「コイツは……お前を治したんだぞ?」
私を庇ったルフィさんが、首元からダクダクと血を流します。静脈と動脈の血が混ざり、鈍くも強い赤が、私の頬やスカートにかかりました。
滲んでいくそれは、戦場の鉄臭さを更に濃いものにして、より深く私を異常性の波へと呑んでいくのです。
ホーディは、睨みつけるルフィさんの殺気を笑い、真っ赤になった口元を舌で舐め取りました。
「だから何だ? そいつが勝手にやったことだ。おれが殺さない理由になるとでも?」
「お前……!」
私を庇って立つルフィさんは、明らかに出血量が多く、今すぐにでも治療しないと失血しそうな程です。
それでも、彼はふらつくこともなくホーディさんに真正面から向き合っていました。
私は、出血を止めようにも、ルフィさんに触れることが躊躇われて、座り込んで動けないままです。
「カイロスはお前が敵だとわかってて治したんだぞ……!」
「ああ、優しいな。そしてそれ以上に馬鹿だ」
「──、──」
ルフィさんは、ホーディさんを射殺さんばかりに睨みつけています。
ホーディさんは、そんなルフィさんを煽るように笑っています。
「全く無駄なことを……。排他してくる奴らにどうしてこちらからすり寄る必要がある? 殺せば済む話を何故複雑にする? 力のある存在が支配するからこそ、誇りや栄光は意味のあるものになる」
無駄……と、言いましたか?
私の行為を、無駄と?
「魚人の恨みを晴らすには……『他者への情け』なんてものは徒労に過ぎない」
その言葉を聞いた瞬間、座り込んだ私の四肢が、操り糸が掛かったように動きました。
人間が数瞬の激情に筋肉が勝手に動くのと同じでしょう。
私は、ホーディの発言に明確に“怒り”を感じたのですから。
その動きは、人の関節や神経伝達を無視した、綿だけのぬいぐるみらしい出鱈目さでした。
だからこそ、拳をお互いに振りかぶったホーディとルフィさんの間に、割り込めたのでしょう。
「──」
唐突に現れた私の体に、お二人が目を見開く──それすらも、私の刺繍糸の瞳にはスローに映ります。
私は、ゆるりとホーディさんの巨体に足をかけ、その頭を全身で包み込み──穏やかに、撫でました。
「は……ッ!?」
「カイロスお前、何やってッ……!?」
私は私の異常性を正義だとは思っていません。
善悪で規定できるものではなく、それを振り翳してはいけないと思っています。
ですが、私の治療は全て、無駄なことではありません。
苦痛を、恐怖を、患いを、取り除くことは、決して無駄ではない。
生きることが許されない生き物なんてね、本当は居ないんです。
色んなしがらみや年月が、いつの間にか創り出した架空の存在なんですよ。
私の治療は……いえ、「生きることを繋げる行い」は、何一つ無駄ではなくて、誰にでも許されたものなんです。
ホーディさんも、ルフィさんも、この世の皆さん全てが意味のある命。
ホーディさんが人間や同族にどういう感情を持っていたとして、他者を害するまでに何の過去があったとして。たとえ無かったとしても、減る命を少しでも少なくする事が、無為な事だとは言ってはいけません。
そんなことを言われたら、私は怒っちゃいます。
こんな事を言わせてしまった、世界のどうしようもない不条理に。
「──」
だからこそ、私はこの腕を誰にでも差し出したいのです。
ぬいぐるみは生きとし生けるもの全ての隣に、ほら、小さく座っていますよ。
私の行動は、この場所にいる私以外すべての人にとって、予想できない事だったようです。
ホーディさんのうねった髪を撫でる私は、撫でられている本人にすら信じられないものを見るような視線を向けられているのですから、少し笑えてしまいます。
無駄だと言われたことにはムッとしましたが、そんな価値観を信じてしまえるこの世の残酷さを、私はどうにもできません。
膿み固まった思想の病は、パッチワークでは治せないものですから、こうして撫でることしか出来ないのがもどかしいです。
皆さんが固まっている間に、ルフィさんの傷もどうにかしたいのですが……傷自体はもう塞がっていて、出ていった血の量が問題みたいです。
増血に対しての無力さも、また歯痒いところですね。生理食塩水を常備しておくべきでしょうか。
応急的に、保冷剤を布で包み、包帯で首元に固定しておきます。激しい運動でズレないように綿で補強しておきましょう。
ルフィさんも大切な命ですからね。目眩が起きませんように、お祈りも込めて頭を撫でておきましょうね。
[私は他者を想い癒すことにこそ、意義を見出しているのです]
衝突が生まれてしまうのはどうしようもないことですが、それで傷つく人は誰一人居なくて良い。
[故に、私は貴方を癒す事を無駄だとは思いませんが、貴方の行いには共感できません]
私は、そうホーディさんにメモを見せた後、落ちていたサンゴを失敬して、シャボンによって戦場を脱出します。
流石に、あの場所にずっといるのは危険ですからね。
治したい人はまだまだ沢山いますが、怒りがおさまって、少し冷静になれました。何はともかく、ホーディさんとルフィさんの戦いに決着がついてから、戦場の治療は手を出した方が良いでしょう。
いつの間にか消えてしまっていた、ミスターやオオグソクムシ達の行方も気になります。
多くを守る以上、浮かばれないアヒルの使用は仕方がなかったとはいえ、財団は許してくれるでしょうか……。
悪い方向に進まないと良いのですが。
シャボンによる上昇が終わり、上層へ戻れば、ジョーシーが突っ込んできて猫パンチを決められました。
静止を無視して飛び込んだ事を怒っているのでしょう。耳がイカ耳になって、不機嫌そうに私の頬に当てられています。
すみませんジョーシー、どうしても我慢できなかったんです。
「ンニャ……ンニャ」
謝って済むなら財団は要らないと言われている気がします。ジトっとした視線が痛いです。
そういえば、私がホーディさんを撫でてから、そこそこ時間が経ちましたが……まだ、固まっている所は固まってますね。早めに正気に戻ったロビンさんなんかは、既に平常に戻っているみたいですが。
私がホーディさんを撫でたのが、よっぽど信じられない光景だったんでしょうか?
確かに、怒りはしましたけど、怒って人を叩くなんて私しませんよ。
悲しいですし、力不足を悔やむ部分も多くありますが、やはり戦闘行動での鎮圧でないと、止められないと改めて理解しました。
でも、それをやるのは、魚人島の皆さんや、ルフィさん方の役なのでしょうし。
私は、ホーディさんとルフィさんを(完璧ではありませんが)治療して、後はまた市民の皆さんの治療に戻るだけです。
「なぁ……お嬢ちゃん、どういう意図でホーディを治したんだ……?」
私が治した、魚人の男性がそう聞いてきました。
発声ができない故に、一度に多くの人に意思を伝えられないのは、こういう時だと不便ですね。
ホーディさんを治した事で、市民の方から不信を得てしまう可能性は想像していましたが、目の前の彼はどちらかといえば困惑が強い様でした。
私は、ホーディさんに見せた紙を、そのまま渡します。
「……あんな奴でも、傷付いたら治すのが、お嬢ちゃんの信念なのかい」
その問いに、私は頷きます。
「……ねぇ、お姉ちゃんは、海賊も人間も怖くないの?」
黙り込んでしまった男性の影に隠れながらも、幼い人魚の女の子が、私を見つめます。
幼気な子どもたちが見るには、この戦いは人も魚人も血を流し過ぎて、凄惨なものです。怖くないわけが無いでしょう。
[恐れてしまっては、相手を蝕む痛みにも鈍くなってしまいますから。ただ恐怖していただけでは、何も進まないのです]
「でも、お姉ちゃんはあの人に噛まれてたかも知れないんだよ?」
[私は、人より丈夫なんです。傷を恐れてばかりでは、誰の隣にも、座れなくなってしまうのですよ]
傷つける事はやって良いことではありませんし、傷つけられる事も多くあってはいけません。
でも、私はすべての命の隣に座りたいから、隣人の牙を恐れない。
あくまでも、SCPだからこそできる、無茶ですね。
[無病であり、その手に凶器が握られないことが、幸せだと思うんです]
私は、私より背が低い女の子の髪をそっと撫でました。
今見えている戦場も、この国で起こる争いの、最後でありますように。
停止から復活し、破壊音や叫びが音を取り戻した広場を見て、私はそう願うのです。
ホーディさんとルフィさんも、戦闘を再開し、また新しい傷を幾多も増やしています。
さて、私もまた、治療を再開しないと。
今だに不機嫌な耳を揺らすジョーシーが、私を睨みつけています。
ですが、戦場に一瞬の静寂が降りたことが奇跡だったのか、また新しい悲鳴に、私は綿がキリキリと絡まる感覚に陥るのです。
「ノアが、落ちてくる!!」
◇あなたの隣人、ぬいぐるみです。
ホーディが空っぽだろうが、身勝手なテロリストだろうが、尊い命なことには変わりないのだ。
すべての生命にBIG LOVEを抱えているため、凶悪な魚人だろうとヨシヨシできる。周囲は石化する。
でも殺人はダメだし戦争もダメよ、計画は止めてね。
基本性善説で考えていて、すべての命に意味があり損なわれない価値があるというのが、本人の譲れない芯の部分。