深夜、食堂。
グレイッシュを出発した商船は、順調に次の航路に乗っていた。
静かな空間。だが、飯時でもないのにこの空間に集まった面々の表情は、硬いものだった。
柔らかい笑みが特徴の客人は、随分疲れたのか、客室で寝入っているらしい。町を走り回ったにしては、息も切れていなかったが。
おれは、食堂内で最も入り口に近い席で、蜂蜜入りの紅茶を飲み黙っていた。濃い甘味が、どこかザワザワと落ち着かない心内を鎮静させてくれないかと。
その効果は、喉に張り付くような甘露に求めるには、荷が重くもあった。
唯一事情を知るであろうパインさんが、仕事用の大きな掲示板の前に立って、胸元のネクタイピンを弄っている。大事な商談など、重要なやりとりをする時、決まってするルーティンだ。
「パイン……さん、あの子は……何者なんです?」
「お客様の詮索は、あまり褒められたものではありませんよ」
沈黙に耐えられなかった船員のひとりが、思わず挙手して質問した。しかし、その聞き方は商人としては減点でしかないもので、パインさんの細い目が、テストに赤バツを付けるように鋭くなった。
彼女は、この船の客人だ。取引相手でも商品でもない。そんな相手の情報を深く掘ろうとすることは、この船では御法度である。
質問した船員はこの中で一番新入りだったから、ついトチったのだろう。
だからか、パインさんの声色もそこまで威圧を含めたものではなかった。
上司の注意は、本人にとってはなかなか効くものであったようだが。
「じゃあわたしが聞こう。この船に危険は、無いんだね?」
「はい。彼女が我々を害せる──害する可能性は限りなく低い。あの気質は、底の無い善性とわたしは判断しました」
タンポポが、少し冷えた空間を仕切り直すように挙手する。
その内容に、パインさんは頷いた。おれも、近くにいたからわかるが、あのちまこい体はどこにも武術の心得や暗器らしきものは確認できなかった。
ハサミや針こそ持っているが、それはコックが包丁を持つように、敵意の無い、武器ではないそれの扱いだ。
何より、幼いながらも落ち着いた言葉遣いや、おれを初めて見た時の瞳の輝きようは、他者を痛めつけることを知らない無垢のものだ。
その瞳には、狂気も、悪意も、利己的なそれも無い。幼い子どもが持つぬいぐるみのボタンの瞳の様に、暖かさだけが磨かれたようだ。
町で見た異様な力も、本質は人を癒すもの。
それを、船員全員、理解しているらしい。タンポポの質問は、あくまでも答えの再確認だろう。
「ってことは、パインさんの肺も?」
「ええ、今のわたしの胸を開けば、なんともファンシーなことになっているでしょうね」
「……すごいコと知り合いましたね」
「偶然ではありますがね。……いえ、我々は幸運ですよ、とても」
「幸、運?」
やはり新入りはまだ、パインさんの考えについて行くには経験が足りていないようだ。しばらくパインさんの秘書にでも就かせて、学ばせた方が良いんじゃないかと思うが……今の秘書は
そう簡単に秘書の座を貸すとは思えない。あの数字魔は新入りが秘書になって起こす書類のミスを許さないだろう。
パインさんは、一度紅茶を飲み喉を湿らすと、掲示板に貼られた紙のひとつを指で叩いた。
そこには、
「我々は商人です。何事もフラットに、しかし時代の流れには沿って。仕事相手が意思のある人間である以上、敵も、味方も、慎重に選ぶべきでしょう」
それは商会に入る上で一番か二番目に叩き込まれることだ。
市民、海賊、海軍、政府。取引相手は多く、その勢力図は波よりも速く形を変えてしまう。
そんな中、どれとも協力者足り得る商人は、その関係のバランス感覚を育てないとすぐ八方から刺されるだろう。
故に……“偶然の”出会いというものは、その商人がどれだけ生き残れるかの、試練だ。当然予習も事前準備も許されない、唐突未知の運試しとも言える。
「我々は今回の“偶然”に勝利しました。彼女の情報を漏らさず、このまま信頼関係を築けば、彼女が敵となる確率は大いに低いでしょう」
味方となる可能性は、まだわからない。しかし、商人にとって、味方も勿論多い方が良いが……「敵でも味方でもない」存在の方も重要だ。
この世にはその「敵でも味方でもない」存在の方が遥かに多いのだから。
「彼女の特異性、外見、名前。全ての漏洩を許しません。お客様の個人情報はなにより重要な宝です。湧き出る疑問、好奇心。それらを抑え手綱を握る方法は、この船にいる以上、すでに呼吸と同然。間違いありませんね?」
「ええ、わたし達は彼女の良き隣人よ。飲み込んだ宝は吐き出さない魚。それこそ我らが宝石の鱗」
「ふふふ、あのコ、ハニカムさんに懐いてるみたいですから、何かあった時はハニカムさんを盾にすればいいんですよ」
「オイ」
なにか聞き捨てならないことが聞こえた気がしたが……あの力は誰もが欲しがる。しかし、うちはあくまでも物品と情報専門の店。
奴隷なぞ、馬鹿のやる仕事だと一蹴する組合だ。
あんな、コストもリスクも高いばかりで、値段も在庫も客任せ……珍しい種族で一度に五億稼ごうが、一体いくらが経費に消えるやら。
その割に、関わること自体が面倒ごとに繋がりやすい天竜人がメイン客層。わがままで奴隷数体の額なんて簡単に消し飛ぶだろうな。
奴隷オークショニアって奴らが、俺にはどうにも、宝くじの当選金で宝くじを買う阿呆にしか見えん。
だが、あの娘はそんな阿呆の大好物だろう。買われた先が何処であれ、幸福は舞い降りないと想像できる。
こういう時、己が自衛の手段を持っていたことによる幸運を、しっかりと感じてしまう。
ミンク族も、珍しい種族だ。獣の姿は、見下すのが大好きな天竜人には都合の良い姿だろう。
奴隷牢屋を抜け出して、商会に拾われたおれは、その時確かに偶然に勝ったのだろう。
あの娘に、それが出来るだろうか。
船に乗っている間は、守ってやれるか。
「ハニカム、その蜂蜜の味はどうかな」
今おれが使っている蜂蜜は商会の新商品であり、希少なノースノコンギクの上等な蜜だけを集めた高級蜂蜜だ。お試しついでに自費で買った。
濃厚な甘さのわりに後に引かない重さと、紅茶によく合う風味が気に入っている。
頷けば、パインさんは軽く笑った。
「それ、大切にした方が良いとわたしは思うよ」
この人は、たまに人の心が覗けるんじゃないかと疑うことがある。
「残念ながら、悪魔の実を食べた覚えは無いけどね」
ほらな。
*
[おはようございます。グレイッシュでは、改めてご迷惑をおかけしました]
早朝とも言える時間に起きてきたカイロス嬢は、どうやら船員全員にそう書かれたメモを見せて廻っているらしかった。
あの町にはログのためそれなりに滞在する予定があったし、人命は予定より代え難い。人として当然のことをしたまでだが、この娘には自分がわがままを言ったと見えているらしい。
「気にするな」
[静止も聞かず飛び出したのは事実ですし……。危険を鑑みず一人で向かってしまったことは、反省しています]
成る程、この小さな子どもは、おれ達がカイロス嬢に怪我をさせた場合、カイロス本人ではなく商会もといパインさんの名に傷がつくことがわかっているらしい。
聡いが、子どもらしく何も知らないままにこにこ笑っていれば良いだろうとも思う。
丸い文字は幼気な様子をはっきり映しているのに、内容はそれに似合わない。
「どのみちログのために滞在した」
[お気遣いありがとうございます。では、朝食は何時ごろか聞いても?]
「何もトラブルが無ければ、7時」
[タンポポさんのお料理が楽しみです]
イコールとカッコを組み合わせた顔文字が語尾に添えられているが、そんなもの見なくても本人の表情を見れば楽しみなことはよくわかる。
あの力抜きにして、不思議だ。
ここまで子どもに親しく話しかけられたことは無い。
(何かあったら……)
おれは手に持っていたデッキブラシを片付け、食堂に向かう。
「蜂蜜に拘りはあるか」
[いいえ、すべからく美味しくいただくものです]
「ならいい」
灰色ばかりの町を出た後は、あの黄金がより輝いて見える。
その美味さを、後味の悪いものにはしたくないからな。
さて、次の島は秋島。“
◇ハニカム
ヒグマのミンク。懸賞金3億程度の海賊なら軽く捻ってみせる。エレクトロより武術主体。
無口無愛想無表情だが、子どもが近くに来た時は怖がらせないよう自分から距離を取るくらいには気遣いができる。
無類の蜂蜜好き。次に好きなのはサーモン。
商会パインチームは全員カイロスについては秘匿を選択。エリート商会なので天竜人に命じられても拷問されようと口を割らない所存。お客様の情報は宝。
他SCPの擬人化について。※擬人化した場合仲間になります。
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主人公だけでいい。
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他のSCPも一部擬人化する。
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危険度の高いやつを擬人化する。
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危険度の低いやつを擬人化する。