魔法少女リリカルなのは  隣を歩く人   作:維伶@供養中

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17 交差点に立つ

 病院の廊下には、独特の静けさがあった。

 

 人は多い。

 だが、声は低く、足音も抑えられている。

 日常の延長でありながら、どこか別の層に切り離された空間。

 誰もが“急がないふり”をしている場所。

 

 燐音は、待合室のベンチに腰掛けたまま、

 隣に座る子供の様子を確認していた。

 

 足をぶらぶらと揺らしながら、

 天井を見上げている。

 照明の丸い光を、数えるでもなく追っている視線。

 

「……まだ?」

 

「もう少し」

 

 淡々とした返答。

 子供はそれで納得したように、

 小さく頷いた。

 

 今日は孤児院の定期検診の日だった。

 複数人をまとめて連れてきており、

 検査は順番待ちになっている。

 

(予定通り進行中)

(緊急性なし)

(周囲状況:安定)

 

 燐音は視線を上げ、

 廊下全体を一巡だけ確認する。

 

 看護師がカルテを抱えて早足で通り過ぎ、

 付き添いの大人たちが小声で会話をしている。

 名前を呼ばれる声と、

 返事をする声が、等間隔で重なっていく。

 

 非日常を想定する必要はない。

 ここは、そういう場所ではない。

 

「のど、かわいた」

 

 ぽつりと、隣から声がした。

 

 燐音は一瞬だけ考え、立ち上がる。

 

「飲み物、買ってくる」

 

「オレンジ!」

 

 即答だった。

 

「分かった」

 

 財布を確認し、

 子供に一言断ってから、待合室を出る。

 

 院内のカフェは、廊下を一つ曲がった先にあった。

 

 病院内とは思えないほど、

 落ち着いた照明と柔らかな内装。

 長居を想定していない椅子と、

 短時間で人が入れ替わる配置。

 

 コーヒーの香りが、

 消毒液の匂いを少しだけ和らげている。

 

(人の流れ:多)

(滞留時間:短)

(危険兆候:なし)

 

 列に並び、

 メニューを確認する。

 

 子供用のジュースと、

 自分用に水。

 

 注文を終え、

 受け取りを待つ間。

 

 燐音は、無意識のうちに視線を巡らせていた。

 

 ここでは、

 特別なことは起きない。

 

 そう理解しているからこそ、

 確認は最低限でいい。

 油断ではなく、選別。

 

 ──その時だった。

 

 背後から、聞き覚えのある声がした。

 

「……燐音ちゃん?」

 

 一瞬、反応が遅れる。

 

(音声照合)

(一致:高)

(対象:八神はやて)

(魔力状態:不一致)

(前回観測との差異あり)

(再照合実行)

 

 燐音は、その場で振り返る。

 

 車椅子に座った少女が、こちらを見ていた。

 短い銀色の髪。

 穏やかな笑顔。

 記憶の中より、少しだけ柔らかい輪郭。

 

 記憶と一致する顔。

 しかし、魔力の在り方は異なっている。

 

(魔力反応:低位安定)

(循環パターン:変化)

(要因:未特定)

(現時点での介入不要)

 

 処理は短時間で終わった。

 

 踏み込む理由はない。

 

「……はやて」

 

 名を呼ぶ。

 

 それだけの、簡潔な呼びかけ。

 

 はやては一瞬、きょとんとした顔をしてから、

 すぐに小さく笑った。

 

「覚えてるんや」

 

 驚きが、そのまま声に滲む。

 

「……忘れられたかと思った」

 

 ぽつりと、独り言のように零れた。

 冗談めかしているが、

 完全には隠れていない。

 

 燐音は、表情を変えずに答える。

 

「記録している」

 

 事実を述べただけの言葉。

 

 はやては、その返答を聞いて、

 少しだけ肩の力を抜いた。

 

「燐音ちゃんは、変わらんな」

 

 からかうようでいて、

 どこか安堵した響き。

 “変わっていない”ことを、確かめるような声。

 

「今日は、どうしてここに?」

 

 問いは自然だった。

 詮索ではない。

 

「孤児院の子供の付き添い」

 

 燐音は簡潔に答える。

 

「定期検診」

 

「大変やな。でも、えらいと思う」

 

 はやては、そう言って微笑んだ。

 

 その背後で、

 車椅子の押し手をしていた長身の女性が、

 わずかに姿勢を正す。

 

 赤い長髪。

 視線は鋭いが、はやてから手を離さない。

 

(護衛行動)

(役割:保護者)

(警戒レベル:低〜中)

 

 少し離れた位置では、

 柔らかな雰囲気の女性が、

 カフェ全体を静かに見渡していた。

 

(周囲把握)

(介入準備:不要)

 

 さらにその先、

 小柄な少女がカウンター付近で用事を済ませている。

 時折こちらを気にするが、近づいてはこない。

 

(同行者)

(距離維持)

 

「家族や」

 

 はやてが、少し誇らしげに言った。

 

「紹介するな」

 

 燐音は一拍だけ間を置き、

 わずかに表情を緩める。

 

「燐音です」

 

 視線を合わせ、

 丁寧だが堅すぎない口調で続ける。

 

「はやてには、以前お世話になりました」

 

 短いが、礼は含まれている。

 

 押し手の女性──シグナムは、

 燐音を静かに見返し、軽く頷いた。

 

 少し離れた位置の女性──シャマルも、

 柔らかく会釈する。

 

 空気は、張り詰めていない。

 だが、

 完全に緩んでもいない。

 

(相互認識完了)

 

 ここで踏み込む必要はない。

 

 立ち話は、長く続くものではなかった。

 

「今日は、検査の帰りや」

 

 はやてが言う。

 

「退院してから、まだ慣れへんからな」

 

 言葉の端に、

 “順調だと言い切れない”響きが残る。

 

「……そう」

 

 燐音は短く頷く。

 

(医療目的)

(同行理由:妥当)

(状況:平穏)

 

 シャマルは、少し離れた位置から、

 二人の様子と周囲の客の流れを同時に見ている。

 

 特に異変はない。

 会話は、日常の範囲を超えていない。

 

「……また、会えるとええな」

 

 はやてが、ふと思い出したように言った。

 

 言葉に期待はない。

 約束を求めているわけでもない。

 

 ただ、そう思ったから口にした。

 そんな声音だった。

 

「予定が合えば」

 

 燐音は、即答はしなかった。

 

 否定もしない。

 肯定もしない。

 

 現実的な範囲での返答。

 

 それで、十分だった。

 

 はやては、それを聞いて満足そうに笑った。

 

 カウンターの方から、

 ヴィータが戻ってくる。

 

 紙袋を片手に、

 こちらの様子をちらりと見る。

 

 視線が一瞬だけ燐音に向くが、

 特に言葉はない。

 

(感情反応:低)

(行動変化:なし)

 

 燐音は、トレーを持ち直す。

 

「……戻る」

 

「子供が待っている」

 

「あ、せやな」

 

 はやてが、少し慌てたように言う。

 

「引き止めてしもて、ごめんな」

 

「問題ない」

 

 短く答える。

 

 シグナムが、静かに頭を下げる。

 

「……世話になったな」

 

 燐音は、一拍置いてから応じた。

 

「お気になさらず」

 

 シャマルが、穏やかに微笑む。

 

「お互い、無理はしないように」

 

「……同意する」

 

 それで、会話は終わった。

 

 燐音は踵を返し、

 来た道を戻っていく。

 

 背中に、視線を感じる。

 

 だが、呼び止められることはない。

 

(接触終了)

(敵対兆候:なし)

(追加対応:不要)

 

 待合室に戻ると、

 子供がすぐにこちらを見上げた。

 

「遅い」

 

「問題なかった」

 

 ジュースを渡すと、

 子供は満足そうにストローを咥えた。

 

 燐音は、再びベンチに腰掛ける。

 

(判断更新)

(未知要素:存在)

(即時対応:不要)

(経過観察)

 

 何も起きていない。

 何も壊れていない。

 

 それでも、

 配置は確かに変わった。

 

 病院の廊下は、

 変わらず静かだった。

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