ミスターたちが、なにやら何処かへ行ってしまいました。
用事というものに全く心当たりは無かったのですが、なんだか、彼らの雰囲気から同行を言い出しづらく、大人しく市民の皆さんの治療をすることに。
水の弾丸に撃たれた傷跡は、穴こそ小さいですが、部位によっては貫通してしまっています。
内部の損傷が外見より大きい分、厄介な傷と言えましょう。
国軍の医療部隊すらも、王宮での出来事によって疲弊しているのか、最低限の止血だけで、人によってはすでに立ち上がって戦場の様子を眺めています。
まだ広場の戦いは激しさがおさまらず、ノアも、姫様を追っています。多少の怪我で、気絶してはいられないのでしょう。
「これ、は……?」
「ホーディにやられた傷が……!」
寝かせられ、安静な状態で留められている彼らを、治療していきます。
年齢の若い順に、治療途中で痛みを感じないよう、無駄に焦らず、丁寧に。
たった数センチの端切れも無駄にできない今、リソースの管理にも神経を使います。綿も、糸も、余裕があるとはとても言えません。
少しづつ癒していけば、だんだんと痛みが無くなっていることに気づく人も出てきました。肌に貼られた布に驚く人も当然いますが、それが治療痕だと、じわじわと理解する人も、また増えていきます。
私は、その声を耳に入れながらも、手元に集中し、水弾の傷を完璧に治療するために奔走します。
中には、皮膚や肉だけではなく、骨も砕かれてしまっている人もいましたから、全てが流れ作業とはなりません。時には針を、時には編み針を、時にはハサミを使い、治療を進めます。
15人ほど治療したところで、広場は戦闘の様子だけでなく、私に対してのざわめきも広がっているようでした。
「治って、る……」
「嘘だろ? 肩を貫通してたんだ、骨だって折れてたのに、布と毛糸だけで……」
「あの娘は……何者なんだ?」
そんな小声も、クマ耳は容易に拾います。
ですが、私が一体何なのか、それで治療者が安心するなら話しますが、今の私には筆を持つ隙はありません。
ただ、黙々と治療を進めるのみです。
オオグソクムシの皆さんは、ホーディさん相手に奮闘しています。
私の治した脚や甲殻が、またボロボロになる程に、前よりも酷い怪我を負う程に。
その光景に、何も思わなかったわけがありません。
私も、私のできることをしないと。
彼らが生きて帰ってこれたら、また治してあげないと。
そんな手の震えが、誰かを治している時は落ち着くのです。
それは、争いをただ眺めていることしかできない、綿の腕でできる唯一のことですから。
「あ、ありがとうお嬢ちゃん! 痛みが綺麗さっぱり……本当に、治って……!」
治療したひとりの人魚が、そう私に話しかけてきました。
その頃には、私はもう25人は治していて、オオグソクムシたちの傷もより深くなっていた時でした。
まだ、ミスター達は帰ってきません。どうしたのでしょう。
「ホーディにやられた傷だけじゃない。他の、ヒョウゾウの奴にやられた傷も治してくれたのか。一生、この醜い傷痕と生きていくのかと思っていたのに」
負傷者の中には、ホーディのものではなさそうな傷を持つ人も多くいました。おそらく、他の新魚人海賊団の者から負わせられたのかもしれません。
今の私は、なんとかジョーシーの静止で広場の方には行かずに済んでいますが、傷に対して無差別に治療を施す状態となっています。
ローさんや、ゾロさんのように、傷や不調を敢えて治さない、という選択肢が取れないのです。
思い出や勲章としての傷すら治してしまうことで、怒られるかも知れないと頭の片隅では思っていたのですが、どうやら良い方向に作用していた様ですね。
「何か……おれにやれることはないか?」
「わ、わたしも! お手伝いします!」
「そうだよ! この恩を返させてくれ!」
治療した人や、その知り合いらしき人たちが、そう挙手し始めました。
もう、ホーディにやられていた人は治療し終えて、バスケットの中の布や綿も、無くなった状態です。
治療が終わったと言っても、これからオオグソクムシの皆さんや、広場の戦場にいる人たちの分を考えると、その挙げられた手は希望に思えます。
漸く一息ついた手で、私がメモを取り出そうとした時でした。
「あぁああああああ!!!」
絶叫と共に、広場に何かが……轟音と共に、墜落してきたのです。
「──!?」
声からして、人……ホーディさんなのでしょうが、人が落ちてきたにしては重く、酷い破壊音です。
人ではなく、巨大で、圧倒的な密度のある鉄塊でも落ちてきたのかと錯覚するほどでした。
それだけ、広場を襲った衝撃波と地面が砕ける音が、脅威的だったのです。
皆、広場に目を向けました。そして、息を呑んでいます。
私も、静止しようとしていたジョーシーをなんとか振り切って、広場の下を見ました。
そして、他の人を真似る様に、私も息を呑んだのです。
そこには、ホーディが大きなクレーターに沈んでいました。
大の字に、仰向けになって。大小の怪我と、一際目立つ横腹の抉れた箇所が酷く鮮明に見えます。
そして、今もまだ、地面の下へ下へと落ちていこうとする、黄色い物体も、また私の目にはっきりと映ったのです。
SCP-200-JP“浮かばれないアヒル”。
水に濡れ、範囲内に生きた人が居た場合、その者が範囲から消えるか、死ぬまで重さを無尽蔵に上げていくアノマリー。
ジョーシーが、いつのまにかバスケットの中でじゃれていたゴム製のアヒル。それでした。
それを見た時、私の脳内にそれはもう鮮明に、そして確信を持って、ミスターの言葉の真相が浮かびました。
ミスターは、これを使って、ホーディに攻撃を仕掛けたのでしょう。
SCP-200-JPの効果を知っているのは、今ここでは私とダイウェイさん、そしてミスターしかいません。
そして、彼の握った拳に浮かぶ血管は、明確にホーディさんに対しての怒りで満ちていましたから。
アノマリーが他者を意図的に傷つけることは禁止されていると言ったのに。
それ程までに、彼が許せなかったのですか。
……私が、ホーディに蹂躙されるみんなを見て、哀しく思ったからですか。
泣きたくなりました。
いえ、ミスターは何も悪くないのです。財団としては、非難するべきでしょうが、私は彼の私への優しさに気づいてしまった。
きっと、自信過剰ではないでしょう。あの人は、自分のためだけに人を傷つけることは、選択しないはずだから。
ざわつく市民たち。騒然とする戦場。
アヒルが、ホーディさんの肉を抉り潰していく音が、聴こえるはずがないのに、クマ耳は器用に想像してしまいます。
そして、私は。
私は。
飛び込んでいました。
ホーディさんの、沈んでいる広場に、戦場に。ジョーシーの鳴き声も聞こえなかったふりをして。
手伝いを申し出てくれた人たちが、叫ぶ声もまた、無視して。
私の軽い体は、ふわりと広場に舞い降り、ぽてりと着地しました。
目の前には、真っ赤な脇腹を晒したホーディさんが、います。気絶しているのでしょうか、私が近づいても、なにもアクションはありません。
脇腹は、それはもう凄惨な状態です。
抉られて、内臓も潰され、退かそうとしたのか爪の傷も無数についていました。
アヒルは、そんなもの何の意味も無いと、血に濡れたまま、ジワジワとありもしない底を目指すばかりです。
流石に、私はこのアヒルを退かすことはできません。乾くか、範囲内に生きたものがいなくなるか。それだけが手段ですから。
なので、少しでも傷を減らすために、先ずは自分でつけたらしい抵抗の傷を、治していくことにします。
最早、私の目にはホーディさんは敵ではなく、治療対象として映っていました。瞳孔が、過度に血の色を感知して、存在しない視神経が痛みを覚えます。
布も綿も手元にないので、スカートを切って、パニエをちぎって、治していきます。
引っかき傷と言っても規模は普通のそれとは段違いで、皮膚は抉れて筋肉が見えていますし、中には骨の白ささえ確認できました。
少し厚めに、平べったくした布を縫い合わせたものを使い、補修していきます。
潰れた内臓は、現在アヒルが干渉していないものだけ置換して、なるべく止血も並行して行って。
どうして治すんだ、そいつは敵だ、ホーディだと声が聞こえますが、今の私には治療すべき怪我人にしか思えません。見えません。
文句なら、私の異常性と、それを引き出してしまった世界に言ってください。
傷ついた人を癒すことの、何が悪いのですか。
悪人は、止血すらも受けられない程なのですか。
私にはそんなことわかりません。私はクマのぬいぐるみで、アノマリーです。“パッチワークのハートがあるクマ”です。
人の善悪とは、違うところで動いているのです。
ホーディさんの体躯は大きく、随分と布と綿を必要としていました。
スカートのボリュームも、なかなか縮みましたね。
アヒルはいまだに取り除けていませんが、それ以外の箇所の止血や臓器置換は、概ね終了しました。
問題は、このアヒルをどう退かすか、ですが──
「ありがとうな、馬鹿な人間のガキよ」
グジュ、なんて、オノマトペとしては形容するにはそれが限界の、筋繊維や皮膚が抉れて千切れる音がします。
それは、アヒルの沈んだ部分を自ら「切除」し、起き上がったホーディさんの発したものでした。
座り込んでいた私に、冷たい、暗い、影がかかります。
「お前みてぇなアホがいるから……おれ達は笑って未来を語れるのさ」
人を人だと思っていない笑みを浮かべながら、ホーディさんはまた、大量の錠剤を貪ります。
大きな心臓の拍と共に、穴の空いた脇腹が一瞬にして元の筋骨隆々なものへと復活しました。ですが、あくまでも無理やり治癒力を増強しただけのようで、内臓や骨には、むしろ負荷がかかっているように見えます。
切除した際に削れた臓器は、その欠けた部分を取り戻していません。あくまでも筋肉を復活させた、というレベルです。
ですが、その程度の欠損は、今目の前にいる私を、嘲笑うには足りたものなのでしょう。
「わざわざ治してくれてありがとうな。生きてたら、人類の裏切り者として、一生ボロクズのように生きることになるだろうよ」
私は、地面に座ったまま、ホーディさんの笑顔を眺めています。
立って走って逃げたとして、何になるでしょうか。私は、ただ目の前の「負傷者」から、目が離せないのです。
私を愚かと嘲っても、魚人島にとっての巨悪でも、傷ついている人には、変わりないのですから。
「だが安心しろ……お前の命は、今ここで終わるんだからなァ!!!」
ああ、顎骨も少しヒビが入っているなぁ。
それが、私が牙を向けるホーディさんに思った、刹那の感想でした。
そしてその感想は、脳内で言い終わる前に、新しい「負傷者」に上書きされることになります。
「コイツは……お前を治したんだぞ?」
首元に、ホーディの牙を食い込ませ、私を庇う……ルフィさんが、現れたのです。
噴き出した血が、私の頬に一滴、跳ねました。
どうして、お互いに、温かい血が流れているというのに。
その温かさを奪うばかりなのでしょう。
戦場の中、数多の人の叫び声が、耳ではなく脳に響くようでした。
◇生きるもの皆治療対象
悪人善人権力者貧困者生きとし生けるもの全て治療対象。
故に、被害者も加害者も治してしまう。
戦場にあてられて暴走状態だったせいでもある。
でも、人とは違う価値観感性で動くからこそアノマリーなのだ。
ホーディに頭を噛みちぎられても、普通に生きてました。
SCPの破壊関連に対する設定は、もう少し先で公開予定です。