市街地の上空は、静かに切り取られていた。
隔離結界。
街全体を覆うように展開されたそれは、外界の音も、人の気配も、すべてを遮断している。
夜の街は、まるで標本のように沈黙していた。
なのはは、空中で体勢を整えた。
高度を落としながら、結界内を見渡す。
(……いない)
気配はない。
魔力反応も、散発的にしか拾えない。
ジュエルシードの正確な位置は、まだ掴めていなかった。
その時──
前方、結界の内側を横切る影を捉える。
金色。
長い髪が、夜光を反射して揺れた。
背中。
あの時、戦った少女の後ろ姿。
(……あの子)
考えるより先に、なのはは声を出していた。
「君は……!」
振り返る、その動作すらなかった。
次の瞬間、魔力が弾ける。
初撃。
鋭く、迷いのない一閃。
なのはは咄嗟に防御を展開する。
衝撃が腕を打ち、体勢が大きく崩れた。
(……っ)
前回より、明らかに重い。
速さだけじゃない。
判断の切り替え、攻撃への移行、その全てが洗練されている。
なのはは後退しながら距離を取る。
防御と回避を優先。
反撃は、意図的に抑えた。
「下がって」
低く、抑えた声。
「邪魔をしないで」
淡々としている。
感情の起伏は感じられない。
それでも、なのはは止まらなかった。
「私は……!」
防御を維持したまま、声を張る。
「戦いたくて来たんじゃない!」
魔力弾が交差する。
空中で火花が散り、結界の内壁を震わせた。
「話がしたかっただけなの!」
フェイトの動きが、ほんの一瞬だけ鈍る。
その隙を逃さず、なのはは距離を詰めた。
「負けたのに、また来たのは……」
息が苦しい。
胸が焼けるように痛む。
それでも、言葉は止まらない。
「それでも、諦めたくなかったから!」
その瞬間──
鋭い声が割り込んだ。
「フェイト! 集中しろ!」
獣の咆哮のような声。
空気を裂く勢いで響いた。
使い魔、アルフ。
主を叱咤するその声に、フェイトの肩が僅かに揺れる。
「ジュエルシードが先だ!」
その一言で、フェイトの意識が戦闘から切り替わった。
視線が走る。
結界の下方。
市街地の地面。
そこに──
魔力の歪み。
説明するより早く、フェイトは動いていた。
なのはも、それを感じ取る。
(……今のは)
偶然だった。
だが、確かにそこにある。
ジュエルシード。
揺らいでいる。
フェイトが先に、地表へ向かう。
防御を削り、速度を上げる。
なのはも遅れて追う。
二人の魔力が、同時に収束する。
封印──
だが、タイミングが重なった。
衝突。
次元構造が、悲鳴を上げる。
空間が歪む。
結界全体が軋み、街が震えた。
次元振。
余波が、断続的に走る。
なのはの防御にひびが入る。
レイジングハートの光が、明らかに弱まった。
それでも──
フェイトは止まらない。
歪みの中心。
暴れるジュエルシードへ、直接手を伸ばす。
危険行為。
魔力遮断も、防護も不完全。
次元振の発生源、そのものを掴み取る。
衝撃。
歪みが、強引にねじ伏せられた。
封印、完了。
結界が大きく揺れ、そして静まる。
沈静化。
余波が消えたあと、二人は地上に降りていた。
アスファルトの割れ目。
立ち昇る熱。
なのはは、膝をつきかけて踏みとどまる。
レイジングハートを支えに、どうにか立っていた。
息は荒い。
体は、正直だった。
フェイトも、明らかに消耗している。
肩で息をしながら、それでも倒れない。
アルフが駆け寄り、肩を貸す。
「……もう十分だよ」
フェイトは、短く頷いた。
なのはは、その背中に声を投げる。
「ねえ……」
喉が痛む。
「あなたの、名前」
フェイトは立ち止まらない。
振り返らない。
だが、一瞬の間。
「……フェイト」
それだけ。
アルフが目を見開く。
二人は、そのまま夜の街へ溶けていった。
なのはは、追わない。
足元が、わずかに揺れた。
「なのは!」
ユーノが空から降りてくる。
人型の姿で、肩を支えた。
「大丈夫!? 無理しすぎだよ!」
「……うん。ちょっと、疲れただけ」
無理に笑う。
遠くで、夜の街が静けさを取り戻していった。
◆
市街地外縁。
結界の境界付近。
燐音の端末が、先に異常を拾っていた。
(ジュエルシード……出力変動?)
戦闘ログよりも、封印体のデータが優先表示される。
通常の活性反応とは異なる。
出力が、内向きではなく──外へ向かっている。
(自己干渉……いや、空間側が歪んでいる)
次の瞬間だった。
空間が、揺れた。
衝撃。
攻撃ではない。
それでも結界内で展開されていた防御障壁が、まとめて削り取られていく。
(バリアを……砕いた?)
魔法同士の衝突ではない。
魔力干渉でもない。
──空間そのものが振動している。
揺れは一点に留まらず、周囲へと広がっていく。
減衰せず、波のように伝播していく様が、数値として示される。
(被害範囲、拡大型)
この規模。
この拡散速度。
市街地で許容される現象ではない。
「アグレ」
『既存データと照合──次元振と酷似した反応を検出』
「……次元振?」
『局所的次元構造歪曲現象。高エネルギーを伴う災害級事象です』
燐音は、短く息を吐いた。
(……災害、か)
単一のジュエルシードが引き起こすには、過剰すぎる。
制御の外にある現象。
(再発条件、不明)
(制御可能性、低)
放置はできない。
判断が切り替わる。
(介入、必要)
──その直後だった。
出力が跳ね上がった。
中心部、フェイトが防御を切って突入する。
歪みの核へ、一直線。
次元構造が軋む。
余波が結界を揺らす。
封印。
衝撃。
歪みが、強引にねじ伏せられる。
沈静化。
(……完了)
(介入不要)
(観測、継続)
◆
次元航行中の艦内は、静かだった。
目的地、第九十七管理外世界・地球。
到達まで、約一週間。
「航行状況、良好です」
ブリッジでは、淡々と報告が続く。
「救助申請者、ユーノ・スクラライア。
ロストギア調査を行っていた管理局協力者」
「ロストギア、ジュエルシード。
搬送中の事故により流出」
「特性、未解析」
艦長は頷いた。
「事故扱いで妥当ね」
そのとき、警告音。
「──次元構造に歪曲を確認」
発生源、地球座標圏。
「自然発生とは考えにくいです」
沈黙。
「……予定を繰り上げます」
「進路維持。可能な限り急行」
艦は、静かに速度を上げた。
救助申請。
ロストギア流出。
そして、想定外の次元振。
対応は、これからだ。