった。てっきりセルダン博士の仮眠室か、と思っていたのだが。
奥行きは20m2程度の狭い一室で内部は真っ暗だった。その部屋の中央には3Dギャラクシーマップを映し出している60cm四方の黒い立方体があり、内部に様々な光点が散らばっていた。
その上方1mくらいの空中にプライム・レィディアント(基本輻射体)から映し出された真っ黒の画面に白く輝く心理歴史学の方程式がすべて映し出されている。黒い立方体を取り囲むように配置された4つの小さないすと横にそれぞれ配置されたそば机、そしてそこから少し離れた位置に電子ボードが暗めの照明に照らし出されている。
ベッカーは何気なく黒い立方体のメモリを覗き込むと、そこには221銀河標準年と表示されており、ベッカーが指摘した例の小豪族を形成しているセクターの部分が鈍い赤色に彩られている。
「なんだ、博士も人が悪い。未来の状況を完全に予測しているじゃないですか」そう言いながらベッカーはニヤニヤした。
「私は確定していること以外はあまり話したくないんだ。不確定な情報を提供して相手の将来や考え方に影響を及ぼす可能性に罪悪感を感じるんだよ」
それを聞いたベッカーはセルダンを優しげな表情で見つめ、彼のあとに続いた。
「博士は……基本的には善人ですよね」
「何を言う! 私は
そういって腹を立てるセルダンをベッカーは、まあまあと言って笑いながらなだめ、「さあ、そろそろご説明をお願いします、博士」と言った。
セルダンは黒い立方体を取り巻くように配置されたいくつかの椅子のうちの一つに座り、ベッカーにも座るように勧めた。そしてセルダンは立方体の内部を覗き込むとゆっくり口を開いた。
「さて、何から話したものか……多少長くなるし、結論に至るまでにかなりの回り道が予想されるがそれでもいいかね? ベッカー君」
「全く問題ありません。それよりも話を適度にはしょったりするのは無しにしてくださいよ、博士?」
「ああ、無論だ。それと……私と話をする前に約束してほしいことがあるんだ」
「ええ、もちろんです。お約束します。何でしょう?」
「ここで見聞きしたことについては、ほんのわずかなことでも他言無用だ。その対象には家族、恋人、親類、あらゆる人物が含まれる。それでもいいかね?」
「ええ、他言無用を誓います……でも、そう聞かされてなんだか僕は興奮してきましたよ、博士」
「いや、そんなわくわくするような話でもないよ。まあとにかく始めようか……」
「ええ、お願いします」
セルダンとベッカー、二人の会談は始まったばかりだったが、それは二人が考えているよりもはるかに長い時間になることを、このときの彼らはまだ予想していなかった。