女は恋人から渡された大きなテディベアを、目の前で燃やし海に捨てた。
*
サイト24では、警備員が廊下をウロウロと巡回していた。
それを、物陰に隠れた女は確認してほくそ笑む。どうやら見失ってくれたらしい。
オレンジの服を着た、Dから始まる数字を与えられた女は、現在進行形で脱走中だった。
インペルダウンはクソみたいな場所だ。石材の床は冷たく、あるいは看守に棍棒を振るわれた囚人の血で生暖かい。
大抵は、看守からの突然の暴力に怯えながら、同じ牢にいる囚人ともう何百回したかわからない、過去の話を繰り返す。石材の傷の数を数えるのは一日で飽きた。
こんな施設で、本当に囚人が罪を悔やみ、後悔すると思っているのか?
そうだとしたら、海軍はやはり馬鹿の集まりだ。
大抵の囚人は、己に降りかかった
この世は弱肉強食で、力と金が全てなのだ。
だから、気に入らなかった奴を撃ち殺したとしても、それはソイツが悪いだろう。私の機嫌を損ねた相手が悪いのだから。
女はいつも上に立っていたかった。それが当然だと思っている。今も。
女は恋人に困らない程に美しく、人を魅了するプロポーションを持ち、その内には火がつけられた火薬庫のような苛烈さを秘めていた。
同性異性問わず、毎日のように訪れる告白者に、女はお付き合いをする条件として「ちょっとした贈り物」をねだった。
それはアクセサリーであったり、ブランドのバッグであったり、高級なチョコレートだったりした。共通しているのは、それらを手に入れるためには家を買うほどの金が必要なことだ。
女は、自分の隣に立とうとするならばそれくらいして当然だとタバコを吹かす。
躊躇った奴や突っぱねた奴は、その場で撃ち殺すことが多かった。たまに、気まぐれに立てなくしてヒューマンショップに売ったりもした。
なんとか、大金をはたいて買ってきたら、目の前でそのプレゼントを踏み潰し、ライターで燃やしてやるのが好きだった。
その時の相手の絶望した表情や、裏切られた怒りを向ける激昂が、女にとっては最高の暇つぶしだったのだ。
プレゼントを散々に扱った後は、気分によって、相手を殺すか縛るかして、かわいらしい箱の中に包装して海賊の元へ贈った。
まるで、無邪気にぬいぐるみを友達へプレゼントするような感覚で、人を嘲り殺してきた。
しかし、女はそれができるほど美しく、強かったのだから、仕方ないだろう?
あの女帝と言われるボア・ハンコックも、自分の美しさには敵わない。あんな、無駄に人を侍らせて、産まれてからなんの苦労も知らないワガママ娘に、女の色気は出せない。
女は、いつか、どうやって海賊女帝を嘲笑し踏み躙ってやろうかと笑っていた。
しかしその笑みも、取り逃した恋人候補の通報によって歪んでしまう。
だからこそ、「釈放許可証」が発行された時は踊り出したいほどに嬉しかった。
陽の光を浴び、またやり直すのだ。
化粧品を買い、ドレスを買い、今度は護身用に奴隷でも買おう。
いや、どうせすり寄ってくる恋人候補に買わせよう。
そんな夢を描き、船に揺られて何日か。
女に与えられたのは、オレンジのつなぎと、Dから始まる長い番号だけだった。
Dクラス職員と、自分たちを釈放させたらしい人物たちは呼ぶ。その職は、如何にも怪しいもので、中には仕事に呼ばれた後帰ってこない者もいた。
食事なんかは最低限与えられるが、どうにも人扱いをされていない雰囲気だ。
まるで何か、仕事のための道具のように、こちらを冷たい視線で見つめてくるのだ。
まるで生物の底辺を見るかのような扱いに、暴動を起こした奴もいたが、武装した職員に鎮圧させられ、その後帰ってこなかった。
女としては、こんな不気味で理解できない空間から、さっさと抜け出したい。
ダサいオレンジのつなぎはDクラス職員の制服らしく、生地がゴワゴワしていて肌が荒れそうだ。
インペルダウンよりはマシになったが、ここもまた、牢のようなものと変わりはない。
猫撫で声で誘ってみても、職員は女に艶やかさを感じることも無く、ただ酷く不愉快な目で手を払うのみだった。
そんな扱いと生活に耐えられず、女はある日、監視の隙をついて脱走した。
派手なオレンジは白い空間でとても目立つが、この施設は
案外、簡単にDクラスが集められた部屋から抜け出すことができた。
女は一度、倉庫らしき場所に隠れ、施設の見取り図を確保するための作戦を練っていた。
倉庫の中は未知の道具が積み上げられ、その中には武器になりそうなものもあった。どれも機能性を重視したデザインで、規格が統一されている。
しかし、そんな棚の中で異色を放つものがあった。
テディベアだ。
茶色い、毛がフサフサしているタイプの、小さなクマのぬいぐるみ。
幼い子どもが呑気に抱いていそうな、綿の詰まったかわいいおもちゃだ。
それは、女の意識を数秒捉えた後、まるで生きているかのように動き出した。
思わず飛び退くも、そのテディベアはまるでダンスを踊るかのように短い手足を曲げ伸ばし、かわいらしいポーズをとった。
子どもが見たら、大喜びしそうなそれに、女は酷く苛立ち、また嫌悪を抱く。
さも、可愛こぶっていれば愛されるとでも自信満々に言うような態度は、女が最も嫌うものだった。
相手に媚び、尽くし、可愛がってもらうなんて、プライドの無い行為は女は絶対にしない。軽蔑すべき行為だと、心から思っている。
それは人であれ、目の前のテディベアであれ同じことだ。
女は、手近にあった鋭いハサミで、そのテディベアをズタズタにしてやろうと振りかぶった。
女はもう、目の前の不愉快な存在を痛めつけることに集中していて、テディベアが倉庫にいた違和感など何処かにやってしまったのだ。
最初に施設に入った時、職員が「この施設にテディベアは置かれていない」と、不可解な注意を聞いていたというのに。
女のその、目の前のことに癇癪を起こすあまりの短慮が、彼女の寿命を縮めることになったかは、わからない。
瞬間、女はまるで樽をひっくり返したように吐血した。床が真っ赤に染まり、足元に生暖かい感触が満ちる。
そして、腹部……へその辺りに、喉が引き攣れる程の激痛と、空虚感が襲った。
ダバダバと吐き出される血は、内臓の異常により迫り上がってきた、致死量のそれだった。
クマは、真っ赤な視界の端で相変わらずダンスを踊っている。
しかし、ソロだったそれは、コンビに変わっていた。
テディベアの隣に、もう一匹、テディベアが増えていた。
しかし、それはあまりにも悍ましく、残酷な、信じたくない見た目をしている。
腸だ。
人間の、腸だ。
ぐるぐると、長い大腸と小腸からなる、ピンクと若干の白に染まったそれが、テディベアらしき形をとっている。
動くたび、柔らかい内臓がグニグニと動く音が、鼓膜に悲鳴を上げさせた。
女は、もう、何も理解できなかった。
ただ大量の血を吐き、倒れ、痛みに悶えるだけの肉の塊だ。くったりと倒れる姿は、綿を抜かれたぬいぐるみのように見えるかもしれない。
血溜まりの中、最後にぴくりと、虫のような痙攣をした後は、もうその瞳も作り物のように光を消した。
いつの間にか、テディベアたちはどこかへ行ってしまった。
*
【報告】
記入者:エージェント・⬛︎⬛︎⬛︎
記入日:⬛︎⬛︎年⬛︎月⬛︎日
本日15:25に、倉庫区前の廊下にてSCP-1048の被造物と思われるSCP-1048-Fが発見されました。
対象は人間の消化器官、主に腸によって構成されており、外見から確認できるおよその長さから、材料は成人一人分と推測されます。
対象は、発見され破壊されるまでに、虫が獲物を[削除済み]するかのような叫び声を上げ、近くにいた職員の[削除済み]を[削除済み]しようと襲いかかりました。その後の検査で、叫び声を聞いた職員の十二指腸に複数匹の十二指腸虫の寄生が確認されました。
対象はDクラス職員⬛︎名の犠牲により抑えつけられ、[削除済み]されました。
対象に使われた腸は解析の結果脱走していたDクラス職員⬛︎⬛︎のものであると判明し、また本人の死体が第⬛︎倉庫内で発見されました。
依然として、SCP-1048の行方は不明です。
本事件によりDクラス職員複数名の鬱症状及び精神衰弱が確認されましたが、記憶処理剤の使用については⬛︎⬛︎博士の判断により却下されました。
次回のDクラス職員の雇用人数を、⬛︎人から⬛︎⬛︎人へ増やすことが会議により決定しています。
作業困難とされたDクラス職員の[削除済み]は⬛︎月⬛︎日に予定されています。
補遺:現在外部でアノマリー捜索を行なっているSCP-2295は、サイト24の職員との接触を禁止されていますが、本報告の閲覧も同様に禁止されます。
また、サイト24職員はSCP-2295を本施設内に入れないでください。絶対に!